第一章12 『自ら架したる枷』
窗の外の空模様は、藍色から少しずつ乳白色へと薄れていった。
奏はほとんど一晩中眠れなかった。あの冷たい長椅子と、部屋中に漂う古びた木の匂いとともに、この异世界で最も苦しい一夜を過ごした。手の中のあの茶褐色の薬瓶を、彼は一度も手放さなかった。眠りの中でも無意識にそれを固く握りしめていた。まるで少しでも力を緩めれば、その小さな希望が指の間からこぼれ落ちてしまうかのように。
「お兄さん、起きたのね」
カウンターの向こうから、あの厳しい顔つきの中年の女将が、湯気の立つ、穀物の香りのする粥を持って、ゆっくりと奏の前まで歩いてきた。その表情には、昨夜のような警戒や距離感は少なくなっていた。
「何か食べなさい。その様子じゃ、一晩中ろくに休めなかったんでしょう」
奏はぼんやりとその粗末な陶器の碗を受け取った。温かい感触が手のひらを通して伝わってくると、なぜか鼻の奥がじんと熱くなった。この異世界の旅の中で、ルフィアの他に、まだこんな当たり前の、母亲のような優しさで、この身も心も「異質」な余所者を扱ってくれる人がいたのだ。
「ありがとう……ございます」
奏は小さく礼を言うと、二口三口で粥を飲み干した。胃の中にようやくぬくもりが戻り、これから待ち受ける未知の、棘に覆われた一日を支えられるだけの力が湧いてきた。
彼は立ち上がり、女将に深々と頭を下げた。
「昨夜はお世話になりました。僕……彼女を探しに行かなくては」
女将はそれを聞くと、ただ小さくため息をついただけで、それ以上止めようとはしなかった。複雑な感情を浮かべたその目で、奏が木戸を押し開け、まだ涼気の残る朝霧の中へと歩み出ていく様を、静かに見送った。
朝の街並みは、昨夜のあの息が詰まるほど濃い闇とは、まるで別世界のようだった。
商人たちは次々と布張りの屋台を組み立て始め、客を呼ぶ声、石畳を轢く車輪の音、遠くから聞こえる家禽の鳴き声が混じり合い、ありふれた、穏やかな市場の喧騒を作り出していた。だが、その「ありふれた」光景が、奏の目には、やけに刺々しく映った――昨夜あの命を奪われかけた斬り合いも、あの毒を塗られた小刀も、今となってはまるで荒荒無稽な、遠い夢のように感じられ、目の前のこの朝の光とは、何の関わりもないように見えた。
奏の首筋には、まだあの幻の痛みが完全には消えていなかった。彼は無意識に、すでに浅い傷跡が走るあの厚手の革製の首当てに手を触れた。指先に伝わるその粗い感触が、昨夜の出来事がすべて本当に起こったのだと、彼に思い知らせた。
「ルフィアはどこへ……」
奏は呟きながら、ぼんやりとした視線で周囲の賑わう人々を見渡した。白髪の人影が見えるたびに、彼の心臓は大きく跳ねたが、近づいて確かめてみれば、結局はどれも、あの見慣れた、二本の長いクラゲ編みのお下げを持つ少女ではなかった。
彼はどれほど街を歩き回ったのか分からなかった。ただ足元の影が少しずつ短くなり、正午の陽光も次第に強く照りつけてくるのを感じるだけだった。
ついに、奏の足は、ある広々とした広場の前で止まった。
広場の奥には、半分の空を覆い隠すかのような、巍然とした白亜の宮殿が聳えていた。軒先と塔の先端が陽光に眩く輝き、宮壁には奏には読めない、複雑な紋様が刻まれていた。風にはためく旗には、彼が掲示板で見たことのある、銀白色の王室の紋章が刺繍されていた。
あれが、ルフィアの家だ。
「あそこか……」
奏は下唇を強く噛んだ。あの宮殿が近づくにつれて、自分の心臓がますます激しく脈打っているのを感じた。ルフィアが今この瞬間、无事でいるかどうかも分からない。彼女の腕のあの傷が、もう悪化し始めているかどうかも分からない。だが彼には分かっていた――自分が今できる唯一のことは、その解毒薬を、自らの手で彼女に届けることだと。
彼は深く息を吸い込み、ほとんど全身の勇気を振り絞るようにして、一歩一歩、あの高く聳える宮門へと、ゆっくり歩を進めた。
しかし、十歩も歩かないうちに、幾筋もの冷たい視線が、すでに彼の体に鋭く刺さっていた。
「止まれ!」
銀色の鎧を纏った一人の衛兵が、突然槍を横に構え、奏の前に立ちはだかった。その槍先は陽光に冷たく光り、奏の喉元からほんの数寸の距離しかなかった。
「お前は何者だ!王宮の禁地に無断で立ち入るとは何事か!」
奏は思わず身を硬くした。全身の血が一瞬で凍りついたかのようだった。彼は反射的に半歩後ずさりし、慌てて両手を振って説明しようとした。
「僕……僕は無断で入るつもりじゃ……ただ……」
「何を探している?」
もう一人の衛兵も大股で進み出て、高みから奏を見下ろすように見定めた。その視線は、彼のすでに擦り切れたスニーカーから始まり、流行遅れのおかしなプリントの入った、すっかり黄ばんだTシャツへと這い上がり、最後に、異国の特徴に満ちたその顔に留まった。
「その格好……この国の者ではないな」
衛兵の語気は、たちまち隠しきれない警戒と嫌悪の色を帯びた。まるで奏の身につけているそのありふれたTシャツが、彼らの目には、この聖なる地を汚すに足る、不吉な異物であるかのように。
「余所者め、命知らずの浮浪者が、王宮に一歩でも踏み入ろうなどとは!」
「悪意はありません!僕はただルフィ――王女殿下に会いたいだけです!彼女は怪我をしていて、僕は解毒薬を持って――」
奏は懐から、あの茶褐色の薬瓶を慌てて取り出し、自分の来意を証明しようとした。しかし、その行動が、衛兵たちの怒りに完全に火をつけてしまった。
「やめろ!」
「何をしようとしている?王宮に害を与えようというのか?」
「すぐにこの者を取り押さえよ!これは間違いなく、不審な企みを抱いた刺客だ!」
瞬く間に、どこからともなく、さらに多くの鎧を纏った衛兵たちが押し寄せ、奏を真ん中に固く取り囲んだ。何十本もの槍先が、一斉に彼の喉と心臓に向けられ、その息も詰まるような殺気が、奏の全身を呑み込もうとしていた。
「そんな……そんなんじゃない……っ!」
奏の両足は抑えようもなく震えていた。彼にははっきりと感じ取れた――衛兵たちの目に浮かぶのは、決して単なる尋問や警戒などではなく、ほとんど本能的な、隠そうともしない敵意だった。彼らの目には、彼のその不釣り合いな服装、この世界とは何の共通点もないその容貌そのものが、すでに「企みを抱いている」ことの十分な証拠となっているのだ。
もし彼がここで少しでも軽率な動きをすれば、おそらく次の瞬間には、その場で討たれ、この宮殿の門前で、また一つ「外敵の侵入を見事に阻止した」という、谁にも真相を问われることのない功绩にされてしまうだろう。
「失せろ!今すぐ失せろ、さもなくば容赦せぬぞ!」
先頭に立つ衛兵が厳しく怒鳴ると、槍を重々しく一震わせ、奏は何度も足をもたつかせながら後ずさりするしかなかった。
奏は歯を強く食いしばり、その固く閉ざされた、今の自分にはどうやってもくぐり抜けられない宮門を見つめた。胸の中の焦燥と無力感が、ほとんど彼を完全に押し潰そうとしていた。だが彼にも分かっていた――このまま睨み合いを続けても、何の好転もあり得ない。唯一の結果は、この刃を手にした衛兵たちの怒りを、本当に買ってしまうことだけだ。
「分……分かりました、行きます、今すぐ行きますから……」
奏の声には抑えきれない震えが滲んでいた。彼は両手を挙げ、まったく敵意のない姿勢を取りながら、一歩一歩、ゆっくりと後ろへ退いた。あの息も詰まるような殺気が、ようやく少しずつ薄れていくのを感じてから、彼はようやく身を翻し、ほとんど転がるようにしてその広場を逃げ去った。
奏は自分がどれほど歩いたのか分からなかった。ただ両足はすでに痺れ、首筋の幻の痛みと、先ほどの恐怖が残した余韻とが入り混じり、ほとんど彼の理性を完全に押し潰しそうだった。
彼は人気のない街角で、力なく壁にもたれて座り込んだ。手の中の、ついに渡すことのできなかったあの薬瓶を見つめながら、深い、ほとんど絶望的な無力感が、心の底からゆっくりと広がっていった。
彼には何もできなかった。
ルフィアに一歩近づくことすら、できなかった。
「……いや」
奏の脳裏に、ふと一つの人影が浮かんだ――あの薬屋の奥に座り、常識を超えた、あまりに多くの秘密を知るあの老人のことだ。
その素性の知れない老人を、まだ信じてよいものか、奏自身にも分からなかった。だが今、この街中で、ルフィアに関する手がかりを少しでも与えてくれそうな相手は、もう他に誰もいないように思えた。
奏は深く息を吸い、無理にでも自分を立ち上がらせ、あの見覚えのある、暗い路地へと、ゆっくり向かって歩いていった。
ギィ……。
木戸が、再びあの重く長い軋み音を立てた。
薬屋の中には、薬草と刺激臭の混ざったあの匂いが、依然として漂っていた。老人は依然として、薬典の山に埋もれたカウンターの向こうに座っていた。だが今度は、彼が顔を上げたとき、その表情にはいささかの驚きも浮かんでいなかった。
「やはり来たか」
老人はゆっくりと立ち上がり、その濁った、しかし深い光を帯びた目で、疲労と困惑に満ちた奏の顔を、静かに見つめた。
「お前が守るべき者は、もう去ってしまったのだからな。これでようやく、お前の言うあの『推測』からは抜け出せたのではないか?」
奏はびくりと固まった。全身の血が瞬時に凍りついたかのようだった――この老人は、ルフィアがすでに王宮へ去った事実すらも、すでに知っていたのだ。
その驚きから立ち直る間もなく、老人はすでに戸口まで歩み、あの少し古びた暖簾を、ゆっくりと閉じた。
パタン――。
暖簾が閉まる音には、有無を言わせぬ、終わりを告げるような意味合いが込められていた。
「今日は、商いは休みだ」
老人の語気は平静でありながら、揺るぎない確信を帯びていた。彼は身を翻し、ゆっくりとカウンターに戻ると、奏の向かいに、静かに腰を下ろした。その濁った目は、奏をまっすぐに見据え、まるで彼の全てを見透かそうとするかのようだった。
「お前がここに来たのは、何か訊きたいことがあるからだろう?」
奏の喉が、ごくりと鳴った。手のひらはすでに冷たい汗でびっしょりと濡れていたが、もう退くわけにはいかなかった――目の前のこの老人こそ、今の彼が真実に触れる唯一の手がかりかもしれないのだ。
「あなたが知っていることは……たくさんありそうですね……」
奏は深く息を吸い、できるだけ声が震えないように努めた。
「だから、訊きたいんです……ルフィアについて……つまり王女様のことです。彼女はどうして、急に王宮へ戻ったんですか?」
老人はそれを聞くと、口元にゆっくりと、意味深な笑みを浮かべた。その笑みには、当然のことだと言わんばかりの、憐憫に近い色合いが滲んでいた。
「それは、王女がお前を巻き込みたくなかったからだ」
「お前のその体は、あまりに脆い。一方、王女を暗殺しようとする者は、あまりに権力を持っている――王女は当然、お前を傷つけたくはなかったのだろうね」
その言葉は、雷のように奏の心を打ち抜いた。
彼はその場に立ち尽くし、先ほど宮門の前で受けたあの屈辱的な追い払いと、今この瞬間に轟いたこの真実とが入り混じり、息も詰まるような酸っぱい感情が、胸の奥底から狂おしく湧き上がってきた。
「僕が弱いから……」
奏の声は抑えようもなく震え始めた。彼は歯を強く食いしばり、指の関節は白くなるほど力が入っていた。
「頼りにならないからってことですか……っ」
彼は昨夜の自分の唯一の「貢献」を思い出していた――それは、一つの枕で、あの毒を塗られた小刀の軌道を逸らしたに過ぎなかった。彼は宮門の前で、あの息も詰まるような殺気に押され、まともに口を開くこともできなかった自分を思い出していた。彼は、体育のテストでさえ平均点しか取れなかった、平凡極まりない自分の両手を思い出していた。
「僕にも、隠された力があるはずなんです……」
奏は呟いた。それは、あの天使の輪盤が彼に与えた、魂の奥深くに刻まれながら、いまだその姿を知ることのできない、神秘の力のことだった。
「分からないけれど……僕も頑張ってる……ずっと頑張ってきたんです……!」
彼の瞳には、その瞬間、潤んだ光が浮かび上がった。
「もし彼女が危険な目に遭ったら……僕は、彼女を救えないじゃないですか……!」
空気は、息が詰まるような沈黙に包まれた。时折窓の外から聞こえる鳥のさえずりだけが、その静寂を破っていた。
老人は、自責と不甲斐なさに満ちた奏のその顔を、じっと見つめていた。やがて、彼はゆっくりと手を伸ばし、その広い袖の中から、淡く暗い光を放つ、古めかしい指輪を取り出すと、二人の間のカウンターの上に、そっと置いた。
「お前が隠された力があると言うのなら」
老人の語気には、わずかに気づきにくい興味の色が滲んでいた。
「この指輪は、お前のあらゆる力を見ることができる魔導具だ。何の副作用もない――見てみるかね?」
「私もちょうど、お前の能力に興味があるのでな」
奏はその指輪を、ぼんやりと見つめた。瞳が一瞬、大きく縮んだ。ほとんど彼を完全に呑み込みそうな、貪欲なまでの希望が、心の底からひそかに芽生えた。
もし自分が持っているのが、あの黒い大鎌や、あの密集した槍の群れに対抗できるほどの、強力な戦闘技能であるならば――彼は本当に、自分が守りたいと思う人を、守ることができるのだ。
彼はもう迷わなかった。震える手で、ほとんど切望するように、その指輪を、ゆっくりと自分の指先に嵌めた。
その瞬間、柔らかくも眩い光が、指輪から一気に弾け出し、奏の全身をその光の輪の中に包み込んだ。虚空の中に、半透明の、彼自身に属する技能パネルが、ゆっくりと浮かび上がった。
奏の呼吸が、その瞬間、完全に止まった。
パネルの上には、わずか一行の文字だけが、はっきりと、その虚空の中に刻まれていた――
【告げることのできない契約】
「これは……どういう意味だ?」
奏はぼんやりとその文字を見つめた。脳裏は真っ白になり、这一体何とも形容しがたい技能の名前を、じっくり考える間もなく――
ドン――!
時間が、突然停止した。
周囲の色彩が、その瞬間、完全に失われ、死のように静まり返った黒と白の世界に変わった。ただ老人だけが、先ほどの姿勢のまま、微動だにせず、まるで時の外に永遠に固定されてしまったかのようだった。
奏の瞳が、極限まで縮んだ。
コツ――コツ――コツ――。
足音が、薬屋の奥から、ゆっくりと聞こえてきた。
あの純黒の存在が、その身の丈に似合わぬ、巨大な黒い大鎌を引きずりながら、暗い影の中から、ゆっくりと歩み出てきた。
「そんな……まさか……」
奏の脳裏で、無数の断片的な手がかりが、その瞬間、一気に弾け、絡み合い、衝突し、ついに、彼が絶対に向き合いたくなかった、恐ろしい真実を、組み立て上げた。
昨夜、彼は死神に遭わなかった。
昨夜、ルフィアは、生き延びた。
そして今――
彼の契約は、この老人によって、見られてしまった。
死神が、まさにこの瞬間に、降臨したのだ。
「まさか……まさか、これは全部……」
奏の思考は、狂おしく逆流し、あの遥か遠い、第一周目のあの午後へと戻っていった――彼は、あの冒険者の大男が放った、「王女殿下が命を落とした」というあの怒声を思い出していた。彼は、自分があの瞬間、ルフィアの境遇に対して、抑えきれない、深い同情を抱いたことを思い出していた――
【契約は締結されました】
あの名も知れぬ声が、その瞬間、確かに響いていた。
そして、それに続いて降臨したのは、この同じ、死のように静まり返った黒と白の世界であり、この同じ、死神の大鎌だった。
今と、まったく同じだ。
「まさか……!」
奏の呼吸が、急速に乱れ始めた。彼を寒気で凍りつかせるような考えが、狂おしく頭の中を巡っていた。
僕がルフィアを救えなかったら……死神は、僕の命を、刈り取りに来る。
まさか、僕のやり直しは……最初から、この契約に起因していたのか……!
これは決して、運命の恵みなどではなく、死神の無作為な狩りでもない――これは一つの枷だ。彼自身が、あの最初の午後に、自らの手で自分に課した、逃れることのできない、呪いのような契約なのだ。
彼はルフィアを救わなければならない。
もしそれができなければ――死だけが、唯一の、紛れもない結末となる。
「いや……どうしてこんなことに……!」
奏の両手は、その突然降りかかった、骨身を凍らせるような恐怖と悲しみによって、激しく震え始めた。彼は思いもしなかった――自分の心から湧き出た、罪のない少女を救いたいというあの純粋な思いが、いつの間にか、こうして自分自身を完全に閉じ込める、呪いのような牢獄に変わっていたとは。
彼には、ルフィアを死を賭して守る以外、他の選択肢はもう残されていなかった。
「酷すぎる……酷すぎるよ……っ!」
奏は、一歩一歩近づいてくるその純黒の存在を、死に物狂いで見つめた。涙と悔しさが、深い恐怖と混じり合い、彼の瞳の中で狂おしく渦巻いていた。
「お前のような、憎むべき死神め!どうして、こんな……」
「むしろ、お前が……単に僕の命を狙う、ただの怪物であってくれたほうがよかった……!だけど、お前はよりにもよって……」
奏の声は、その瞬間、ほとんど凄絶な、崩壊しそうな泣き声を帯びていた。
「僕がこの異世界で、まともに生きていくことすら邪魔する……殺し屋なんだ……!!」
純黒のローブの下、その女性の輪郭は、依然として固く目を閉じたまま、何の反応も示さなかった。巨大な大鎌が、その瞬間、高く掲げられた。
奏には、それ以上言葉を続ける暇もなかった。その冷たい刃は、すでに、勢いよく、振り下ろされていた。
ズシャ――。
奏は、また一度、死んだ。




