第十五話:約束のランドセル
澤村が『Memory Rewrite』で最後まで戻れなかった記憶がある。
それは、小学一年の春。
入学式の朝。
母は早起きしていた。
まだ暗い台所。
弁当の準備と同時に、
小さな手提げ袋を整えていた。
その中に、真新しい鉛筆と、消しゴム。
そして――
少しだけ大きいランドセル。
澤村は嬉しくて仕方なかった。
何度も背負っては、
「見て見て!」
と母に見せていた。
母は笑って言った。
「重いでしょ、それ」
「ううん、軽い!」
そのとき母は小さく言った。
「そのランドセル、6年生まで使うんだよ」
澤村は何も考えずに返事をした。
「うん!」
それから年月が流れた。
ランドセルは傷だらけになった。
角は擦り切れ、
雨の日には少し湿った。
でも澤村は普通に使っていた。
卒業式の日。
ランドセルを背負って帰宅したとき、
母はそれを見て、少しだけ笑った。
「よく使ったね」
それだけだった。
数年後。
母が亡くなったあと、
押し入れの奥から、
小さな箱が出てきた。
中には、修理用の糸と針。
そして一枚のメモ。
『ランドセル、最後まで使ってくれてありがとう』
その下に、
こう書かれていた。
『捨てられたら悲しいから、直せるようにしてた』
澤村はその文字を見て、
初めて気づいた。
母はずっと、
ランドセルが壊れるたびに、
こっそり直していた。
言わずに。
『Memory Rewrite』を起動する。
戻るのは入学式の朝。
母がランドセルを背負わせてくれる。
「重くない?」
「うん!」
あの日と同じ会話。
ただ今回は違った。
澤村はランドセルを背負ったまま、
母の手を見ていた。
その手は少しだけ震えている。
「母さん」
澤村は言う。
「これ、ずっと使うよ」
母は笑う。
「当たり前でしょ」
でも澤村は続ける。
「6年だけじゃなくてさ」
「もっと先まで」
母は少し不思議そうに笑った。
「変なこと言うね」
澤村はその笑顔を見て思う。
この人はまだ知らない。
このランドセルが、
どれだけ長く“生き続ける”ことになるのか。
現実へ戻る。
押し入れから、古いランドセルを取り出す。
角は擦り切れている。
でもまだ、形は残っている。
澤村はそっと背負ってみる。
もう背中には小さい。
でも、不思議と軽かった。
小さく笑う。
「6年じゃなかったな」
「もっと長い時間、一緒にいたんだな」
『Memory Rewrite』は過去を変えるものじゃない。
**気づかずに通り過ぎた「続いていた優しさ」を、もう一度つなぎ直すためのものだった。**
澤村はランドセルを置き、
静かに言う。
「……まだ、捨てられねぇな」




