Ep.3-Ex.2 過ぎし日(2)
暗闇の中で少女は目を覚ました。
今、久しぶりに昔の夢を見ていた気がする。
ずっと昔のようで、それほど遠くはない。彼女の出発点。
「……あの本、どうしたんだっけ」
意識と無意識の間で呟く。
寝返りを打つと、少女は再び微睡みに身を任せた。
――正直、当時の自分が何を考えていたのかは覚えていない。
もしかしたら何も考えていなかったのかもしれないし、いつの間にか考えることをやめていたのかもしれない。
あの頃の自分は、言われるがままに動く人形だった。
話すことを求められれば言葉を発する。何かをしろと言われれば、その通りに身体を動かす。人形は自分の意思を持たない。
ぼんやりとした視界で周囲を捉え、ただ過去になっていく記憶の中に日常を積み重ねていただけだった。
自分というものがはっきりしてきたのは、あの家で過ごすようになってからだ。
近くに誰も住んでいない、二人だけの家。彼は小屋と呼んでいたけれど。
リッカ。
彼は町外れの家に一人で住んでいた。
疎まれているわけでもなければ、リッカ自身が人間を嫌っているわけでもない。かつて恩人がこの家を譲ってくれたという理由だけで、他に理由もなく住み続けていたらしい。
後になってリッカも相当な変わり者だと分かったものの、その時の自分にはそれを知る由もなかった。
リッカは少女に色々な事を教えてくれた。それは常識や生き方という、これまで無縁だったものであり、これからは必要になるものだった。
当時の彼女は自分自身の成長を自覚していた。
何か教わる度、自分が少しずつ変わっていく。
切っ掛けは彼が見つけてきてくれた本だった。幼い頃に読んだものと似たその本は、彼女の好奇心を刺激し、自分から何かをするという行動に導いてくれた。
そんな切っ掛けとは別に、彼女を使命感に駆り立てた出来事もあった。
そう、あれはリッカの家に住み始めて、しばらく経ってからのことだ。
その日、少女は町に買い物のお使いに出かけていた。
一人で町に行くのも既に珍しいことでもなかったので、用事はすぐに片付いた。家の前まで戻ってきた時、リッカの他に二人、誰かがいる事に気付いた。
背は高くない。体格が違うから、リッカの仕事仲間の男ではない。
思わず身を隠してしまった少女は、家の陰にから三人に近づいた。
出来る限り近づいた場所で様子を伺うと、見知らぬ人影はくたびれた服の女性と子供だった。どことなく顔つきがにている。親子かもしれない。
リッカが何か声をかけた。
ちょうどリッカとの話が終わったところなのか、親子がお礼を言ってリッカから離れていった。
去り際、母親らしき女性ががやたらと頭を下げていたのが気になった。
一旦引き返して、道沿いに家に戻った。
「ただいま」
「おう」
リッカは少女が近くに隠れていたことに気づいていないようだ。
「……今の人達、誰?」
「うん? ……ああ、まあ通りがかりで話をしてた」
リッカはどこか歯切れが悪い。こんな時は何かを隠している。
自分が咎められなかったのを良い事に、少女はリッカを問い詰めた。詳しく話を聞いてみて、少女は絶句した。
さっきの親子は、何か事情があってずっと先の町を目指していたらしい。そんな彼らに、リッカは大金を渡したという。
彼らの事情はこうだ。
二人は当初、馬車で王国の端の町を目指していた。慣れない旅は二人の体力を削り、途中で問題が起きた。子供が体調を崩したのだ。
すぐに近くの町に寄って治療を受けたことで回復はしたものの、滞在費と医者への謝礼は高くついた。御者も去ってしまい、彼らはこの近くの村で旅銀が尽きて立ち往生してしまった。
それでも仕事にありつけそうなな町までは進もうと、徒歩で山を歩いていたところにリッカが通りがかった。
そうしてリッカは、何を思ったか、親子が目指す目的地までたどり着けるほどの金を渡してしまったらしい。
決して少なくない額だ。見ず知らずの他人に渡していい額ではないことは、常識のない少女にだって分かる。
「追いかけてくる――!」
少女の手がリッカに掴まれる。
「いいんだよ、別に」
そう言うリッカは、少女が諦めるまで手を離してくれなかった。
リッカが自分からそうしたとはいえ、少女には納得しきれないところがあった。
あの後、リッカは何かと理由をつけて一人で食事をすることが増えた。こっそりと自分の分の食事だけを減らしていたことに、少女は気づいた。
赤の他人だろうが、目の前にいれば、リッカにとっては助けるのが当たり前なのかもしれない。
けれど、自分自身を犠牲にしたら意味がない。
それこそ、何故か少女を世話してくれているのと同じように、誰かにお節介を焼いただけかもしれない。ただ、このままではいけないと、少女は思った。
自分がしっかりしないと。このお人好はいつか他人のために野垂れ死にしかねない。
少女の猛勉強が始まった。
世の中では、何よりもお金が大事らしい。
「リッカ、私にも出来る仕事を教えて」
本で齧った知識を頼りにして、少女はリッカに質問した。
リッカが魔物の討伐で報酬を得ているというので、少女は記憶の隅で眠っていた魔術の使い方を呼び起こした。
すぐに実戦の機会がやってきた。襲撃に現れた魔物を魔術の一撃で撃退した事が評価され、彼女も討伐隊に加わることになった。
討伐隊に魔術士が加わった事で、手に負えずに冒険者に依頼を出したような魔物も自分たちで撃退できるようになった。
少女は仕事と、お金を手に入れた。
お金はリッカに貰った本と一緒に、大事に木箱に仕舞った。
世の中には切る焼く混ぜるより複雑な、料理というものがあるらしい。
「リッカ、ナイフの使い方を教えて」
リッカに美味しいものでも振る舞おうと、少女は町で食材を手に入れ、料理を作ろうとした。
先に結論を言うと、これは失敗した。危うく指を切るところだった点を差し引いても、間違いなく失敗だった。
メモに書いてあった手順に従って具材を切る。芋の皮がうまく剥けない。試行錯誤しているうちに、芋の大きさは二回りほど小さくなった。
不揃いな大きさになってしまった野菜と、肉と塩。何とかという魔物から取れるという香辛料。それらを鍋に放り込み、じっくり丁寧に煮込む。
火の使い方は知っている。問題はない。
「……」
はずだったのだが。
満を持して出来上がった何かからは、何故か雨上がりの大地のような香りがした。
驚くべきことに、味も似たようなものだった。
食事の時間は、いつにも増して二人とも無言だった。
その後少女は、もう一度だけ料理に挑戦した。
結果はどうだったか。その後二度と挑戦しなかったのが答えだ。
家計簿というものがあるらしい。
「リッカ、財布出して」
パン屋の店員の女性からその話を聞いた時、少女はこれだと思った。
そもそもリッカは、お金の使い方が適当すぎる。何でもない日に高くて良い肉を買ってきたかと思えば、次の週には魔物の討伐の仕事がない日が続く。
結果的に、スープだけで何日も凌ぐ羽目になった。
いざとなれば家にあるものを売ればいい。そう言うリッカは淡々としていたものの、巻き添えを食った少女は空腹に腹が立っていた。
少女はまず、収入と支出を把握することから始めた。
魔物の討伐で得た報酬を、リッカが使う前に回収して書き出した。
「リッカ、これ書いて」
買い物をした時は、何をいくらで買ったのかを欠かさず記録していった。
後に、無駄遣いが家計を圧迫していた。というか、無駄遣いがなければ余裕さえありそうだった。
そこで次に、お金そのものを管理することにした。
リッカ個人の稼ぎはリッカが使う前に取り上げ、毎日、あるいは必要な時に支給する形にした。二人で稼いだ分は正確に等分して、同じように貯金に回した。
その上でこっそりと、リッカの貯金に自分のお金を潜ませておいた。
「お前さ」
次にやらないといけないことを探していた時だった。
リッカが彼女をお前呼ばわりするのは珍しい。いつも名前で呼ぶ。
「何かやりたいことはないのか?」
少女は考えてみた。浮かばない。
いや、思いついた。
「あれ」
棚を指差した。そこには大事な貯金と帳簿が仕舞ってある。
なぜかリッカは頭を抱えた。
「いや、そうじゃなくてな……」
もう一度考える。思い浮かばない。
黙った少女に、リッカは提案した。
「まあ、それなら一度、遠出してみるか」
「どこへ?」
「隣町」
「うん」
特に興味はない。けれど、彼が言うなら準備をしておこう。
「じゃあ、明日行くからな」
「分かった」
「わ……」
こんなに騒然とした場所を、少女は見たことがなかった。
通りには人が溢れ、そこかしこから嗅いだことのない匂いが漂ってくいる。
大きな町にはそれだけ沢山の人がいる。
それは知っていたけれど、まさかここまで混沌としているとは。
「王都への街道沿いだからな」
リッカは歩みを彼女に任せ、後ろについている。
少女はぶらぶらと当てもなく進んだ。
「――あ」
並んでいる露天の中に、偶然それを見つけた。
衝動的にお金を取り出して、それを買う。
そんな調子では、リッカの事を言えなくなってしまう。けれど、どうしても欲しかった。
紙いっぱいに書かれた絵。見覚えのある、リッカから貰ったのと同じ本。
――少女は目蓋を開いた。追憶は途切れ、意識が現実に戻る。
ここは学院の一室だ。外はまだ薄暗い。
「……思い出した」
思い出してしまった。
あの時、露天で見つけた絵本を手に、少女はリッカを誘った。
「あああああ」
恥ずかしい。顔から火が出るようだ。だから、思い出さないように忘れていたのに。
なんであんな事を言えたのか分からない。
「ううううう」
唸ってみても、一度思い出してしまった記憶はむしろ鮮明になるばかりだ。
思い出したのが一人の時で良かった。
もしハナが一緒だったら、大きな瞳で見つめられて、何事かと質問攻めにされただろう。
……そうだ。
だから、あの本は、家を出る時に置いて来たんだった。
だって、あまりにも恥ずかしかったから。
「――それ、買うのか?」
「うん」
少女は答えた。
店主にお代を渡し、それを受け取る。リッカも気付いたようだ。
「ああ、前に探してた本か」
「そう」
少し震える指で本を捲り、欠けていた頁をようやく目にした。
期待通りだ。
幼い頃に読んでもらった本と似たような展開。主人公が苦難の果てに、お姫様と結ばれる物語。
「ね、リッカ」
「ん?」
「一緒に冒険者をしよう? この絵本みたいに」
「あー、もう……」
その絵本の結末を呼んでからそんな台詞を吐いたんだから、始末が悪い。




