表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白銀の旅路  作者: 人形遣い
第二章 拳聖と白銀

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
13/25

第4話 盗む者


 拳聖と別れてからも、三人の旅は以前と変わらず続いていた。


 山を越え、町へ入り、数日を過ごせばまた次の土地へ向かう。


 時には冒険者ギルドで依頼を受け、街道を荒らす魔物を討つ。宿の主人から近くに面白い場所があると聞けば寄り道をし、ライアンが酒場で余計な話を拾ってきては、ライカに呆れられる。


 旅そのものは何も変わっていない。


 変わったのは、グレイの方だった。


「姫さん」


「何だ」


「さっきから何してるんスか?」


 山間の街道を歩きながら、ライアンが横から顔を覗き込んでくる。


 グレイは答えず、もう一歩踏み出した。


 右足で地面を踏み、身体を前へ運ぶ。


 肩には余計な力を入れない。腰も落としすぎず、前へ進むために必要な分だけ身体を動かす。


 頭に浮かべているのは、拳聖の姿だった。


 歩いているだけにしか見えないのに、次の瞬間には間合いの内側へいる。拳を振るう時でさえ、直前まで身体のどこにも力が入っているようには見えなかった。


 その足運びを、自分の身体でなぞってみる。


 ――違う。


 グレイはわずかに眉を寄せ、もう一度足を出した。


「……歩いてる」


「それは見れば分かるっス。普通に歩いてないから聞いてるんスよ」


 困ったようなライアンの声に、少し後ろを歩いていたライカがため息をつく。


「にーちゃん。放っておきやがってください。ここ数日、ずっとあれです」


「知ってるっスよ。でも気になるじゃないっスか」


「気にしたら負けです」


「俺、何と戦ってるんスか?」


「お姫ちゃんの奇行です」


「奇行じゃない」


 グレイは前を向いたまま反論した。


「足運びを試してる」


「歩きながら?」


「ああ」


「普通の道で?」


「ああ」


「宿の廊下でもやってたっスよね?」


「あれは床が平らだったから」


「昨日、食堂でもやっていやがりました」


「あれは椅子を避ける練習」


「一昨日は部屋で壁にぶつかってましたよね」


「……あれは失敗」


「やっぱり奇行っスよ」


「うるさい」


 言い返しながらも、グレイは足を止めた。


 街道の脇に、大きな石がある。


 そこへ真っ直ぐ歩いていき、ぶつかる直前で身体の向きを変える。今度は反対側から近づき、同じように避けた。


 それを見ていたライアンが首を傾げる。


「何か分かったんスか?」


「少し」


「どんな?」


 グレイは石の前で立ち止まり、拳聖との手合わせを思い返した。


「俺、動く時に力を入れすぎてた」


 踏み込む時は脚へ。


 強く殴ろうとすれば腰と肩へ。


 攻撃を受け止める時には、足を踏ん張る。


 それ自体が間違っているわけではない。けれど、一つの動作をするたびに身体を固めれば、その瞬間に次の動きが遅れる。


 拳聖には、それがなかった。


「拳聖は、殴ったところからそのまま次に動いてた。蹴った足を下ろした時には、もう別の動きに入ってる。たぶん俺は、一つ一つの動作を区切りすぎてる」


「だから力を抜いてるんスか?」


「ああ」


「それで強くなるんスか?」


「分からない」


「分からないんスか」


「分からないから試してる」


 グレイが再び歩き始めると、ライアンも少し考えながら隣へ並んだ。


「拳聖に聞けばいいんじゃないっスか?」


「教えてくれない」


「でしょうね」


「だから盗む」


「本人の前で言ったら怒られそうっスね」


「別にいい。あいつも気付いてるだろ」


 見る。


 試す。


 失敗する。


 なぜ失敗したのかを考えて、また試す。


 拳聖は答えを教えなかった。なら、自分で見つけるしかない。


「次に会った時、同じように何もできないのは嫌だからな」


「やっぱり負けず嫌いじゃないっスか」


「違う」


「何が違うんスか?」


「負けたことが嫌なんじゃない」


 グレイは少しだけ考えてから続けた。


「何もできなかったのが嫌なんだ」


 ライアンが目を瞬く。


 その後ろから、ライカの呆れた声が飛んできた。


「それを世間では負けず嫌いと言いやがるのでは?」


「違うと思う」


「お姫ちゃんがそう思うなら、もうそれでいいです」


 完全に諦めた声だった。


 グレイは少し不満だったが、それ以上は言い返さなかった。


 次の町までは、夕方には着く。


 そこまでの道のりだけでも、試せることはいくらでもあった。


     ◇


 その町には、三つの道場があった。


 剣、槍、そして体術。


 宿へ荷物を置いたグレイは、その日のうちに体術の道場へ向かった。


「姫さん、今日くらい休んでもいいんじゃないっスか?」


「歩いただけだろ」


「山越えてきたんスけど」


「いつものことだ」


「そう言われると何も言えないっスね……」


 結局、ライアンとライカもついてきた。


 町外れにある道場には広い土の稽古場があり、十数人ほどが組み合っている。


 入口から中を覗いていると、一人の男が気付いて近づいてきた。


「見学か?」


「できれば手合わせしたい」


「いきなりだな」


「駄目か?」


「いや。この国じゃ珍しくもない」


 男はグレイを上から下まで眺めた。


 見た目だけなら十五歳ほどの少女で、武器も持っていない。


「体術の経験は?」


「ある」


「どのくらい?」


「色々」


「……色々?」


「色々だ」


 男が困ったように笑う。


 すると、後ろからライアンが顔を出した。


「すみません。姫さん、こういう説明苦手なんスよ」


「誰が苦手だ」


「じゃあ説明してくださいよ」


「体術を使える」


「ほら」


 ライアンが男へ向き直る。


「こんな感じっス」


「お前は黙ってろ」


 そんなやり取りを面白がったのか、男は笑いながら三人を中へ案内した。


 しばらくして現れたのは、三十代後半ほどの男だった。


 大柄ではない。


 それでも立ち姿にほとんど隙がなく、身体の中心がぶれていない。


 グレイは、それだけで相応の使い手だと判断した。


「旅人が手合わせをしたいそうだな」


「ああ」


「名前は?」


「グレイ」


「俺はバルドだ。どんな手合わせを望む?」


「魔法なし。武器なし」


「いいだろう」


「あと、できれば投げと崩しを多めに使ってほしい」


 バルドの眉が上がった。


「変わった注文だな」


「今、それを覚えたい」


「なるほど」


 今度は楽しそうに笑う。


「分かった。怪我をしても恨むなよ」


「大丈夫だ」


 二人は稽古場の中央へ進んだ。


 グレイは吸血鬼としての身体能力を意識して抑える。


 勝つためではない。


 自分の技術だけで、どこまでできるのかを知るためだ。


「始めるぞ」


「ああ」


 先に動いたのはバルドだった。


 鋭く踏み込み、右拳が伸びてくる。


 グレイは身体をずらしてかわし、続く左拳へ腕を添えた。


 受け止めない。


 流す。


 拳聖がやっていた動きを思い出しながら、触れた場所から相手の力を逃がそうとする。


「っ」


 失敗した。


 流しきれなかった拳が肩へ当たる。


 それでも離れず、グレイは腕へ触れたまま相手の身体を探った。


 重さが前へ移っている。


 ほんの少し右。


 なら――。


 腕を引く。


 バルドの身体がわずかに動いた。


「……!」


 グレイの目が開く。


 動いた。


 ほんの少しだが、自分の力で相手の重心をずらせた。


 だが、その感覚に気を取られた次の瞬間には腕を取られていた。


「そこだ」


「あ」


 足を払われ、背中から土の上へ転がる。


「……またこれか」


「また?」


「いや、何でもない」


 すぐに起き上がると、バルドが楽しそうに笑っていた。


「面白いな、お前」


「何が?」


「技は知っているし、身体も動く。なのに、今使おうとしているものだけ妙に下手だ」


「覚え始めたばかりだからな」


「誰に習った?」


「習ってない」


「では、見たのか?」


「ああ」


 グレイは構え直した。


「だから盗んでる」


「堂々と言うものではないぞ」


「本人が教えてくれないから仕方ない」


「なるほどな」


 バルドはそれ以上聞かなかった。


 再び手合わせが始まる。


 今度のグレイは拳を当てることを考えなかった。


 触れた瞬間に何が伝わってくるのか。


 腕だけではない。


 肩、腰、足。


 どこへ重さが乗り、次にどちらへ進もうとしているのか。


 何度も失敗した。


 押しすぎて反撃され、引きすぎて逆に崩される。


 それでも繰り返した末、バルドが踏み込んできた瞬間だった。


 グレイは伸びてきた腕へ触れ、半歩だけ横へ動いた。


 押さない。


 引かない。


 進んでくる力へ、ほんの少しだけ別の方向を与える。


「――っ」


 バルドの足が予定より一歩前へ出た。


 身体が流れる。


 今だ。


 グレイは足を掛けた。


 バルドの身体が土の上へ倒れ、大きな音を立てる。


 周囲が静まり返った。


 倒した本人も、しばらく動かなかった。


「……できた」


 やがて、地面に倒れたままバルドが笑い出した。


「なるほど。そういうものを盗んでいるのか」


 グレイは手を差し出した。


「たぶん」


「たぶんで投げるな」


「まだ合ってるか分からない」


「誰から盗んだ?」


「拳聖」


 差し出された手を取ろうとしていたバルドの動きが止まった。


「……本当か?」


「ああ」


「手合わせしたのか?」


「した」


「どうだった?」


「何もできなかった」


 しばらくグレイを見つめた後、バルドはその手を取って立ち上がった。


「なら、今のはまだ入口だな」


「そう思う」


「だが、悪くない」


 服についた土を払いながら告げられた言葉に、グレイは小さく笑った。


「ありがとう」


     ◇


 町を出てからも、それは続いた。


 剣の道場、槍の道場、体術、格闘術。


 旅先に立ち寄れる場所があれば、グレイは可能な限り足を運んだ。


 拳聖と同じ技を教えてくれる者はいない。


 だが、それでよかった。


 剣士には剣士の間合いがある。槍使いならさらに遠く、拳を使う者は近い。蹴りを主体とする者なら、同じ体術でも足運びが違った。


 相手が違えば、重心も、呼吸も、攻撃へ移る瞬間も変わる。


 見るだけでは分からないことは、実際に触れて確かめた。


 そして考える。


 失敗すれば、また試す。


 そんな日々を続けるうちに、数か月が過ぎていた。


     ◇


 拳聖と再び出会ったのは、さらに季節が一つ変わった頃だった。


 偶然だった。


 三人が立ち寄った町で宿へ向かっていると、道の向こうから見覚えのある男が歩いてくる。


 グレイが止まった。


 拳聖も止まる。


「……」


「……」


 二人とも何も言わない。


 しばらく待ったライアンが、耐えきれなくなったように口を挟んだ。


「何か言ったらどうっスか?」


「久しぶり」


 グレイが先に言った。


「そうだな」


 拳聖はそれだけ答え、そのまま横を通り過ぎようとする。


「待て」


「何だ」


「手合わせ」


「嫌だ」


「何で」


「今着いたばっかだ」


「俺もだ」


「なら宿探せ」


「先に手合わせ」


「飯」


「終わったら食えばいい」


「腹減ってんだよ」


「……」


 グレイは少し考えた。


「じゃあ飯食ってから」


「勝手にしろ」


「それはやるってこと?」


「知らん」


 拳聖はそのまま歩いていく。


 グレイは当然のようについていった。


「姫さん、宿は?」


「後」


「俺らもついてくんスか?」


「嫌なら先に探してていいぞ」


 ライアンとライカが顔を見合わせる。


「ねーちゃん」


「どうせお姫ちゃんは止まりません」


「っスよね」


 二人も後を追った。


 結局、その日は四人で飯を食った。


 そして食事が終わる頃には、拳聖も完全に諦めていた。


「……少しだけだぞ」


 その言葉を聞いた瞬間、グレイの口元が上がる。


「分かった」


「その顔やめろ」


「どの顔」


「面倒くせぇ顔だ」


「どんな顔だよ」


     ◇


 町外れの草原。


 人のいない場所まで来ると、二人は向かい合った。


「条件は前と同じか」


「ああ」


「魔法なし」


「ああ」


「吸血鬼の力も抑える」


「ああ」


「好きにしろ」


 拳聖がトンファーを構える。


 グレイも腰を落とした。


 久しぶりだった。


 それなのに、目の前に立つと身体が思い出す。


 この距離。


 この立ち方。


 何をしてくるのか分からない感覚。


「来い」


「ああ」


 グレイが踏み込む。


 拳を出す。


 拳聖の腕が触れた。


 以前なら、それだけで崩されていた。


 今度は力を入れない。


 流されることに逆らわず、その方向へ自分から一歩出る。


 拳聖の眉がわずかに動いた。


 それを見逃さない。


 トンファーが来る。


 身体を横へ逃がす。


 続く一撃にも下がらず、間合いの内側へ残った。


 拳を返す。


 届かない。


 それでもいい。


 拳聖の反撃を腕で受けると、身体が傾いた。


 踏ん張らない。


 崩された方向へ自分から足を出し、体勢を繋ぐ。


 続けて放たれた蹴りが目の前を抜けていった。


「よし」


 思わず声が漏れる。


「喜ぶな」


「あ」


 次の瞬間、額の寸前でトンファーが止まった。


「……またこれか」


「同じ失敗すんな」


「久しぶりだから忘れてた」


「馬鹿か」


 グレイは額を押さえながら距離を取った。


「もう一回」


「まだやんのか」


「今のは惜しかった」


「どこがだ」


「前より長く立ってた」


「基準が低いな」


「前が酷かったからな」


「自覚はあるのか」


「ああ」


 それから二度、三度と挑んだ。


 勝てない。


 だが、以前とは違う。


 何も分からないまま転がされていた頃とは違って、拳聖が何を狙っているのか、その一部だけなら見えるようになっていた。


 五度目。


 拳聖が右から入る。


 グレイは左へ動きかけ――止まった。


 誘われている。


 以前なら、そのまま動いていた。


 拳聖も止まる。


 一瞬だけ二人の間に静かな間が生まれ、その口元がわずかに上がった。


「覚えてやがったか」


「ああ」


 グレイも笑う。


「盗んだからな」


「堂々と言うな」


「教えてくれないから仕方ない」


「だからって俺から盗むな」


「嫌だ」


「即答かよ」


 拳聖が踏み込んだ。


 グレイも逃げない。


 腕へ触れる。


 そこから伝わってくる力の方向を読む。


 前。


 なら。


 ほんの少しだけ横へ。


「――」


 拳聖の上体が僅かに傾いた。


 グレイの目が見開かれる。


 初めてだった。


 足一歩にも満たない。


 それでも確かに、自分の技術で拳聖の姿勢を崩した。


 嬉しさが胸へ込み上げた、その直後。


「ぐっ!」


 腹へ衝撃を受け、グレイの身体が地面を転がった。


 数回転して、ようやく止まる。


「痛い……」


「そこで止まるからだ」


 拳聖が立っている。


 グレイは腹を押さえながら起き上がった。


「でも今、崩れた」


「だから何だ」


「崩れただろ。認めろ」


「嫌だ」


「何でだよ」


「その後お前が吹っ飛んだ」


「それは別だろ」


「同じだ」


「違う」


 拳聖はトンファーを腰へ戻した。


「今日は終わり」


「まだ――」


「少しって言った」


「……分かった」


 グレイも渋々構えを解く。


 拳聖が背を向ける。


「拳聖」


「あ?」


「次はもっと崩す」


「好きにしろ」


「その次は倒す」


「寝言は寝て言え」


「じゃあ、その次は勝つ」


 拳聖が足を止めた。


 振り返り、グレイを見る。


「まず俺に一発当ててから言え」


「分かった」


「……」


「約束な」


「してねぇよ」


 拳聖は再び歩き出した。


 その背中を眺めながら、グレイは自分の手を開く。


 前より近い。


 まだ遠い。


 それでも、もう届かない距離ではない。


 そう思えるようになっていた。


     ◇


 それからも旅は続いた。


 拳聖と会えば戦う。


 負ければ別の場所へ行き、学ぶ。


 また会えば試す。


 決まった日でも、決まった場所でもない。


 拳聖も旅をしている。


 グレイたちも旅をしている。


 数週間で再会することもあれば、数か月顔を合わせないこともあった。


 それでも会えば――。


「手合わせ」


「嫌だ」


「飯奢る」


「……何食わせる気だ」


「釣れたっスね」


「うるせぇぞ金髪」


「俺、ライアンって名前あるんスけど」


「知るか」


「ひどいっス!」


 そんなやり取りの末に、結局は戦うことになる。


 そして少しずつ、本当に少しずつ、グレイは変わっていった。


 最初は何十回挑んでも一撃すら届かなかった。


 やがて拳聖の服へ指が触れた。


 次は腕を掴んだ。


 その次には、ほんの一瞬だけ姿勢を崩した。


 だが、グレイだけが成長するわけではない。


 一つ覚えれば、拳聖は同じ技を使わなくなる。


 別の崩し方を見せ、別の足運びで翻弄する。


 そしてグレイは、それをまた盗もうとする。


「今の何?」


「知らん」


「やった本人だろ」


「自分で考えろ」


「足?」


「知らん」


「腰?」


「知らん」


「重心?」


「知らん」


「絶対知ってるだろ」


「うるせぇ」


 拳聖は教えない。


 少なくとも本人は、頑としてそう言い張った。


 けれど、グレイが完全に間違った方向へ進もうとした時だけは違った。


「違う」


 ぽつりと、それだけ言う。


「何が?」


「全部」


「もう少し教えろよ」


「嫌だ」


「ケチ」


「ガキ」


「爺」


「殴るぞ」


「今殴り合ってるだろ」


「……」


「……」


 少し離れた場所でライアンが吹き出し、ライカも口元を押さえる。


 いつからだったのか。


 誰も気付いていなかった。


 ただの目標だったはずの拳聖が、少しずつ三人の旅の中へ混ざり始めていた。


     ◇


 ある日の夕方。


 手合わせを終えた後も、拳聖は珍しく帰らなかった。


 近くに町もなく、日も落ち始めている。


「飯食っていけば?」


 グレイがそう言うと、拳聖は少し考えただけで、


「そうする」


 と答えた。


 それだけだった。


 焚き火を囲み、鍋を用意する。


 料理を担当する家族が《ドールハウス》から姿を現しても、拳聖はもう驚かなかった。


 最初こそ怪訝そうにしていたが、今では詳しく聞くこともない。


 グレイが家族と呼ぶのなら、そういうものなのだろう。


 それ以上、踏み込んでくることはなかった。


「拳聖殿」


 ライカが皿を渡す。


「何だ」


「野菜も食べやがってください」


「食ってる」


「肉ばかり選んでいやがります」


「細けぇな」


「健康管理も大切です」


「俺の健康をお前が管理すんな」


「では自分でしやがってください」


 ライアンが笑った。


「ねーちゃん、完全に世話焼いてるっスね」


「にーちゃんは黙って食べやがってください」


「はいはい」


 グレイはスープを飲みながら、そのやり取りを眺めていた。


 少し、不思議だった。


 最初はただの目標だった。


 強い男。


 自分の知らない技術を持っている男。


 それだけだったはずなのに、今では同じ焚き火を囲んでいる。


「何見てんだ」


 拳聖が気付いた。


「別に」


「気持ち悪ぃな」


「見るくらいいいだろ」


「嫌だ」


「面倒だな」


「お前に言われたくねぇ」


 グレイは小さく笑った。


 食事が終わり、夜が深くなる。


 山から吹き下ろしてくる風は冷たかった。


 ライアンとライカは少し離れた場所で話している。


 拳聖は焚き火の向こう側。


 グレイは昼間の手合わせを思い返しながら、ふと口を開いた。


「なあ」


「何だ」


「《魔気闘法》」


 拳聖の目がわずかに上がる。


「何で気と魔力を合わせる?」


「そのままだ」


「答えになってない」


「両方使うからだ」


「だから、何で」


「自分で考えろ」


「……またそれか」


 拳聖は焚き火へ一本、枝を放り込んだ。


 火の粉が小さく舞う。


「お前、魔力は扱えるんだろ」


「ああ」


「気は?」


「多少なら」


「なら試せ」


 グレイが顔を上げた。


「教えてくれるのか?」


「誰が」


「……」


「自分でやれ」


「どうやって?」


「知るか」


「お前はできるんだろ」


「俺にできるからって、お前にも同じやり方が合うとは限らねぇ」


 それ以上は何も言わない。


 グレイは少し考えてから、自分の手を見た。


 拳聖は魔法を使えない。


 魔力そのものをまったく持たないわけではないが、その量も適性も、魔法使いと呼べるようなものではなかった。


 それでも、あの男は戦う。


 その僅かな魔力さえ、自分が長い年月をかけて鍛え上げてきた「気」と合わせ、身体を動かす力として利用している。


 それが《魔気闘法》。


 少なくとも、グレイはそう見ていた。


「魔力はお前のもんだ」


 拳聖が言った。


「ああ」


「気もお前のもんだ」


「ああ」


「なら俺に聞くな」


「……」


「自分の身体に聞け」


 それだけ言って、拳聖は地面へ横になった。


「寝る」


「今の説明で?」


「十分だ」


「全然分からない」


「考えろ」


 目を閉じる。


 本当にこれ以上教えるつもりはないらしい。


 グレイはしばらく拳聖を睨んでいたが、やがて諦めて焚き火へ向き直った。


 魔力なら分かる。


 身体の内側にある、慣れ親しんだ力だ。


 空間を歪め、距離を折り、物を異空間へ収納する。血の代わりへ変換する術まで身につけている。


 操作には自信があった。


 問題は、気だった。


 武人たちがそう呼ぶ、身体の内側から生まれる力。


 魔力と似ているようで違う。


 グレイは目を閉じ、呼吸を整えた。


 心臓の鼓動。


 血の巡り。


 筋肉。


 骨。


 さらにその奥。


 普段、魔法を使う時には意識しない部分へ集中していく。


 やがて、微かな感覚を見つけた。


「……これか?」


 魔力とは違う。


 少し温かい。


 それを逃さないよう意識しながら、魔力を近づける。


 瞬間。


「痛っ」


 右腕が弾かれたように跳ねた。


 焚き火の向こうで、拳聖が片目だけを開く。


「下手くそ」


「起きてるじゃないか」


「うるせぇからだ」


「今、何が悪かった?」


「全部」


「またそれか」


 傷はない。


 けれど、身体の内側で二つの力が反発したのは分かった。


 グレイはもう一度目を閉じる。


 今度はゆっくり。


 それでも、結果は同じだった。


 気へ魔力を近づけようとするたびに反発する。


「っ……」


「姫さん?」


 ライアンが気付いた。


「何してるんスか?」


「《魔気闘法》」


「もう始めたんスか? 拳聖に教わったんスね」


「教えてねぇ」


 寝転がったまま拳聖が言う。


「教えてもらってない」


 グレイも同意する。


「じゃあ何でやってるんスか?」


「試せって言われた」


「それを世間では教えたって言うんじゃないっスか?」


「言わねぇ」


「言わない」


「何で二人ともそこだけ意見合うんスか……」


 ライカが小さく笑った。


「にーちゃん。邪魔をしない方がいいですよ」


「そうっスね」


 再び静かになる。


 グレイは何度も試した。


 しかし、その夜は最後まで二つの力を重ねることはできなかった。


     ◇


 翌朝。


 グレイが目を覚ますと、拳聖はすでに起きていた。


 少し離れた場所で、一人で型を繰り返している。


 トンファーは使っていない。


 ゆっくりと拳を出し、足を運び、呼吸に合わせて身体を動かしていく。


 グレイは声をかけなかった。


 ただ見る。


 昨夜、自分は気と魔力を別々に捉え、後から合わせようとした。


 結果は反発しただけだった。


 なら拳聖はどうしている。


 目を凝らす。


 魔力の流れはある。


 だが、あまりにも小さい。


 普通の魔法使いと比べれば、ほとんど無いに等しい。


 それでも、その僅かな力が身体の内側を巡る別の流れと重なっていた。


「……」


 グレイは無意識に息を止める。


 混ぜている。


 そう思った直後、違和感を覚えた。


「……違う」


 拳聖の動きが止まる。


「朝からうるせぇな」


 グレイは答えず、その姿を見つめた。


 昨夜の自分は、気を作り、そこへ魔力を持っていこうとした。


 拳聖は違う。


 二つがぶつかるような瞬間そのものがない。


「後から混ぜてないのか」


「知らん」


「……」


 返事はない。


 けれど、否定もしない。


 グレイは自分の胸へ手を置いた。


 別々に出して、後からぶつけるのではない。


 もっと前。


 身体の内側で、それぞれの力が動き出す時から同じ方向へ流す。


 目を閉じる。


 息を吸い、ゆっくりと吐く。


 気を感じる。


 その流れを壊さないよう、ほんの僅かに魔力を添えてみる。


「……っ」


 右手に、昨日とは違う感覚が生まれた。


 温かい。


 反発しない。


 ほんの一瞬。


 次の瞬間には消えてしまった。


 グレイが目を開く。


「……今の」


 拳聖を見る。


 男は何も言わない。


「見てただろ」


「見てねぇ」


「絶対見てた」


「知らん」


 グレイは右拳を握った。


 《魔気闘法》と呼べるものではない。


 気と魔力を自在に重ねられたわけでもなければ、それを維持することすらできない。


 偶然、一瞬だけ反発しなかった。


 今は、それだけだ。


 それでも昨日までとは違う。


「拳聖」


「何だ」


「手合わせ」


「朝飯前だ」


「終わってから」


「今日は行く」


「どこに」


「知らん」


「じゃあ途中まで」


「嫌だ」


「少しだけ」


「嫌だ」


「一回」


「嫌だ」


「ケチ」


「ガキ」


「爺」


「ぶっ飛ばすぞ」


「それでいい」


 拳聖の足が止まった。


 グレイは笑う。


「一回だけ」


「……」


 拳聖がゆっくりと振り返った。


「一回だけだ」


「よし」


 少し離れたところで、ライアンが目を覚ます。


「……朝から元気っスねぇ」


 ライカも身体を起こした。


「にーちゃん」


「何?」


「止めても無駄です」


「分かってるっス」


 朝靄の中で二人が向かい合う。


 グレイは右拳を握った。


 昨夜から何度も失敗した感覚を思い返す。


 気。


 魔力。


 無理に混ぜない。


 同じ方向へ。


 ほんの一瞬だけ。


 右腕の内側で、二つの力が重なる。


 拳聖は何も言わなかった。


 ただ、その目が僅かに細くなる。


 それだけでグレイには十分だった。


「行くぞ」


「来い」


 踏み込む。


 右拳を振るう。


 拳聖のトンファーとぶつかった。


 短い音が響く。


 そして次の瞬間には――。


「……」


 グレイは地面に転がっていた。


 朝の白い空が視界いっぱいに広がっている。


「全然駄目だ」


「当たり前だ」


 拳聖が見下ろしていた。


「形にもなってねぇ」


「でも」


 グレイは寝転がったまま右手を持ち上げた。


 もう何も感じない。


 重なったのは本当に一瞬だった。


「昨日よりは分かった」


「そうか」


「次はもう少し上手くやる」


「好きにしろ」


 拳聖はそれ以上何も言わず、背を向けた。


「じゃあな」


「また会おう」


「知らん」


「俺は会うつもりだから」


「勝手にしろ」


 男はそのまま山道を歩いていった。


 グレイはすぐには起き上がらなかった。


 その背中が見えなくなるまで眺め、それから右手を開いて、もう一度握る。


 まだ使えない。


 《魔気闘法》には程遠い。


 拳聖にも届かない。


 今日だって簡単に転がされた。


 それでも、何も知らなかった昨日とは違う。


「姫さん」


 ライアンが上から覗き込んできた。


「いつまで寝てるんスか?」


「今考えてる」


「地面で?」


「ああ」


「朝飯冷めるっスよ」


 グレイはすぐに起き上がった。


「それは困る」


「そこは即決なんスね」


「当たり前だろ」


 ライカが朝食を用意していた。


 《ドールハウス》から出てきた家族たちも手伝っている。


 焼いたパンの香ばしい匂いが、朝の冷たい空気へ混ざっていた。


 グレイはそちらへ歩きながら、もう一度だけ右手を握る。


 一瞬だった。


 なら、次はその一瞬を少し長くすればいい。


 それができたら、動いてみる。


 動けたら、戦ってみる。


 失敗したら、また考える。


 教えてもらえないのなら、見る。


 分からないのなら、試す。


 それでも分からないのなら、何度でも失敗すればいい。


 グレイは一度だけ振り返った。


 もう拳聖の姿は見えない。


「……次は、もう少し驚かせる」


 返事はない。


 必要もなかった。


 拳聖から盗めるものは、まだいくらでもあるのだから。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ