第一章15『檻の中の誓い』
牢の中は相変わらず湿っぽく、淀んだ空気が漂っていた。カビの臭いが石壁の奥から滲み出る水気と混ざり合い、奏の肌にねっとりと纏わりついている。彼は目の前の少女を呆然と見つめていた――乱れた短い髪の間に隠れた、小さな黒い竜の角が、彼女が話すたびにかすかに揺れている。
奏の視線は、無意識のうちに、彼女の不安げに揺れる、細かな鱗に覆われた尻尾へと移っていた。
少女はその視線に気づいたのか、ビクッと身を震わせ、両腕を瞬時に交差させて胸元を固く守り、体ごと後ろへと縮こまらせた。
「あんた……」
その声には、突如として警戒心を露わにした、隠しきれない用心深さが滲んでいた。先ほどまでのいたずらっぽい笑みを浮かべていた瞳が、今は審査するように細められている。
「やっぱりあたしに、よからぬこと企んでるんでしょ!?」
この言葉はあまりにも唐突で、奏は突然の指摘に固まり、慌てて手を振りながら後ずさった。背中が冷たい石壁にぶつかり、鈍い音を立てた。
「ち、違う!ただ、ただ考え事をしてただけで!」
「考え事?」
少女は首を傾げ、その目に宿る疑念は少しも薄れることなく、むしろからかうような、しつこい探るような色を帯びていた。
「考え事してる時に、人の尻尾をじっと見るわけ?」
奏の頬は一瞬で真っ赤に染まり、口を開きかけたものの、自分の潔白を証明する言葉など何一つ見つからなかった。
少女は彼のそんな狼狽した様子を見て、それ以上追及することはせず、ふんと鼻を鳴らすと、再び両足を組んで座り直した。尻尾も、ようやく警戒に巻かれた状態からゆっくりとほどけていった。
「それはそうと、お兄さん」
彼女は急に口調を変え、その瞳には先ほどと同じ、隠しようのない興味と好奇心が再び燃え上がっていた。
「あたし、あんたの大演説、ちゃんと見てたんだから。すごい騒ぎだったよ。みんな足を止めて、あんたが王女様の名前を堂々と呼んでるのを見てたわ……あんたのせいで、パンを何個か盗めるチャンスだったのに、すぐ見つかっちゃったじゃない!もう、最悪……」
そう言いながら、彼女はもどかしげに乱れた短髪をかきむしった。その口調には、こんな罪を犯したにもかかわらず、罪悪感のかけらもない、当然のような、恥じらいすらない図々しさが滲んでいた。
奏はこの言葉を聞きながら、しばし沈黙した。先ほどまで心に纏わりついていたルフィアへの焦燥感と、この突拍子もない、ほとんど荒唐無稽とも言える非難が入り混じり、どう答えればいいのか分からず、ただ無言で視線をそらすしかなかった。
「確かにさっきは頭を使わずに、王女の名前を呼んでしまった……あんな遠い距離じゃ、まず聞こえるはずもないのに……」
彼は呟くように言った。先ほど広場で、自分をほとんど飲み込みそうになったあの狂気じみた衝動を思い返すと、今となっては自分でも馬鹿げているとしか思えない代物だった。
それを聞いた少女は、たちまち目を輝かせ、体を前のめりにした。先ほどまでのけだるげな笑みを浮かべていた顔が、今や興奮で異様な紅潮を帯びている。
「何々?それってすごく興味をそそる台詞じゃない!あんた、王女様と何か人に言えない関係でもあるわけ!?」
その口調には、隠しようもない、ゴシップを嗅ぎつけたような熱が滲んでいた。その瞳は、奏の顔を貫かんばかりの勢いだった。
奏はその突然の、あまりにも熱心な姿勢に驚いて少し仰け反りながら、しばし考え込み、やがてゆっくりと首を振った。
「縁というほどのものじゃない、むしろ……」
彼の脳裏には、ルフィアにまつわる数々の場面が次々とよぎった――あの白髪の少女が初めて助けを求めてきた時、瞳に滲んだ涙の輝き。あの氷の長剣が、薄暗いランプの灯りの下で放っていた、淡い青の光。端正な顔立ちに、父王のことを深く案じる苦しげな表情を浮かべたあの顔――。
「むしろ、冒険団の仲間……彼女が突然冒険団から去ってしまったから、直接会って訊かなきゃいけなかったんだ……」
それを聞いた少女は、たちまち何の隠しもない、死んだ魚のような目つきになった。
「王女が冒険団に入ってたっていうのも十分驚きだけど、あんたたちの関係、思ったより普通すぎない?」
その口調には、濃厚な失望が滲んでいた。先ほどまで溢れんばかりだったゴシップへの興味は、目に見えて急速に冷めていった。
奏はそれを聞いても、すぐには反論せず、ただ静かに冷たい石床に座り込み、視線を、わずかな光が差し込む小さな窓へと、ぼんやりと向けた。
牢の外からは、かすかに鳥の鳴き声が聞こえ、この静寂を切り裂いた。
彼はしばらく沈黙したまま動かなかった。少女がこの話題はもう終わったのだろうと思い、退屈そうに振り返って、牢の隅に蹲っている蜘蛛でも観察しようとしたその時――。
「実際は、彼女を守らなきゃいけないんだ……」
奏が突然口を開いた。その声は軽かったが、ほとんど重々しい、揺るぎない確信を帯びていた。
少女はそれを聞いて、ハッと振り向き、再び呆気にとられた。
「あんた、騎士?勇者?まさかね?」
彼女は眉をひそめ、その目で、奏の身につけている奇妙な柄だらけの、しわくちゃのTシャツを、上から下までじっくりと見直した。
「あんた、彼女の家族?なんで守らなきゃいけないわけ?王女様よ?実力だって、あんたよりどれだけ何層も上か分かんないでしょ」
この一連の問いかけは、矢継ぎ早にやってきた。奏はその追及の視線に、思わず眉をひそめた。
彼は俯き、自分の青白い、何も持たない両手を見つめた――彼は騎士ではない、誰かを守れるような力など欠片も持っていない。彼は勇者でもない、あの運命によって与えられた、神秘的な技能すら、今では彼自身を縛りつける、忌まわしい枷と化してしまった。彼はルフィアの家族でもない、二人が出会ってからまだ、たった二日も経っていないのだから。
それでも、彼は彼女を守らなければならなかった。
その理由は、なんとも荒唐無稽で、それでいて、なんとも重かった。
「君には説明できない、それは人に言えない秘密なんだ」
奏は首を振った。その声には、自分自身ですら気づかなかった、深い疲労が滲んでいた。
「君にこうやって話しただけでも、罰せられるんじゃないかと思うくらいだ」
彼の脳裏には、あの漆黒のローブの下で、固く閉じられた瞳の輪郭が、ふと過ぎった。あの幻の痛みが、また音もなく、彼の首筋から広がっていった。
それを聞いた少女の顔は、たちまち完全に固まった。先ほどまで生き生きとしていた目が、大きく見開かれ、今にも眼窩から飛び出さんばかりだった。
「罰せられる?王女様を守る?あたし、あんた、あんたまさか王女様のペットなの!?」
この一言は、ほとんどこの狭く閉ざされた牢の中に、響き渡るような反響を呼び起こした。
「ペットはこっちの台詞だ!」
奏はほとんど瞬時に逆上し、立ち上がった。先ほどまで心に纏わりついていた深い疲労と憂いが、この荒唐無稽な指摘によって、一気に弾け飛んだ。
「俺は彼女と同じ冒険団の団長だ!」
彼はほとんど反射的に、自分でも深く考え大ことのなかった、強がりにも近い宣言を叫んでいた――彼とルフィアの冒険団は、最初から最後まで、彼と彼女、二人だけだったというのに、どこに「団長」などという立場があるというのか。
しかし少女はそんなことなどお構いなしに、頬杖をつきながら、ただひたすらに、くすくすと笑い続けた。その尻尾は、隠しようもない、からかうような得意げな様子で、左右に揺れていた。
「なーんだ、ペットだったのね、失礼失礼、ふふっ……」
奏はその戯けた態度に、一瞬言葉を失うほど苛立ったが、再び反論しようと口を開きかけた――。
「カチャ――」
牢の奥から、鈍く長い、金属と石が擦れ合うような音が、突然響いた。
足音が、警戒を孕んだ密やかな息遣いと共に、廊下の奥から、ゆっくりと近づいてきた。
奏の心臓が、一瞬、跳ねた。
彼は弾かれたように振り返り、その音の方角へと、足早に視線を向けた――。
牢の鉄格子の外、見慣れた、白髪のクラゲのような三つ編みを揺らす人影が、薄暗い影の中に、静かに佇んでいた。あの澄んだ瑠璃のような瞳が、今、彼が今まで見たこともないような、冷淡とも言える距離感を湛えて、彼を見つめていた。
ルフィアだった。
奏の呼吸が、一瞬、止まった。彼は無意識に一歩前へと踏み出し、体ごとあの冷たい鉄格子に貼り付くようにして近づいた。连日積もり積もった、彼女への焦燥と想いが、その瞬間に、堰を切って溢れ出しそうだった。
しかしルフィアの、本来なら親しみと温もりを湛えているはずの顔は、今はただ、冷ややかに眉をひそめているだけだった。その瞳には、隠しようもない、嫌悪にも似た色が浮かんでいた。
「あなたですね?先ほど私の名を勝手に呼んだのは」
その問いかけは、冷たく硬く、彼の記憶にある、あの一言の約束に星のような輝きを宿していた、優しい少女の面影とは、まるで別人のようだった。
奏は呆然と彼女を見つめた。先ほどまで燃え上がっていた切望が、この突然の冷たさによって、一気に氷水を浴びせられたかのように冷え切っていった。
それでも、奏は引き下がろうとはしなかった。いや、引き下がれなかった。
「ルフィア、君は昨夜どうして突然いなくなったんだ、その傷は――」
彼はほとんど焦りに駆られるように、鉄格子に向かって、さらに身を乗り出した。両手が、冷たい格子を固く握りしめていた。
「黙りなさい」
ルフィアは唐突に声を上げ、彼の言葉を遮った。その声は、平静を通り越して、ほとんど冷酷とも言えるほどで、彼の記憶にある、あの温もりと信頼に満ちた口調とは、まるで違っていた。
「私とあなたには、それほどの繋がりなどありません。これ以上付きまとわないでください。明日にはあなたも釈放されるでしょう。せいぜい、その二度目の人生を大切になさい」
そう言い終えると、彼女はもう一度も奏を見ることなく、振り返り、廊下の奥の薄暗い方角へと、まっすぐに歩き去っていった。あの特徴的な、長いクラゲのような三つ編みが、彼女の足取りに合わせて、軽く揺れていた。一歩一歩が、実に、決然としていた。
「ルフィア!」
奏はほとんど我を忘れたように、遠ざかっていく彼女の背中に向かって、声を振り絞った。
「約束したじゃないか……俺の冒険団に入るって!」
その叫びは、ほとんど凄惨とも言える、抑えきれない震えを帯びて、薄暗い牢獄の廊下に、こだまのように響き渡った。
ルフィアの足が、その瞬間、ぴたりと止まった。
彼女の背中は、揺らめく黄色い灯りの下で、立ち止まったまま固まっていた。あの二つのクラゲのような三つ編みも、その突然の停止に合わせて、わずかに揺れた。
しかし、その立ち止まりは、ほんの一瞬のことだった。
彼女は結局、振り返ることなく、むしろさらに急いだ足取りで、深い影の中へと、完全に姿を消していった。
足音が、徐々に遠ざかり、やがて静寂に帰した。
牢の中には、ただ奏だけが残された。冷たい鉄格子を握りしめたままの、わずかに震える両手と、その空虚で、息が詰まるような沈黙だけが、そこにあった。
「お気の毒に。あんたペットじゃなかったのに、捨てられちゃったわけね……何、ワンナイトラブ?」
あの竜人の少女が、ようやく口を開いた。その口調には、わざと作ったような、からかい混じりの軽さが滲んでいた。この急に降りてきた、あまりにも重苦しい空気を、それで紛らわそうとしているかのようだった。
しかし奏は、彼女のその意図的な冗談に、まるで反応しなかった。
彼はただ、ルフィアが消えていったその方角を、ぼんやりと見つめ続けていた。その瞳には、砕け散りそうな、茫然と喪失感が満ちていた。
「どうして……どうして急にあんなに冷たく……」
その声は軽く、今にもこの湿った空気に飲み込まれそうなほど、か細かった。
「俺がずっとやってきたことは、一体何だったんだ……」
彼はあの夜、首当てがなければ刃を肌に受けていたかもしれないこと、足が崩れ落ちそうなほど必死に走り続けたこと、数々の死のループ、そしてあの茶色い小瓶――今頃、あの宿の冷たい長椅子の上に、忘れ去られたまま置かれているであろうそれを、思い出していた。
彼が成したこと、捧げたこと、耐え忍んだこと、その全てが、結局のところ、一言の説明すら、得られなかったのだ。
その少女は、奏のこの、いささかも作り物ではない深い落胆を見て、続けようとしていたからかいの言葉を、結局、喉の奥に飲み込んだ。
彼女はしばし沈黙し、先ほどまでのいたずらっぽい瞳に、珍しく、真剣な思索の色を滲ませた。
「何て慰めればいいか分かんないけど」
彼女はゆっくりと口を開いた。その口調には、先ほどまでの軽薄さが薄れ、珍しく、真摯な響きがあった。
「でもさっき王女様が立ち去る時、一瞬止まったでしょ。あれって明らかに、あんたとの約束を気にしてるってことよ。もしかしたら、何か事情があるんじゃない?」
この言葉は、まるで微かながらも確かな光のように、奏の、絶望にほとんど飲み込まれかけていた心に、差し込んできた。
彼はハッとし、脳裏には、あの薬屋の老人がかつて口にした、まるで予言のような言葉が、再び響いた――。
王女は、お前を巻き込みたくないのだ。お前のその身は、あまりに脆い。 そして王女を狙う者は、あまりに権勢を持つ者だ――だからこそ王女は、お前を傷つけたくないのだ。
「俺が弱すぎるから、ルフィアは俺を巻き込みたくない……そういうことなのか……」
奏は呟いた。先ほどまで完全に崩壊しかけていた絶望が、ゆっくりと、より複雑な苦みへと、沈殿していった。
それを聞いた少女は、慌てて力強く頷いた。その尻尾も、彼女の動きに合わせて、せわしなく左右に揺れた。
「そうそう、たぶんそんな感じよ!」
その口調は、再び先ほどのような、軽快で気ままな笑みを帯びていた。
「とにかく、出所したら、ちゃんと冒険者になりなさいよ。王女様のことなんて気にしないで、そうすれば自由になれるじゃない!誰かのために――」
「放っておけない」
奏が突然口を挟み、彼女の続く言葉を遮った。先ほどまで落胆と茫然に満ちていたその瞳に、今、ほとんど絶望的なまでの、固い決意の色が宿った。
少女はその突然の遮りに驚き、その瞳に困惑の色を浮かべた。
奏の肩が、かすかに震え始めた。先ほど崖の縁で、彼をほとんど込みかけさせたあの、死に物狂いの生存への渇望と、今この、断ち切ることのできない絆とが、彼の胸の奥で、激しくせめぎ合い、ぶつかり合っていた。
「君は俺のことを、余計なお世話を焼く奴だと思うかもしれない……」
その声は、次第に、砕け散るような震えを帯びていった。あの熱い、今にも再び溢れ出しそうな涙の気配が、また音もなく、彼の瞳の奥から滲み出てきた。
「でもどうしようもないんだ……俺には、本当に、見て見ぬふりなんてできない……っ」
彼は思い出していた、あの冒険者ギルドの前で、全身血まみれで、息絶えて倒れていたルフィアの姿を。彼は思い出していた、あの黒い大鎌が、一度として容赦なく振り下ろされるたびに感じた、冷たく絶対的な、死の余韻を。彼は思い出していた、自分の中から生まれた、無実の少女を救いたいという、あの心からの想いが、いかにして、自分自身を完全に縛りつける、逃れようのない枷へと、姿を変えてしまったのかを。
それでも、たとえこの一切が、どれほど残酷で、どれほど荒唐無稽なものであったとしても――。
彼は、どうしても、ルフィアの生死を、見過ごすことなど、できなかった。
牢の外、あの小さな窓から差し込む光は、次第に、午後の暖かな黄色を帯びていった。だが奏の心の底には、依然として、あの晴れることのない、重苦しい暗雲が、完全に覆い被さったままだった。




