脅迫の旋律
音楽室の扉が勢いよく開いた。
「エレノア様、ご無事ですか!?」
突然の声に、エレノアは驚いて振り向く。
「ガウェイン様! どうなさったのですか?」
彼女の前に立つガウェインの視線の先には、険しい表情のヴァイルがいた。
「……ご無事も何も、俺はただ指導していただけだ。何を慌てている」
「ヴァイル殿だけでは不安だからだ。レオナード皇子直々の護衛命令でもある。それに――」
ガウェインは一歩踏み出し、低い声で続ける。
「エレノア様に気安く触れてよい男など、おらぬ」
「なっ……なんだと!」
珍しく声を荒げるヴァイル。
そんな彼を一瞥しただけで、ガウェインはエレノアの前に立ち、手にしたものを差し出した。
「エレノア様、こちらを」
「これは……!」
白い封筒だった。かすかに漂う甘い香水の香り。そして封の裏に刻まれた、金色の百合の紋章。
「音楽室の前に落ちていました。……いや、『落ちていた』というより、『置かれていた』と表現すべきでしょう」
その封筒を見た瞬間、エレノアの背筋に冷たいものが走る。
「黒百合の使者……!」
「はい」
ガウェインの表情が険しくなる。
――黒百合の使者。
脅迫状を送り、弱い立場の生徒を操って、白百合の君選考代表である自分を陥れようとした者。
そしてその背後には、おそらくリリスがいる。
前回は、自分の知恵と、利用されかけたエリオットの協力で大事には至らなかった。だが――。
「黒百合の……使者?」
ヴァイルが怪訝そうに問いかける。
「何だ、それは」
――巻き込みたくなかった。危険な目に遭わせたくなかった。
しかし、ここまで知られてしまった以上、もう隠すことはできない。
エレノアは小さく息を吸い込み、これまでの経緯を語り始めた――。
――静まり返った音楽室に、エレノアの声が落ちる。
「……それが、これまでに起きたことの全てですわ」
語り終えた瞬間、室内の空気が一層重くなった。
ヴァイルは目を細め、低く呟く。
「ふざけた真似を……そんな奴がこの学園にいるとはな」
「ですが、これで確信が持てました」
ガウェインが机の上に封筒を置き、慎重に封を切った。中の便箋を広げた途端、甘い香りが強まり、文字が三人の目に飛び込む。
> 『白百合の君に選ばれし者よ。
舞台に立ち続けるなら、あなたの大切な“音”を奪う。
次に響くのは――悲鳴だけ。』
「“音”……?」
エレノアが小さく呟く。
ガウェインは眉を寄せた。
「音楽室に置かれていたことといい……明らかにあなたの活動を狙った脅迫だ。舞台を諦めさせるための」
ヴァイルは拳を握りしめ、立ち上がる。
「放っておけるか! エレノアを脅すだけじゃない、音楽までも侮辱する奴なんて――俺が必ず叩き潰す!」
「ヴァイル殿、落ち着け」
ガウェインが低く制した。
「相手は慎重で狡猾だ。迂闊に動けばエレノア様を危険に晒すだけだ」
「だが――!」
「お二人とも」
エレノアの静かな声が、二人の言い争いを止めた。
彼女はゆっくりと立ち上がり、真っ直ぐに二人を見据える。
「……もう怯えませんわ。
このまま退けば、あの者の思うつぼですもの。
私の音楽を、私自身を脅してくるなら――戦います」
その決意に、ヴァイルは目を見開き、やがて口元に笑みを浮かべた。
「……いい。なら俺も全力で守る。相手が誰だろうと関係ない」
ガウェインも小さく頷く。
「命に代えても、あなたを護ります」
三人の視線が交わったその時――。
――カタン。
誰も触れていないはずの窓辺から、小さな音がした。
ガウェインが素早く振り向くと、夜風に揺れるカーテンの外、黒い影がするりと消えていった。
「……見張られているな」
低い声が、静寂の中に落ちた。
「何で……!あんなに脅したのに、どうして逃げないのよ!」
リリスは陰で爪を噛み、唇をかみしめながら自分の苛立ちに震えていた。胸の奥で、焦りと不安が渦を巻き、理性では押さえきれない怒りが噴き出す。
「アンタは前みたいに、怯えて震えていればよかったのに……!」
「落ち着いて、リリスさん」
「だって……こんなはずじゃ……!」
声がかすれ、言葉が途切れる。彼女の視線はどこにも定まらず、怒りと恐怖の間で揺れ動いていた。
「大丈夫。計画通りに進めば、相手は完全に潰れるわ。私たちの勝ちよ」
その言葉に、一瞬だけ胸の奥のもやもやが静まる。リリスは小さく息をつき、まだ揺れる手を握りしめながらうなずいた。
「……そうね……そうよね……」
リリスは深く息を吸い込み、震える手をぎゅっと握った。胸の奥のもやもやはまだ残っているが、先ほどのような制御できない焦りではなく、理性が少しずつ顔を出し始めた。
「……ふぅ、落ち着かないと」
自分に言い聞かせるように、リリスは肩を揺らしながら小さく息を吐く。計画は確かに緻密に練られている。焦っても何も変わらない。今必要なのは、冷静に一手一手を見極めること。
「よし……やれるわ、絶対に」
目の奥に鋭さが戻る。苛立ちや不安はまだ完全には消えていない。しかし、その熱は怒りのまま暴走するのではなく、慎重さを伴った決意へと変わりつつあった。
「私たちの勝ち……絶対に勝つんだから」
リリスは小さく笑みを浮かべ、静かに拳を握りしめた。その手には、さっきまでの焦燥感の残滓がわずかに熱を帯びて残っていたが、同時に冷徹な計算も宿っていた。




