第2話 龍を祀る国
首都セレスティアの城門をくぐった瞬間、グレイは思わず足を止めた。
「……すごいな」
口から零れたのは、それだけだった。
港町でも龍の意匠は何度も目にしていた。
石像。旗。看板。土産物。街道沿いの小さな祠。
この国にとって龍という存在が特別なのだということは、首都へ辿り着く前から十分に分かっていたつもりだった。
けれど――ここは規模が違う。
大通りの両脇に並ぶ建物。その壁や柱、軒先に至るまで、いたるところに龍がいる。
翼を広げた龍。
空を見上げる龍。
身体を丸めて眠る龍。
霊峰へ向かって頭を垂れる龍。
彫刻だけではない。旗にも、看板にも、店先の飾りにも、鱗や角を模した意匠が使われていた。
そして、それらの向こう。
街のどこからでも見えるように、霊峰ヴァルグランが聳えている。
夕暮れの空を背負った山肌は薄い紫色に染まり、その上部は雲に隠れていた。
港から見た時よりも遥かに近い。
それでも山頂は見えない。
首を上げても、視線の先には雲があるだけだった。
「姫さん」
「ん?」
「山もいいっスけど、前」
ライアンに言われて視線を戻す。
直後、グレイのすぐ横を大きな荷物を背負った男が通り過ぎていった。
「……危なかった」
「だから言ったんスよ。ここ、立ち止まって眺めるにはちょっと人が多すぎるっス」
言われて改めて周囲を見る。
港町の比ではなかった。
大通りを埋め尽くすほどの人。
人間だけではない。
獣人、エルフ、ドワーフ。
頭部に角を持つ者や、肌に鱗を持つ者もいる。
商人。
冒険者。
武人。
家族連れ。
楽器を手にした旅芸人までいる。
そこへ屋台から客を呼ぶ声が重なり、どこかでは太鼓が鳴っていた。
肉を焼く香ばしい匂い。
果実を煮詰めた甘い匂い。
香辛料。
酒。
花。
いくつもの匂いが夕暮れの空気へ混ざり合い、海を渡ってきたばかりのグレイたちを迎えている。
「お姫ちゃん。感心するのは結構ですが、道の真ん中で止まりやがらないでください。さっきから何人も避けていますよ」
「ああ。ごめん」
「私に謝るんじゃなくて、避けさせられた人たちに言いやがってください」
「もう行っちゃった」
「でしたら次から気をつけてください」
「分かった」
グレイが素直に頷くと、ライカは小さく息を吐いた。
「まったく……お姫ちゃんは興味を引かれるものを見つけると、周りが見えなくなりやがるんですから」
「そんなことないだろ」
「あります」
「あるっスね」
即座にライアンまで同意した。
グレイが眉を寄せる。
「お前まで言うのか?」
「だって本当っスもん。さっきだって山見た瞬間、俺らの声ほとんど聞いてなかったじゃないっスか」
「聞いてた」
「俺、何て言ったっスか?」
「……」
「ほら」
「覚えてないだけだ」
「それを聞いてなかったって言うんスよ」
ライアンが笑う。
言い返そうとしたグレイだったが、後ろから咳払いが聞こえた。
「グレイ様」
「……セバスまで何か言うの?」
「いいえ」
セバスは平然としていた。
「ただ、道の中央で立ち止まるのは危険ですので、続きは歩きながらになさってください」
「結局同じじゃないか」
「私は事実を申し上げただけでございます」
「そういうところ、ずるいよな」
「お褒めいただき光栄です」
「褒めてない」
グレイは小さく笑いながら歩き出した。
城門から続く大通りには、白と金の布が何本も渡されている。その中央には龍を象った紋章。
風が吹くたび、頭上で無数の龍が揺れた。
「祭りって、今日からなのか?」
「鐘が鳴ったということは、恐らく開祭なのでしょう」
セバスが周囲を確認しながら答える。
「ではグレイ様。まずは宿を確保いたしましょう。この人出です。昨日以上に探すことになる可能性もございます」
「見てからでいいだろ」
「よくありません」
間髪入れずに返された。
「まだ明るい」
「日が沈んでから宿を探す理由にはなりません」
「でも祭りは始まってる」
「宿を取ったあとでも祭りは逃げません」
「分からないぞ」
「何がでございますか」
「面白い催しが終わるかもしれない」
「寝床がなくなる可能性の方を心配なさってください」
グレイが口を閉じる。
セバスは続けた。
「昨夜の港町で、宿を確保するまでに何軒回ったかお忘れですか?」
「……五軒」
「七軒です」
「そんなに回ったか?」
「回りました。四軒目あたりからグレイ様が返事をなさらなくなり、六軒目では宿の主人に人数を尋ねられているのに、店先の料理をご覧になっておりました」
「腹減ってたから」
「理由を聞いているのではございません」
横でライアンが堪えきれず笑った。
「姫さん、途中から完全に飽きてたっスもんね。俺が『次行くっスよ』って言っても、『セバスに聞いて』しか言わなくなったし」
「同じことばかり聞かれたからな」
「宿を探してるんだから当然でしょう」
ライカが呆れたように言う。
「名前と人数と宿泊日数くらい、自分で答えやがってください。三軒目から全部セバスに任せてたでしょう」
「得意そうだったから」
「グレイ様」
「何?」
「得意不得意ではなく、面倒になっただけでは?」
「……」
「グレイ様?」
「……とにかく宿だな」
「はい」
セバスが何事もなかったように頷く。
「姫さん、逃げたっス」
「聞こえてるぞ」
「聞こえるように言ったっスから」
「ライアン」
「冗談っス、冗談」
四人は大通りを進んだ。
目的は宿。
それだけのはずだった。
けれど。
「おっ、姫さん。あれ何っスかね?」
「にーちゃん。今、宿を探してるんですよ」
「見るだけっスよ。通り道じゃないっスか」
「その言葉を信用した結果、何度寄り道したと思っているんです?」
「まだ首都に入ってから一回もしてないっスよ」
「これから一回目をしようとしているでしょう」
「……ちょっとくらいいいだろ」
グレイまで足を緩めた。
ライカの視線がそちらへ向く。
「お姫ちゃんまで何を言っているんです?」
「いや、見るだけ。ほんとに」
「二人して同じ顔しやがって……」
通りの端に人だかりができていた。
その中心では、大柄な男が木製の台へ肘を置いている。
向かいには熊の獣人。
互いの手を固く握っていた。
「始め!」
掛け声。
直後、台が大きく軋んだ。
「腕相撲か」
グレイが足を止める。
「おおっ、熊の方押してるっスよ。いや、でも人間の方も結構粘って――」
「行きますよ」
ライカが言う。
「あとちょっと」
「宿が先です」
「決着だけ見てからでも――」
「宿が先です」
「……はい」
「……はいっス」
グレイとライアンの声が綺麗に重なった。
ライカが二人を見る。
「なんです?」
「何でもない」
「何でもないっス」
二人揃って歩き出す。
その後ろで、セバスが僅かに顔を伏せた。
ほんの少し。
口元が動いたように見えた。
「セバス」
「何でしょう」
「今、笑った?」
「何のことでしょうか」
「笑ったっスよ。俺も見たっス」
「ライアン」
「はいっス」
「余計なことを言う暇があるなら、空いている宿を探せ」
「なんで俺だけ怒られるんスか!?」
「俺も言ったぞ」
「姫さんは主だからっスよ!」
「なら諦めろ」
「こういう時だけ主従関係使うのずるくないっスか!?」
そんなことを繰り返しているせいで、歩みは遅い。
焼いた串肉。
色鮮やかな果実。
輪投げ。
的当て。
武器の露店。
酒場の前では、巨大な樽を頭上まで持ち上げた男たちが競争している。
通りの向こうでは、細い棒の上を走り抜ける獣人たちへ歓声が上がっていた。
そのたびに誰かが足を止める。
主にグレイとライアンだった。
「二人とも」
ライカの声が低くなる。
「分かってる」
「見るだけっス」
「その台詞、もう聞き飽きました」
「ねーちゃんだって、あの扇見てたじゃないっスか」
ぴたり。
ライカの視線が止まった。
「……何のことです?」
「あそこの武器屋っスよ。鉄扇並んでるじゃないっスか。さっきから二回見てたっスよ」
指差した先。
確かに、露店の一角に数本の鉄扇が並んでいた。
実用品だけではない。
龍の鱗を模した装飾が施されたものや、扇骨に細かな彫刻を刻んだものもある。
「見てません」
「見てた」
グレイが言った。
ライカがゆっくりと顔を向ける。
「……お姫ちゃん」
「何だ?」
「余計なところだけ、よく見ていますね」
「余計じゃないだろ。ライカのことだからな」
一瞬。
ライカが黙った。
怒られると思ったグレイは首を傾げる。
けれどライカは何も言わず、ほんの少しだけ顔を逸らした。
「……そういうことを、何でもないみたいに急に言いやがらないでください」
「何か変なこと言ったか?」
「いいえ。お姫ちゃんはそのままでいいです」
「さっきと話違わない?」
「姫さん、そこは気にしなくていいっスよ」
「にーちゃんは黙っててください」
「俺、今ねーちゃん助けたつもりなんスけど!?」
「頼んでません」
グレイは二人を交互に見る。
何が起きたのかよく分からない。
「……見る?」
鉄扇を指差して訊く。
ライカは数秒黙っていた。
「見るだけですよ」
「じゃあ行こう」
「姫さん、めちゃくちゃ嬉しそうっスね」
「ライアンも見たいだろ」
「まあ見たいっスけど」
「結局、全員寄るんじゃないですか……」
ライカの溜息とは裏腹に。
四人は鉄扇の並ぶ露店へ向かった。
宿へ辿り着いた頃には、完全に日が沈んでいた。
◇
「二部屋でございますね」
「はい」
「龍神祭の期間中は通常より料金が上がっておりますが、よろしいでしょうか?」
「構いません。こちらで」
宿の主人と話しているのは、やはりセバスだった。
グレイたちは少し離れたところで待っている。
「……結局、セバスが全部やってるっスね」
「得意だからな」
「姫さん、それで押し通す気っスか?」
「何が?」
「そのうち宿の取り方忘れるっスよ」
「忘れないよ」
「じゃあ次は姫さんがやるっスか?」
「……セバスが得意だから」
「やっぱり駄目になってるじゃないっスか」
「ライアン」
「冗談っス」
幸い、宿は確保できた。
大通りから二本ほど裏へ入った場所にある三階建ての宿。
祭りの最中だけあって満室寸前だったらしい。
荷物を部屋へ置く。
グレイはすぐに窓を開けた。
夜風が入ってくる。
遠くから音楽が聞こえた。
祭りは終わっていない。
むしろ夜になってからの方が賑やかになっている。
通りには魔導具の灯りが並び、白い街並みを暖かな光が照らしていた。
「……行くか」
背後から声がする。
「どこへです?」
振り返る。
ライカが腕を組んでいた。
「祭り」
「夕食は?」
「外で食べればいい」
「休憩は?」
「船でいっぱい休んだ」
「船を降りてから結構歩いていますよ」
「平気」
「お姫ちゃん」
「何だ?」
ライカはしばらくグレイを見る。
その目が、本当に疲れていないかを確かめているのだと気付いた。
「……今日だけですよ」
「うん」
「明日はちゃんと休みやがってください。お姫ちゃんは楽しいことを見つけると、自分が疲れていることまで忘れるんですから」
「分かった」
「その返事、軽くないです?」
「ちゃんと分かってるよ」
「では信じます。半分くらい」
「半分なの?」
「今までの実績を考慮しました」
「厳しいな」
ライカが溜息をつく。
その後ろからライアンが顔を出した。
「決まったっスか?」
「何が?」
「祭り行くかどうか」
「行く」
「やった。せっかく来たんだから、夜のうちに一通り見たいっスよね」
「にーちゃん。子供みたいに喜ばないでください」
「ねーちゃんだって行く気満々じゃないっスか」
「私はお姫ちゃんを一人で行かせるわけにいかないだけです」
「俺もいるっスよ?」
「だから余計に心配なんです」
「ひどくないっスか!? 俺が一緒なら安心するところでしょう!」
「にーちゃんとお姫ちゃんを二人にすると、止める人がいなくなるでしょう」
「……否定できないっスね」
「そこで諦めるのか」
「姫さんも自覚あるでしょう?」
「ない」
「その即答が一番怖いんです」
最後にセバスが部屋へ入ってくる。
「準備が整いました」
「セバスも行くぞ」
「もちろんです」
「仕事じゃなくて」
セバスがグレイを見る。
「祭りを見に行くんだよ。俺の荷物持ったり、飯の量を確認したりするためじゃなくて。セバスも普通に楽しめばいい」
「……承知しました」
「それ、仕事の返事だろ」
「では、楽しませていただきます」
「硬いな」
「グレイ様が突然そのようなことを仰るからです」
「突然じゃないだろ。せっかく祭りに来たんだから、四人で楽しみたいだけだよ」
セバスが一瞬だけ黙った。
それから、僅かに表情を緩める。
「かしこまりました。では今夜は、私も祭りを見物させていただきます」
「うん」
「ただし、食事と休憩については別です」
「……そこは仕事するんだ」
「当然です」
どれほど一緒にいても。
こういうところは変わらない。
グレイは小さく笑って、部屋を出た。
◇
夜のセレスティアは、昼間とは違う顔をしていた。
通りに並べられた灯りの多くが、龍を模した器に収められている。
口の部分から光が漏れ、まるで小さな龍が火を吐いているように見えた。
屋台も増えている。
楽器を鳴らす者。
踊る者。
酒を片手に歌う者。
あちこちから笑い声が聞こえる。
そして。
「これ、うまい」
グレイは早速、屋台の串焼きを食べていた。
「姫さん、宿で夕食聞かれた時はどうでもよさそうだったのに、外出た瞬間それっスか」
「食べたらうまかった」
「そういう問題じゃないっスよ」
「お姫ちゃん。野菜も食べやがってください」
「付いてる」
グレイが串を持ち上げる。
肉。
肉。
玉ねぎ。
肉。
「それを『野菜を食べている』と言い張るつもりです?」
「玉ねぎは野菜だろ」
「一切れでしょう」
「一切れでも野菜は野菜だ」
「姫さん、そこ妙に頑固っスね」
「ライアンに言われたくない」
「俺はちゃんと食べてるっスよ」
ライカが無言でライアンの両手を見る。
右手に肉串。
左手にも肉串。
さらに口に一本。
「……どこがです?」
「これからっスよ」
「肉ばかり三本持っている人が言っても、説得力がないですね」
「ねーちゃんだって魚食べてるじゃないっスか」
「私はこれが夕食です」
「俺も夕食っス」
「にーちゃんは宿を出る前にパンも食べていました」
「見てたんスか?」
「目の前で食べていたでしょう」
「細かいっスねぇ」
少し後ろでは、セバスが紙袋を持っていた。
中にはグレイが気になったものを買っているうちに増えていった食べ物が入っている。
「セバス、それ持つ」
「問題ございません」
「でも俺のだろ」
「現在、両手が塞がれております」
「片手空いてる」
「串焼きを食べ終わりましたらお渡しします。油で袋を落とされても困りますので」
「落とさないよ」
「先ほど果実の串を落としかけておりましたが」
「……見てたのか」
「当然です」
「本当に何でも見てるな」
「グレイ様の従者ですので」
「そういうもんなの?」
「少なくとも私は、そのつもりでおります」
「……分かった」
グレイは素直に串焼きを食べる。
それを見ていた屋台の店主が笑った。
「随分仲がいいんだな、あんたら」
「そう見える?」
「見える見える。そっちの兄ちゃんと姉ちゃんは兄妹か? そっちの旦那は執事みたいだし……家族旅行か?」
グレイの手が少しだけ止まった。
けれど、それは本当に一瞬だった。
「うん」
答える。
「家族」
ライアンが何も言わずグレイを見る。
ライカも。
セバスも。
けれど誰も否定しなかった。
店主は何も知らない。
この四人がどれだけ長い時間を共にしてきたのか。
どうして三人が今ここにいるのか。
グレイが何を失って。
何を手放せなかったのか。
何も知らない。
「そりゃいい! せっかくの龍神祭だ。家族みんなで、たっぷり楽しんでいきな!」
「ああ」
グレイは歩き出した。
その隣にライカ。
反対側にはライアン。
セバスが少し後ろを歩く。
誰も、今の言葉について何も言わなかった。
言う必要もなかった。
少し歩いたところで。
「姫さん」
「ん?」
「次、何食べるっスか?」
「……何で食べる前提なんだ?」
「さっきあっちの屋台見てたっスよ」
「見てない」
「見てました」
ライカまで言う。
「お姫ちゃん、果実を焼いていた屋台を三回見ていましたよ」
「……うまそうだったから」
「なら買えばいいじゃないっスか」
「その前に野菜です」
「まだ言うの?」
「言います」
いつもの声が戻ってくる。
グレイは少しだけ笑った。
◇
通りの先から歓声が上がった。
「お、何かやってるっス」
ライアンが先を見る。
広場だ。
中央に円形の舞台が設けられ、二人の男が向かい合っている。
どちらも武器は持っていない。
「模擬戦かな」
グレイが近付く。
今度はライカも止めなかった。
観客の隙間から覗く。
一人は人間。
もう一人は狼の獣人だった。
合図と同時に、二人が踏み込む。
拳。
蹴り。
組み。
簡単な武術試合らしい。
周囲から声援が飛ぶ。
「いい踏み込みですね」
セバスが言った。
「獣人の方?」
「はい。下半身が安定しております。力任せに前へ出ているわけではありません」
「でも右に寄る癖あるな」
セバスが僅かにグレイを見る。
「お気付きでしたか」
「三回とも同じだった。あれなら、そのうち読まれる」
「ええ。本人が気付いて修正できるか、それより先に相手が利用するかでしょう」
グレイが試合を見る。
ほどなく、人間の男がそれを読んだ。
獣人の右への踏み込みに合わせて身体を入れ替える。
体勢を崩し、そのまま投げた。
背中が舞台へ落ちる。
歓声。
「終わったっスね」
「いや」
グレイが言った。
獣人がすぐに立ち上がる。
どうやら一本では終わらないらしい。
再開。
今度は獣人が右へ行かない。
「修正しましたね」
「うん。今の一回で気付いたんだな」
「そのようです」
「じゃあ次は、相手がどうするかだ」
「ええ」
グレイとセバスは黙って試合を見る。
その横でライアンがライカへ顔を寄せた。
「ねーちゃん」
「何です?」
「これ、長くなるやつっス」
「分かっています」
「どうするっスか?」
「放っておきましょう。下手に急かすと、歩き出してからも試合の方を見続けます」
「あー……それはあるっスね」
「最悪、あとで戻ってきます」
「さすがねーちゃん。姫さんの扱い分かってるっス」
「にーちゃんも同類でしょう」
「俺はここまでじゃないっスよ」
「さっき腕相撲に食いついていた人が何を言っているんです?」
「……あれはちょっと気になっただけっス」
「お姫ちゃんも同じことを言いますよ」
「やめるっス。この話、俺が不利っス」
結局。
試合が終わるまで見た。
勝ったのは獣人だった。
最初に読まれた癖を修正し、最後は右への踏み込みを囮にして相手を誘った。
グレイは少し満足そうだった。
「面白かった」
「よろしかったですね」
「セバスも楽しそうだったぞ」
「武を見るのは嫌いではございませんので」
「知ってる。さっきから俺より細かく見てたし」
「癖です」
「なら、ちゃんと祭り楽しんでるな」
セバスは少しだけ目を瞬いた。
それから静かに答える。
「……そうかもしれません」
「それでいいんだよ」
グレイは満足そうに笑った。
◇
そこから歩いて数分。
「挑戦者はいないか!」
大きな声が響いた。
広場の端。
先ほどとは違う人だかり。
中央に大きな石が置かれている。
いや。
石というより岩だ。
人の胸ほどまである。
「何してるんスかね?」
「持ち上げるんじゃない?」
近くの看板に説明が書いてある。
祭りの力比べ。
決められた岩を地面から持ち上げ、胸の高さまで上げれば成功。
参加料は銅貨一枚。
成功すれば酒が一杯無料。
「……酒一杯のために、あれ持ち上げるんスか?」
「この国らしいんじゃないか?」
グレイは周囲を見る。
参加希望者は多い。
筋骨隆々の男が岩の前へ立った。
腰を落とし、両腕で抱える。
「ぬぅぅ……!」
岩が浮く。
歓声。
だが、膝の高さで止まった。
男の腕が震える。
やがて岩が地面へ落ちた。
「惜しい!」
係員が笑いながら肩を叩く。
次の挑戦者。
次。
また次。
成功する者もいる。
そのたびに大歓声が上がる。
「セバス」
「参加いたしません」
「まだ何も言ってない」
「視線で十分伝わりました」
「一回くらい」
「参加いたしません」
「なんで?」
「力比べのためだけに岩を持ち上げる趣味はございません」
「でも、ちょっと気にならない?」
「なりません」
「本当に?」
「なりません」
「絶対?」
「グレイ様」
声が少し低くなった。
グレイは笑う。
「分かったよ」
「姫さん」
「今度は何だ」
「俺、ちょっとやってきていいっスか?」
「ライアンがやるのか?」
「せっかくなんで。見るだけより、一回くらいやった方が祭りっぽいじゃないっスか」
「酒目当てですか?」
ライカが問う。
「違うっスよ。普通に面白そうなんスよ」
「酒は?」
「……成功したら、まあ貰うっス」
「結局飲むんじゃないですか」
「景品断るのも悪いじゃないっスか」
「よく言いますね」
参加料を払う。
ライアンの番が来る。
見た目だけなら、先ほどの男たちほど大柄ではない。
そのせいか、周囲から少し心配そうな声が聞こえた。
「兄ちゃん、腰やるなよ!」
「無理すんな!」
「駄目そうならすぐ離せ!」
ライアンが振り返る。
「優しいっスね、この国の人」
周囲から笑いが起きた。
ライアンも笑いながら岩の前へ立つ。
腰を落とす。
両腕を回す。
次の瞬間。
「よっ」
あっさり持ち上げた。
胸まで。
少しだけ。
辺りが静かになる。
「……軽いっスね」
「おおおおおおっ!」
遅れて大歓声。
ライアンは岩を下ろす。
「兄ちゃん獣人か!」
「そうっスよ」
「何の獣人だ!?」
「獅子っス」
「道理で!」
「いや、獅子なら全員これ持てるわけじゃないっスよ!?」
また笑いが起きる。
背中を何度も叩かれ、酒を渡される。
ライアンは笑いながら戻ってきた。
「ただいまっス」
「随分楽しそうでしたね」
「成功しただけっスよ」
「にーちゃん」
「なんスか?」
「尻尾」
「……え?」
見る。
金色の尾が左右へ揺れていた。
かなり機嫌よく。
ライアンが慌てて押さえる。
「……勝手に動いたっス」
「身体は正直ですね」
「ねーちゃん、そこは見なかったことにしてほしかったっス」
「楽しかったんだな」
グレイが言う。
「……まあ、ちょっと」
「ならいいだろ」
ライアンが一瞬だけ目を丸くする。
グレイは何でもないように続けた。
「祭りなんだから。楽しみに来たんだろ?」
数秒。
ライアンが笑った。
「そうっスね」
◇
祭りの通りを歩いていると、次第に龍の姿が増えていった。
飾りではない。
人々が身につけているものだ。
子供は龍の角を模した帽子を被り、大人は鱗模様の布を肩へ掛けている。
龍の顔を象った仮面も売られていた。
「お姫ちゃん」
「ん?」
「これ」
振り返る。
ライカが白い龍の仮面を持っていた。
「俺?」
「はい。白ですし、お姫ちゃんに合うと思って」
渡される。
目元だけを覆う形だ。
白い鱗。
小さな角。
細かな金の装飾。
グレイが顔につける。
「どう?」
ライカが少しだけ首を傾ける。
「……思ったより似合いやがりますね」
「思ったより?」
「褒めています」
「その言い方だと、最初は似合わないと思ってたみたいだぞ」
「そこまで言ってません」
「姫さん、完全に祭りの人っスね」
ライアンが笑う。
「お前もつければ?」
「俺はいいっスよ。見る側で十分――」
「これ」
グレイが赤い龍の仮面を取った。
「いやいや、姫さん。俺の話聞いてたっスか?」
「似合う」
「まだつけてないっス」
「つければ似合う」
「根拠が雑っスよ!」
「いいから」
強引に渡す。
ライアンはしばらく仮面とグレイを見比べた。
「……姫さん、こういう時だけ妙に押し強いっスよね」
「つけないの?」
「つけるっスよ。そんな顔されたら断りにくいじゃないっスか」
装着する。
金色の髪に赤い仮面。
グレイが少し離れて見る。
「……悪くない」
「でしょ?」
「なんで姫さんが得意げなんスか」
「選んだの俺だから」
「じゃあ、私はこちらにします」
ライカは青。
三人が同時にセバスを見る。
「……何でしょう」
「セバスは?」
「私は結構です」
「四人でつけよう」
「グレイ様」
「これ」
黒い仮面を差し出す。
「似合うぞ」
「まだ着けておりません」
「さっき俺も同じこと言ったっス」
「にーちゃん、黙っててください」
「なんで!?」
セバスはしばらく黒い仮面を見つめる。
「グレイ様」
「何?」
「私がこれを着ける必要はございますか?」
「ないよ」
「……では何故」
「四人でつけたいから」
あまりにも当然のように返された。
セバスが黙る。
グレイは仮面を差し出したまま待っている。
やがて。
「……今回だけです」
「うん」
セバスが受け取った。
四人で龍の仮面をつける。
白。
赤。
青。
黒。
誰も自分たちを知らない街。
誰も、グレイが真祖であることを知らない。
ライアンとライカが人形であることも。
セバスがかつて拳聖と呼ばれていたことも。
今、この場所では関係ない。
ただ祭りに来た四人の旅人。
それでいい。
「お姫ちゃん」
「ん?」
「ちょっとこっち向きやがってください」
振り返る。
ライカが白い仮面を見ていた。
そして、少し笑う。
「何?」
「いえ。やっぱり白いの、本当に似合うと思いまして」
「ライカも青、似合ってるよ」
「……どうも」
「俺は?」
ライアンが横から顔を出す。
「にーちゃんはうるさいです」
「まだ何も言ってないっスよ!」
「俺は似合ってると思うぞ」
「姫さん……!」
「うるさいけど」
「姫さんまで!?」
夜の街に笑い声が溶ける。
グレイは白い仮面の奥から霊峰を見上げた。
街の灯りの向こう。
ヴァルグランは暗い空へ消えている。
山頂は見えない。
それでも。
昼間より近く感じた。
◇
祭りの中心へ近付くにつれ、建物が大きくなっていった。
そして。
「……あれか」
グレイが見上げる。
巨大な円形建造物。
石造りの外壁。
何層にも重なる観客席。
入口には巨大な龍の彫刻が二体、向かい合うように立っている。
「コロッセオっスか」
ライアンも見上げる。
「でかいな」
「国の象徴の一つなのでしょう」
セバスが言う。
周辺は特に人が多い。
壁には何枚もの掲示。
出場者募集。
開催日程。
観戦席。
そして中央。
他より大きな看板があった。
グレイが近付く。
「龍神祭武闘大会……」
隣でライアンが「あー」と小さく声を漏らした。
「ついに見つけたっスね」
「何を?」
「姫さんがずっと探してたもの」
「探してない」
「街道からずっと気にしてたじゃないっスか」
「気になってただけだ」
「それを探していたと言うのでは?」
ライカまで覗き込む。
「違う」
「では、受付場所を見つけても参加しないんですね?」
「まだそうとは言ってない」
「ほら」
「……うるさいな」
グレイは誤魔化すように看板を読む。
十年に一度。
龍神祭の中心行事。
武器使用可。
魔法使用可。
種族不問。
参加条件――人型であること。
「人型?」
グレイが首を傾げる。
「変な条件だな。種族不問なのに、人型じゃないと駄目なのか」
「大型種族への配慮でしょうか」
「でも、それなら体格制限とかじゃないのか?」
その時。
「龍が出るからだよ」
後ろから声がした。
振り返る。
酒瓶を持った老人が立っていた。
顔は赤い。
祭りでかなり飲んでいるらしい。
「龍?」
グレイが聞く。
「そうさ。嬢ちゃん、この国に来たばかりか?」
「今日来た」
「なら知らんのも無理はないな」
老人が笑う。
「龍は人の姿になれる」
「人化か」
「そう呼ぶ者もいる。普段は山や谷に住んでいる連中が、時折人の姿で街へ降りてくる。人と同じように飯を食い、酒を飲み、買い物もする」
「普通に街にいるのか?」
「いるとも。お前さんが今日すれ違った相手の中に、龍がいたかもしれんぞ」
グレイが反射的に周囲を見回す。
老人が笑った。
「見ただけじゃ分からんよ。人化した龍は、見た目だけなら人間や獣人とそう変わらん」
「へぇ……」
「当然、この大会にも出る」
「龍も参加する?」
「ああ」
その瞬間。
グレイの目が変わった。
「強い?」
間髪入れずに聞いた。
ライアンが小さく息を吐く。
ライカも「ああ……」という顔をする。
老人は気にせず頷いた。
「そりゃあ強いさ。人間とは身体の作りから違う。人の姿になったって、元が龍だ。そこらの腕自慢じゃ相手にならん」
「どのくらい?」
「どのくらいと言われてもな」
「人化したら身体能力は落ちる? 魔法は? 龍の時に使える力は人の姿でも使えるのか?」
「お姫ちゃん」
「何だ?」
「急に質問が増えています」
「気になるだろ」
「だから顔に出ていると言っているんです」
「普通だよ」
「普通じゃないっス」
ライアンまで言う。
老人は四人を見比べた。
「ハハッ。嬢ちゃん、さては出るつもりだな?」
「まだ決めてない」
「その割には随分楽しそうな顔してるぞ」
「……みんな同じこと言うな」
「それだけ分かりやすいんでしょうね」
セバスが静かに付け加えた。
「セバスまで」
「事実でございます」
老人はますます楽しそうに笑った。
「まあ、出なくても見る価値はある。各国から化け物みたいな連中が集まるからな」
「化け物?」
「強いって意味だ」
「分かってる」
「騎士団長、名の売れた冒険者、傭兵。ドラゴニュートもいる。今年も龍が何人か混じってるって噂だ」
「何人も?」
「正体を明かす奴ばかりじゃない。人の姿なら見分けるのは難しいからな」
老人は酒を一口飲んだ。
「昔から、優勝するのは龍が多い」
「人間は勝てない?」
「勝った奴もいるさ」
老人が口角を上げる。
「だから面白いんだろうが。最初から龍が勝つと決まってるなら、こんなに人は集まらん」
「……なるほど」
グレイは看板へ視線を戻した。
強い者が集まる。
龍も参加する。
人化した龍。
何百年。
あるいは千年近く生きる者もいる。
どんな戦い方をするのか。
少し――いや、かなり気になる。
「それで」
グレイはもう一つ気になっていたことを訊いた。
「優勝したら、龍神に会えるって本当?」
「ああ」
老人の声が少しだけ変わった。
酔ってはいる。
けれど、その名を口にする時だけは自然と姿勢が整う。
「優勝者は霊峰ヴァルグランへ招かれる」
老人が山を見る。
「そして、白耀龍神アルディエル様に謁見する」
「願いを叶えてくれる?」
「何でも、というわけではないだろうがな」
老人は笑った。
「富を望んだ者もいる。武具を求めた者も。知識を求めた者もいる。龍神様が認めれば、一つ願いを聞き届けてくださる」
「なるほど」
「嬢ちゃんは何か欲しいものがあるのか?」
「……別に」
本当にない。
富。
いらない。
武器。
特に欲しくない。
知識なら興味はある。
だが、願いを一つ使ってまで欲しいものがあるかと聞かれれば、今は思いつかなかった。
それより。
「強い奴が集まるんだよな」
「ああ」
「龍もいる」
「ああ」
「優勝したら龍神に会える」
「そうだ」
「龍神は強い?」
老人が目を瞬いた。
ライアンが顔を覆った。
「やっぱりそこっスか……」
ライカは何とも言えない顔で空を見上げた。
「お姫ちゃんですからね……」
セバスだけは黙っている。
「……嬢ちゃん」
「何?」
「それをこの国の人間に聞くのか?」
「駄目なのか?」
「駄目じゃないが……」
老人は数秒グレイを見つめた。
それから腹を抱えて笑い始めた。
「ハッハッハッハ! そりゃ強いさ! 強いなんてもんじゃない!」
周囲の何人かが何事かと振り返る。
「白耀龍神アルディエル様だぞ! 何千年生きておられると思ってる!」
「知らない」
「俺も知らん!」
「知らないのか」
「誰も正確な歳なんぞ知らんよ!」
「じゃあ何で聞いたんだ?」
「言葉の綾だ!」
老人は目尻の涙を拭った。
「だが、この国ができるより遥か昔からヴァルグランにおられる。それだけは確かだ。国が生まれ、人が増え、街ができるよりも前からな」
「何千年……」
グレイが霊峰を見る。
自分より遥かに長い。
長命という言葉の意味が、人間とはまるで違う存在。
どんな景色を見てきたのだろう。
どれほどの時間を、あの山で過ごしてきたのだろう。
そして。
どれほど強いのだろう。
「グレイ様」
セバスが呼ぶ。
「何だ?」
「まだ参加受付はなさいますな」
「……何で?」
「今日は祭りを楽しむと決めたはずです」
「受付くらいすぐ終わるだろ」
「明日でも間に合います」
「でも、場所も分かったし――」
「明日です」
「セバス」
「明日です」
グレイは黙った。
「……はい」
老人が二人を見る。
「執事か?」
「はい」
「苦労してそうだな」
「慣れております」
「セバス」
「何でしょう」
「俺、そんなに面倒?」
セバスは少し考えた。
その間が嫌だった。
「……何で考えるんだよ」
「正確にお答えしようかと」
「すぐ否定するところだろ」
「ではグレイ様。その問いに正直にお答えしてよろしいので?」
「……やっぱりいい」
「賢明です」
ライアンが堪えきれず笑った。
「姫さん、自分から聞いたのに逃げるの早すぎるっス!」
「うるさい」
◇
コロッセオを離れてからも、グレイの頭には大会のことが残っていた。
だが。
祭りには、それを忘れさせるものがいくらでもあった。
「姫さん、あれ!」
「今度は何だ?」
「的当てっス」
小さな木の球を投げ、龍の口へ入れる遊びだった。
「やる?」
「やるっス」
「俺も」
「お姫ちゃんまで……」
ライカは呆れながらも参加料を払った。
結果。
ライアンは五球中四球。
ライカは五球中五球。
「ねーちゃん、こういうの妙に上手いっスよね」
「妙には余計です」
「全部同じくらいの場所に入ってたっスよ」
「この距離なら普通でしょう」
「普通じゃないっスよ。店主も驚いてるじゃないっスか」
そしてグレイ。
五球中――。
「……一球」
グレイは龍の口を見つめた。
続いて自分の手を見る。
もう一度、龍を見る。
「おかしい」
「何がです?」
「狙ってる」
「見れば分かります」
「ちゃんと投げてる」
「それも見れば分かります」
「なのに入らない」
「それを下手と言うんです」
グレイがライカを見る。
「……言い方」
「事実です」
「姫さん」
「何だ」
「魔法使ってないっスよね?」
「使うわけないだろ」
「じゃあ何でそんな下手なんスか?」
「うるさい」
一球目は龍の口を通り越し、奥の幕へ直撃。
二球目は台へ跳ね返った。
三球目は手前。
四球目でようやく入った。
五球目は龍の額へ当たった。
「おかしい」
「まだ言うんスか?」
「人に当てるなら外さないのに」
「的当てで物騒なことを言わないでください」
「動いてる相手の方が当てやすい」
「余計に怖いです」
「セバス、やってみろ」
「私は結構です」
「逃げるのか?」
セバスの眉が動いた。
「グレイ様」
「何だ?」
「今の挑発は、あまりに安直かと」
「効いた?」
「効いておりません」
「じゃあやらない?」
「……店主。五球お願いします」
「効いてるじゃないっスか!」
結果。
五球中五球。
しかも全て、ほぼ同じ場所を通った。
店主まで驚いている。
「セバス」
「何でしょう」
「もう一回」
「嫌です」
「次は勝つ」
「グレイ様」
「何だ」
「これは勝負ではございません」
「今から勝負にする」
「なさいません」
「一回だけ」
「なさいません」
「俺が勝ったら――」
「条件を提示されても、なさいません」
「まだ言ってない」
「何を仰っても同じです」
グレイが不満そうにセバスを見る。
ライカがグレイの腕を取った。
「行きますよ」
「待って。あと一回」
「行きます」
「ライカ」
「駄目です」
「一球だけ」
「駄目」
「……」
「そんな顔しても駄目です」
結局、ライカに連れていかれた。
◇
その次は菓子。
その次は踊り。
その次は酒。
ライアンが知らない旅人たちと、いつの間にか肩を組んでいた。
「なんであいつ、知らない奴と飲んでるんだ?」
「にーちゃんですから」
「説明になってない」
「十分でしょう」
ライカは呆れている。
だが止めには行かない。
ライアンの笑い声が聞こえる。
相手は大柄なドワーフ二人。
何を話しているのかは分からないが、すでに昔からの友人のようになっていた。
「……すごいな」
「何がです?」
「あれ」
グレイがライアンを指す。
「さっき会ったばかりだよな?」
「そうでしょうね」
「何であんな仲良くなれるんだ?」
「にーちゃんにとっては、知り合ってからの時間なんて大して関係ないんでしょう」
「そういうもんか」
「気が合えば一緒に笑う。気に入れば酒を飲む。それで十分なんじゃないですか」
「ライアンらしいな」
「ええ」
ライカの声は穏やかだった。
「昔から変わらないな」
「そうですね」
少しして。
「お姫ちゃんもですよ」
「俺?」
「はい」
「変わったぞ」
「もちろん変わりました」
ライカは少し考える。
「でも、変わってないところもいっぱいあります」
「例えば?」
「知らないものを見つけると、すぐ近付いていくところ」
「それは普通だろ」
「強い人を見ると目で追うところ」
「そんなに?」
「かなり」
「……知らなかった」
「自覚しやがってください」
「他は?」
「美味しいものを見つけると、同じものを私たちにも食べさせようとするところ」
「うまかったら食べてほしいだろ」
「そういうところです」
ライカが小さく笑う。
「変わったところもあります。でも、変わらないところもある。私は、それでいいと思っています」
「……そっか」
「はい」
グレイも笑った。
少し離れた場所では、セバスが飲み物を買っている。
黒い龍の仮面はもう外している。
けれど、手にはまだ持っていた。
捨ててもいない。
荷物へ仕舞ってもいない。
グレイはそれを見て、何となく嬉しくなった。
「グレイ様」
戻ってきたセバスがカップを差し出す。
「果実水です」
「ありがとう」
「酒ではございません」
「分かってる」
「先ほどライアンから一口貰おうとなさっていましたので」
「見てたのか」
「当然です」
「一口くらいいいだろ」
「構いませんが、空腹時はお控えください」
「食べた」
「串肉だけでは足りません」
「菓子も食べた」
「なお悪いです」
「何でだよ」
「菓子は食事ではございません」
「腹には入る」
「そういう問題ではありません」
「厳しいな」
「お身体を預かる立場ですので」
グレイはカップを受け取る。
果実の酸味がした。
少し甘い。
「うまい」
「それは何よりです」
セバスが静かに答える。
ライカがそのやり取りを見ていた。
「完全に執事ですね」
「何を今更」
「いえ。今のセバスしか知らない人なら、最初からこうだったと思うんでしょうね」
「何が言いたい」
「別に」
「ライカ」
「褒めていますよ」
「その言葉はもう信用しない」
「学びましたね」
「お前のせいだ」
グレイは二人の会話を聞きながら、果実水を飲んだ。
祭りの音が続いている。
誰かが笑っている。
誰かが歌っている。
子供が走っている。
知らない国。
知らない街。
昨日まで海の向こう側にあった場所。
なのに、不思議と居心地は悪くなかった。
◇
夜も深くなり始めた頃。
四人は大通りから少し外れた高台へ出た。
小さな神殿がある。
白い石造り。
正面には翼を畳んだ龍の像。
街の喧騒が少し遠くなる。
「ここは静かだな」
グレイが言う。
階段を上る。
神殿の前には数人の参拝者がいた。
誰も大声を出さない。
祭りの夜であっても、ここだけは空気が違った。
グレイは龍の像を見上げる。
その足元には、無数の白い花が供えられていた。
「何を祈るんでしょうね」
ライカが小声で言う。
「人それぞれでは」
セバスが答える。
「勝負事っスかね?」
少し酒の匂いをさせたライアンが戻ってきていた。
「この国ならありそう」
グレイが言う。
すると、近くにいた神官が振り返った。
「もちろん、勝利を願われる方もおりますよ」
年若い女性だった。
白い法衣。
胸元には龍を象った飾り。
「ただ、アルディエル様は勝利だけを尊ぶ御方ではありません」
「そうなのか?」
「はい」
神官は龍の像を見る。
「強さとは、勝つことだけではありませんから」
グレイは少しだけ目を細めた。
「じゃあ、何?」
「それを決めるのは、私ではありません」
神官は柔らかく笑った。
「力を求める者。誰かを守る者。己を磨く者。恐怖に立ち向かう者。それぞれに違う強さがあります。ですから、私が一つだけを選んで『これが強さです』と申し上げることはできません」
「……なるほど」
「ただ、この国では皆、アルディエル様がその象徴だと考えております」
「強いから?」
「それもございます」
神官が霊峰へ目を向ける。
「ですが、それだけではありません」
その先を彼女は言わなかった。
説明しなくても、この街を歩けば少しずつ分かる。
石像の足元に花を置く老人。
木彫りの龍を大事そうに抱える子供。
祭りで笑う人々。
強さを競う武人。
この国の者たちにとって、龍はただ恐ろしい存在ではない。
身近で。
遠くて。
尊ばれるもの。
グレイは霊峰を見上げた。
「アルディエルは、ずっとあそこに?」
「はい」
「何年くらい?」
神官が少し困った顔をする。
「正確な年月は、私どもにも分かりません」
「やっぱりか」
「少なくとも、アークレシアという国が生まれる以前から、ヴァルグランにおられます」
「長いな」
「はい。私ども人間には想像もつかないほどに」
グレイはそれ以上聞かなかった。
長く生きる。
その言葉の意味を、グレイは知っている。
人にとって一生にも等しい時間が、今のグレイにとっては旅の途中になっている。
ライアンと。
ライカと。
セバスと。
国を越え、季節を越えながら歩いてきた時間。
それよりも遥かに長く。
アルディエルは、あの山にいる。
数千年とは、どんなものなのだろう。
何を見て。
何を失って。
何を覚えているのだろう。
そして――。
それほどの時間を生きた者は、どれほど強いのだろう。
少しだけ。
知りたいと思った。
「お姫ちゃん」
「ん?」
「そろそろ戻ります?」
ライカが聞く。
グレイは祭りの街を見る。
まだ灯りは消えていない。
けれど、今日は十分だった。
「ああ」
「珍しいっスね」
ライアンが目を丸くする。
「姫さんなら『まだ見る』って言うかと思ったっス」
「明日があるから」
ライアンの目が細くなる。
「大会の受付っスね?」
「……祭りを見る」
「今、一瞬間があったっス」
「ない」
「ありました」
ライカまで乗ってくる。
「ほんの少しですが、明らかにありましたね」
「セバス」
「はい」
「こいつら何とかして」
「私には難しいかと」
「諦めるな」
「では、明日は朝食後に武闘大会の受付へ向かう予定でよろしいでしょうか」
「セバス!」
「何でしょう」
「何とかする相手が違う!」
「これは失礼いたしました」
「絶対わざとだろ」
「何のことでございましょう」
「今日それ二回目だぞ」
グレイは三人を見る。
ライアンが笑っている。
ライカも口元を隠している。
セバスだけはいつもの顔。
けれど、目元が少しだけ柔らかい。
「……帰るぞ」
「はいっス」
「そうしましょう」
「承知しました」
グレイは先に歩き出した。
後ろから三人の足音がついてくる。
石段を下りる。
祭りの喧騒が少しずつ近付く。
途中。
グレイは足を止めた。
街の建物の隙間。
そこからコロッセオが見えた。
夜だというのに、まだ多くの人が集まっている。
巨大な入口には、龍神祭武闘大会の旗。
風に揺れている。
「グレイ様?」
セバスが呼ぶ。
「……なあ」
「はい」
「例年、龍が優勝することが多いって言ってたよな」
「先ほどの老人は、そう申しておりました」
「人の姿でも強い」
「恐らくは」
「各国から強い奴も来てる」
「そのようです」
「それで、優勝したらアルディエルに会える」
「はい」
グレイは少し考える。
願い。
それ自体には、やはり大して興味がない。
欲しいものがないわけではない。
守りたいものなら、ここにいる。
失いたくないものも。
これから先も一緒に歩きたい者たちも。
けれど、それを誰かに願って与えてもらいたいとは思わなかった。
今のグレイの中にあるのは、もっと単純なものだった。
どんな奴がいるのだろう。
どれくらい強いのだろう。
龍とはどんな戦い方をするのだろう。
そして。
数千年を生きる龍神は――どれほど強いのだろう。
グレイの口元が、自然と上がった。
「姫さん」
「何だ」
「今、絶対ろくでもないこと考えてる顔っス」
「失礼だな」
「じゃあ否定するんです?」
ライカが訊く。
「まだ何も決めてない」
「まだ、ですか」
「明日決める」
「つまり参加する可能性はあるんスね」
「ライアン」
「はいっス」
「うるさい」
「はいはい」
そう言って、グレイは再び歩き出す。
セバスは止めなかった。
ライアンも。
ライカも。
これだけ一緒にいれば分かる。
グレイがこういう顔をしている時に、止めても無駄だということを。
それ以上に。
グレイが何かを見つけ。
興味を持ち。
自分から手を伸ばそうとしている時。
三人とも。
そんなグレイを見るのは、嫌いではなかった。
夜のセレスティアを四人で歩く。
白い街並み。
龍を象った灯り。
焼いた肉と酒の匂い。
遠くから聞こえる歌。
祭りの熱。
そのすべてを見下ろすように、霊峰ヴァルグランが夜空へ伸びている。
山頂は、やはり見えない。
グレイは一度だけ見上げた。
その遥か上にいるという存在を、まだ知らない。
声も。
姿も。
何を考えているのかも。
何一つ知らない。
ただ――。
「強いんだろうな」
小さな呟きは、祭りの音へ溶けていった。
返事はない。
代わりに夜風が吹き、白銀の髪を揺らす。
グレイはすぐに前を向いた。
「姫さん、早く行くっスよ!」
「お前が遅れてただろ」
「酒飲んでたんスよ」
「自慢するな」
「自慢してないっス!」
「にーちゃん、宿に着くまでに酔いを覚ましやがってください」
「これくらい全然酔ってないっスよ」
「さっき知らないドワーフと肩を組んで歌っていた人の言葉は信用できません」
「あれは祭りのノリっス!」
「グレイ様。お戻りになりましたら、明日の予定を確認いたします」
「明日でいいだろ」
「明日の予定ですので、今夜確認いたします」
「……はい」
「姫さん、セバスには弱いっスね」
「お前も怒られてただろ」
「俺は聞き流す技術を身につけたっス」
「ライアン」
「はいっス」
「明朝、鍛錬の時間を少々延ばしましょう」
「なんで聞こえてるんスか!?」
ライカが笑う。
グレイも笑った。
四人の声が、夜のセレスティアへ溶けていく。
明日は武闘大会の受付が始まる。
龍たちも参加する、十年に一度の大会。
その先に待つものを、グレイはまだ知らない。
けれど今夜だけは。
真祖でも。
金獅子の王族でも。
拳聖でもない。
ただの四人の旅人として。
龍を祀る国の祭りを、共に歩いていた。




