守る者と守れなかった者
エレノアは歌い終えると、静かに一礼し、ゆっくりと顔を上げた。
しかし、会場は水を打ったように静まり返っている。
――しまった、やはり不味かったか。歌ったのはよりによってアニソンだ。
胸の奥に冷たいものが広がりかけた、その瞬間――
「ウワーッ!!」
嵐のような拍手と歓声が一斉に沸き起こり、会場を揺らした。
「え?」
どうやら成功したらしい。胸を撫で下ろす。
「素晴らしい歌声でした」
「心に響く歌詞ですね」
審査員たちからも高い評価の声が上がった。
ホッと息をついたのも束の間、頭上にじわりと重い気配が覆いかぶさってきた。
「……なに?」
見上げた瞬間、照明が軋みを立てながら、今にも落ちてきそうに迫っていた。
思わず息を呑んだ瞬間――。
「エレノアッ!」
鋭い声と共に、舞台袖から駆け出してきた影があった。
ガウェインだ。彼は迷いなく飛び込み、エレノアを強く抱き寄せて舞台の端へと身を投げ出す。直後、照明が轟音と共に落下し、舞台中央に叩きつけられた。
観客席からは一斉に悲鳴が上がる。
「きゃああっ!」
「危なかった……!」
粉塵の中、エレノアは彼の腕の中で震えていた。
「ガウェイン様……!」
「怪我はないですか?」
低く落ち着いた声が耳元に響く。
胸の鼓動はまだ荒く、けれど確かに――守られたのだと分かった。
「ええ……ありがとうございます」
「よかった。あなたに何かあったら……」
言葉の続きは抱擁に変わり、強く胸に引き寄せられる。
「ガ、ガウェイン様……く、苦しいです」
慌てて声を上げると、彼はハッとしたように腕を解き、さっと身を離した。
そのとき――
「エリー!」
鋭い声と共にレオナード皇子が駆け寄ってくる。
「無事か!?」
「はい。ガウェイン様が守ってくださいました」
──緊張と安堵が入り混じる空気の中で、エレノアは微笑みながらそう答えた。
その言葉が胸に突き刺さり、レオナードは思わず息を呑んだ。あの時なら自分も防御魔法で彼女を守れたはずなのに、目の前が真っ白になり、ただ恐怖に飲まれてしまった自分の愚かさが悔しくてたまらない。なんて情けないことだ。
胸の奥に渦巻く感情を押し殺し、レオナードは険しい面持ちで周囲を見渡した。
落下した照明は粉々に砕け散り、舞台の床を抉っている。もしほんの一歩遅れていたら――そう思うと背筋が冷たくなる。
「……どういうことだ」
低く呟いた声には、焦燥と怒りが滲んでいた。
観客席のざわめきは止まず、教師たちや使用人が慌ただしく舞台に駆け寄ってくる。
事故として処理するには、あまりにも不自然だ。
「エレノア様、こちらへ」
ガウェインが彼女を庇うように立ち上がり、舞台袖へと導こうとする。
その背を、レオナードはただ見つめることしかできなかった。
守るべきは自分の役目だったのに――。
唇を噛みしめたとき、不意に視線を感じて顔を上げる。
観客席の一角、暗がりの中からじっとこちらを見つめる影があった。
ぞくりと肌を刺すような悪意。
(……やはり、仕組まれたものか)
握りしめた拳に、微かな魔力が滲む。
エレノアを狙う者がいる。
それを阻むのは――今度こそ、自分の役目だ。
舞台袖に下がったエレノアは、まだ震えが収まらずに胸元を押さえていた。
「落ち着いてください」
ガウェインが低く囁き、肩にそっと手を添える。
彼の逞しい手に支えられながらも、エレノアの視線は自然と客席の暗がりへ向けられていた。
――誰かが、こちらを見ている。
肌を這うような視線に、冷たい悪寒が背筋を走る。
「……っ」
思わず小さく息を呑んだエレノアの変化に、ガウェインは敏感に気付いた。
「どうしました?」
「いえ……ただ、妙な気配が……」
その会話を遮るように、舞台裏へ駆け込んできた教師たちが声を上げる。
「すぐに医務室へ!」
「使用人たち、残骸を片付けろ!」
混乱の渦の中、レオナードは誰にも気づかれぬよう目を細めた。
舞台の中央に落ちた照明器具。固定金具は不自然に切断され、焦げの痕すら見える。
(……やはり魔法か。だとすれば偶然ではない。明らかに彼女を狙ったものだ)
胸の奥で怒りが熱を帯びる。
自分が守れなかった悔しさと、エレノアを危険に晒した憤りとが絡み合い、鋭い決意へと変わっていく。
(次に狙わせはしない……必ず突き止める)
そのとき、ひときわ強い視線が再び刺さった。
レオナードが素早く顔を向ける――だが、暗がりにいた影はすでに姿を消していた。
「……逃げたか」
低く呟いた声は、怒りと共に冷徹な色を帯びていた。
舞台裏でエレノアはガウェインに支えられながら歩を進める。
だが、その背を見つめるレオナードの胸には、ただ一つの想いが渦巻いていた。
――今度こそ、必ず自分の手で守る。
握りしめた拳から、微かな魔力の火花が散る。
嵐はまだ、始まったばかりだった。




