第三話:救われる人、逃げる人
『Memory Rewrite』の利用者は、一年で一千万人を超えた。
世界中のニュースが、このゲームを「心を癒やす奇跡」と呼んだ。
医師は治療に使い始めた。
心理学者は「喪失と向き合う新しい方法だ」と評価した。
誰もが、この技術は人を幸せにすると信じていた。
だが、その希望は長くは続かなかった。
プレイヤーは、いつしか二つに分かれていった。
一つは、"救われる人"。
彼らは一度だけ過去へ帰る。
亡き父に、
「ありがとう。」
亡き母に、
「ごめん。」
初恋の人に、
「好きだった。」
言えなかった言葉を伝える。
泣いて。
笑って。
現実へ帰る。
失った人は戻らない。
それでも、胸の痛みと一緒に生きる覚悟を持つ。
彼らはゲームを終え、新しい人生を歩き始めた。
『Memory Rewrite』は、その人たちにとって、未来へ進むための最後の一歩だった。
だが、もう一つの人々がいた。
"逃げる人"。
彼らは一度では終わらなかった。
今日も。
明日も。
また過去へ戻る。
亡くなった恋人は、そこでは笑っている。
病気で亡くなった父は、一緒にキャッチボールをしてくれる。
認知症になる前の祖母は、自分の名前を呼んでくれる。
事故で失った娘は、「おかえり」と抱きついてくる。
現実では、もう二度と会えない人たち。
だが記憶の中では、何度でも会える。
何度でも笑える。
何度でも抱きしめられる。
その温もりは、本物と見分けがつかなかった。
ある男性は、毎日亡き妻との結婚式を繰り返した。
ある女性は、幼い息子と毎日公園で遊び続けた。
ある老人は、五十年前に亡くなった親友と、毎晩酒を飲んだ。
一日だけのつもりだった。
それが二日になり。
一週間になり。
一か月になり。
一年になった。
現実では、部屋のカーテンは閉じたまま。
食事は栄養剤だけ。
仕事は辞めた。
友人からの連絡も返さない。
ヘッドセットだけが外されることなく、静かに光り続ける。
その姿を見た家族は泣き叫ぶ。
「帰ってきて……。」
しかし、本人にはもう届かない。
ゲームの中。
そこには愛する人がいる。
笑っている。
名前を呼んでくれる。
「おかえり。」
その一言だけで、現実へ帰る理由は消えてしまう。
やがてニュースは彼らを、
**"記憶定住者"**
と呼び始めた。
社会問題となった。
政府はプレイ時間を制限する法案を検討し始める。
宗教団体は「死者への冒涜だ」と抗議した。
一方で、「本人が幸せなら問題ない」という声も少なくなかった。
世論は真っ二つに割れた。
義則はニュースを見つめていた。
画面には、眠るようにヘッドセットを付けたままの青年が映っている。
その青年は三年間、一度も自分の意思でゲームから出てきていなかった。
インタビュアーが母親に尋ねる。
「あなたは息子さんに戻ってきてほしいですか。」
母親は涙を流しながら答えた。
「もちろんです……。」
「でも、あの子はゲームの中でだけ笑うんです。」
「現実では、夫も妹も亡くしました。」
「やっと笑える場所を見つけたのに……。」
「私は、その場所まで奪っていい母親なんでしょうか……。」
画面の向こうで、母親は声を上げて泣いた。
義則はテレビを消す。
静まり返った部屋で、ヘッドセットだけが机の上に置かれていた。
それを見つめながら、彼は小さく呟く。
「……俺も、一歩間違えれば。」
その言葉の続きを、口にすることはできなかった。
自分もまた、母と過ごしたあの夕食へ、何度でも戻りたいと思ってしまっていたからだ。




