第四話:少女のお願い
義則が『Memory Rewrite』へ入るたび、その少女はどこからともなく現れた。
桜並木の下。
夕焼けの公園。
通学路の踏切。
いつも同じ白いワンピースで、先に待っている。
「また来た。」
少女はそう言って笑う。
「待ってたの?」
「別に。」
「うそつけ。」
「……少しだけ。」
その笑顔は、どこか懐かしかった。
少女は母に会いには来ない。
遠くから眺めるだけだった。
「行かないの?」
義則が聞く。
少女は首を振る。
「あれは、あなたの大切な時間だから。」
「私は見てるだけでいい。」
不思議だった。
ゲームのAIなら、こんな寂しそうな顔はしない。
ある日。
義則は少女に尋ねた。
「君の名前は?」
少女は少し考えてから笑う。
「名前なんてないよ。」
「じゃあ、何て呼べばいい?」
「呼ばなくていい。」
「どうして?」
少女は空を見上げた。
「名前が付くと、別れが辛くなるから。」
その言葉だけが、なぜか胸に刺さった。
日を重ねるごとに、義則は少女と話す時間が増えていった。
くだらない話。
好きなアイス。
昔のテレビ番組。
学校帰りの寄り道。
笑って。
ふざけて。
夕日を眺める。
少女はいつも楽しそうだった。
けれど、義則が母との後悔を一つ乗り越えるたびに。
少女の姿は、ほんの少しだけ薄くなっていた。
「……君、透けてない?」
少女は困ったように笑う。
「ばれちゃった。」
「どういうこと?」
「お願い。」
少女は静かに言う。
「私を思い出さないで。」
「……え?」
「私は、あなたの記憶から生まれた存在だから。」
「あなたが心残りをなくしたら、私は消える。」
義則は混乱する。
「君はAIじゃないのか?」
少女はゆっくり首を振った。
「違う。」
「私は、あなたの後悔。」
「十年間。」
「毎日、自分を責め続けた心が生んだ存在。」
「だから。」
「あなたが救われたら、私は存在できない。」
義則は言葉を失う。
少女は、ずっと笑っていた。
「だからね。」
「早く、お母さんに会ってきて。」
「私は、そのために生まれたんだから。」
最終章 さよなら、後悔
最後のプレイ。
もう何度も歩いた帰り道。
もう何度も開けた玄関。
「ただいま。」
「おかえり。」
母は、いつもの笑顔で迎えてくれた。
何も特別なことはしない。
一緒にカレーを食べる。
テレビを見て笑う。
食後のアイスを半分こする。
他愛もない会話。
その全部が、宝物だった。
帰る時間が近づく。
義則は立ち上がる。
「母さん。」
「なに?」
「ありがとう。」
母は少し笑う。
「急にどうしたの?」
「いや。」
「ずっと言いたかっただけ。」
母は照れくさそうに笑う。
「変な子。」
「でも……ありがとう。」
その一言を聞いた瞬間。
世界が白い光に包まれた。
桜が舞う丘。
少女が立っていた。
もう、その身体は向こうが透けて見えるほど薄くなっていた。
「終わったね。」
少女は笑う。
義則は叫ぶ。
「待って!」
「消えるな!」
少女は首を横に振る。
「もう十分。」
「あなたは、お母さんに会えた。」
「ちゃんと笑えた。」
「ちゃんと『ありがとう』って言えた。」
義則の目から涙があふれる。
「でも……!」
「君がいなくなる!」
少女は少しだけ困ったように笑った。
「私ね。」
「あなたが泣くたびに生まれて。」
「あなたが自分を責めるたびに、大きくなった。」
「だから。」
「あなたが幸せになることが、私の役目だった。」
一歩。
また一歩。
少女の身体が光になって崩れていく。
義則は手を伸ばく。
「行かないで!」
その手は、光をすり抜けた。
少女は最後に、優しく笑う。
「後悔が消えることは。」
「私にとっては、死ぬこと。」
「でもね。」
「悲しい死じゃないよ。」
「だって。」
「やっと、あなたが前を向けたから。」
少女は涙を浮かべながら笑った。
「私のことは忘れていい。」
「その代わり。」
「お母さんとの思い出は、忘れないで。」
光は、春風に溶けるように空へ昇っていく。
最後に残った声は、とても優しかった。
「ちゃんと、生きて。」
「ちゃんと、笑って。」
「今度は、自分を許してあげて。」
「誰かが前を向けるなら、それでいい。」
少女の体は光になって消えていく。
世界には桜の花びらだけが舞っていた。
義則は、その場に膝をつき、子どものように泣いた。
十年間流せなかった涙が、止まることはなかった。
その涙は、母との別れの涙ではない。
自分自身を、ようやく許せた涙だった。




