Ep.3-8 エコ
少女に魔物が迫る。
その瞬間、少女と魔物の上で閃光が弾けた。閃光は広場全体を包み、瞬く間に少女と魔物を飲み込む。
光は繰り返し通路の壁を反射して、隣の広場まで赤く染めた。
光が収まった時、魔物の姿は消え去っている。一方で、地面に倒れた少女に傷一つない。
やがて、迷宮には似つかわしくない、町娘のような格好をした女性が現れた。
彼女は散歩でもするような足取りで少女に近づいていく。
「やだ……新種の魔物が出たって言うから急いできたのに」
彼女は倒れている少女の傍にしゃがみ込むと、気を失っている少女の髪を手で梳かした。
「随分可愛い魔物じゃないのよ」
「ん……」
エコはどこかで目を覚ました。
真っ白な天井。また知らないベッドにいる。
部屋の中らしいが、周りに人の気配はない。
身体を起こすと、滑らかなシーツがむき出しの肩から落ちた。
……むき出しの肩?
「わっ――」
下の下着以外何も身につけていないのに気付き、慌ててシーツを引き上げた。
誰に見られるわけでもないとはいえ、人に見せられるほど自信のある身体ではない。
「……どこだろ、ここ」
部屋には扉が二つと、窓が一つ。床も壁も石で出来ている。ベッドと小さなテーブルだけで半分を占めている狭い部屋だ。
シーツを身体に巻き付け、裸足で床に下りた。滑らかな床石は、陽の光が当たっている場所だけじわりと温かい。
窓からは西日が差し込んでいる。そっと窓の外を見てみた。
エコが今いるのは、高さからすると五階か六階あたりだろうか。
下は中庭になっているらしく、エコのいる建物を含めた四方の建物が中庭を囲う。斜め上に視線をやれば、建物同士が交わる箇所から尖塔が伸びている。
「いや、ホントにどこなの……」
城。
エコの知識からするとそう判断せざるを得ないのだが、そんな場所に心当たりがない。
そもそも、あの時、確かに魔物に襲われた。避けられるようなタイミングではなかったはずだ。
最後に見たのは、魔物の爪。いや、閃光……?
なぜ自分がここにいるのか、分からない。
「――」
部屋の外から声と足音が近づいてくるのが聞こえて、エコはシーツを手繰り上げた。
「失礼するわね」
ノックの後、部屋に入ってきたのは二人。
最初は銀の短髪に冷たい瞳の少女。木の盆で何かを運んでいる。真っ直ぐにエコを捉える視線は、エコへの警戒感の現れかもしれない。
もう一人、手が塞がっている少女の代わりに扉を開けたのは、黒髪の女性。滑らかな豊かな髪は、肩にかかるあたりで波打っている。
それ以外に目立った特徴はなく、顔立ちといい格好といい、そこらの町に一人や二人はいそうな容姿をしている。
「起きたのね、可愛い魔物ちゃん」
ノックと同じ声。黒髪の女性の方だ。
「?」
エコは言葉の意味を考えたものの、分からない。
「付き添いありがとうねぇ。大丈夫そうよ」
女性の言葉に、短髪の少女が静かに頷く。持っていた盆をテーブルに置くと、何も言わないまま部屋を出ていった。
ドアが惰性で閉まり、部屋の中は二人だけになった。
「貴方が一人で深大迷宮にいたところを拾ったのよ」
彼女は脇に抱えた服をエコに差し出して、言った。
「でも、話は後。まずは服を着替えて、それからお食事にしましょうか」
テーブルに置かれた盆には、蓋のついた木の器が載っている。蓋を開けると湯気が立って、香りが鼻腔をくすぐる。中身は小さめに切られた野菜と肉が少し入ったスープだ。
一口食べると、薄めの塩気が体に沁みる。エコは久しぶりに空腹を自覚した。
「どう、美味しい?」
「あ、はい」
「そう。それは良かった」
黒髪の女性は朗らかな笑みを浮かべた。
エコが食事する傍ら、彼女はこれまでの経緯を話してくれた。
まず、二人がいるのは、王国魔術学院――つまり学院の一室で、彼女は学院に雇われている講師の一人らしい。彼女が迷宮でエコを発見して、この場所まで連れて帰ってきた。
しかし、他に冒険者がいないような場所になぜ彼女が現れたのか。
それは、深大迷宮に侵入してからのエコの行動が原因だった。
今回、エコは倒した魔物から資源を全く回収せずに奥へ進んだ。見かけた魔物全てを倒したわけではないものの、結果的に、エコが通った後には魔物の死骸が手つかずで残された形だ。
これを、他の冒険者達が異常と捉えたらしい。この迷宮に潜った冒険者が資源を無視していくとは考えにくく、何か新種の魔物が暴れながら深層に向かったのではないかと騒動になったらしい。
魔術の痕跡で人間だと分かるじゃない。何でも無いことのように笑う彼女は一人で調査のために迷宮に入り、そこで魔物に襲われそうになったエコを発見、救出したのだとか。
話を聞く限り、エコは助け出された後からそのまま半日近く眠っていたらしい。
「じゃあ、貴方の番。良かったら教えてほしいんだけど」
食事を終えたエコに、彼女は問いかけた。
「どうしてあんな場所にいたの?」
柔らかな口調と笑顔はこれまでと変わらない。ただ、空気が変わった。
エコは何か誤魔化す言葉を考えようとして、やめた。
「……深層に、万能薬があるって聞いて」
「やだ、噂を信じてあんな深さまで? 若いっていいわね」
彼女は口に手を当てて驚きを表現した。
身振りや話し方はともかく、彼女自身も若いのではとエコは思った。
「――で、どうして?」
「……え?」
彼女は冗談を言ったかと思えば、静かに問い詰めるような口調に急変した
緩急の激しさに翻弄される。
「そこまでした理由は? もしかして、貴方に纏わりついてる、妙な魔術が関係してる?」
「!」
エコ自身に纏わりつく魔術とはなんだろう。今のエコに魔術は使えない。少なくとも、意識的に使っている魔術はない。
しかし、心当たりだけなら、一つある。
研究所で過ごした日々、過去のほとんどを引き換えにエコに備わった、エコが魔術を使うことを可能にしていた、式。
それが魔術だったと、エコは認識したことがない。
エコ自身がその魔術を知覚したこともなければ、これまで出会ったどの魔術士にも指摘されたことはない。
「かなり複雑ね。……でも、複雑である必要はなくて、構成が下手なだけ。これを書いたのは一人じゃなくて、三人……いや、四人かな。癖は四人分あるのに、表現が途中で変わってる。まるで、最初は理解していなかったことを後で理解して、書き足したみたい。無駄ばかりで間違いも多くてやぁね」
エコへの質問を忘れ、熱心にエコの手元を見ていた彼女が、ふと思い出したように顔を上げた。
「あら、ごめんなさい。独り言ばかり」
その言葉を、エコはほとんど聞いていなかった。
――この女性は、エコが自分自身でさえ気づかなかった魔術を、一瞬でここまで見抜いてみせた。しかも、口ぶりからすれば、彼女も式をどうにかできる自信があるように聞こえる。
エコの中に一つの希望が生まれた。
彼女に頼れば、また魔術を使うことができるかもしれない。
エコは意を決して切り出した。
「あの、あたし、その魔術を頼りに魔術士をしてきて」
「うん」
彼女は軽く頷いた。
「でも、少し前から魔術が使えなくなって」
「うんうん」
相槌が言葉の続きを促す。
「この魔術を、元に戻すことは出来ませんか?」
「うん。できるけど、しない」
彼女は相槌より速く即答した。
「え……」
彼女はずっと笑顔のままだ。けれど、何か有無を言わせない圧力を感じた。
「それ、使い続けたら死んじゃうわよ。欠陥だらけだもの」
「でも、あたしには必要なんです」
「ダメ。貴方みたいな子を、むざむざ死なせることはできないわ」
エコが何度主張しても、取り付く島もなかった。
新たに降って湧いた希望は、あっという間に潰えてしまった。
悔しさと怒りと失望がエコの中で混ざり合って、言葉に出来ない。
沈黙の後、エコは立ち上がった。
「……色々ありがとう。あたし、出ていきます」
女性を振り切って部屋を出ようとした。彼女はエコを追おうとしなかった。
その代わり、彼女は壁を指で弾いた。指が触れた場所から部屋の反対側まで、魔力光が走る。
「それもダメ。貴方、また迷宮に行く気でしょう?」
「!」
――と、ノックと共に部屋のドアが半分開いた。
最初に現れた銀髪の少女が顔を出して、エコと目が合った。
「メア、学院長が呼んでる」
少女はエコ越しに女性に――メアと呼ばれた女性に声をかけると、頭を引っ込めた。
エコは開いたドアから自分も外に出ようとした――が。
「な――」
壁、何か目に見えない壁のようなものに阻まれて、ドアに触れることが出来ない。
そんなエコを横目に、盆を持ち、メアも立ち上がった。。
「……悪いけど行かなきゃ。夜までには戻って来るから、大人しくしていてね」
エコを阻んだ見えない壁は、エコだけにしか影響しないのか。
メアは何事もないかのように、エコの横を通り抜けた。
「待って!」
彼女は待たなかった。ドアが閉まる直前、振り返りざまにエコの足元を指差した。
「荷物、ベッドの下にあるわよ」
「っ」
エコはドアとベッドを交互に見て、ベッドを選んだ。
ドアが閉まる。
ベッドの下には木で編まれた籠があり、確かにエコの装備が揃っていた。
背嚢は破れた箇所が丁寧に繕われている。中身は多少減っているものの、迷宮で中身を散乱させたことを思えば、むしろメアが丁寧に拾ってくれたことが分かる。
その気遣いにも、今は無性に反発したくなる。
見たこともない魔術。詠唱もなく、いとも容易く発動してみせた。しかも、効果はエコだけを対象にしている。
部屋を包む魔術がどの魔術体系に属するかさえ想像がつかない。
それでも、衝撃を与えればドアを壊せるかもしれない。
エコは巻物を取り出し、破いた。次から次へ、手当たり次第に。巻物に込められた魔術が狭い部屋の中で暴れ狂う。
しかし、巻物をいくつ使おうと、ドアにも部屋の家具にも、エコ自身にさえ傷一つ付かなかった。
「……」
何も出来ない。
何をしても無駄だ。
道は閉ざされてしまった。
まるで世界に拒絶されたようで、エコはその場で崩れ落ちた。




