白百合の乙女
白百合の君選考会、二日目。
本日の試練は芸事の発表である。順番はくじで決められ、私の出番は最後に回っていた。
エリスは精緻で華やかな技巧をピアノで響かせ、ヴァネッサは艶やかで堂々とした舞を披露し、観客を魅了した。
いよいよ次は、私の番。
「エレノア様。ご準備はよろしいですか?」
ガウェインの声に、私は静かに頷く。
「ええ」
そう答えて、ヴァイオリンのケースに手を伸ばしたそのとき――。
「……ない!」
「……は?」
「ヴァイオリンが、なくなっている!」
胸の奥に冷たいものが走る。
あの脅迫文――『大切な“音”を奪う』。
それはつまり、演奏を封じるために楽器を狙うということ。十分に警戒し、結界術も施し、保管場所も徹底してきた。それでも、奪われた。
「どうしよう……もう出番なのに」
「エレノア様……」
動揺が心を覆い、前世の弱気な由里子が顔を出す。
いつもの強気なエレノアは、どこに行ってしまったの?
――強気。そうだ、智美はいつだって強気だった。いや、強気というより居丈高といったほうが正しいだろう。
あのときもそうだった。
新人歓迎会の席、幹事を押しつけられた私に、酔った智美が笑いながら言ったのだ。
『由里子、あんた幹事でしょ? 歌って盛り上げなさいよ。ねぇ、皆さんもそう思うでしょ?』
『え?』
『いいじゃないか、前田君、頼むよ』
『私も聞きたいな』
社長にまで言われれば、逃げ道はない。
『……では』
と覚悟を決め、立ち上がった、あの瞬間。
――そうだ。
拳を握り、私は顔を上げる。
「エレノア様?」
ガウェインが不安げに覗き込む。
「ご心配をおかけして申し訳ございません。……もう大丈夫ですわ」
振り向いたその顔は、弱気な由里子ではない。
気高きエレノアへと戻っていた。
そのとき、観客席の一角でリリスは薄く笑みを浮かべ、舞台を見下ろしていた。
「ふふ……今ごろ必死に焦っているでしょうね。いい気味だわ。武器を奪われたら戦えるはずもない。棄権すればいいのよ」
勝ち誇ったように囁いたその瞬間――。
「続きまして、最後の発表です。二学年代表、エレノア・フォン・ヴァレンシュタインさん!」
高らかな声と共に、舞台の幕が開き、エレノアの姿が現れた。
エレノアは胸の前でそっと両手を組み、静かに歌い始めた。
「遠ざかる背中を 涙で滲ませながら――」
その澄んだ歌声に、ヴァイオリンを教えたヴァイルだけでなく、ガウェインもリリスも思わず目を見張る。
「なぜヴァイオリンではないんだ?」
「エレノア様……」
そしてリリスは顔を引きつらせ、思わず叫んだ。
「ちょっと待って、なんでアニソン歌ってるのよ!?」
そう――エレノアが口ずさんでいたのは、この世界とは縁もゆかりもない異世界アニメの挿入歌だった。アニメやゲームに通じているリリスだからこそ、その正体に気づいてしまったのだ。
由里子は流行りの歌には疎かったが、そのアニメ自体が気に入ってしまい、夢中で何度も観るうちに自然と歌も覚えてしまった。しかも、由里子もエレノアも歌唱力には自信がある。
名前を呼べば 風にさらわれて
ただ祈ることしかできない
どうか剣を振るうその手が
再び私を抱きしめますように
夜明けを越えて 血に染まらずに
生きて 生きて 戻ってきて
花は散りゆき 季節は巡るけれど
あなたがいなければ 色を失う
たとえ世界が崩れ落ちても
私は待ち続けるから
神よ どうか願いを聞いて
あの人の命を守ってください
白百合のように 気高く清らかに
生きて 生きて 帰ってきて
この世界の人々にも想いが届くよう、心の底から感情を込めて歌い上げた。
すると、頭上からひらひらと白いものが舞い降りてきた。
「雪……?」
それはヴァエリオンの魔法によって降り注いだ幻想の雪だった。会場全体を包み込むように広がり、観客の吐息さえ白く染めてゆく。
「きれい……」
誰かが小さく呟いた声が、静寂の中に溶けて消える。
もしも再び会えるのなら
そのとき私はすべてを捧げましょう
傷を負った心も 疲れたその瞳も
私の愛で包み癒したい
夜空を仰ぎ 星に願うたび
あなたへの想いは強くなる
運命に抗い 時を越えてでも
必ず抱きしめたいから
どうかこの祈りが翼となり
あなたのもとへ届きますように
白百合の香りに導かれて
生きて 生きて 私の愛へ
この歌は、雪の舞い散る季節に主人公が戦地へと旅立つ姿を背景に、彼の無事を祈り、生きて帰ることを願いながらヒロインが心を込めて歌い上げたものだ。――その曲の名は「白百合の乙女」。




