第十四話:弁当を捨てた日
市川が一番後悔している記憶は、派手なものじゃない。
むしろ、あまりにも小さい。
高校二年の昼休み。
母が作った弁当を、
市川は教室のゴミ箱に捨てた。
理由は単純だった。
友達と昼飯を食べる流れで、
コンビニのパンを買った方が“かっこいい”と思った。
弁当を机に出すのが恥ずかしかった。
母の卵焼き。
少し崩れた唐揚げ。
保冷剤の跡が残ったご飯。
それを見られるのが嫌だった。
「悪いけど今日コンビニでいいわ」
そう言って、
市川は弁当をそのままゴミ箱に入れた。
母は何も言わなかった。
ただ、
「そう」
とだけ言った。
その夜。
母はいつも通り夕飯を出した。
何も聞いてこなかった。
怒りもしなかった。
そのことが、余計に苦しかった。
数年後。
母が亡くなったあと、
キッチンの奥からノートが見つかった。
そこには、
その日のことが書かれていた。
『今日のお弁当、いらなかったみたい』
その下に、
少しだけ空白があって、
こう続いていた。
『もう作らない方がいいのかな』
市川はそのページを見た瞬間、
呼吸が止まった。
「……違う」
「そうじゃない」
でも、その場にはもう誰もいない。
『Memory Rewrite』を起動する。
戻るのは、その昼休み。
教室。
笑う友達。
ざわつく空気。
机の上の弁当。
市川はそれをゴミ箱に持っていく。
だが、その途中で手が止まる。
昔の自分がそこにいる。
まだ何も知らない自分。
「捨てた方がいい」と思っている自分。
市川は、そっとその弁当を開く。
卵焼きが見える。
少しだけ形が崩れている。
でも、ちゃんと甘い匂いがする。
その瞬間、視界が揺れる。
母の手。
台所の明かり。
「おいしくなりますように」
そんな独り言。
市川は弁当を抱えたまま、
席に戻る。
友達が笑う。
「コンビニじゃないの?」
市川は小さく笑って言う。
「今日はこれ」
一口食べる。
冷めているのに、
やけに優しい味がした。
現実へ戻る。
キッチンに立つ。
あの弁当箱はもうない。
それでも、
市川は皿に温かいご飯を盛る。
そして、小さくつぶやく。
「母さん」
「俺、あのときさ」
「捨てたんじゃなくて」
「ちゃんと受け取るの、怖かっただけなんだな」
『Memory Rewrite』は過去を変えるものじゃない。
受け取れなかった気持ちを、もう一度「受け取る練習」をさせてくれるものだった。
市川は茶碗を置き、静かに笑った。
「……今なら、全部食べられるよ」




