第一章11 『孤独な背中』
奏はほとんど転がるように走り、あの見慣れた裏路地へと駆け戻った。懐には茶褐色の小瓶を、それこそ死に物狂いで握りしめている――まるでそれが、今の彼にとってルフィアを救う唯一の希望であるかのように。
首筋に残る幻の痛みはまだ完全には収まっていない。けれど今の彼にはもう、その恐怖に構っている余裕など一瞬すらなかった。彼の頭の中には、たった一つの焦燥しか残っていない。早く、もっと早く。あの残酷な暗殺者の手が再び伸びる前に、この薬を自分の手で彼女に届けなければ。
色褪せた木の看板が掛かる宿の門が、ようやく視界に入った。
「戻ったよ、ルフィア――!」
奏はほとんど扉を突き破るような勢いで中に飛び込み、大きく肩で息を切りながら、血走った視線で部屋の中、そして広間の中を必死に探し回った。だが、あの見慣れた、白いクラゲのような愛らしいシルエットの三つ編みは、どこにも見当たらなかった。
カウンターの奥では、あの厳しい顔つきをした中年の女将が帳簿に向かっていた。扉のはためく音に顔を上げ、奏の姿を捉えた瞬間、その表情に複雑な躊躇いの色が浮かんだ。
「王女様なら……先ほどお出かけになりましたよ」
その言葉は、まるで晴天の霹靂のように奏の頭上に真っ直ぐ落ちてきた。
「な……なんですって?」
奏はその場に凍りついた。全身の血液が一瞬で凝固したかのようだった。聞き間違いかと思ったが、女将のその困惑と忍びなさの入り混じった顔は、その容赦のない言葉が紛れもない真実であることを物語っていた。
「出かけた?どこへ行ったんですか?!彼女はまだ怪我をしているのに――」
奏の声は抑えがたく跳ね上がり、今にも崩れ落ちそうなほどの震えを帯びていた。彼の脳裏には、じわじわと血が滲み出る彼女の腕の傷口、そして何より、先ほど確信した【生きたまま一刀一刀切り落とされた四肢】という、おぞましい一巡目の遺体の光景が、狂ったようにフラッシュバックしていた。
もしあの暗殺者が、まだ近くで彼女を狙っていたら。もし彼女が今、一人きりで自由の利かなくなる身体を引きずりながら、あの暗い夜道を歩いているのだとしたら――。
「あちらの、王宮へと続く大通りの方へ向かわれました!」
カウンターの奥にいた若い店員も身を乗り出し、慌てて宿の脇口の方向を指し示した。
奏は深く考える余裕もなく、ほとんど反射的に宿を飛び出し、指し示された方向へと夜の闇を切り裂くように走り出した。
夜の空気は重く、息が詰まるほどだった。通りの両側の店はすでに完全に暗闇に沈み、風に揺れるいくつかの油灯が、不気味に明滅する壊れそうな光を投げかけているだけだった。
奏の両足はすでに限界を迎えて痺れ、肺は内側から焼かれるように痛んだ。それでも彼は決して足を緩めようとはしなかった。自分が遅れる一分一秒が、ルフィアを再びあの地獄のような結末へと突き落とす引き金になるかもしれない、その恐怖だけが彼を動かしていた。
「ルフィア――!」
声を振り絞って叫んだ。その名はがらんとした静寂の通りに虚しく響き渡り、やがて何の応えもないまま闇に溶けていった。
次々と角を曲がり、次々と裏路地を覗き込んだが、あの白髪の少女の姿は、最後まで彼の視界に現れることはなかった。まるで彼女という存在が、最初からこの街の夜の闇の中に完全に溶けて消え去ってしまい、一片の痕跡すら残さなかったかのように。
奏は自分がいくつの通りを駆け抜けたのか、もう分からなくなっていた。何度も壁に手をついたせいで手のひらは泥に汚れ、呼吸は完全に乱れ切っていた。それでも手の中の小瓶だけは、指がちぎれんばかりの力で握られたまま、決して離されることはなかった。
ついに、街全体がルフィアを完全に呑み込んでしまったのだと、絶望が胸を支配しかけた頃、彼の足は、人気のない寂れた十字路の前で、がっくりと止まった。
「どこへ……どこへ行ってしまったんだ、ルフィア……」
奏は激しく息を切らしながら、茫然と辺りを見回した。目の前には、ただ一面の死んだような暗闇が広がるばかりで、人の足音も、衣擦れの音も、何一つとして存在しない。ただ手の中にある薬瓶の冷たい感触だけが、今の彼の徒労を重々しく物語っていた。
両足から一気に力が抜け、冷たい石畳の上に座り込みそうになった。希望から一気に絶望へと叩き落とされた落差が、彼の精神を内側から押し潰そうとする。
「だめだ……ここで立ち止まるわけにはいかない……」
奏は下唇を強く噛み、無理にでも体をまっすぐに立て直した。彼は理解していた。今の自分にできることは、一度宿に戻って、あの女将にもう一度詳しく状況を尋ねることだけだ。何かまだ、彼女が隠している情報があるかもしれない。まだ、一筋の希望が残されているかもしれない。
彼は疲れ切った両足を引きずりながら、一歩一歩、あの色褪せた木の看板が掛かる宿へと、トボトボと戻っていった。
「すみません……」
奏が宿の木の扉を押し開けた瞬間、その声には隠しきれない疲労と深い不安が滲んでいた。
「王女様は……本当に、ご自分の意志で出て行かれたんですか?」
この問いこそが、今の彼が思いつく唯一の、目の前の状況を整理するための生命線だった。もし誰かに強引に連れ去られたのだとしたら、それは今夜のあの暗殺者、あるいはもっと恐ろしい黒幕が、すでに目的を果たしたという最悪の証明になる。だが、もし彼女が自らの意志で去ったのだとしたら、その裏に隠された理由は、また別の頭を悩ませる謎となる。
女将はそれを聞いて、ゆっくりと首を縦に振った。その表情には、いくらか当時の様子を回想するような躊躇いが浮かんでいた。
「ええ、ご自分でお決めになって出て行かれましたよ。誰に強制された様子もありませんでした」
「階下に降りてこられたとき、とてもお急ぎのご様子でした。私たちも止めたんですよ、こんな夜更けに出歩くのは危険だと。でも王女様はただ首を横に振って、これよりもっと大事なことがあるからと仰って……」
女将は一旦言葉を切り、カウンターの下から、きちんと折り畳まれた一枚の紙片を取り出すと、奏の前へと差し出した。
「王女様は、このお部屋の宿泊費を、今は十分な晶玉をお持ちでないからと、出発前に特にこの借用書を書き残されたのです。後日、王室の印を持って必ず清算するように、とね」
奏はぼんやりとその借用書を受け取った。そこには彼にはまだ読めない異世界の文字が綺麗な筆致で整然と書き連ねられ、末尾には小さな、王室の紋章が刻まれた鮮やかな印が押されていた。
これは明らかに、深く考え抜かれた末の、出発前にも宿の生計のことまで気を配った冷静な行動だった。もし強引に連れ去られた、あるいはパニックになっていたのだとしたら、こんな落ち着いた、宿への配慮まで行き届いた手配ができるはずがない。
ルフィアは、確かに、自分の意志でここを去ったのだ。
「どうしてなんだ……」
奏はぽつりと呟き、両手で思わず頭を抱えた。指の関節が力のあまり白くなっている。彼の頭の中では、あらゆる可能性のある手がかりが狂ったように渦巻いていた。
服を着替えたときのあの気まずい反応のせいで、彼女は何か気分を害してしまったのだろうか。それとも、捕らえられた父王への心配にもう耐えられなくなって、一人で真相を確かめに行く無茶な決意をしたのだろうか。あるいは、彼女はもう何かに気づいてしまったのだろうか――自分について、この【回帰】という現象について、この一連の奇妙すぎる符号の裏にある秘密について。
だが、どれだけ考えを巡らせても、彼を完全に納得させられる答えは、一つとして見つからなかった。
「お兄さん」
女将は、彼のその魂が抜けたような様子を見て、口調にいくらかの慰めの色を込めた。
「私の見たところでは、王女様が去られた方向は、王宮へと続く大通りです」
「王宮はやはりあの方のお家ですからね。あそこは警備も厳重ですし、あなたのような、どこから来たとも知れぬ外の人間が、おいそれと足を踏み入れられる場所ではありませんよ」
「今このまま追いかけたところで、王女様を見つける前に、不審者か刺客と間違われて王宮の衛兵に取り押さえられるのがオチでしょう」
女将の口調には、いくらかの距離を置いた警戒心が依然としてにじんでいたが、同時に、目の前の少年に対する、珍しいほどの真摯な気遣いも感じられた。
「私が思うに、今夜はもうここでお休みなさい。明日、夜が明けてから、改めて考えても遅くはありませんよ」
奏はそれを聞いて、何かを言いかけようと口を開いたが、結局は反論の言葉を一つも出すことができなかった。
彼の両足は、すでに限界まで疲れ切っていた。先ほどの、終わりの見えない暗闇の追跡が、彼の肉体的な体力と精神的な意志のほとんどを使い果たしてしまっていたのだ。
彼は手の中の茶褐色の小瓶を見つめ、それから窓の外、すべてを呑み込んでしまいそうなほど重く沈んだ異世界の夜の闇を見やった。そして最後には、ただがっくりと項垂れて頷き、重い足を引きずって、広間の隅にある長椅子へとゆっくりと腰を下ろした。
木の椅子から伝わる冷たい感触が、薄い衣服を通して肌に染み込んでくる。けれど奏はその寒さすら感じることができなかった。彼の心はすべて、脳裏で繰り返し響き続けるあの問いに、完全に占拠されていた。
彼女はどうして去ってしまったのだろう。
どうしてこんな時に、全身を麻痺させるほどの激痛を必死に堪えながら、独りで、あの危険に満ちた帰り道を歩いて行ってしまったのだろう。
奏は手の中の小瓶を強く握りしめた。その小さな瓶の身は、今、ひどく重く感じられた。それが運んでいるのは、毒の進行を緩める一瓶の薬だけではなく、彼にはどうしても解くことのできない、ルフィアという少女を巡る、重く暗い謎そのものであるかのようだった。




