Ep.3-10 仲間たち(2)
「大丈夫、落ち着いて」
ハナの肩に手が添えられた。気付けば、籠から這い出してきたヨミが隣にいる。
日に焼けていない白い肌。意識的に瞑ったままの両目。成長の止まった、ハナより小さい体。最後に直接顔を合わせた頃から変わらない。
いつ以来だろう。数年、いやこの家が出来た頃だから、もう五年になるかもしれない。
「今、もう一度調べてみるから」
「うん……」
里長になっても変わらない。穏やかなヨミの声で、ハナは平静を取り戻した。
どうしてだか、ヨミはふふと笑った。
「それでは、しばらくお願いね」
そう言うと、彼女はハナの腕の中に倒れ込んだ。
ハナの腕の中で、ヨミの全身から力が抜けていく。
始まった。
今のヨミは深く眠っているのと変わらない。この術の発動中、意識は身体から離れて完全に無防備になる。身体に何が起きようと認識することはできず、この状態を自分で解除しない限り、何時間経とうが意識は戻らない。
危険で、戦術的価値が極めて高い、風読みの里の秘術。
この里はこの術があってこそ成立し、この術のために存在する。だからこそ、ヨミは自分自身をこの家に閉じ込め、秘匿し、守っている。
「……ヨミ」
あえてハナに身体を預け、糸が切れた操り人形のようになった彼女を見つめる。
感謝の言葉も、気持ちも、今は届かない。
ハナはただひたすら待った。
長い時間が経って、ヨミの身体がビクリと震えた。額に汗が滲んでいく。
「……ヨミ?」
丁寧に汗を拭き取った。その間も彼女が意識を戻す様子はない。
肉体と意識が分離されているこの状態で、肉体側に変化が起きることはない。少なくとも、これまでヨミがこの術を使った時、ハナが見ていた限り、こんなことは起きなかった。
「……大丈夫ですよ」
ハナに焦りが生まれた時、ようやくヨミが身じろぎをした。ハナの腕に捕まるように上半身を起こす。
目蓋の裏の蝋燭さえ煩わしそうにしながら、ヨミはハナの耳元に顔を寄せた。
「見つけましたよ――彼女は今、学院にいます」
囁くような声が、確かにその場所を告げる。
「剣士の彼も動いています。ハナ、あなたが彼を学院に導いてあげるんですよ」
時間は少し巻き戻る。
「――くだらんな」
リッカがやっと見つけたその男は、開口一番そう言った。
必要最低限。
テーブルを挟んでリッカと向かい合うのは、そんな言葉が相応しい男だ。決して痩せているわけでもなければ、もちろん太っているわけでもない。健康維持に必要な分だけ鍛えられた身体も、質素な服も、椅子と机以外に家具のない部屋も、全ては男によって厳密に管理された結果だろう。
過不足があるのは男が発する言葉くらいのものか。
「奴が既に亡いのは知っている。奴の最期も想像がつく。くだらん前置きや昔話ではなく、貴様の目的を話せ」
研究者のサンゼ。いつか嵐の日に会った大男の評価通り、確かに気難しく、癖のある人物だった。
無愛想で、言葉に容赦はなく、何より親交があったらしいゼルの最期さえくだらないと切り捨てる。
相手にしたくない種類の人間ではあるものの、気にし過ぎても仕方がない。人間性の保証がない冒険者稼業、もっとおかしい奴は山ほどいる。
リッカはサンゼの言葉に通り、用件を伝えようとした。
「研究所から逃げた子が苦しんでる。ゼルがあんたを頼れと言――」
「目的を話せと言った」
リッカの言葉が強制的に遮られる。
サンゼの神経質な指が机を叩く。
「もう一度だけ言う。いいか、目的だ」
戦いとはまた別の緊張感。目の前の男は遠回りや誤魔化しを許さない。
言葉を強調する無遠慮な音がむしろ、リッカの意識を質問へと集中させた。
目的、
「……仲間を助けたい」
深く考えるまでもなく、言葉が口をついて出た。
ほんの僅かに、サンゼが満足そうな顔になった。そんな気がした。
「そうだ。目的のために、俺に何を求める」
「仲間を助けるため、あんたの協力が欲しい」
「……続けろ」
「俺の仲間は、あんたも知ってる研究所にいた。魔力障害で、医者に診せても手の打ちようがないと言われたんだ。でも、俺はあいつを助けたい。だから、一緒に来て、あいつを助けて欲しい。金が必要ならいくらだって――」
目の前の研究者に、エコが助けられるかは分からない。だが、だとしても、やれることをやるしかない。
対価が必要なら、たとえ剣を売り払ったとしても用意してみせる。
覚悟を持ったリッカの言葉を、再びサンゼが遮った。
「分かった。もういい」
サンゼは立ち上がった。身を翻しながら、リッカを横目で見た。
「だが、俺が出向く必要があるとは思えん」
「なっ――」
リッカは思わず立ち上がった。背を向けた目の前の男を締め上げたい衝動に駆られた。いっそ、投げて床に叩きつけてしまいたい。――が、どうにか思い留まった。
リッカの敵意に気づいたかどうか、サンゼは壁際の棚を漁りながら奇妙な事を言い出した。
「番号は分かるか?」
「番号?」
何の番号を意図しているのか。リッカは答えられない。
「実験体には番号が振られていた。何番だ」
理解した。研究所にはエコ以外にも実験体がいて、エコは何番だったかということか。
だが――。
「……分からない」
答えられなかったリッカに、男はフンと鼻を鳴らしただけだった。
「ならば仕方無い。五分だけ待て」
サンゼは棚から取り出したペンと紙を持つと、机に向かって何かを書き始めた。
「俺には俺にしか出来ん仕事が山程あり、俗物にでも出来ることに俺の時間を裂くつもりはなかった」
手は一切止まらないまま、サンゼの独白が始まった。
「ある時、研究者から誘いの連絡が来た。撥ね付けてやっても良かったが、俺は血迷った。どうせ俺にしか出来んのであれば、王国の掲げる大義や人類のために時間を費やすのも悪くはない、と。そうして俺は、研究所からの誘いを受けた」
手の動き自体は特段早いわけではないものの、一切の迷いがない。紙はあっという間に文字で埋まり、サンゼは無駄のない動きで新しい紙と取り替えた。
「……だが、あの研究所にいたのはどいつもこいつも愚図だった。群れるばかりで何も生み出さない愚図に、天分を弁えず他人の足を引っ張るだけの愚図。俺としたことが、結局は自ら時間を浪費しに赴いたわけだ」
また紙を取り替える。三枚目に入った。
「とはいえ、奴等が掲げていた理想そのものは悪くなかった。病で死ぬ事のない世界、誰もが魔術が使える世界、魔物に脅かされない世界。どれも絵空事だが、結構な事だ。ただ、奴等は理想を叶える力を持たず、必要な時間を積み上げる事を怠った」
サンゼはペンを置いた。
「これで全員分だ」
三枚に渡った紙を重ねると、サンゼはそれをリッカに差し出した。
「モノはいらん、魔術士一人いれば対処できるよう書いてある」
受け取った紙には魔術士の用語なのか、知らない単語が大量に含まれている。詳しい内容は分からないものの、、確かに事細かな指示が書かれている。
リッカは真っ先に浮かんだ疑問を口にした。
「全員分って、どれがエコの――」
リッカの言葉は三度遮られた。
「くだらん質問をするな。俺が何と答えるか分かるか?」
言われてみて、なんとなく予想がついた。
「……『書いてある』?」
「そうだ。学習能力はあるらしい」
去り際までサンゼの態度は変わらなかった。
「もう一度だけ言う。魔術士一人を確保しろ。各実験体の見分け方、発症しうる症状、それらの対処方法。必要な事は馬鹿でも分かるよう書いてある。ギルドで募りでもして、エコとやらを治してやるがいい」
気難しいと呼ぶかはともかく、尊大な自信家であるサンゼは、それでも確かにリッカが求めていた情報を惜しげなく教えてくれた。
こうしてリッカはサンゼから得た情報を手に、ギルドへ向かった。
ハナはリッカの動向を知り、リッカを学院へと導くため追いかける。
ベルもまた、別の伝手で学院を目指していた。
エコを助けるための鍵が揃おうとしていた。




