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黒百合の使者

放課後、ガウェインは本当に迎えに現れた。

「エレノア様、お待たせして申し訳ございません。さあ、参りましょう」

「ガウェイン様もお忙しいのに、私一人の護衛のために恐縮ですわ」

「そのようなことはございません。皇子からのご命令でもありますので」

「……そうでしたわね」


そこで思い出し、周囲に人影がないことを確認すると、私は鞄から一通の封筒を取り出す。

「こちら、私の机に入っていたものです。差出人は不明で……」

「拝見してもよろしいでしょうか?」

「はい」


声を落とし、そっと手渡す。封筒を受け取ったガウェインは、すぐに目を見開いた。

「……金色の百合の紋章。これは白百合の君を象徴するものです。使用を許されるのは選ばれた白百合の君だけ。私の姉がかつて白百合の君に選ばれたことがありまして、そのメダルを何度も見せてもらったものです。そして、この陰影……皇子のものによく似ていますが、これは偽物でしょう。なんという不届き者!」


――ガウェイン様のお姉様が白百合の君!?

驚きかけたが、今はそれどころではない。

「お気持ちは分かりますが、抑えてくださいませ」

「……すみません、つい」

「それで、その内容なのですが」

「『白百合の君の座を降りなければ、次は証拠が出る』……脅迫文ですな。この“証拠”とは一体何のことか」

「私にも分かりません。ただ、リリスさんが関わっている可能性はあります。あの方が大人しく引き下がるとは思えません」


険しい顔をした私を、ガウェインが不思議そうに見つめる。

「彼女のことをそこまで知っているとは……まるで昔からの因縁のようだ」

――しまった! 本当のことが知られたら、きっと頭のおかしい人間扱いだわ。

「あのっ!」と慌てて声を上げるが、彼は構わず続けた。

「しかしエレノア様の言う通りかもしれない。例え彼女でなくても、他の代表者ということもある。白百合の君にふさわしくない者が選ばれるのは避けたい。とにかく警戒を怠らないように」

「……他の代表者」


代表はあと二人いる。お友達から聞いた話では――


一人目は、エリス・フォン・ローゼンタール。

大人しげな雰囲気だが、整った顔立ちに一つひとつの所作まで気品が漂う。実家の貿易業の影響で三か国語を操り、ピアノでは数々のコンクールで入賞。もちろん学業成績も上位で、さすがは名門伯爵家の令嬢といったところ。ただ、一度だけ廊下ですれ違ったとき、彼女の周りにいた令嬢たちは、どうにも肩書きに媚びているように見えた。


二人目は、ヴァネッサ・フォン・ベルモンテ。

華やかな美女だが、「白百合」よりむしろ「薔薇」の名が似合う女性。しかし見た目とは裏腹に、派手さはなく、優雅で凛とした佇まいの持ち主。誰にでも分け隔てなく接する優しい性格で、成績も優秀。演劇部の部長を務め、モデル業界や有名劇団からのスカウトもあるという。ただし彼女にも取り巻きはいて、どうやらその中には彼女の名を盾に嫌がらせをする者がいるらしい。もちろんヴァネッサ本人は命じておらず、耳にも入っていない。聞けば気の毒な話だ。


「ですが……そんな優秀なお二人が、わざわざ私を妨害するでしょうか?」

「はっ!? 何を仰いますか、エレノア様!」


ガウェインは身を乗り出すようにして言った。

「錦糸のように艶やかな黄金の御髪、長い睫毛にサファイアのように輝く瞳。高い鼻梁と形の整った艷やかな唇。そして誰もが羨む美しい体躯。勉学・芸術・魔法学、すべてで常に上位の成績。気高く堂々とした立ち居振る舞い……まさに誰よりも白百合の君にふさわしい! 狙われても当然です」

「……あ、ありがとうございます」


頬が熱くなり、思わず俯く。皇子にさえ、ここまで褒められたことはない。

その様子に気づいたのか、ガウェインもはっとして顔を赤らめる。

「し、失礼いたしました。皇子の婚約者様をやましい目で見ていたわけではなく、ただ……」

「ふふっ、そこまでお褒めいただけるなんて光栄ですわ。おかげで少し自信が持てました」

「そっ、それは……良かったです」


ガウェインは小さく咳払いをして、気まずさを紛らわせるように視線を逸らした。

「……とにかく、脅迫状の件は私が調べます。エレノア様は普段通りにお過ごしください。ただし、人目のない場所にはお一人で行かぬように」

「分かりましたわ」


歩き出す二人。廊下の窓から差し込む夕日が長く影を伸ばしていた。

足音が響く中、ふと背後から鋭い視線を感じて振り返る――しかしそこには誰もいない。

気のせいかと思ったが、背筋にひやりとした感覚が残った。


「……何か?」

ガウェインが眉をひそめる。

「いえ……ただ、少し視線を感じたような」

「やはり気を緩めてはいけませんな。今夜のうちに警備計画を立て直します」


そのまま校門へ向かう途中、正門脇のアーチの影に、一人の見慣れた女子生徒が立っていた。

――リリス。

彼女は何も言わず、ただこちらを見送りながら意味深な微笑を浮かべていた。

次の瞬間、人混みに紛れて姿を消す。


「……あの人、先ほど警戒するべきだと仰っていたリリスですね」

「ええ。油断ならない人ですわ」

「ではなおさら、明日は私が朝からお迎えに参ります」

「……お世話をおかけしますわね」


胸の奥で、嫌な予感が小さく渦を巻いた。


そのとき、リリスに気を取られていたせいか、足元の小石につまずいてしまった。

「きゃっ!」

「エレノア様!」


転倒の衝撃に備えたものの——痛みはない。

「エレノア様、お怪我はございませんか?」


目を開けると、間近にガウェインの顔。しかも抱き寄せられる形になっている。王国騎士団で鍛え上げられた引き締まった無駄のない体躯。*鍛えられたその腕に、いつか抱かれることを夢見る乙女は、きっと私だけではない——*そんな言葉が脳裏をよぎり、胸が熱くなる。


「あ、あの……私は大丈夫ですわ。もう離していただいて結構ですの」

「ああ、申し訳ございません! 皇子の婚約者であり、白百合の君代表たるお方に、顔に傷でもついたらと……」


互いに離れようとしたその瞬間——


ピカッ


視界の端、物陰で何かが光った。

「誰だ!」


ガウェインが反射的に小石を弾き、その方向へ飛ばす。

「痛っ!」


現れたのは光写機(魔導カメラ)を握った男子生徒。

「そこで何をしていた?」

「ぼ、僕は何も……」


「その光写機は何だ? まあ、中身を見ればわかるが——隠し撮りとはいい度胸だな。それに足元のこの石……魔石だろう。普通こんな場所に生えるはずがない。微かに魔力を感じる。転ばせるために仕組んだな?」


ガウェインの鋭い眼光に、男子生徒は肩を震わせた。

「ひっ……!」

「当たりだな」


見るからに弱々しい彼が、一人でこれを計画したとは考えにくい。

「誰かに、“証拠を撮って来い”と命じられたのですか?」

「エレノア様、それは……!」


ガウェインも、その意図に気付いたらしい。

「ぼ、僕は……何も知らない……」

「そうか。ならば、その光写機が真っ二つになっても構わんな?」


剣をスラリと抜く音が響く。

「や、やめてくれ! 話す! 全部話すから!」


「ガウェイン様、場所を変えましょう」

「……その方がよろしいですね。こちらへ」


案内された先は——なんとガウェインの私室だった。皇子以外の男性の部屋に入るのは初めての経験だ。中は質素で、彼らしい簡素さが漂っている。侍女がお茶を運び入れ、香りが緊張をわずかに和らげた。


「では、話してもらおうか」

「……はい」


男子生徒は観念したのか、口を開く。

名はエリオット・グレイ。写真部に所属し、日々熱心に活動しているという。例の日も一人、遅くまで残って作業していた。時計を見れば、すでに下校時刻を過ぎており、慌てて後片付けに取りかかった——。


時計の針が音もなく進む静けさの中、エリオットは俯いたまま、ぽつりと口を開いた。

「……それで、帰ろうとした時です。急に声をかけられました」


「誰にだ?」ガウェインの低い問いが落ちる。


「名前は……名乗りませんでした。けど、自分は“黒百合の使者”だと」


「黒百合の使者……! それで?」


「“ちょっとした実験”を手伝ってほしい、と。渡されたのが、この魔石です。『これを人の通る場所に置くだけでいい』と……」


「……隠し撮りも、その一環か」


「はい。石に引っかかって転ぶところを撮ってほしいと……。報酬は出すし、魔石はすぐ消えるから証拠は残らない、と言われました」


ガウェインが短く息を吐く。

「顔は見たのか」


「……はい。でも、はっきりとは分かりません。帽子を深くかぶっていて、見えたのは目元だけ……。笑ってはいたのに、その目には一片の温かさもありませんでした」

その言葉が落ちた瞬間、室内の空気がさらに冷え込む。

胸の奥に、氷の棘がゆっくりと広がっていくような不安が走った。

「エレノア様――この件、リリスが関わっている可能性があります。その女子生徒の様子……おそらく魔香を使用している」

告げるガウェインの瞳は、炎を秘めた氷刃のように鋭く輝いていた。


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