第一章28 『穿行者』
朝の霧は、先ほどよりもさらに濃さを増していた。
奏はノンノンを連れて冒険者ギルドを出た。大通りの青石畳の道は、どこか青白い光を反射している。泥まみれの革靴がそれを踏みしめるたび、鈍く重い足音がペタペタと響く。冷たい風が、二人の黒いへそ出しの冒険装の裾から容赦なく吹き込んできた。
ノンノンと奏は一本のパンを胃袋に流し込むと、慌ただしくその場を後にした。彼には、どうしても行かなければならない場所があったからだ。
二人は狭く辺鄙な路地へと曲がった。両側にそびえ立つ高い石壁がかすかな朝の光を完全に遮り、空気の中には湿った青苔の臭いと腐った木材の気配が満ちている。奏は言葉を発せず、ただ黙々と前へ歩みを進めていた。その墨色の瞳には、前方にある少し古びた木製の扉が映り込んでいる。
そこは、老薬師の薬店だった。
奏は右手を伸ばし、木の斑が浮き出た扉の板に少し荒れた手のひらを当てて、ぐっと力を込めた。
ギイィ……。
重い木扉が押し開かれ、店内に沈殿していた草薬の苦渋い匂いと、干からびた根茎の土臭さが一気に押し寄せてくる。
奏とノンノンが中へと足を踏み入れた。
店内の薄暗さは相変わらずで、カウンターの上のオイルランプが豆粒ほどの火を灯し、空気の中でゆらゆらと揺れている。そして老薬師は、まるで彼らが来るのを予期していたかのように、そこに座って待っていた。
干からびた白髪は乱雑に肩へと垂れ下がり、何重にも刻まれた皺の奥に深邃な眼が隠されている。扉を開けて入ってきた二人を見ても、老薬師はまぶた一つ動かさず、ただ枯れ木の枝のような指先でトントンと机の面を叩き、清脆な音を響かせるだけだった。
「来たか? 流浪の冒険者、王宮への侵入者、王女の誘拐を企てた悪党、そして将軍の友人」
老薬師が緩慢に口を開く。そのガラガラに枯れた声が死寂の店内に響き渡り、そこには温度のひとかけらもなかった。
この数言だけで、老薬師の知る事実がすでに溢れんばかりであることは明白だった。
彼は昨夜遅くに王宮で起きたあの驚天動地の動乱を知っているだけでなく、かすみがギルドで彼らの身元保証人になったこと、さらには彼らが流浪の冒険者として登録を済ませたばかりだという情報まで、一字の漏れもなく掌握していたのだ。この一見すると辺鄙で人気の無い草薬屋の中にいて、この老いぼれの眼は至る所に張り巡らされているようだった。
奏は無駄口を叩かなかった。
この老薬師が底知れない存在であることは痛いほど分かっている。だが、数々の凄惨極まる死に戻りを経験してきた彼は、強者の前では余計な好奇心をすべて収めることをすでに学んでいた。
奏は極度の飢餓のせいで胸腔から響く激しい鼓動を必死に抑えつけ、ただ一言だけ告げた。
「俺たちはもう行く。手助けには感謝する。だが、あの魔導具の鍵はもう……」
言い終わらぬうちに、奏の声が明らかにぴたりと止まった。彼の右手は無意識に、自身の左の鎖骨の下あたりに触れていた。その皮膚の下では大動脈が規則正しく脈打っており、かつて高階法師団の銘文防御を無効化する手助けをしてくれたあの奇妙な鍵は、すでに彼の血肉へと完全に融合し、二度と見つけることはできなくなっていた。
それを聞いた老薬師は、長い間奏を観察した。
その濁った眼が、薄暗いオイルランプの下で突如として異様な異彩を放った。それはまるで、破れた黒いショートシャツを透過して、奏の体内の秘密を直接見透かそうとしているかのようだった。ロビーには一分間にも及ぶ絶対的な静寂が流れ、ただノンノンの飢えによる微かな呼吸の上下だけが聞こえていた。
片時が過ぎた後、老薬師は視線を戻し、カウンターの下にあるペンキのはげ落ちた引き出しを引くと、一つの指輪を取り出した。
それは全体が正体の分からない暗灰色の金属で造られた指輪で、スタイルは古拙であり、華麗な宝石の飾りは何一つなく、表面には細かい引っかき傷すら無数にあって、古い死気を漂わせていた。
奏はこの指輪に対して非常に深い印象を抱いていた。
彼の瞳孔が一瞬にして針の穴ほどに縮まり、身体全体が明らかにその場に硬直した。当然覚えている。前のとある周回で、彼はこの代物を見たことがあった――なぜならその指輪こそ、スキルを視認できる指輪だったからだ。
老薬師は奏の表情を見て、口元にきわめて隠微で悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「この指輪に見覚えがあるか? これはスキルを見ることができる魔導具だ。お前の気配は前回よりも力強くなっている。どうだ、試してみては?」
老薬師はその暗灰色の指輪を前へと押し出した。金属が花崗岩のカウンターの上を滑り、耳障りな摩擦音を立てる。
奏は瞬時に強い衝撃を受けた。
彼の額の生え際からは細かな冷や汗がにじみ出、心臓が胸腔の中で激しく痙攣した。気配が前回より力強いのは、おそらく自分が新しい能力を手に入れたからだろう。
しかし、彼はその直後、恐怖に満ちた目でノンノンと老薬師を見た。
彼の爪が手のひらに深く食い込み、氷のような寒気が尾てい骨に沿って一気に弾け飛んだ。
自分が死に戻りのスキルを持っていることを露呈させるわけにはいかない。
それはこの悪意に満ちた異世界における彼の一つの拠り所であり、絶対に触れてはならない禁忌だった。これまでの模索の中で、彼はこの至高の法則をすでに理解していた――もしスキルが露呈すれば、死神が刈り取りにやってくるのだ。あの漆黒の巨大な大鎌、魂まで凍りつくようなあの灰白の世界だけは、絶対に二度と経験したくなかった。
もしこの二人の前で指輪を嵌め、時間を逆行させるという自分のチートスキルを見られてしまえば、死神の罰によって確実に首を撥ねられる。
そこまで考えると、奏は震える声を必死に抑えつけ、一歩前へと踏み出して低い声で要求した。
「すまないが、プライベートな空間を用意してくれ。誰も近づけないでほしい」
彼の墨色の瞳には、どこか最後まで抗い続けるような決決の光が宿っており、老薬師をじっと見据えていた。
老薬師はすぐに異変を感じ取った。
彼はその枯れた手のひらを伸ばし、自分の顎を優しく撫でながら、眼の奥に隠しきれない審視と困惑の光を走らせた。
「なぜだ? 何か秘密でもあるのか?」
「あんたたちの安全のためだ。リスクは冒せない」
奏は果断にうなずいた。
その口調は恐ろしいほどに冷静だった。これは決して脅しではない。あの時間線の上に盤踞する死神は、パラドックスの気配をわずかでも嗅ぎ取れば、周囲のすべてを無情に抹殺する。自分を助けてくれたこの老人とノンノンを、理不尽な死に巻き込むわけにはいかなかった。
少年の乾涸びて清秀でありながらも、狂気と真剣さに満ちた顔を見つめ、老薬師はしばし沈黙した。その後、彼は声もなくため息をつくと、指を伸ばし、薬店の奥にある黒い布カーテンが掛けられた狭い扉の向こうを指し示した。
「中は老夫が普段、廃棄した薬の滓を積み上げている倉庫だ。好きにするがいい」
奏には微塵の躊躇もなかった。彼はカウンターの上の暗灰色の指輪をひったくるように掴むと、翻ってその狭い扉へと歩いて行った。
そのため、ノンノンは困惑した顔で老薬師を見るしかなかった。
龍人族の少女はその白い腕で、贅肉のまったくないへそ出しのお腹をきつく押さえつけており、その黒く太長い龍の尾はセメントの地面の上で少し不安げに縮こまっていた。彼女の明るい縦長のスリット瞳が、老薬師と奏の背中の間を何度も往復しており、明らかに自分の隊長が一体何の狂気に取り憑かれているのかさっぱり理解していない様子だった。
老薬師は一本のパンを取り出し、ノンノンに手渡すと、ノンノンはそれを欣然と受け取った。
厚手の黒い布カーテンをめくり、奏は風の通らないその部屋へと入った。
倉庫の中の空間は非常に狭く、四方には腐った草薬の匂いを放つ麻袋が積み上げられていた。一つだけぽつんと掛けられたオイルランプが石壁を照らし、奏の破れたショートシャツの影を奇妙な形に引き伸ばしている。
誰もいない部屋の中は静まり返り、ただ奏自身の少し急いた荒い息遣いだけが残されていた。
奏は部屋の中央に立ち、薄黄色の灯りを頼りに、手のひらの中の冷たい金属の指輪をじっと見つめた。しかし、彼が五指を開き、指輪を嵌めようとしたその瞬間、彼の動作は突如として不自然に凍りついた。
彼の脳内が一瞬にして真っ白になり、冷や汗が瞬く間に背中の衣類を濡らした。
彼は突然、あの老薬師のすべてを見通す能力を思い出したのだ。
あの老いぼれは王宮の隠密やかすみの動向すら掌を指すように把握できる。彼の身には確実に千里眼のような強力な監視スキルがあるはずだ。この古びた草薬の倉庫が、本当にあの老人の視線を遮断できているのだろうか?
もし老薬師がスキルを使ってこの部屋を覗き見していたら。
それすらも死神の刈り取りを誘発するのではないか?
因果のロジックが脳内で激しく衝突し、奏は自分のこめかみがドクドクと狂ったように脈打つのを感じた。賭けるわけにはいかない。たとえ万分の一の確率であっても、一度死神の大鎌が再び振り下ろされれば、この周回でのすべての努力も、万メートルの高空でのルフィアの応えも、すべてが水泡に帰す。
リスクを排除するため。
奏は猛然と身体を反転させ、黒い布カーテンを乱暴に引き剥がすと、二、三歩で部屋を飛び出し、再びカウンターの前へと戻った。
行ってすぐに引き返し、顔色を突如として真っ青にさせた少年の姿を見て、老薬師とパンを食べていたノンノンは共に呆気にとられた。
奏は説明する余裕もなく、老薬師のその濁った眼をじっと見つめ、ガラガラな声で願い出た。
「頼む、一時的にスキルを切ってくれないか? どんな能力であれ、部屋の中を絶対に覗かないでくれ!」
老薬師はわずかに呆気に取られた。
直後、彼は何かきわめて面白いものでも見つけたかのように、低い笑い声を漏らした。強者特有のからかいが唇から溢れ出、彼はうなずいた。
老薬師は面白そうに指を鳴らした。
パチン。
清脆な指鳴らしの音が死寂の薬店に響いた。
その後、老薬師の双瞳は墨色へと戻った。元々彼の眼の奥深くに隠されていた、あの見え隠れしていた金色の魔法の蛍光がこの瞬間に完全に消え去り、再び常人のような墨黒へと変わった。これは老薬師が周囲の監視をやめたことを意味していた。
「これで、老夫はただの死を待つ古い骨だ。行くが良い」
老薬師は手を振り、奏に入っていいと促した。
それによって安心した奏は部屋へと戻った。
彼は再び背後の黒い布カーテンを下ろし、外界のすべての視線と音を完全に隔絶した。彼は深く息を吸い込み、極度の緊張のせいで加速し続けていた心拍を落ち着かせると、もはや躊躇することなく、その暗灰色の金属の指輪を、きわめて正確に自分の左の食指へと嵌め込んだ。
ウォォォンーーーー!
何の前触れもなく、指輪が皮膚と接触した万分の一秒の間に、密室の暗淡な光線が突如として引き裂かれた!
瞬く間に光が四方に満ちる。
眩い純白の魔法の蛍光が潮水のように指輪の隙間から噴き出し、奏の目を生理的に閉じさせた。それらの光は半空で交錯し、集束し、最終的に奏の眼前に判読し難い数行の書体として無理やり凝集した。
真っ先に現れたのは、最初のスキルだった。
【告げることのできない契約】
その一行の冷徹な文字を見て、奏の口元には酸っぱい苦笑が浮かんだ。やはり、これこそが彼に死に戻りの秘密を明かすことを制限している元凶であり、彼が死に戻りできる元手だったのだ。
しかし、彼が視線を移す間もなく、この一行の文字の下で、光が再び激しい空間共鳴を引き起こした。
なんとその下に、突如として二つ目のスキルが浮かび上がってきたのだ。
光の輪が空気の中で苦しげに噛み合い、回転し、最終的に幽藍色の微光を放ついくつかの真新しい文字を吐き出した。
告げることのできない契約の次に現れたその名は、穿行者であった。
その文字を見た瞬間、奏の呼吸は完全に停止した。
皮膚の下の空間の法則がこの瞬間に完全に沸騰し、大動脈からは声なき咆哮が伝わってきた。その感覚はあまりにも馴染み深く、一瞬にして昨夜の白い王宮で、いかなる結界にも触れることなく防衛線をあっさりとこじ開けたあの奇跡を思い出させた。
やはり。
あの魔導具の鍵はなぜか、奏のスキルとなっていたのだ。
それは消失しておらず、空間転送の中で損壊したわけでもなかった。より覇道で、より徹底的な方法によって、先ほどの死亡と死に戻りの中で、生々しく九世奏の魂の深淵へと融合していたのだ。
今の彼は、いかなる外物にも依存する必要はなく、ただ自身の絶対的な意志さえあれば、物質の阻害を飛び越える空間の割れ目を切り拓くことができる。
奏は冷たい空気を何度も深く吸い込み、内心の激動を無理やり押し込めると、右手に力を込めて素早く指輪を引き抜いた。
満天の光がこの瞬間に寸寸と砕け散り、無形の浮塵となって空気の中に消え去った。
密室には再び先ほどの死寂と薄暗さが戻った。
奏は額の冷や汗を拭い、扉を開けて外へと出た。床に散らばる木材の屑を踏みしめながら再びカウンターの前へと戻り、指輪を老薬師へと返した。
コトッ。暗灰色の金属の指輪が確実に机の上に置かれた。
そして老薬師は単刀直入に尋ねた。
「どうだった?」
墨色に戻った彼の眼にはかすかな好奇心が閃いており、身体を少し前傾させ、奏の持つ能力に非常に興味があるようだった。
奏は力なく首を振った。
彼は自分のショートシャツのみすぼらしい裾を引っ張り、少し自嘲気味でありながらも、どこか狂気を孕んだ口調で言った。
「なぜだか分からないが、あの魔導具の鍵が俺のスキルになっていた。穿行者という名だ」
その言葉を聞いた瞬間、カウンターの後に座る老薬師は突如として破顔した。
彼の皺だらけの顔はこの瞬間に完全に引き締まりを解かれ、低い笑い声が喉から漏れ出た。
「つまり、その魔導具がお前を選んだということだ。通常、魔導具に含まれるスキルは使用されるだけだが、一度認められれば体内に融合し、魂に刻まれるスキルとなる」
老薬師は手を伸ばして指輪を回収し、どこか賛同するようにうなずいた。
「どうやら、お前さんという流浪の冒険者は、命と引き換えに途方もないスキルを手に入れたようだな。運が良い」
奏は理解した。
彼の指が腰に結ばれた黒い鹿革の小銭入れを軽く撫で、指先はその中にある三百個の晶球のずっしりとした重みを感じ取っていた。魔導具の鍵が体内に融合したことは、これからの遠征における彼の生存能力が質的な飛躍を遂げたことを意味している。
彼は自分のチート能力に深く拘泥することはせず、もう一つの重要な事柄を思い出した。
奏は腰から二本の赤ポーションを取り出した。
その二本の微光を放つ回復薬は、彼がこの老薬師から受け取ったものだった。無数の死に戻りの中で、実際にはこの二本の薬水が彼の惨殺される運命を救うことはなかったが、この人情だけは覚えておかねばならない。
奏はそれを老薬師に返しようとした。
「手助けに感謝する。これを返すよ」
彼はポーションをカウンターの上に置いた。
老薬師は手を振ってそれを辞退した。
その枯れた手のひらを半空で非常にいい加減に振り、その二本の薬水に視線すら向、ただ淡々と言った。
「送ったものを返してもらう必要はない。老夫のここには、そんな打撲や切り傷の腐れ水などいくらでもある。持って行くがいい。これからの道、それらが必要になる場面はいくらでもあるだろうて」
それを聞いた奏は、感謝しつつそれを引っ込めた。
彼は二本の赤ポーションを再び肌身離さずベルトへと差し込んだ。冷たいガラスの瓶身が皮膚に触れ、彼の大脳を少しだけ清明にさせた。彼は目の前の無所不知な老人を見つめ、墨色の瞳の中にきわめて隠微な探りを入れて、好奇心から尋ねた。
「あんたも国王のことを知っているのか? 彼が毒を飲んでいないということを」
その言葉が口から出た瞬間、傍らでまだパンを食べていたノンノンが猛然と頭を上げ、その尖った耳がピクンと音を立てて、極度の衝撃のために狂ったように激しく震えだした。
老薬師は笑ってうなずいた。
彼は手元の粗悪な陶器の茶碗を持ち上げ、少し苦渋いお茶を一口すすると、今日の天気を語るかのように従容とした口調で言った。
「当然だ。あの老いぼれとは古い馴染みでな。奴のスキルをもってすれば、毒薬を見抜けないはずがない」
老薬師は一本の指を伸ばし、自分の額を軽く叩いた。
「デルイラ王国の現任の国王、あの男の眼界は、頭の中が王位のことで一杯の大皇子のような愚か者より遥かに高い。慢性毒薬が骨髄に深く染み込んでいる? そんな子供のままごとのような誤魔化しが、奴に通じるわけがなかろう」
奏は突如として自分が弄ばれていたのだと感じた。
彼の顔色は突如として鉄青になり、爪が手のひらに深く食い込み、胸腔の中の抑えきれない怒りと理不尽感が今にも噴き出しそうになった。彼は前のいくつかの周回で、この王宮の泥沼の中で一本の活路を見出すために、鉄の刺に釘付けにされ、生かったまま解剖された凄惨な光景を思い出した。
「なぜルフィアを騙した? 彼女は王女でありながら、この騙し絵のせいで何度も死地に陥ったんだ、そんなの不条理だ!」
奏は声を潜め、清秀な顔に不解と責問の念を滲ませた。
老薬師はそれを見て、顔から笑みを次第に収め、慎重な表情でうなずいた。
草薬屋全体の空気が一瞬にして粘着質で重苦しいものへと変わった。老薬師は奏の墨色の眼をじっと見すえ、低く緩慢な声を出した。
「それは継任する新王を選び出すためだ。この程度の小規模な挫折で容易におれるようでは、新王になる資格ない……」
彼は言葉を切り、茶碗を持つ手首をきわめて平穏に保った。
「お前には理解できんかもしれんが、お前が権力と勢力を手にした時、国王のこの挙動の理由も理解できるだろう。そしてなぜ国王が王女を魔法学院へ送ったのかもな……」
老薬師の言葉には、長者特有の残酷さが宿っていた。王室の血脈は温室の温かい花など決して求めていない。あの無情に見える聖ローラン魔法学院への入学許可証は、保護であると同時に、最も厳苛な試練だったのだ。
奏はそれを聞いて動きを止めた。
彼の焦点の定まらない墨色の瞳には、きわめて複雑な神情が浮かんでいた。彼は破れたショートシャツの裾を引っ張り、老薬師のロジックに沿って、しわがれ声で推測した。
「ルフィアの実力を引き上げるため? ルフィアに将来、脅威に立ち向かう底力を持たせ、それから新王に据えるためなのか?」
老薬師は小さく笑った。
彼は手の中の茶碗を置き、奏とノンノンの肩越しに視線を向け、木扉の向こうの濃霧に覆われた遠い空へと目をやった。
「この王国を出れば分かることだ。王国の外はすべて脅威に満ちている。特に、魔王軍だ」
奏は跳び上がるほど驚いた。
「この世界に魔王がいるのか?!」
彼は少し心を折られて低く叫んだ。デルイラ王国の陰謀だけで自分はすでに無数に死んでいるというのに、今度は勇者の物語の中にしか存在しないはずの究極的反派である魔王まで飛び出してくるというのか?
傍らのノンノンはそれを聞くと、言葉もなく大きな白目を剥いた。
龍人族の少女はその黒く太長い尾を地面にきわめて無力にパタパタと叩きつけ、力ない砂音を立てた。彼女はその明るい縦長の瞳で少し見下すように奏を睨みつけ、へそを曲げたように不機嫌そうに呟いた。
「隊長、魔王の存在なんて常識じゃない……。あんた、まさかどこかの開化してない原始部族から飛び出してきたわけ?」
老薬師は二人のじゃれ合いを無視して、言葉を続けた。
彼の枯れた指先がカウンターの上で緩慢に一本の長い横線を引き、その声には人をぞっとさせるような平静さが含まれていた。
「魔王の配下の者たち、すなわち魔将は、それぞれの実力が王国の将軍に比肩する」
ヒッーーーー
奏は思わず冷たい空気を一口吸い込み、瞬時に冷や汗が流れた。
あのうづき・かすみに比肩するだと?
あの一騎当千であり、白い王宮の大門の前でただ黒袍状態に切り替えるだけで、その威圧の波紋によって一万以上の精鋭法師団をぴたりと釘付けにした黒袍の怪物……それが魔王軍においては、単なる一人の魔将の戦力基準だというのか?!
しかも、それが一人だけではない?
ならば魔王軍の全体の能力は一体どれほど恐ろしいものなのだ?
恐怖が潮水のように奏を完全に呑み込んだ。彼は俯き、自分のこの魔力すらなく、スキル欄には告げることのできない契約がぶら下がっているだけの、かよわい肉体を見つめた。これからの四年の遠征、途中で三つの魔獣平原と二つの禁忌の海を通り抜ける中で、彼は一体それらの魔将や怪物の爪牙の下で何回死ねば、最も北にある中央聖域へと辿り着けるのだろうか。
しかし、彼は前進し続けなければならなかった。
脳裏には、長公主が万メートルの高空で、砕け散る氷屑を踏みしめながら自分ときつく抱き合っていた時の温度がまだ消えずに残っていた。あの壊れそうでありながらも決絶とした離れたくないという声が、彼の胸腔の中で唯一狂ったように燃え盛る炎となっていた。
魔法学院へ行くため、ルフィアを取り戻すため。
奏は激しく頭を振り、脳内の魔王軍に対する恐怖をすべて無理やり叩き出した。彼の清秀で少し乾涸びた顔つきの上に、視線は再び容赦のない決絶なものへと戻った。彼は腰の黒い鹿革の小銭入れをきつく結び直し、一歩前へと進み出て、毅然として告別した。
「俺たちの出発の時間だ。さようなら」
老薬師は語らなかった。
彼はただ静かに目の前の少年を見つめ、その墨色の眼にはきわめて複雑な哀愁が閃いていた。片時が過ぎた後、彼は手を伸ばしてカウンターの最も奥にある暗格から、黙って一つの魔導具のウエストポーチを差し出した。
それは全体が暗青色の皮革で縫製された皮包で、手のひらほどの大きさであり、縁は粗い麻糸で固く結ばれており、きわめて目立たず、腰に下げていれば普通の収納袋のようにしか見えないものだった。
「この腰包の容量は浅くない。薬水を腰にぶら下げているよりは安全だ。記念の品として持っていけ」
老薬師は親の手で腰包を奏の手へと投げ与えた。
奏は感謝しつつそれを受け取った。
ずっしりとした皮包が手に入った瞬間、彼は微かにその中の空間の法則の波動を察知した。このような空間容量の小さくない魔導具は、市場では絶対に高価だ。これがあれば、あの三百個の晶球と道中で必要な補給を誰にも知られずに隠すことができ、大っぴらに腰にぶら下げているよりも遥かに安全だった。
奏は皮包を結びつけ、ノンノンの衣類の角を引っ張ると、翻ってその少し古びた木扉へと歩き出した。
そして離れる間際。
老薬師の視線は二人の若者の背中の上をなぞるように通り過ぎ、最後にきわめて正確に、後ろを歩くノンノンの上に落ちた。彼は一本の枯れた指を伸ばし、軽くクイクイと曲げた。
ノンノンは老薬師にひそかに呼び止められ、少し困惑して足を止め、その尖った耳が好奇心のためにピクンと音を立てて直立した。彼女は身体を回し、少しあどけない様子で耳をカウンターの前へと寄せた。
老薬師は首を傾け、唯有彼ら二人だけが聞き取れるきわめて低い声で、一言一言に釘を刺した。
「小娘、警戒を怠るなよ。お前さんのその隊長は、ただの人間ではない」
言い終えると、ノンノンが困惑するのを待たず、老薬師はすでに身を引いていた。彼の枯れた手のひらが猛然と一振りされると、無形の風圧が直接二人を店門の外へと押し出した。
バタン!
重々しい木扉が二人の背後で激しく閉まり、鈍い衝突音が青石畳の上のわずかな積雪と浮塵を震わせ落とした。
狭く辺鄙な路地には、濃霧が依然として散っていなかった。
しかし目の前では、奏がノンノンを待っていた。
奏はその破れた黒いへそ出しのショートシャツを纏い、両手をタイトなポケットに突っ込んで、少し脱力した様子で冷たい石壁にもたれかかっていた。早朝の微かな光が彼の清秀な顔に降り注ぎ、墨色の瞳には最後まで抗い続ける決絶と平静さが満ち満ちている。
自分の隊長のあの見慣れた、どこか孱弱な背中を見つめながら、ノンノンは先ほどの老薬師のあの訳の分からない警告を思い出し、少し不安げに自分のあの凹んだへそ出しのお腹をさすった。
ただの人じゃない?
この、いつでも破産しそうな貧相な隊長に、一体どんな秘密があるっていうの?
「ふん、出鱈目ばっかり!」
ノンノンは深く考えず、前進を続けた。
彼女は少し湿った泥を踏みしめ、あの黒く太長い龍の尾を半空で猛然と振り回してきわめて歓快な弧を描くと、小走りで前方の奏を追いかけていった。




