Ep.3-6 ベルとハナ
(どうしてなの、エコ)
ベルは、これがエコとの本当の別れになることを知っていた。
エコが無理をして笑った最後の顔を、ベルは忘れない。
エコの姿が雑踏に消えてから、本当にもう会えないのだと実感が湧いてきた。実感はベルの中にあった衝動を際限なく強くした。居ても立っても居られない。
顔を洗ってくると消えたハナが帰ってくるのも待てず、ベルはリッカの袖を掴んだ。
「ん? どうした」
リッカが振り向いた。
「ごめん。私、一週間だけいなくなる」
リッカは目を丸くしたものの、すぐに頷いた。
「……おう」
「ハナにも、ごめんって伝えておいて欲しい」
「分かった」
ベルは馬車から下ろした荷物から最低限だけ取り出し、手早くまとめ直した。
「ベル」
あとはリッカに任せて発とうとしたところで、呼び止められた。
「あいつの我儘に付き合ってくれて、ありがとな」
ベルは通りを足早に進んでいく。
他の町とは比べ物にならない人の数。それでも、慣れていれば人とかち合うことはない。少しくらいなら考えごとをする余裕もある。
――路頭に迷いかけて、一人取り残されたあの時。
ベルを助けてくれたのは、他でもないエコとリッカだ。
(……分からないよ、エコ)
エコは自分勝手だ。
結局、エコはパーティを去ってしまった。止められなかった。
エコとリッカがいたから、ベルは冒険者を続けていた。それなのに、ベルを拾ってくれた二人を、パーティへの思いを、どうして今更ベルが捨てられると思うのか。
エコは自分勝手だ。
もうこれきりで会えない。そんな大事な事を、ベルとハナに黙って去ったところも、自分を顧みないところもだ。
苦しみも悲しみも、もっと仲間と分け合って欲しかった。
「――まだ、エコには言ってない文句があるんだ」
エコの症状は、本人からもリッカからも聞いていた。
魔力障害に詳しい医師でも手の打ちようがなく、自然に回復することを期待するしかない、と。
しかし、改めて考えてみれば、本当に打つ手がないとは限らない。
王都にも多くの医師がいる。同じくらいには魔術士もいる。
数だけではない。王国屈指の魔術士と名高い、国王直属の二人の魔術士。王国の各組織に対して横断的に魔術を指南する、学院の魔術士団。世界有数の魔術の専門家である彼らなら、エコの症状にだって解決策を見いだせるかもしれない。
ベルは王都の中心区、屋敷が並び立つ一帯に入った。他の区画に比べて通りの間隔は倍ほどに広いものの、全ての屋敷が通りに面している。
中でも一際大きい屋敷の前に来た。建物は遠目に見てもよく手入れされており、庭からは花々の香りが漂う。周囲の生け垣に至っては端から端まで完璧に整えられていて、一枚の落葉さえ存在を許さない。
「……端から十番目の煉瓦」
ベルは景観に目もくれず盾を置くと、目印を確認しながら生け垣に手を突っ込んだ。手首を曲げて指を彷徨わせると、枝より固いものに触れる。
キン、と生木にしては高い音が鳴る。その部分だけ模造になっていた枝葉の房が外れ、代わりに空いた穴にベルは身を滑り込ませた。
前回ここを通ってから何年経っただろう。身体は大きくなったはずなのに、不思議と通り抜けられた。
ベルが庭を真っ直ぐに進むと、大きな噴水に出た。
噴水の横、ちょうどベルに背を向ける方向で、男が槍と盾を手に鍛錬に汗を流している。
体格に恵まれ、自信と誇りに満ちた精悍な顔。何年も見ていないとはいえ、忘れる事のない後ろ姿。
衣擦れで気配を察知した男は、槍の型を崩し、身を反転させて別の型につないだ。流れるような動きで切先がベルの鼻先に突きつけられる。
男の顔が、すぐに驚愕に変わった。槍が力を失って地面を擦る。
「ベルシオン! どうしてここに」
無理はない。彼にとってベルは、疾うの昔にここから逃げ出したはずの存在。帰ってくることがあるとは想像していなかったのだろう。
ベルも二度と戻ってくるつもりはなかった。
それでも帰ってきたのは、自分自身のどんなこだわりより、優先するものがあるからだ。
ベルは身体を折り、深々と頭を下げた。
「兄様、お願いがあります」
「エコは、私たちと一緒にいたくないの……?」
ハナも、これがエコとの本当の別れになることを知っていた。
エコの最後の姿は、涙が滲んだハナには見ることができなかった。
ベルがリッカに何かを言い残して去って行くのを、ハナは遠くから見ていた。
いや、見ていただけではない。何を話していたかも分かっている。魔術に限りなく近い技術で、ハナの聴力と聴覚は常人を遥かに上回る。
エコに続いて、ベルもどこかに行こうとしている。どこへ。どうして。
「――だそうだ」
愕然としながら戻ったハナに、リッカは問いかけた。
「ハナ、お前はどうする」
ハナは自分が少し変わっていることを知っている。
普通に町を歩いているつもりでも、くすくすと笑わられることは珍しくない。単なる好奇の目もあれば、悪意が含まれている事もそれほど珍しくない。リッカやベルでさえ、時にはハナの行動に苦笑いする。
自分はそういう人間だから、それは仕方がない。
他人の表情や仕草に対して人一倍敏感なハナは、色々と気付き過ぎてしまう。だからなるべく考えず、思ったままに振る舞って、他人の反応は極力無視するようにしている。それがまたかえって奇異な目で見られることに繋がっても、ハナは気にしない。
エコの前では違った。
最初にギルドの前で出会った時から、エコはハナを笑わなかった。ハナは前よりずっと自然に、自分らしくいられた。
だから、ハナは出来る限りエコの力になりたかった。
エコは強力な魔術でどんな敵も倒してしまう。リッカやベルは、凶暴な魔物に恐れず立ち向かっていって、ハナやエコを守ってくれる。それに比べて、ベルが出来ることは少ない。
エコが魔術を使う度に疲労しているのは気づいていた。けれど、エコが皆に隠そうとしていたから、ハナも気づかないフリをした。
せめてエコに頼ってもらえるよう、弓矢の努力を続けてきた。
ハナの弓矢はパーティの攻撃で一番遠くに届く。でもそれだけで、ベルの努力は足りなかった。
雲羊程度ならともかく、火呈園の魔物に対して、ハナの弓矢はほとんど無力だった。特性強化を加えてもろくに役に立てず、エコの魔術がなければ走狗型の一体も倒せなかった。
「――ハナ、お前はどうする」
そう聞かれて、ハナは一瞬だけ考えた。
けれどすぐに気付いた。リッカがあえて問うてくれている意味を。
そして思い出した。自分らしくあるハナを、エコが好きだと言ってくれたことを。
ハナは決断した。
「私も、一週間したら戻るわ」
「そうか。荷物はどうする」
「いらない」
弓と矢、身につけているものと、僅かな所持金があれば足りる。
「分かった。ならベルのと合わせて預かっとくな」
「うん、ありがとう」
ほとんど三人分の荷物を抱えたリッカに、ベルは更に感謝を伝えた。
「……ありがとう。エコの事、先に教えてくれて」
王都を出ようとしている馬車に片っ端から声を掛けて、ことごとく煙たがられた。それでもハナは目的地付近に向かってくれる馬車を探し当て、飛び乗った。
「エコは……もしかしたら私たちと一緒にいたくないんじゃないかって、そう思ってしまったの」
エコが昏睡から目を覚まして、リッカと喧嘩した後、なるべくエコを冒険から遠ざけようと三人で決めた。
ハナとしては思うところがあったものの、その時のエコの体調を思えば反対することはできなかった。
けれど、体調が回復してから、エコは何かと身を引きがちになって、冒険にも乗り気ではなくなってしまった。エコは怒って、みんなのことが嫌いになってしまったのではないかと、ハナは思った。
それが勘違いだと知ったのは、エコの過去を知った次の日。
絶対に秘密にと念を押され、ベルと二人でリッカから聞いたのは、エコの残りの寿命。無理に使い続けてきた魔術によってエコの身体は限界が近く、あと一月と生きられないだろうと、そう聞いた。
それを知った時、視界が真っ暗になったようで、身体が震えて立てなかった。
エコに頼ってもらうどころか、エコの足を引っ張っていた。いや、もっと酷い。
ハナは何度も何度も、エコに魔術を求めた。寿命を削るように魔術を使っていたエコに。知らなかったなんて言い訳にならない。
やっぱり、エコに嫌がられていたんじゃないか。だから、エコは去っていくんじゃないか。自分に厳しいエコが、その厳しさのほんの一部でもハナに向けて、役に立たないハナを見限ってしまったんじゃないか。
振り払ったはずの疑念が、またハナを襲った。
「違う」
エコはそんな事で人を嫌いになるような人じゃない。
「エコはエコなりに、私たちのことを考えてくれているだけ」
目の前でエコを失えば、ハナは立ち上がれなくなってしまう。打ちのめされて、ベルやリッカが励ましてくれても、里に帰ってそれきり閉じこもってしまうかもしれない。
もしかしたら、エコのついた優しい嘘に守られている間だけは、どこかでエコも頑張っていると、自分も頑張れたのかもしれない。
頭の中はもうずっとぐちゃぐちゃで、もしもの話なんて、冷静に考えることなんてできない。
けれど、冷静になる必要なんてない。深く考える必要なんてない。
ハナはハナらしく、自分の心に従うだけ。
「――待ってて」
お礼を渡すと同時に馬車を飛び降り、勢いのまま木々の間に飛び込んだ。
山の中を奥へ、より奥へと駆けていく。
「聞こえているんでしょう。お願い、応えて」
木陰の中を抜け、沢を飛び越え、転げ落ちるように斜面を降りる。
勢いがつきすぎて、地面に着地する瞬間、ハナは転んでしまった。
「――っ」
身体のどこかがズキリと痛んだ気がしたものの、構わずハナは立ち上がる。
再び走り出そうとした、その時。
「――ハナ様?」
聞き覚えのある声がした。
ハナはその声の主に、縋るように飛びついた。
「キョウ、ヨミに会わせて!」




