Ep.4-2 学院での日々(2)
学院の中庭の真下には、演習場という特別広い部屋がある。
壁と床と天井に防御系の魔術が幾重にも巡らされているその場所は、もっぱら魔術の練習の場として使用されている。
演習場から二階程度高い位置には、演習場を見渡すように座席が設けられている。幅が広く蹴上が高い、ほぼ階段のような座席は、数十人の生徒が座ってもまだ余裕がある。
実戦演習の講義は、この演習場と観客席を貸し切って行われる。
講義とはいえ、実戦演習の大部分の時間は生徒同士の試合に充てられる。
一対一の試合を一日に何組も消化し、二週間かけて同学年の全生徒が演習に参加する。試合で勝てば順位が上がり、負ければ下がる。
自分の番以外は出席の必要がなく、普段は人気の少ないこの講義だが、今日に限っては観客が多い。
それも当然。これから始まるのは、前の週に三位を退けたリーナと、不動の一位マオの試合だ。
もう一年も上位を独占し続ける二人の対決となれば、見て学ぼうとする者もいれば、野次馬として駆けつける者もいる。
「――よし☆」
お気に入りの靴と手袋、自分で丈を変えて星型の飾りをあしらった装束に身を包み、演習場の片端に立つ。
何人かの生徒が彼女の名を呼んだ。リーナは慣れ親しんだ長杖を少し挙げて応えた。
「……」
演習場の反対側から現れたマオは何も持たず、自然体だ。
いつも通り眠そうな目をしているものの、いざ向かい合った時は一切の油断が禁物だと、リーナは嫌になるほど知っている。
緩い態度を取っていても、時に恐ろしく俊敏になる。
不真面目でもあり、真剣でもある。
要は自由な人間なのだ、マオは。
「――位置へ」
この演習を担当する筋肉質な教師が、見た目に負けず存在感のある声で二人を誘導する。
前に進んだ二人の足元には線が引かれている。二本の線の間隔は助走をつけて跳んでも届かないほど遠い。
槍の間合いの倍。お互いに熟練の戦士と魔術士の勝敗が拮抗する距離に、二本の線は設定されている。
これより近ければ戦士が、遠ければ魔術士が勝利すると言われている距離だ。
この距離は戦士と魔術士の初動の差から来る。
多くの魔術体系は魔力の安定化のため、詠唱を取り入れている。詠唱によって魔術の成功率は著しく上がるものの、今回のような一対一の勝負となった時、詠唱にかかる僅かな時間は決定的な差になる。
ましてや、魔術は詠唱の他にも魔術の発生点を指定するため動作の時間も必要になる。つまり、この演習場の二本の線は魔術士にとって必敗の距離ということだ。
純粋な魔術士が多い学園であえてこの距離を設定しているのは、生徒達に常にこの距離感を意識させるのが目的らしい。
「準備はいいな?」
二人が位置についたのを見て、教師が三つ数を数えた。数え終わると同時に、手を振り下ろす。
開始の合図と共に、リーナは杖の頭を前に傾けた。同時に詠唱を開始する。
前回を踏まえて攻撃範囲を増やし、前々回の反省から詠唱の時間を多めに取る。
マオは――リーナを見据えたまま、まだ動かない。
「『火弓』」
リーナが杖を振るった。杖の頭が魔力光を帯び、空中に軌跡を残す。
その軌跡をなぞるように、光の中から次々に火球が出現した。
火球は一拍の後、現れた順番にマオに向かって撃ち出される。
ここで漸くマオが動いた。
襲い来る火球を横っ飛びして避ける。続く火球も、更に避ける。
リーナは杖を振るい続けた。
一方向に逃げるマオが、次第に演習場の端に追い詰められていく。
観客が息を呑んだ。
もう避ける場所がない。観客の多くがそう思った時、マオが演習場の壁を蹴った。
高い。
跳び上がったマオは火球の上にいる。
マオが着地した時、リーナの火球が途切れた。一気にリーナとの距離を詰める。
「――そうくると思ったわ!」
リーナは両手で杖を握り直し、杖を床に叩きつけた。
「『烈波』」
杖が触れた先が震える。
物理的な振動ではない。魔力が波の形を取り、周囲に広がっていく。
杖の周囲では指の先ほどだった波は、マオに向かうほどに高くなり、遂には背丈ほどの高さまで大きくなる。
二重詠唱、と、誰かが声を漏らした。
「――よっと」
迫る魔力の波を目前に、マオが再び跳んだ。
今度は壁ではなく、リーナ目がけて。
「わっ――」
波を飛び越え、勢いをつけたマオの体当たりに、リーナは咄嗟に飛び退いた。
身体を捻って片膝をつく。なんとか避けられた。
マオは勢い余ったのか、リーナを大きく通り過ぎている。先程までとは反対側にいるものの、距離はむしろ遠ざかった。
もう一度。思わず解除してしまった『烈波』を掛け直そうとして、リーナは気付く。
杖がない。
「――ほら」
呆気に取られたリーナに、マオが何かを掲げる。
それは間違いなく、リーナの杖だ。
相手の杖を取り上げるのは、この演習で勝敗を決める条件の一つ。
こうして、リーナにまた一つ黒星がついてしまった。
「『火弓』と『烈波』を同時に詠唱して、時間差で使い分ける。難しい二重詠唱をよくこなしたな。前回までは使ってなかったが、この二週間で習得したのか?」
「……はい」
「素晴らしい。卒業時でも習得している者は少ないというのに。頑張ったな」
「……」
「マオは相変わらず強化術のキレがいい。が、未知の魔術に対する反応が甘い。座学を怠ってるからだぞ」
「うい」
魔術士というよりはどう見ても戦士な教師からのコメントを締め括りに、演習は終わった。
リーナは杖をぎゅっと握って次の講義へ向かった。
まだ身体が熱を帯びている。
数え切れないほど負けてきたとはいえ、万全の準備をしたつもりでもまだ届かない。
戦士寄りな立ち回りをするマオに有利な距離とはいえ、こうも負け続けると正直堪える。
「……もう先生のところに行かなきゃ」
午後の講義は全て終わり、生徒たちは随分前に思い思いの方向に散っていった。
講義室には雑談を続ける数人とリーナが残っているだけだ。
くよくよしても仕方がない。リーナは立ち上がり、胸を反らして身体を伸ばした。
呼び出しを無視するほど不真面目ではない。
というか、リーナの仕事は学院の教師陣を通して請け負っているため、無視すれば仕事に影響が出る。
研究室を訪れたリーナを老教師が出迎えた。
「どうぞかけなさい」
リーナは部屋の中央にある長椅子に腰を下ろした。
いつもの事ながら、この部屋の本の量には圧倒される。
天井まで届く本棚には、本が所狭しと整列している。どう少なく見積もっても数百、優に千冊は超えているであろうこれらの本は、全てが魔術に関する書籍だ。
図書館とも称されるこの老教師自身が、これらの本を読み返すことはない。本の中身は全て彼女の頭の中に入っており、置かれている本は全て誰かに貸し出すためのものだ。
講義中の姿で多くの生徒が誤解しているものの、彼女はかなり優しい側の教師だ。
たまに呼び出しを食らうことはあっても、それ以上の数だけ相談に乗ってもらったリーナは知っている。
そんな老教師が、いつになく真剣な表情をしている。
「今日は、これからの講義について大事な話があります」
真剣さはそのまま厳しさで、厳しさは優しさだ。
また叱られる。そう思ったリーナの予想は外れた。
「……貴方が望むなら、もう講義に出なくとも構いません」
「え?」
居眠りのしすぎで遂に見放されてしまったのかもしれない。リーナは一瞬焦った。
ただ、老教師は言葉足らずだったことに思い当たったのか、すぐに補足した。
「誤解の無いよう。悪い意味ではなく、講義を免除するという話です」
「免除……?」
「はい。二年目が始まったばかりですが、貴方の実力は卒業生以上です。希望するならば、今後の講義を免除し、試験の合格を以て卒業とする。そういう話が出てきています」
「えっと……」
降って湧いた話に驚いたものの、リーナの思考はすぐに状況を整理していく。
お金がいる。お金を稼ぐ手段として、持って生まれた魔術の才能が活かせる。だから、魔術を自分の武器にするために学院に来た。
ただ、一年間の猛勉強の結果、学院で学ぶべきことはもうほとんど身についている。
講義の内容は書物を読めば事前に分かる。それはこの一年間で終わった。
魔術の習得も、リーナの理解力であれば躓くことはなかった。これからもきっとそうだろう。
実際のところ、学院にいないと出来ないことは残り少ない。残りのほぼ二年、いつまでも学院にいても仕方がないのは確かだ。
「来月、三年次の試験があります。貴方がもし希望するなら、そこで同時に貴方の試験も行います。どうしますか?」
老教師が問う。
その間も、リーナは考えを巡らせていた。答えは決めている。
「やります!」
リーナは答えた。




