第一章22 『人造魔導具』
王室寝区へと続く走廊は、奏の想像以上に長かった。
厚手の暗紅色の絨毯が足音を完全に掻き消し、両側の壁には歴代の王室メンバーの巨大な油絵がずらりと掛けられている。絵の中の人々の目は、薄暗い壁灯の下で、その間を通り抜ける二つの小さな影をじっと見つめているかのようだった。
「こっち、早く!」
ノンノンは声を潜め、尾の先端を極めて鋭敏に震わせると、奏の手首を掴んで、凹んだ廊柱の陰へと猛然に引きずり込んだ。
ほぼ同時に、前方の角から足音が聞こえてきた――従者らしき男が二人、トレイを手にゆっくりと歩いてくる。歩きながら何かを低い声で交わしており、その語気にはどこか警戒と慎重さが混じっていた。
奏は息を完全に止め、背中を冷たい石柱にぴったりと貼り付けたが、目はどうしてもその二人の姿を追ってしまう。
「……聞いたか? 御書房の方、昨夜また人が入れ替わったらしいぞ」
「しっ、声を落とせ。俺たちが口にしていい話じゃない」
足音は次第に遠ざかり、長廊の突き当たりの角へと消えていった。
奏はそこでようやく、胸腔に溜まっていた濁気を極めて静かに吐き出した。
「ここ、耳目が多すぎる……」
彼が低く呟くと、額から滲み出た冷や汗が頬を伝って流れ落ち、あの黒い露臍の短衫に小さな深色の染みを作った。
ノンノンは首を傾げ、尖った耳を警戒深げに動かしながら、縦瞳の目を陰影の隙間から走らせて、素早く周囲を掃射した。
「王宮の中はどこもかしこも眼線だらけ……気をつけなきゃ……」
彼女の言葉が終わらぬうちに、走廊の突き当たりから別の足音が響いてきた。今度はさらに重く、密集している。巡邏の衛兵だ。
奏の心臓が猛然と沈み込んだ。
しかし、この走廊はあまりにも開けており、両側には身を隠せるような死角が一つも見当たらない。もしあの衛兵の隊に見つかれば、何の遮蔽もない現在の状況では、絶対に逃げ切ることはできない。
彼が絶望に駆られて奥歯を噛み締めかけたその時、視界の余光が側壁にある極めて目立たない木門を捉えた。
その門は二枚の巨大な油絵の隙間に隠れるように存在しており、門板には薄く埃が積もっている。長い間、誰も開けていないようだった。
「こうなったら、これしかない!」
奏は躊躇することなく、ノンノンの手首を掴んで引きずるように駆け出した。手のひらの中では、幽光を放つ黄銅の鍵がすでにきつく握り締められている。
――おん
鍵を門の隙間に突き挿した瞬間、あの馴染み深い、灼痛を伴う空間の漣漪が指先から広がっていった。奏は歯を食いしばりながらノンノンを中へと押し込み、自身も転がり込むようにして門内へと滑り込み、すぐさま入口を閉ざした。
沈悶たる足音が響く。走廊を進む衛兵たちの足音だ。それは門の外をかすめるようにして通り過ぎ、次第に遠ざかっていった。
二人はここでようやく、大きく息を整えることができた。
奏は門板に背を預けたまま、ずるずると座り込んで激しく呼吸を繰り返した。胸腔が大きく上下する。連日積み重なってきた疲弊が、今この瞬間に彼を完全に押し潰そうとしていた。
「危なかった……紙一重で、見つかるところだった……」
彼はうわ言のように呟き、手の甲で顔の冷や汗を乱雑に拭った。しかし、彼が再び顔を上げ、周囲の環境を見回した時、その墨色の瞳が唐突に凍りついた。
ここは、ただの貯蔵庫などではなかった。
目の前は暗黒ではない。それどころか、下方へと延びる石階の通路が、彼らの前に静かに横たわっていた。両側の壁には数メートルおきに燃え盛る松明が掲げられており、オレンジ色の火光が石壁を斑に揺らめかせている。だが、その通路の深奥はどこまでも深く、底が見えない。まるで、ある種の幽暗で未知なる腹地へと通じているかのようだった。
「ここは……」
奏の声には、自覚できないほどの微かな震えが混じっていた。
ノンノンが彼の脇から頭を覗かせ、尖った耳を警戒深げに直立させた。その縦瞳が火光の中で素早く細められ、次の瞬間、何かを思い出したようにポンと手を叩いた。
「王宮の下層?」
彼女は声を潜めたが、その語気には納得の響きがあった。
「アタシたちが閉じ込められてた場所に違いないよ! あの牢屋の位置、確かこんな風に地下へ下りていく感じだったもん!」
その言葉を聞いた奏も、猛然と突き動かされた。
脳裏にあの白髪の水母編みの姿が閃く――あの牢獄の外で、ルフィアは冷淡で決絶な態度を崩さぬまま鉄格子の向こうに立ち、なぜ自分の名前を呼び捨てにするのかと彼を詰問した。
彼女はどこからやってきたのか。
奏は当時深く考えておらず、王宮の奥にあるありふれた通路の一つだと思い込んでいた。だが今にして思えば、あの走廊の幽深さと陰湿さは、目の前にある下方へと延びる石階の通路と驚くほど酷似している。
「まさか……ルフィアが当時俺たちに会いに来た時も、この道を通ったのか?」
奏は呟いた。先ほどまで追跡を逃れるために残っていた緊張感が、今は静かに、より深い疑惑へと取って代わられていた。
もし本当にそうなら、この通路は、かつて彼とノンノンを完全に囚えていたあの陰暗で潮湿な地牢へと通じているのかもしれない。そしてルフィアも今、この地下のどこかの角に軟禁されているのだろうか。
「どうする? 戻る?」
ノンノンは底の見えない石階を見つめ、背後の尾を不安げに左右に何度か揺らした。
奏は背後の厚い木門を振り返った――門の外、走廊からは依然として足音と低語が断続的に響いている。眼線と巡邏隊が満ち溢れるあの開けた地帯は、今の彼らにとって、この幽暗な通路よりも遥かに危険極まりない場所だった。
「退路はない」
奏は深呼吸をした。その墨色の瞳には火光が映り込み、まるで破釜沈船の決意のような確固たる光が灯っていた。
「下りよう。何か手がかりが見つかるかもしれない。あるいは……ルフィアが見つかるかも」
ノンノンは頷き、それ以上は何も言わず、率先して足を染めて奏の前を歩き始めた。あの太く長い黒い尾が彼女の後ろで静かに揺れ、この死寂たる通路に微かな生気を添えていた。
石階は極めて険阻であり、二人は湿って滑りやすい壁に身を寄せながらゆっくりと下っていった。足元のアオシストの台階は長年の足踏みによってすでに滑らかに磨き上げられており、少しでも油断すれば滑落する危険がある。
空気中には潮湿で陰冷な気配が充満しており、そこへ奏がこれまでに嗅いだことのない、やや甘ったるい奇妙な臭いが混じり合っていた。下へ進むほどにその臭いは濃厚になり、吐き気を催すほどだった。
「この匂い……」
ノンノンは鼻を押さえ、尖った耳を不安げに垂れ下げた。その語気には、珍しく凝重な色が混じっていた。
「おかしいよ。なんだか……ある種の薬剤に、別の何かが混ざってるみたいな……」
奏は何も答えず、ただ奥歯をきつく噛み締め、ノンノンの足取りに続いて一歩一歩、あの幽暗な深奥へと足を進めた。
松明の間隔は次第に疎らになり、光線もさらに薄暗くなっていった。二人の影が壁に長く、歪に引き延ばされ、まるで暗黒に完全に呑み込まれようとしている二つの幽魂のようだった。
ついに、どれほどの台階を下りたか分からなくなった頃、足元の路面がようやく平坦になった――彼らは、この通路の最底部へと到達したのだ。
しかしその瞬間、突如として、息が詰まるほどの激しい激痛が、何の前触れもなく奏の後頭部から猛然と弾け飛んだ。
「うっ……!」
その痛みは、これまでの死神の鎌によるものとは異なっていた。斬り断たれるのではなく、むしろ極めて細い針の先で、首の奥深くにある要害を容赦なく突き刺されたかのようだった。
奏の視界はその瞬間に激しく揺らぎ、四肢の力が潮水のように急速に引いていった。彼はノンノンの状況を振り返って確認することすらできず、視界はすでに、濃厚で底知れない暗黒の中へと完全に沈み込んでいた。
最後に残された意識のなかで、彼はノンノンの、恐慌を孕んだ、次第に遠ざかっていく叫び声を微かに聞いた気がした――
「奏……お前……なんで……」
その後は、何の音もしなくなった。
……
「ん……?」
奏が再び双眸を開いた時、最初に感じたのは、骨の髄まで染み渡るような冷たさだった。
彼は全身赤裸であり、四肢は冷たい金属の枷によって、同じく冷たく、鉄錆と消毒薬水の臭いを放つ金属の台架へと厳重に固定されていた。両手両足がきつく拘束されており、指一本動かすことすら叶わない。
「目が覚めたかね?」
どこか病的な興奮を孕んだ沙啞な声が、突如として彼の耳元で響いた。
奏が猛然と首を巡らせると、視界に入ったのは、身体を折り曲げ、暗褐色の汚跡がべったりと付着した白い長袍を纏った一人の男だった。その顔には極めて歪な、狂気と言ってもいい笑みが浮かんでおり、眼底には無数の血糸がびっしりと張り巡らされている。
「私は王国の御用薬師だ、ハハ……おっと、暴れるな、驚く必要もない。君の身体を使って、ほんの少し実験をさせてもらっただけだよ、ハハ……」
その男はそう言いながら、不透明な液体が付着した一本の枯瘦した指で、奏の胸のあたりを優しく弄んだ。その語気には、どこか虔誠でありながら、毛骨を悚然とさせるような執迷が宿っている。
奏の身体が激しく震え出した。行動能力を完全に剥奪されたその恐怖が、彼の呼吸を一瞬にして乱れさせた。
「ノンノンはどこだ!」
彼は声を振り絞って怒鳴りつけた。声は極度の驚恐と憤怒のせいで沙啞に砕けていた。
「彼女をどうした!」
あの狂った薬師はその言葉を聞いても、顔の笑みを収めるどころか、むしろ一層爛漫と輝かせた。彼は身体を側方へずらすと、あの汚跡に塗れた指で、傍らの角をゆっくりと指し示した。
奏はその指の先を見やった。視界に入ったのは、棚の上に静かに置かれている、奇妙な造形をした一足の皮靴だけだった。
彼は一瞬、その指し示された意味を理解することができなかった。
「これは……」
「彼女のスキルは非常に優れていた。だから私は彼女を……」
薬師の声が一段と高くなり、心の底からの、誇らしげな興奮が混じり始めた。
「この一足の魔導具……すなわち靴へと仕立て上げたのだよ、ハハ……! 大成功だ! 私が最も成就感を抱いている人造魔導具だ!」
その言葉は、まるで驚雷のように、奏の脳頂へと容赦なく叩きつけられた。
彼の瞳孔はその瞬間に針の先ほどまで急速に収縮し、全身の血液が刹那の間に完全に凝固したかのようだった。
いつもにっかりと笑い、ただお腹いっぱいのご飯のために命を賭けることを受け入れてくれたあの竜人族の少女。かつて自分を背負って壁を駆け巡り、その体温で心の中の寒さを追い払ってくれたあの仲間が――今、あの角で、何の生気もなく、冷たい皮靴へと成り果てて静かに置かれている。
「お前というやつは……」
奏の声は形をなさぬほどに震え、眼窩には一瞬にして滾る涙と抑えきれない怒意が蓄積された。
「お前というやつは! お前というやつは! 人間の心がないのか! ノンノンはまだただの少女だぞ、お前は――」
「自分の胸を見てごらん?」
薬師は奏の怒号など意に介さず、ただ笑みを浮かべたまま彼の言葉を遮った。その語気には、待ちきれないような、期待に満ちた興奮があった。
「君のスキルは私には見えないが、君の実験は成功しそうだよ……」
奏の身体が強張った。半ば生理的な恐怖を抱きながら、彼はゆっくりと視線を下ろした。
彼の胸の、ちょうど中央の位置に、今や極めて突兀とした、縁が不気味な微光を放つ『鍵穴』がはっきりと出現していた。その鍵穴は暴力的に穿たれたものであり、内部には血肉が曖昧になった凄惨な有様が見て取れる。彼の激しい呼吸に合わせて、それは微かに上下し、震えていた。
「何なんだこれは! 助けてくれ! 誰か助けて! なぜこんなことをするんだ! なぜ! まさか……」
奏の脳内は真っ白になり、骨の髄まで染み渡る冷たさが脊椎の深奥から狂おしく這い上がってきた。
薬師はゆっくりと、極めて虔誠な様子で、懐から見覚えのある、あの繁複な黄銅の鍵を取り出した――それこそが、あの老薬師から贈られた、空間を穿つことのできる魔導具だった。
奏の瞳孔が突如として拡大した。
いつの間に……あの鍵が、いつの間にこの狂人の手に渡っていたというのか。
「開くかな?」
薬師は笑みを浮かべて問いかけた。鍵が彼の枯瘦した手の中でゆっくりと奏の胸へと近づき、オレンジ色の火光があの不気味な鍵穴の縁に幽暗な光の輪を反射させた。
「ハハ……君には、何か遺言はあるかね……」
「やめろ……」
奏は必死に身悶えし、四肢を冷たい枷の中で狂ったように捻った。皮肉と金属が摩擦し、心に突き刺さるような激痛が何度も走る。
「やめろ……やめろ! やめろ! 止めろ!」
彼は声を限り、力を振り絞って叫んだ。骨髄に深く刻まれた求生の本能が、彼に残された全能力を傾けて抗わせた。しかし、その肉体はすでに、この冷たい金属の台架の上に強固に釘付けにされており、逃れる余地など半分も残されていなかった。
奏が次の言葉を叫び出すよりも早く――
その鍵は、彼のあの血肉が曖昧になった鍵穴の中へと、真っ直ぐに突き挿された。
――カチャリ
微かだが極めて鮮明な回転音と共に、奏の全世界は、その瞬間に完全に引き裂かれた。
「あああああああああ――!!」
空間が彼の胸腔の中央から猛然と弾け飛び、血肉と骨格があの歪んだ裂け目の中で翻弄され、崩壊していった。鮮血は名も知らぬ臓器と混ざり合い、狂暴に周囲の冷たい石壁へと噴き散らされた。
「痛い痛い死ぬ死ぬ――!!」
奏は最後の悲鳴をあげる時間すら与えられず、すでに無惨に破壊されたその肉体は、あの濃厚な血溜まりの中で、完全にすべての生気を失った。
薬師はその惨状の中に立ち、バラバラになった少年の死体を見つめていた。その顔には恐慌の色など微塵もなく、むしろどこか失望を孕んだ、物足りなさそうな笑みが浮かんでいた。
「ハハハ……失敗だね……」
その笑い声は、血臭と消毒薬水の臭いが充満するこの密室の中で、長い間響き渡り、消えることはなかった。
奏は、死んだ。




