Ep.3-3 魔術が使えない魔術士(3)
症状が落ち着くまで休み、エコはその足で医者の元へ向かった。
それからエコが部屋に戻ると、ベルがいた。窓辺に机と椅子を寄せて、何かを読んでいる。
「ただいま」
「あ、おかえり」
よほど没頭していたのか、ベルはようやく気づいて顔を上げた。
「珍しいね」
「魔術の本。ギルドで借りたんだ。私は魔術の事をほとんど知らなかったから、少しでも知っておこうと思って」
「……そっか」
まだ読み始めたばかりらしい本は、頁が一方に大きく偏っている。
「やっぱり魔術って難しいね。分からない事が多いから、王国の魔術体系について書かれてるところを読んでるんだ」
魔術体系。一流派が使う構造化された魔術一式や、流派そのものを指す言葉だ。
魔物との終わらない戦いの中、魔術は進歩を続けてきた。次々と新しい魔術を作り出し、第一線で活躍した者がいた一方、既存の魔術を分析し、より使いやすく構成して魔術の普及や継承に努めた者もいた。
魔術の普及は適正が壁になって頭打ちになったものの、有力な魔術は魔術体系として整理されたことで、魔術は時代を経てより効率的で、安全で、習得しやすい形に洗練されてきた。
魔術体系は多種多様で、国や地域、組織毎でも異なる場合がある。声や特定の動作を起点にしたり、武器や道具に仕込んだりと、魔術の発動方法だけでも様々だ。
最も代表的な魔術体系は王国式魔術。単純な攻撃魔術に大きく偏っているものの、簡潔で癖がなく、総じて威力が高い。王国式から派生した魔術体系も多い。
エコがよく使う『雪華』や、『寵』と『潰月』も王国式だ。
そしてもちろん、魔術体系は他にも数多存在している。
ベルは紙に書かれた文を指でなぞっていく。
「王国式魔術の定期改定に向け体制を変更……。稀代の天才魔術士であるメア氏の協力の下、王国魔術学院主体で推進――あ、これって学院のことか」
王国魔術学院、または単に学院。取り違えるような組織が他にないため、後者で呼ばれる方が多い。王国の魔術士の多くはそこで魔術を修める、らしい。
ベルは何年か前まで王都で騎士を目指していたというから、何か縁があるのだろう。
「そういえば、エコも学院で魔術を習ったの?」
「いや、あたしは……何ていうんだろ……まあ、何人かに教えてもらったよ」
「個人授業みたいな?」
「……まあ、そんなとこかな」
「そうなんだ。……あー、私に魔術の適正があったら、燃える剣とか使えたのかなぁ」
ベルは時々、小さな男の子のような事を言う。
「剣が燃えてたら熱いんじゃない?」
「あれってやっぱり熱いの?」
「や、どうだろ。体系によるかも」
「……どうしようエコ」
「ん?」
「めちゃくちゃ気になってきた」
真面目な顔で話すベルが可笑しくて、エコは思わず吹き出してしまった。
また何日か経ち、最初に決めた二週間が近づいてきた。体力は戻ってきた一方、エコが医者の元に足を運ぶ回数は増えていた。
仲間たちとは毎日顔を合わせているものの、それぞれが好きなように過ごしている。
既に医者の診断を済ませた今日、エコは部屋の窓から外を眺めている。
上りきった太陽が建物の影を伸ばしていく。夕暮れにはまだ早い時間でも、人々が忙しく行き交っている。
「……やっぱりハナを追いかけようかな」
少し前、久しぶりにギルドに行こうとハナが誘ってくれた。気分が乗らなかったのでやんわり断ってしまったものの、一緒に行けば良かったと後悔が襲ってきた。
部屋の鍵を宿の主人に託し、建物を出ようとしたところで、エコの足が止まる。
リッカだ。なぜか腕を組んで壁に寄りかかっている。
通り過ぎて行く人たちが邪魔そうに横目で見ても、リッカは気にしていない。
「……何してるの」
「おう」
リッカは腕組みを解くと、無表情で言った。
「今から話せるか?」
「いいよ。何?」
リッカは答えず、黙って背を向ける。付いてこいということらしい。
エコは通ったばかりの通路をほとんど引き返すことになった。リッカが向かったのは自分の部屋だった。
中に入って、エコは少し驚いた。
「……部屋に戻ってないの?」
もう何日もここに泊まっているのに、部屋の中は片付いている。……というより、ほとんど使っていないように見える。
「まあな。街の入口で見張りの仕事があって、少し手伝ってる」
ぶっきらぼうにリッカは答えた。
「……そうなんだ」
そんな話、夕食の場でも聞いたことがない。
リッカが答えたきり動こうとしないので、エコは勝手にベッドの隅に座り込んだ。
「……ね、座らないの?」
返事はない。いくら待っても話が始まらないので、エコは立ち上がろうとした。
その途端、リッカは唐突に切り出した。
「……エコ」
「……なに?」
「お前のそれは、治るのか?」
エコは間髪入れず答えを返した。
「何かと思ったら。過出力による虚弱のこと? 別に今回が初めてじゃないじゃん。リッカも知ってるでしょ」
「……」
リッカは何も言わない。また間が空いた後、リッカは続けた。
「……最近、上の空だったろ」
リッカの瞳がエコをじっと見つめている。そこに自分自身が映るのを見て、エコは目を逸らした。
「……ま、リッカには誤魔化せないよね」
リッカの視線が突き刺さるようで、エコはわざとらしく伸びをしてみせた。
「魔術の使いすぎってのもあるけど、そもそも扱える魔力の量がどんどん減ってたんだよ。だいぶ前から、ね。こんなに急に限界が来ると思ってなかったけど」
「医者には?」
「何度か診てもらったけど、お手上げだって。普通なら魔力を使えば少しずつ容量は増える。減るケースなんて聞いたこともないし、考えられないって」
普通なら。リッカは声に出さずに口の形だけで繰り返した。
「……俺は、お前の過去を知ってる」
エコの肩がビクリと震えた。
「……なに、急に」
「急じゃない」
「……」
「人ひとりが使える魔術体系は一つだ。一つの体系を習得するだけで膨大な時間がかかる上、別の魔術体系を使おうとすれば、魔力の運用方法や予備動作、詠唱同士が干渉する」
「……よく知ってるじゃん。それで?」
「『雪華』と『示凍源』、別々の魔術体系が使えるのは有り得ない。ましてや、見ただけで魔術が使えるようになるのは異常だ」
「……」
「お前がいた――あの研究所と関係があるんだろ?」
「……分かった」
自分で話す、と、エコは諦めたように話しだした。
そう、あたしは物心ついた時からあの研究所にいた。閉じ込められてたわけじゃないけど、あそこにいるのが当たり前だったから、逃げる発想もなかった。
研究所では魔術と人間について、色々な研究が自由に行われてた、らしい。倫理や法に縛られないって意味ね。
で、つまりあたしは被検体だった。。研究のテーマは『可搬性』だったかな。誰でも魔術が使える、そんな世界を目指してたらしい。
あたしはその第一号で、どんな魔術でも使えるようするために、よく分からない魔術とか薬とか、色々な研究の結果が注ぎ込まれた。実際何をしたのか、何をされたのかはもう覚えてないけど、毎日のように続いた訓練が、ただ苦しかったことだけは覚えてる。
……ともかく、何年か経って、研究は形になった。あたしには魔術を再現するための『式』が備わって、見ただけの魔術でも再現して使えるようになった。狭義の魔術だけが対象だとか、必要な魔力次第で再現できない魔術があるとか、制約はあったけど。
研究者の人たちは喜んでたのかな、覚えてないや。
でも、ま、研究は大きな区切りを迎えた。
その直後だった。研究所がやってきたことがバレて、王国の兵士が乗り込んできた。研究所は崩壊して、あたしは助け出された――
「――そこからは、リッカも知ってるよね」
「……ああ」
「結果的にあの研究は、あたしっていう一人目が作れた、ってところで止まった。あと、耐久性っていうのかな。魔術を再現する時にかかる負荷とか、副作用とか。そういうのは後で解決するつもりだったみたい」
それも途中で終わっちゃったけど、と、エコは何でもない事のように言った。
「だからあたしは魔術を自由に使えるけど、その分疲れちゃうんだよね」
リッカはずっと、相槌以外は押し黙って話を聞いていた。それが、ようやく疑問を口にした。
「今は、どこまで」
あまりに抽象的な問い。でも、なぜかエコには意図が分かった。
「だいぶ進んでるって。試してみたんだけど、もう初歩の魔術も使えないかも。やってみるね」
エコは腕を上げ、短く詠唱する。
「昨日はいけたけど、どうかな……?」
しかし、魔術は発動しない。エコはただ苦しそうに身体を折った。
「やめろ!」
リッカは咳き込むエコの手を取り、無理矢理下ろした。呼吸が荒い。
エコの背中をリッカがゆっくりと叩くと、エコは少しずつ落ち着いていった。
不意にエコがリッカの手首を握り、手を引いた。
腕の動きに引かれ、二人の顔が近づく。額が触れそうな距離にリッカは動揺する。
「な、なんだ――」
「……リッカ、春風をお願い」
「何を……言ってるんだ」
狼狽えるリッカに、エコは続ける。
「本当はあたしの代わりを見つけようと思ってたんだけど。……もう、間に合わないかもしれないから」




