第十六話:お母さんになれなかった日
「もう一回だけでいい。」
真冬が『Memory Rewrite』で戻り続ける日は、決まっていた。
春。
桜が咲き始めた日。
病院の待合室。
現実の真冬は四十歳だった。
結婚して十年。
何度も不妊治療を受けた。
何度も期待して、
何度も泣いた。
そして最後に医師から言われた。
「これ以上は難しいと思います」
その日で治療を終えた。
でも『Memory Rewrite』があれば、
過去には戻れる。
だから真冬は何度も、
あの日の病院へ戻った。
診察室。
若い自分が座っている。
医師はまだ検査結果を話していない。
希望が残っている頃の自分だ。
待合室では、
お腹の大きな女性が幸せそうに笑っている。
小さな子どもが走り回っている。
昔の真冬は、
その光景を見るのがつらかった。
何度目かの記憶で、
真冬は待合室の隅にいる小さな女の子に気づく。
三歳くらい。
一人で絵本を読んでいる。
母親は受付で手続きをしていた。
女の子は真冬を見て笑った。
「おねえちゃん。」
「これ読んで。」
真冬は絵本を読む。
女の子は嬉しそうに笑う。
たった十分ほどの時間。
それだけだった。
『Memory Rewrite』が終わる。
でも、真冬は翌日も同じ日へ戻った。
また女の子がいた。
「おねえちゃん!」
「これ読んで。」
もちろん女の子にとっては初めて会う相手だ。
でも真冬にとっては、
何十回も会った子だった。
ある日。
女の子が突然聞いた。
「おねえちゃん。」
「ママになるの?」
真冬は笑顔を作ろうとした。
でも声が出ない。
少しだけ考えて、
答えた。
「なれなかった。」
女の子は意味も分からず、
にこっと笑う。
「じゃあね。」
「わたしが、おねえちゃんの子どもになる!」
そう言って、
ぎゅっと抱きついてきた。
たった数秒だった。
でも真冬は泣いてしまった。
女の子は慌てる。
「ごめんね。」
「いたかった?」
真冬は首を振る。
「違うよ。」
「うれしかっただけ。」
時間になり、
女の子の母親が迎えに来る。
「ほら行くよ。」
女の子は手を振る。
「またね!」
真冬も笑って手を振る。
「またね。」
でも、
その「またね」は来ない。
『Memory Rewrite』を終えれば、
また初対面になる。
それでも真冬は、
何度もその日へ戻った。
絵本を読んで、
一緒に折り紙をして、
笑って、
最後は手を振る。
その子は毎回、
「またね!」
と言って帰っていく。
ある日。
真冬は気づく。
自分は、
母親にはなれなかった。
でも、
あの子が笑った十分間だけは、
誰かを安心させる大人になれていた。
『Memory Rewrite』を終える。
現実の部屋。
静かだった。
でも今日は、
涙より先に笑顔がこぼれた。
「私。」
「お母さんにはなれなかったけど。」
「誰かに優しくすることは、できたんだ。」
窓の外では、
桜が静かに舞っていた。
真冬は空を見上げる。
「ありがとう。」
名前も知らない、
あの日の小さな女の子へ。
あの子はきっと覚えていない。
でも真冬は一生忘れない。
**たった十分だけ、自分を「誰かのお母さんみたい」と思わせてくれたことを。**
『Memory Rewrite』は過去を変えられない。
それでも、
**人生で失ったものだけではなく、自分が誰かに与えていた温かさにも気づかせてくれる。**
そのことを、真冬はようやく知った。




