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第11話 勘違いを本当にする王子

第11話 勘違いを本当にする王子


夜が明けて間もなく、アレンはティカを肩へ乗せて王都の北門へ戻った。片方の革靴は森へ置いてきたままで、裸足には小石や枝でついた傷が赤く走っている。礼服も外套も泥にまみれ、胸元の青い宝石は三つのうち一つしか残っていなかったが、歩くたびに肩へ触れる小さな手の温かさを確かめ、足を止めなかった。


門の外では、バルトとリオが荷車の横で待っていた。傷めた栗毛の馬は脚へ布を巻かれ、バルトから林檎を一切れずつもらっている。荷車の荷台には食べ終えた黒パンの包みと、冷めた豆のスープが入った木の椀が置かれ、朝の風に月桂樹の匂いを漂わせていた。


「妖精のお姉ちゃん!」


リオが駆け寄ると、ティカはアレンの肩から飛び立とうとした。しかし、傷ついた左の羽はまだ半分ほどしか光を取り戻しておらず、体が大きく傾く。アレンは両手で受け止め、そのままリオの前まで運んだ。


「まだ飛べない。近づいてくれ」


「元気になったの?」


「はい。お腹が空きました!」


「それだけしゃべれれば大丈夫だな」


リオは笑い、森へ行く前に貸した赤い布を受け取った。布には泉の水と泥が染み込み、端には黒い毒の跡が残っている。それでも捨てずに洗うと言い、丁寧に畳んで上着の内側へ入れた。


バルトはアレンの裸足へ気づき、荷車から自分の予備の靴を取り出した。古く、踵がすり減り、つま先には何度も修理した縫い目がある。大きさは合わなかったが、裸足で石畳を歩くよりはましだった。


「借りてもいいのか」


「王子殿下へ貸すような靴ではありませんが」


「俺が森へ履いていった靴より、ずっと長く働いている」


アレンは切り株へ腰を下ろし、バルトの靴を履いた。右は少しきつく、左は歩くたびに踵が浮く。以前なら一歩も歩かずに脱いでいたが、紐を強く結び、立ち上がった。


「城まで荷車へお乗りください」


「おまえたちは昨夜から待っていた。俺が手綱を取る」


「馬車を御せるのですか?」


「王族の教育を何だと思っている」


アレンは御者台へ座り、手綱を握った。ところが荷馬車用の太い手綱は扱い慣れておらず、馬は右へ行けと言えば左へ寄り、進めと言えば道端の草を食べ始めた。リオが隣から声のかけ方を教え、ようやく荷車が動き出す。


「王子様、馬へ怒鳴ったら余計に動かないよ」


「俺は怒鳴っていない」


「さっき、馬鹿馬と言った」


「聞こえていたのか」


「馬にも聞こえてるよ。名前はパトだよ」


アレンは手綱を握り直し、草を食べ続ける馬の首筋へ目を向けた。謝る相手が馬でも同じなのかと迷ったあと、小さく息を吐く。肩ではティカが、ちゃんと謝えるか見張るように耳へ身を寄せていた。


「悪かった、パト。急いでくれ。城で人が待っている」


パトは耳を一度動かし、今度は素直に歩き始めた。リオは得意げに笑い、ティカはアレンの耳を両手で撫でる。バルトだけは、馬が草を食べ終わったから動いただけだと思ったが、何も言わなかった。


城門へ到着すると、ヴィンスが近衛を連れて待っていた。灰色の礼装は昨夜のままで、襟は緩み、目の下には濃い影ができている。片手には剣ではなく、湯気の立つ木の茶碗を持っていた。


「無事でしたか」


「見れば分かるだろう」


「よく見なければ分かりません。殿下は裸足に近く、他人の靴を履き、泥だらけです。ティカ殿も羽が半分しかございません」


「だから戻った。治療師に診せる」


ヴィンスはティカへ顔を近づけ、呼吸と羽の光を確認した。強張っていた口元がわずかに緩み、持っていた茶碗をアレンへ差し出す。中には厨房長が作った温かい豆のスープと、細かく裂いた鶏肉が入っていた。


「召し上がってください。昨夜の豆は、結局三十粒しか食べておられません」


「数えていたのか」


「豆を数えたおかげで殿下が怒鳴らずに済んだのなら、今後も毎食お出しします」


「やめろ。二度と豆を数えたくない」


アレンは文句を言いながらも茶碗を受け取った。スープは少し塩辛く、鶏肉の端には焦げた部分もあったが、冷えた体へ熱が広がる。ティカも匙の先へ載せてもらった豆を両手で食べ、三粒目にはもうおかわりを求めた。


その日の午後、王城の大広間でローレンスの取り調べが始まった。彼は城の南倉庫へ隠れていたところを捕らえられ、深紅の礼服を取り上げられて、灰色の囚人服を着せられている。袖口には朝食の粥が乾いてつき、整えられていた髪も額へ落ちていた。


エレノアは一睡もせず、毒物の購入記録と王家の会計帳簿を照合していた。銀色のドレスから紺色の仕事着へ着替えていたが、髪は昨夜と同じ形でまとめられ、青い矢車菊だけが萎れている。机の周囲には、墨の染みがついた帳簿と、空になった紅茶の茶碗がいくつも並んでいた。


「お帰りなさいませ、殿下」


「ああ。任せて悪かった」


「謝罪より先に、こちらへ署名をお願いいたします」


「帰ってきたばかりだぞ」


「生還と政務は別の問題です」


エレノアは三枚の書類を差し出した。アレンは顔をしかめたが、内容を読まずに署名することはしなかった。一枚ずつ確認し、分からない言葉を尋ね、最後に自分の名を書く。


調査によって、ローレンスが北部の不作を利用し、小麦への臨時税を必要以上に徴収していたことが明らかになった。余分に集めた金は道路修繕費や橋の補強費へ振り分けたように見せかけ、実際には自分の商会と領地へ流していた。毒物の代金も、その横領金から支払われている。


給仕係へアレンの名で命令した手紙も見つかった。筆跡は似せてあったが、アレンが近ごろ左手で書いていた不格好な署名とは違う。さらに、職人街で拾った木箱、晩餐会の杯、アレンの寝室へ隠された小瓶から、すべて同じ毒が検出された。


ローレンスは自分の命令ではないと言い張った。しかし、商会の会計係と従者、ならず者の一人が、減刑と引き換えに証言した。エレノアが一枚ずつ証拠を読み上げるたび、ローレンスの顔から血の気が引いていった。


「私は王家の無駄遣いを補うため、金を動かしただけだ!」


ローレンスは鎖のついた両手で机を叩いた。アレンの過去の浪費が国庫を圧迫していたこと、自分が不足分を埋めなければ国が立ち行かなかったことを訴える。大広間には、帳簿を確認する紙の音だけが響いた。


「アレンが宝石や彫像へ金を使わなければ、私はこんなことをする必要はなかった!」


「俺の浪費が、おまえの横領を許す理由にはならない」


アレンはティカを肩へ乗せ、証言台の前に立った。森で失った青い宝石の代わりに、胸元には何も飾っていない。薄い青色の上着は以前から持っていたものだが、袖口の金糸を外し、売却できる装飾はすべて会計官へ渡していた。


「俺が無駄にした金は、俺が返す。おまえが奪った金は、おまえが返せ」


「すべて私へ押しつけるつもりか!」


「押しつけない。俺自身の責任も、これから民の前で話す」


国王と議会による審理の結果、ローレンスは爵位と王位継承に関わるすべての権利を失った。領地と私財は没収され、横領された金と被害者への賠償へ充てられる。毒殺未遂と公文書偽造の刑として、北部鉱山の管理所で帳簿と物資を管理しながら、生涯にわたり返済することが決まった。


「私に、鉱山労働者の食料を数えろと言うのか」


「一袋の小麦が何人の冬を支えるか、毎日数えられる。おまえに合った仕事だ」


アレンが答えると、ローレンスは鎖を鳴らして暴れた。近衛に連れ出される途中、ティカをにらみ、あの妖精さえ来なければすべてうまくいったと叫ぶ。ティカはアレンの肩から、小さく首を傾げた。


「私は野草スープを作っただけです」


「それが一番効いたのだろう」


ヴィンスは革袋から久しぶりに胃薬を一粒取り出し、口へ入れた。これで事件が終わるなら胃も治るかもしれないと言ったが、アレンとティカが同時に彼へ顔を向ける。二人の反応を見たヴィンスは、胃薬をまとめ買いしておこうと考え直した。


三日後、王城前の広場に大勢の民が集められた。初夏の空は青く、広場の花壇には赤い罌粟と黄色い金魚草が咲いている。市場から運ばれてきた焼きたてのパンの匂いが漂っていたが、人々の表情は固く、王城の露台へ立つアレンを見上げていた。


アレンの前には、国王が用意した演説文が置かれている。そこには、第二王子はローレンスの陰謀を見破り、隣国の使節を救ったと書かれていた。過去の浪費や不当な罰金については、一行も触れられていない。


「これを読めば、殿下は英雄になれます」


国王の補佐官は、汚点まで民へ知らせる必要はないと告げた。真の犯人が捕らえられた以上、王家の威信を守るためにも、アレンは被害者として振る舞うべきだと言う。アレンは演説文を最後まで読み、紙を二つに折った。


「俺は、また知らないふりをしろと言われているのか」


「国の安定のためです」


「民が知らないことを、安定と呼ぶのか」


「殿下ご自身の王位継承にも関わります」


アレンは露台の下を見た。商人バルトとリオ、庭師グレゴール、侍女マルタ、厨房長が人々の中にいる。職人街で一緒にごみを拾った子どもたちも、洗った服を着て並んでいた。


アレンは用意された演説文を脇へ置いた。拡声魔法の石へ手を載せると、ざわめきが止まる。肩に座るティカの左の羽はまだ小さかったが、朝日を受けて若葉色に光っていた。


「ローレンスが捕らえられた。公金を横領し、違法な税を集め、隣国の使節を毒殺しようとした罪だ」


広場から安堵と怒りの声が上がった。補佐官は次に英雄としての働きを話すよう、演説文を指さしている。アレンはそれを見ず、自分の言葉を続けた。


「だが、俺は騙されていただけではない。命令したのも、金を使ったのも、民の声を聞かなかったのも俺だ」


広場が静まり返った。アレンは自分の金糸の礼服、氷の彫像、黄金の馬具、泥の中へ落ちたパンを思い出す。今さら口で認めても、失われた金も時間も戻らない。


「俺は王子の名を使って、気に入らない商人へ罰金を科した。自分の像を建てるために、施療院へ送る薬草を潰そうとした。宴会のために、小麦へ余計な税がかけられていると知ろうともしなかった」


群衆の中で、バルトが腕を組んで聞いていた。すぐに許すような顔はしていない。リオは治療中の指へ添えた木の板を、反対の手で押さえている。


「今日から立派になったなどとは言わない。俺はまだ、言葉より先に怒鳴る。数字を見ると逃げたくなるし、苦いものは嫌いだ」


「野草スープは残します!」


ティカが肩の上から叫び、広場のあちこちで笑い声が起きた。アレンは耳を赤くしたが、彼女を黙らせなかった。笑いが収まるのを待ち、石へ向かってもう一度口を開く。


「これからの行いを見て、俺を王子と認めるか決めてほしい。俺がまた民を踏みつけるなら、そのときは止めてくれ。王子だからと頭を下げずに、声を上げてくれ」


アレンは王位継承権を一時停止するよう、自ら国王へ申し出た。復帰の条件は、横領された公金の回収、食糧価格の安定、王族予算の公開をすべて達成し、民と議会の承認を得ることとした。国王は人々の前で申し出を受け入れざるを得ず、露台の後ろで深く息を吐いた。


新しく作られた王室監査会には、貴族だけでなく商人、職人、農民の代表も加わった。エレノアが議長となり、王族の支出は毎月、王城前の掲示板へ貼り出される。帳簿には金額だけでなく、その金で小麦が何袋買えるかまで記すことになった。


バルトは王都商人会の代表に選ばれた。しかし、最初はアレンからの任命を断った。王子に恩を売られたと思われれば、商人たちの声を公平に届けられないという理由だった。


「では、商人たちの投票で選べ。俺から頼んだという記録も残せ」


「選ばれなかったら、別の者を代表として認めますか」


「認める。俺が選ばれたい相手を決めても、相手が俺を選ぶとは限らないと教わった」


アレンが肩へ目を向けると、ティカは得意げに胸を張った。投票の結果、バルトは正式に代表へ選ばれる。彼は王子のためではなく、市場で働く者のために監査会へ参加すると念を押し、アレンもそれを受け入れた。


リオには、治療を続けながら王立学校へ通える奨学金が与えられた。それもアレン個人の恩恵ではなく、働く子どもを対象とした制度として新設された。リオだけを特別扱いすれば、同じように学校へ行けない子どもたちが取り残されると、エレノアが指摘したからだった。


「勉強したら、父ちゃんみたいな商人になる」


リオは新しい教本を胸へ抱き、少し大きな制服の袖を折っていた。制服からは新しい布と石鹸の匂いがする。曲がっていた指も治療によって少しずつ伸び、ペンを握る練習を始めていた。


「王城の会計官になって、俺の帳簿をつけてもいいぞ」


「王子様が無駄遣いしたら、赤い字で大きく書くよ」


「それは困る」


「困るなら、使わなければいい」


「エレノアと同じことを言うな」


それから一年が過ぎた。王都の市場には共同のごみ置き場が増え、週に二度、清掃用の荷車が各地区を回るようになった。小麦への臨時税は廃止され、北部の備蓄倉庫も整備されたため、パンの値段は前年の半分近くまで下がっていた。


アレンは十九歳になり、王位継承権はまだ停止されたままだった。それでも王城の執務室では、以前より多くの仕事を任されている。初夏の朝、机には予算書、清掃記録、備蓄倉庫の報告書が積まれ、窓辺の花瓶には白い木香薔薇が飾られていた。


机の隅には、冷めた紅茶と一口かじった黒パンが置かれている。アレンは白いシャツの袖を肘までまくり、三十頁目の帳簿を前に、羽根筆を投げ出した。向かいの椅子ではエレノアが監査報告を読み、赤い鉛筆で間違いへ線を引いている。


「今日はここまでだ。昨日も二十頁読んだ」


「本日は一頁目から同じことをおっしゃっています」


「去年の俺なら、帳簿そのものを窓から捨てていた。大きな進歩だろう」


「去年のご自分と比べる癖を、そろそろおやめください」


アレンは椅子から立ち上がり、窓へ向かって一歩進んだ。エレノアが無言で赤い鉛筆を持ち上げると、すぐに席へ戻る。部屋の隅では、ヴィンスがその様子を見ながら、自分で縫った新しい手袋をはめていた。


「殿下、野草スープの時間です!」


ティカが大きな銀の匙を両手で抱え、机の上へ着地した。傷ついていた左の羽は元の大きさへ戻り、飛ぶたびに金色の粉を落としている。若草色の服には白い小花が縫いつけられ、どんぐりの帽子にはリオからもらった赤い紐が巻かれていた。


「今、黒パンを食べている。スープは要らない」


「お野菜が足りません。今日は苦葉、眠り根、元気実を煮込みました!」


「最初のころと中身が同じではないか」


「森の蜜を少し増やしました」


「少しでは足りない。壺ごと入れろ」


ティカは銀の匙へ緑色のスープをすくい、アレンの口元へ運んだ。アレンは顔を背け、匙から一滴が帳簿へ落ちる。エレノアがゆっくり顔を上げたため、アレンは自分で布を取り、慌てて染みを拭いた。


「食べればいいのだろう」


アレンは匙を奪い、一口で飲み込んだ。舌が痺れるほどの苦味は一年たっても変わらず、鼻の奥から青臭さが抜けない。怒鳴りかけてティカの顔を見ると、彼女は両手を胸の前で組み、感想を待っていた。


「……苦い」


「おいしいのですね!」


「その勘違いだけは、一年たっても直らないな」


アレンは水を飲み、残りのスープもどうにか胃へ収めた。ヴィンスは胃薬の袋へ手を伸ばしたものの、今日は必要ないと思い直して手を下ろす。ところがティカが二杯目を運び始めたため、彼は無言で薬を一粒飲んだ。


その日の夕方、アレンとティカは二人で北の森へ向かった。アレンは動きやすい生成りのシャツと濃緑色のズボンを身につけ、背中へ水の入った小さな桶を背負っている。ティカは肩に座り、森の木の実と胡桃入りのパンを詰めた籠を抱えていた。


森には青い釣鐘草と白い鈴蘭が咲き、木々の間から西日が差している。湿った苔、若葉、遠くで流れる泉の匂いが重なり、枝の上では小鳥が夕方の声で鳴いていた。二人がたどり着いた若木は、さらに幹を太くし、アレンの背より高く枝を広げていた。


アレンは桶から水をくみ、根元へ丁寧に注いだ。靴には泥がついていたが、洗おうとはしない。乾いた土が水を吸い、濃い茶色へ変わっていくのを最後まで見届けた。


「今回は、靴を洗ったのではありませんね」


「ああ。おまえが喜ぶと思ってやった」


「では、やっぱり殿下は世界一やさしい王子様です!」


「世界一かどうかは知らん。だが、おまえの勘違いを嘘にはしない」


ティカの羽から金色の光があふれた。森の木々の間へ月が昇り、その光が泉と若木を淡く照らす。ティカの小さな体が光へ包まれ、アレンの肩からふわりと浮かび上がった。


毒を受けたあと、泉から新しい力を授かったティカは、月の光がある間だけ、人間と同じ大きさになれるようになっていた。若草色の服は足首まで届くドレスへ変わり、蜂蜜色の髪が背中へ流れる。どんぐりの帽子だけは大きくならず、小さなまま髪の上へ載っていた。


「帽子はそのままなのか」


「かわいいでしょう?」


「まあ、似合っている」


アレンは言ってから、すぐに顔を背けた。ティカは自分の耳が赤いことに気づき、頬をのぞき込んでくる。アレンは逃げる代わりに、桶を地面へ置き、彼女の前へ片膝をついた。


「以前、おまえは俺の嫁になると言ったな」


「はい。今もそのつもりです!」


「返事が早すぎる。最後まで聞け」


「では、もう一度お願いします」


ティカは両手を後ろへ回し、背筋を伸ばした。アレンは用意していた小さな箱を取り出す。中には宝石ではなく、あの日エレノアへ贈ったものと同じ、艶のあるどんぐりが一つ入っていた。


「俺はまだ、王位を継ぐ資格を取り戻していない。怒鳴る癖も完全には直っていない。野草スープは今でも嫌いだ」


「知っています」


「俺は、おまえの夫になる資格があるか」


ティカはすぐに答えず、箱の中のどんぐりを指で転がした。月明かりを受けた殻には、アレンが自分で磨いた跡が残っている。ティカは一本の指を伸ばし、アレンの鼻先を軽くつついた。


「これからも野草スープを残さず飲めますか?」


「それと結婚に何の関係がある!」


「とても大切なことです。元気でなければ、ずっと一緒にいられません」


アレンは立ち上がりかけ、そのまま片膝をついた姿勢へ戻った。顔をしかめ、野草スープ百杯と断頭台のどちらがましかを考えるように黙り込む。ティカは答えを急かさず、どんぐりを両手で包んで待っていた。


「飲む。一日一杯だけだ」


「元気がない日は三杯です」


「二杯までだ」


「では、間を取って三杯ですね!」


「どこの間を取った!」


アレンの声に、枝で眠りかけていた鳥が飛び立った。ティカは声を立てて笑い、その笑顔を誰にも渡したくないという昔の考えが、アレンの胸を一瞬だけかすめる。けれど、笑う相手を決めるのは彼女自身だと、もう知っていた。


アレンはティカの手を取った。以前のようにつかんで逃げ道を塞がず、断ろうと思えば離せる強さで指を重ねる。ティカが自分から指を絡めてくるまで、何も言わずに待った。


「これからも、俺のそばで監視してくれ。いや――俺を愛していてくれ」


「はい。私が自分で決めて、ずっと殿下を愛します!」


ティカはアレンの首へ両腕を回した。驚いたアレンは一歩よろめき、水桶を踏みそうになって体をひねる。二人はそのまま草の上へ倒れ、咲いていた釣鐘草から冷たい露が降りかかった。


「求婚のあとに転ぶ王子がいるか」


「私は楽しかったです!」


「おまえのドレスが泥だらけになったぞ」


「殿下とおそろいですね!」


ティカは草の上へ寝転がったまま笑った。アレンも泥を払おうとしたが、途中で諦める。どうせ帰れば洗濯係に叱られ、自分で染みを落とすよう布と石鹸を渡されるのだ。


月が木の陰へ入り始めると、ティカの体が再び金色の光へ包まれた。人間と同じ大きさだった姿が少しずつ縮み、いつもの手のひらほどの妖精へ戻る。アレンは両手で受け止め、自分の肩へ載せた。


「結婚式には、白い薔薇をたくさん飾りましょう!」


「派手な飾りは要らない。庭の花だけで十分だ」


「お料理は、野草スープを大鍋で作ります!」


「それは絶対に駄目だ」


「お祝いですから、元気実を二倍にします!」


「客を毒殺する気か!」


森じゅうにアレンの声が響き、ティカの笑い声が重なった。帰り道には片方だけの靴も、追ってくる刺客もいない。二人は胡桃入りのパンを半分ずつ食べ、泥のついた同じ道を並んで帰った。


断頭台へ続いていた未来は、もうどこにもない。ただし、苦い朝食から逃げられない未来だけは、どうやら確定していた。


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