Ep.3-7 リッカ
あれは何年か前の、激しい嵐の日だった。
町外れの小屋に一人で暮らしていたリッカは、扉を激しく叩く音に悪態をついた。
「こんな日に何なんだ」
最初は、何か木の枝でも飛んできて、扉にぶつかったのかと思った。そうでなければ、誰もが家に籠っているような雨の中、わざわざ出歩いている人間がいることになる。
しかし、一度ならず二度三度と音は続き、確かに誰かがそこにいることを示していた。
生憎と玄関の扉は全面が木製で、外の様子を伺えるような上等なものではない。
仕方なく、リッカは閂を外して扉を開けた。途端、屋根の張り出しを無視して雨が吹き込んでくる。風が扉で渦巻いて部屋の中を揺らす。が、予想したほど酷くない。
そのはずだ。扉の外には大男が立ち、まるで壁のように雨と風のほとんどを遮っている。
巨体をすっぽりと覆う外套とフードから、人好きのしそうな愛嬌のある丸い顔だけが浮いている。馴染みのない顔だ。少なくとも、近くの人間ではない。
そもそも背丈からして見覚えがない。
男はリッカを見るなり、苦い顔になって尋ねた。
「坊主一人か?」
「ああ、俺だけだ」
「そうか……」
これが本当に扉を叩いていた男なのか、男の態度ははっきりしない。
しかし、何も何もこんな日に、扉を開けたままで悩まなくともいいはずだ。
「……用があるならまずは入ってくれ。部屋の中が水浸しになる」
「そうだな……すまん」
男は申し訳なさそうに身体を縮こめて、家の中に入った。
「……」
リッカが無言でタオルを二枚差し出すと、男はありがとうと受け取った。
男は外套を半分だけ脱ぐと、中に背負っていた人物を片腕で抱いた。男同様、雨でびしょ濡れになっていたのは子供だ。眠っているのか、意識はないようだ。
男は自分自身には構わず、子供の身体を二枚のタオルで丁寧に拭いていく。
「すまんが、できれば火にあたらせたい」
「……分かった」
リッカは、まだ全身から水を滴らせている男から子供を引き受けた。軽い。
リッカは椅子を足で蹴って暖炉の前に移動させ、子供を座らせた。
火を熾して、入口に突っ立ったままの男の元に戻る。
「アンタ誰なんだ。あの子も」
リッカの口調が自然と強くなる。男は困ったように答えた。
「己はゼル。ある場所で門番をしていた。あの子は……名前はなんていうんだろうなぁ」
「……は?」
リッカは呆気に取られた。
「知らないのか?」
「知らん。今まで知ろうとしなかった。……とんだ怠慢だ」
男は首を振った。話が読めない。ただ、きな臭い。
「ああ……坊主は、なんて言うんだ」
「リッカだ」
「……そうか、いい名前だ」
ため息なのか呼吸なのか、口から空気が漏れる音と共に、ゼルは天井を仰いだ。
それからゆっくりとかがんで、リッカと目線の高さを合わせる。
「リッカ。本当は大人に頼むつもりだったんだが、すまん、時間がない。あの子を頼まれてくれないか」
「は?」
「数日……いや、雨が止むまででいい。雨が止んだら誰か大人に引き渡してくれればいい。それまででいいから、あの子に生き方を教えてやってくれ、頼む……」
あまりにも唐突だ。けれど、突き放すには、男の目はひどく真剣だった。必死といってもいい。
「なんでだ。アンタがやればいい」
戸惑ったリッカは、その行動の要否ではなく、誰がやるかという点に話をすり替えてしまったことに気付かない。
ゼルは応えず、ただ苦しげに息を吐いた。
そして、リッカはその時初めて、ゼルが深手を負っているのに気付いた。
「その怪我……」
左の肩口から腰の右まで真っ直ぐ切り裂く、長く深い傷跡。この雨でも洗い流しきれなかったほどの血が、外套の内側に染み付いている。
「……ああ、見ての通りだ」
リッカには武術の心得があり、怪我の判断や手当の方法も学んでいた。だから分かる。この傷は助からない。
ゼルの口から、喋っていない間も空気が漏れていく。漏れているのは空気だけではない。命そのものだ。
ゼルは懐から右手で麻袋を取り出すと、左手でリッカの腕を掴み、麻袋を握らせた・
ジャラリという音と、重い金属の感触。
これは受け取ってはいけない。突き返そうとしたリッカの肩をゼルが掴んだ。
「すまん、時間が、ないんだ」
熱に浮かされたようにゼルは繰り返す。本当に、残された時間は少ないのかもしれない。
迷った末に、リッカは心を決めた。
「……分かった。一日と言わず任されてやる」
「そうか……ありがとう」
リッカの言葉に安心したのか、ゼルの身体から力が抜けていく。リッカの肩に置いた手を残したまま、片膝をついた。
「何か……あの子に言い残すことはあるか?」
他に聞くようなことはなかった。
「無い。その子は己を知らない。死を背負わせたくない。己の事は伏せてくれ」
「……分かった」
自分の事を知らない赤の他人に対して、なぜここまで出来るのか。それは分からないものの、彼の想いは、決して無下には出来ない。
「ここでは迷惑をかけるな……外へ連れていってくれるか……?」
「……ああ」
嵐の中、リッカはゼルに肩を貸しながら歩いた。ゼルの身体は徐々に力を失い、足取りは重くなる。
「己はただの見張りだった……だから罰が当たったんだな……ああ……そう言うな……こういう性分だ……」
男の独り言は既に意味を成さない。
とうとう進むこともままならなくなり、ゼルは倒れるように道端の木に身を預けた。もう、焦点さえ確かではない。
しかし、一度大きく咳き込んだ後、男の瞳に意思の光が灯った。
「リッカ。王都にサンゼという研究者がいる。もしあの子に何か起きたらあいつを訪ねるんだ。気難しい奴だが、助けになってくれる」
ゼルはそう一気に伝えると、最後に誰かの名前を呟いたきり、動かなくなった。
リッカが小屋に戻った頃には雨は止んでいた。
暖炉の火も消えかかっている。
薪を焚べると、いつから起きていたのか、椅子の上の子供と目が合った。その目には警戒も動揺もなく、ただじっとリッカを見つめている。
「お前、名前は?」
彼女は感情のない声で答えた。
「エコ」
――どうして今まで忘れていたのか。
あれからエコの世話にかかりきりになったからか。それとも、ふとしたきっかけでエコが冒険に興味を持っているのを知って、二人で冒険にのめり込んでいったからか。
あの日エコを託されて、リッカの人生は変わった。
今度はそのエコから春風を託された。
それがエコの選んだ生き方というなら止めない。自分自身の気持ちは心の奥にしまって、ベルとハナとリッカの三人に、必要ならメンバーを加えて、これまでのようにやっていこう。
――そう覚悟していたのに、三人になって半刻もしないうちにこれだ。
二人とも戻ってくるつもりがあるとはいえ、ベルに続いてハナも去った。
一人残されたリッカだけで、春風といえるのか。
「……」
リッカは、自分が義理堅い人間だとは思っていない。
続けるべきだと思ったことは続けるし、要らないと思えばすぐにやめる。他人からの頼みには重みがあるものの、決めるのと、やるのは、常に自分だ。
エコの寿命の話もそうだ。
最初はエコが隠していたから、触れなかった。後から、ベルとハナには秘密にしてほしいと言われた。一人で抱え込み、そのままいなくなろうとするエコには少し腹が立ったものの、意思自体は尊重した。
だから、エコの前で知らないフリをすることを条件に、ベルとハナにはこっそりと全てを打ち明けた。リッカの知っていること全てを。
「――やめだやめ」
動けるうちにパーティを去りたいというエコの望みは叶えた。ここから先は、リッカがやりたいようにやる。
「まずは、研究者のサンゼ」
王都にいるという彼を探し出し、協力を仰ぐ。そして、エコを連れ帰る。
エコに魔術が使えようが使えまいが、強がって仲間を遠ざけようが、もう関係ない。どういう形であれ、最後までエコに付き合おう。
きっと、ベルやハナとも、どこかで合流できる。
「ちっ」
自分が納得できる答えに辿り着くまで、遠回りをしたものだ。
「生き方を教える、そういう約束だったな」




