告発と陰謀の幕開け
この女、私より下のくせに――バカにするつもり?
リリスの瞳に、憎しみと焦りが混じった色が浮かぶ。
「このっ…!」
感情のままに、彼女がエレノアへと腕を振り上げた――その瞬間。
「そこまでだ」
低く、鋭い声が空気を裂いた。
「何するの…って、え?」
振り返ったリリスの目に映ったのは、自分の手首をがっしりと掴むガウェインの姿。
その力強い握りに、彼女はわずかにたじろぐ。
「ガウェイン様? どうしてこちらに――」
「やはり、ガウェインを連れてきて正解だったな」
背後から、落ち着いた声が響く。
教室の入り口に立っていたのは、レオナード皇子だった。
「…レオナード皇子まで。どうなさったのですか?」
エレノアが驚きの表情を浮かべ、周囲の生徒たちも息を呑む。
皇子はゆっくりと歩みを進め、教室中央まで来ると立ち止まった。
その声音は穏やかでありながら、ひとつひとつの言葉が重い。
「ある噂を耳にした。生徒会長としても、そしてエリーの婚約者としても、見過ごせない内容だ。――エレノア・フォン・ヴァレンシュタインが白百合の君の学年代表になるため、教師や複数の男子生徒を誑かし、不正を働いたというものだ。もし事実ならば、我が学園の伝統を汚し、皇子である私をも愚弄することになる。……誠か?」
その一言に、教室の空気は一気に凍りついた。
リリスの口元がわずかに歪む。これを好機と見たのだ。
「本当です、皇子! 私、この目で見ました。ですが、皇子がショックを受けるのではないかと…直接は申し上げられずにいたのです」
「何を言っているの、リリスさん」
エレノアは表情を崩さず、冷ややかに返す。
皇子に取り入ろうとする魂胆が透けて見えたが、レオナードはあえてそれを遮らず、視線を巡らせた。
「他に、この場で実際に見聞きしたという者はいるか?」
静まり返った教室。生徒たちは互いに視線を交わすだけで、誰も声を上げない。
やがて、エレノアはゆっくりと前へ出て、膝を折った。胸に手を当て、真っ直ぐに皇子を見上げる。
「レオナード・フォン・グリューネヴァルト皇子。私、エレノア・フォン・ヴァレンシュタインは――白百合の君選考においても、また皇子の婚約者としても、そのような卑劣な行いは決してしておりません。もしお疑いならば、どうぞ徹底的にお調べくださいませ」
その毅然とした態度に、皇子の目が細められ、口元に小さな笑みが浮かんだ。
次いで、彼はリリスの方へと向き直る。
「……今の通りだが?」
「実際に見たという私よりも、婚約者というだけで彼女を信じるのですか?」
なおも食い下がるリリス。
その瞬間、皇子の拳が壁を打ちつけた。
乾いた音が教室に響き、数人の生徒が小さく悲鳴を漏らす。
「ひっ……!」
「エリーが不正を働く? 俺がショックを受ける? 侮るな。俺たちの関係は、そんなくだらない妄想で崩れるほど脆くはない。不愉快だ……今回の件、どう責任を取るつもりだ?」
重く圧し掛かるような声音に、リリスは言葉を失う。
――このままでは、場が収まりそうにない。
エレノアは一歩前に進み出た。
「レオナード皇子。リリスさんには、私からもすでに注意いたしました。それに加えて皇子からもお言葉を頂いたのですもの、これで十分お分かりになったはずですわ。あとは、心から謝罪してくだされば結構です」
皇子の険しい表情が、わずかに和らぐ。
「……全く。今回はエリーに免じて、それで良しとしよう」
「……お二人とも、申し訳ありませんでしたわ」
リリスは小さく頭を下げ、かすれた声で謝罪する。それが彼女なりの精一杯なのだろう。
「毎年、学年代表を妨害しようとする者は必ず出ると聞く。――今回の件も踏まえ、代表には護衛を一人ずつ付けることにした。エリーの護衛は……ガウェイン、お前だ」
「えっ!?」
「エレノア様、このガウェイン、精一杯お守りいたしますので、どうぞよろしくお願いいたします」
普段よりも丁寧な口調。それは皇子の命令ゆえかもしれない。
「よ、よろしくお願いいたします……」
まさかガウェインが護衛になるとは――全く予想していなかった。
「それでは放課後、教室にお迎えに参ります。それでは」
「は、はい」
「俺も生徒会室に戻る」
そう言って立ち去ろうとした皇子が、ふと足を止め、振り返る。
「言い忘れるところだった。リリス、君は選考委員会から外れてもらう」
「そ、そんな……!」
「決定事項だ。しっかり反省することだな」
「……っ!」
唇を噛みしめるリリスの視線には、まだ消えぬ炎が宿っていた。
――これで大人しく引き下がるとは、とても思えない。
そう感じながらも、その日の授業は何事もなく終わった。
だが放課後、エレノアが帰り支度をしていると、机の中に一枚の封筒が入っているのに気づく。
淡い香水の匂いがかすかに漂う、白い封筒。
差出人の名はなく、封の裏には金色の百合の紋章――これは学園内でも限られた者しか使えない意匠だ。
(……何かしら)
周囲に人がいないのを確かめ、そっと中身を取り出す。
そこには流麗な筆跡で、たった一文だけが記されていた。
> 「白百合の君の座を降りなければ、次は“証拠”が出る。」
(……証拠? そんなもの、あるはずが……)
しかし、その紙にはもうひとつ、見覚えのある印影が押されていた。
――それは、皇子が使う封蝋と酷似していた。
胸の奥に冷たいものが走る。
これはただの嫌がらせではない。誰かが、皇子との関係そのものを揺るがそうとしている――。
「……面倒なことになってきましたわね」
エレノアは封筒をそっと閉じ、鞄にしまい込んだ。
背後では、廊下の曲がり角からこちらを見ている影がひとつ――その唇は、確かにリリスのものだった。




