Ep.3-Ex.1 過ぎし日(1)
少年は幼い頃に両親を亡くしたらしく、親の顔を知らない。
ただ、親代わりはいた。
身寄りのなかった少年を拾ったその人は、彼に武術を叩き込みながら、分別がつくようになるまでの数年間面倒を見てくれた。
鍛錬中はボロボロにされ、それが終われば小間使いのような扱いをされ、最後の一年は少年の側が一方的に世話をしていたような気もするが、それでも感謝はしている。
お陰で、忍耐力と無茶をしても通る丈夫な身体が手に入った。
その人はどこかへ旅立ってしまったものの、残していってくれた小屋が今の少年の住処になっている。
武術を活かして魔物を追い払う仕事をたまに引き受けながら一人で静かに暮らす生活が続いてていたものの、最近になって状況が変わった。
エコ。
それが少年の同居人になった少女の名前だ。
ある事情から、少年がエコを小屋に住まわせて数日。無表情で自発性に欠け、常識を知らないエコは、かつての恩人かそれ以上に手がかかった。
まずこの数日間、エコが感情らしい表情を浮かべているのを見たことがない。
雷がすぐ近くに落ちた時も、柱の陰で出会い頭にぶつかりそうになった時も、水浴びの仕方を教えた時でさえ表情は変わらなかった。
無愛想というよりは感情が無い。冷たいというよりむしろ、温度が存在しない。そう表現するとしっくりくる。
自発性については詳しく述べるまでもない。自分から話し出すことはおろか、放っておけば椅子から立ち上がることさえない。
最後に常識。これはひどく偏りがあった。
地理や計算であれば、問えば淀み無くと答える。会話も、自分から話す事はないとはいえ、語彙や発音といったレベルであれば問題はない。
一方で火の熾し方どころか薪や斧を知らない。家財の扱いさえ覚束ず、引き戸を開けられず突っ立ていた時は目を疑った。
なんとも浮世離れしている。
あらゆることを数日かけて教え、急変した少年の日常は何とか落ち着きを取り戻しかけていた。
何も知らないにしては学習が早いのには、きっと理由がある。
エコの事情を教えてくれた男によれば、彼女は色々な知識を詰め込まれているらしい。恐らくエコの中に知識はあるものの、それが現実と結びついていない状態なのだと少年は見ている。
「エコ」
少年が声を掛けると、硝子のような瞳が少年の姿を映した。
「?」
ほんの僅かにでも首を傾げたのは、この数日間の中で最大の成長と言っていい。
「お前、何歳なんだ」
「……十二、らしい」
本当ならば同い年かもしれない。二人ともいつ生まれたか正確には分からないから、実際のところは分からないが。
「……これでか」
エコの背は平均より低く、腕はあまりにも細い。
「とりあえず、食事はなるべくしっかり取ってくれ」
「? 分かった」
季節は流れ、エコはゆっくりと感情を身に付けていった。
「何かないもんかな……」
少年は日課の鍛錬をこなしながら考え込んでいた。
細かい悩みは数多くあれど、今も残る最大の課題はエコの自発性の無さだ。
エコは興味を惹かれるものがないのか、それとも興味という概念自体がまだないのか、今も椅子に座ってぼんやりしていることが多い。
仕事を任せればテキパキと動くものの、それが終わってしまえば定位置に逆戻りだ。
ぼーっとしていることが悪いとは言わないものの、何か打ち込めるものを見つけてやりたい。継続しなくとも構わない。自分から何かを選び取る事が重要だ。
少年自身の場合、まさに今こなしている武術の鍛錬がそれにあたる。
最初はやらなければいけないから続けてきた。それがいつの間にか当たり前になり、いつの間にか興味の対象になり、生計を立てる術になっていた。
自分と同じ道をエコに歩ませるのもありかもしれないが、せっかくならエコ自身が何か選ぶべきだろう。
――と、思ってはいるものの、あてがない。
身体を動かすのは得意ではないエコに少年が教えられる事は少なく、町に出すには常識が無さ過ぎて心配の方が勝る。
誰かに相談しようにも、町の住人とはほとんど交流がない。
普段言葉をかわすのは、魔物を狩る時に顔を合わせる数人の男達と、あとは食材や日用品の買い出し先の店員くらいのものだ。しばらく先にある隣の家など全く交流がなく、何なら季節の境目にやってくる行商の方が馴染みがある。
まあ、いずれにせよ少年はエコの面倒を見ると決めた。
決めたからには、ただ決めた事を守るだけだ。
そうこうしていると、町の付近に魔物が出たと知らせが来た。
自分たちでなんとか出来る程度の種類だった場合、町の大人から有志が集まって討伐隊が組まれる。まだ若いものの、少年にも必ず声が掛かった。不定期ではあるものの、この報酬は少年の貴重な収入源だ。
今日出た魔物は図体だけだったため、男達三人と少年で、余裕を持って撃退した。魔物の死骸を処理ながら、少年は思い切って手近な大人に聞いてみた。
「なあ、おっさん」
「ん?」
「子供って、どうしたら成長するんだ」
周りの男達にもその疑問が聞こえていたのか、彼らは目を見合わせた。そして笑う。
「どうした急に」
「そもそも坊主だって子供だろう」
「そりゃそうだ」
「……いや、そういう話じゃなくて」
強面で魔物を追う際には言葉少なな男達だが、一度話を始めればおしゃべりだ。
「何か悩みか?」
「いや……」
「子供なんざ、放っておきゃ勝手に育ってくもんだ。俺達を見てみろよ。ロクに子どもの世話なんてしちゃいねえ」
それは確かに。
声に出さずに同意する。
「遊ばせときゃいいんだよ。喧嘩しながら学んでくもんだ」
「男だったらな。お前のとこは娘じゃねぇか。この間も――」
話題の中心は彼らの子供の話にずれていった。
どうしたものかと、少年は一人考え込んだ。
小屋の中の物が少しずつ増えてきた。
夕食前、少年はそれらを押しのけ、持ち帰ったものを机の上に積み上げた。
「?」
パラパラと埃が宙を舞う。埃を払うこともせず、エコが首を傾げた。
「本だと。読めるだろ?」
「……うん」
紙を束ねただけのものが五冊、束ねてすらいない紙の寄せ集めが三束で、全部で八冊。当然上等な作りではなく、どれも文字は滲んでいるが、読めなくはない。
「好きに読んでいい」
「? 分かった」
そう言うと、エコは不思議そうな顔で一番上の本を手に取った。
近頃は表情に変化が出てきている。それに、読めと言われずとも自分から行動しただけで大きな変化だ。それだけでも、町に寄った行商から買ってみた甲斐があったかもしれない。
翌朝、少年はいつもより早く目を覚ました。
何か、左手に弱い衝撃を感じる。
「お?」
傍らにエコが立っている。何事かと静観していると、エコが少年の袖を引いて、二度目の衝撃が腕に伝わった。
「これ」
エコは紙の束を少年の顔の前に突きつけた。
「……お、おう」
埃が目と喉に痛みをもたらす。昨日の仕返し……は、エコに限っては有り得ない。
「頁が足りない」
受け取った紙束を上から目を通す。そこには余白がなくなるほどの絵が描かれ、その場面を描写する文字が添えられている。紙をめくるごとに展開が進むものの、途中で脈絡がなくなり、最後は恐ろしく中途半端に終わった。
エコの言う通り、確かに中身が欠けていそうだ。
「安かったからな……」
少年が呟くと、エコは少年から本を取り上げた。
「他の本と混ざってないか調べたけど、無かった。どうしたらいい?」
「――!」
答えようとして、驚いた。
少年が本を持ったままだったら、取り落としていただろう。
それくらい衝撃的だった。
「ね。どうしたらいい?」
エコは待ちきれない様子で、少年の腕を引く。
ようやく何か見つけられたのかもしれない。
少年はそんなエコの髪をくしゃくしゃとかき混ぜた。
「……おう、待ってな」




