Ep.2-9 帰還(2)
リッカが剣を抜きざまに切り上げる。走狗型は飛び退いて躱した。切先を上げたまま牽制すると、走狗型はじりじりと下がっていく。
足場が限られているとはいえ、一対一であれば難しい相手ではない。しかし、リッカが踏み込んで薙ぎ払おうとすると、走狗型は見越していたかのように身を翻した。
空振りになる。
「――ちっ」
予想外の回避に、リッカは走狗型に抱いていたイメージを改める。
走狗型は単に攻撃的なだけではなく、狡い魔物だ。この場では下手に攻め込むより、つかず離れず追い立てた方が効果的だと理解している。
「……いつの間に」
更に、尾根の先の段差の方向から、走狗型がもう一体が向かってきた。リッカと戦っていた一体と合流すると、二体は横並びになってこちらを窺っている。
リッカの剣を警戒しているのか、走狗型は距離を取ったきり近づいてこない。約十歩。野犬のようなすばしこさで逃げに徹されれば追いきれない。
しかし、ただこちらを見ているわけでもない。隙を見せれば今にも襲いかかってきそうだ。
ハナが弓を構えた。
「……だめだわ。リッカに当たってしまう」
射線上にはリッカがいる。太陽を射るように曲射をすれば走狗型を狙うことはできるものの、大人しく当たってくれるとは到底思えない。
リッカは振り返らず声を投げた。
「足止めする。先に第一層まで進んでくれ!」
「分かった」「気をつけて」
リッカは左手を上げて返事をする。
ベルはエコを背負って歩き出し、ハナが続いた。
走狗型は、リッカが下がれば距離を寄せてきて、逆に近寄ればその分だけ後退する。
案の定、リッカ一人を攻撃するというよりは後ろにいた三人もまとめて狙おうとしているのか、一定の距離を保ち続けている。
こういう時はどうすべきか。
仲間が十分離れた頃合いを見計らって、リッカは剣を下ろした。
突き出された獲物による圧迫感が減ったからか、走狗型は一歩二歩にじり寄ってくる。
足りないか。まだ怪しまれている。
リッカは背を翻して、逃げるように尾根を走った。二体はきっちりと追ってきたものの、片方が飛び出してきた。
釣れた。間合いの内だ。
リッカは左腕と身体の間に剣を通し、背中で体当たりをしながら走狗型に剣を突き刺した。
当てずっぽうだったものの、手応えがある。リッカの背中で剣で貫かれた走狗型が暴れている。
まだ仕留めきれていない。防具ごと背中を切り裂かれた。
「痛ってぇな」
走狗型を蹴って剣を引き抜く。転がって動かなくなった一体の後ろで、残った走狗型が威嚇するように吠える。睨み合いに戻った。
一体は仕留められた、が。二体いた走狗型の一体を倒して、今リッカの前に立っている走狗型は二体。また増えている。
その時、遠くの尾根に着地した走狗型の姿が目に入った。
どこから。
尾根より高い場所はない。空中からだ。
なぜ走狗型が空中にいたのか。
すぐに答え合わせの機会が来た。
「……そういうことかよ」
身体を丸めた走狗型が放物線を描き、宙を舞っている。身をひねると、危なげなく尾根に降り立った。
その一体が飛び出してきた方向は大型がいる場所だ。つまり大型は、岩の代わりに走狗型を投げている。
さすがに半人型は投げてこないものの、こうなると走狗型はいくらでも増えかねない。
……尾根の上ならまだいい。同時に襲ってくるのはせいぜい二体。一人で相手出来る範囲だ。
問題は、このまま走狗型が第一層まで追ってきた場合だ。
第一層に入って周囲が開ければ、遠からず走狗型の群れに囲まれることになる。このままだとリッカとベルだけで相手するのは不可能と言っていい数になる。しかも、今はエコの魔術には頼れない。ハナの矢も残り少ないはずだ。
どうするのが最良か分からない。
分からない、が、やるべきことがある。
走狗型をこのまま引き連れていくことは出来ない。
爪痕から流れた血でリッカの背中に滲んでいく。
「来い」
リッカは半身になって右手の剣を下げ、素手の左で走狗型を誘った。
――リッカが一人残ってからどれくらい経っただろうか。
尾根が小高くなった箇所を通り過ぎてからというもの、振り返ってみても見えるのは岩場ばかりだ。時折ハナが確認しているものの、良い報せはない。
「リッカなら大丈夫……」
自分自身に言い聞かせるようにベルは呟いた。
エコはベルの背中で朦朧としている。
状態が良くなっているのか、悪くなっているのか、魔術の心得のないベルには分からない。
「もう大型は見えないわ」
ハナの後ろにぴったり付いてきているハナも同じだ。エコの調子が戻らない以上、できるだけ早く町に戻るしかない。
全員で、無事に。
「良かった。それなら、あとはリッカを待つだけだね」
不安を紛らわせるように言葉を交わしていた時、地面が揺れた。
思わず身を低くした二人の耳に、立て続けに二度三度、爆発のような音が聞こえた。
「な、なに……!?」
リッカは走狗型の群れに切り込んでいく。
狭い場所に何体も集まったせいで、かえって最前列にいるの走狗型の回避能力は落ちている。斬撃を避けて下がりきれなくなった走狗型を、リッカは蹴りで崖から突き落とした。
その途端、別の一体が飛び出してきて、蹴りを放った直後の足が狙われた。攻撃を予想していたリッカは、襲ってきた走狗型を左手で殴り飛ばした。
――今回は上手く対処できたものの、このパターンが厄介だ。味方がやられることさえ利用し、個ではなく群れとして相手を狩る。相当数の走狗型を減らしたものの、反撃によってリッカは傷だらけになっていた。
その上、ベル達と別れた地点からかなり戻ってしまっている。
ただ、尾根に残る敵の数は残り少ない。走狗型が近くにいる間は止んでいた投石を、そろそろ警戒をした方が良いかもしれない。
大型の姿を改めて確認する。既に周囲に走狗型はいない。代わりに半人型が周りを固めている。見える範囲に四体と、大型の裏に一体か二体。
(あれを仕留める……のは流石に無理か)
半人型はともかく、近距離での大型の攻撃手段は未知数だ。今から一人で第二層に降りて、この数を相手して戻ってこられると思うほど無謀ではない。しかも、増援が尽きたと決めつける根拠もない。
(潮時だな)
尾根の上に集中する。一掃するまでもう少しだ。
ベル達は順調に進んでいるだろうか。
――予兆は無かった。
その瞬間、リッカと戦っていた最後の走狗型達が一斉に踵を返した。爪による切り裂きをはたき落とそうと上げた手が空を切る。
「何だ……?」
走狗型は振り返ることさえせず逃げ去っていく。
何が起きたのか。逃げていく走狗型から大型に視線を移した瞬間、地面が揺れた。
リッカは反射的に剣を地面に立てて支えにした。揺れは一瞬で収まったものの、今度は爆発音がする。
走狗型は大型や半人型と合流し、そこで止まることなく坂道を下っていく。火呈園の中心を目指しているのか。
彼らが目指す先にあるものを見た瞬間、リッカの足は仲間達の方向へ向かっていた。
「ベル、あれ――!」
ハナが真っ先に気付いた。
窪地の中央、半球状に積み上がる岩場で囲まれた、火呈園の第三層。その壁に穴が空いている。
爆発音が聞こえる度、まるで雛が孵化する時のように穴が広がっていく。二人の目はその穴に釘付けになった。
すぐに気付いた。
穴の向こうから、真っ赤な一対の眼がこちらを覗いている。視線が合った途端、金縛りにあったように足が止まる。目も離せない。
凶暴さを具現化したようなひどく捻れた二本の角が穴から現れて、更に穴を押し広げていく。その魔物が顔を出した。大きく裂けた口からは、呼吸の度に炎が吹き出している。
煌々と光る両の目がベル達を見据えている。
ベルが大盾を持つ手に力が入る。
「……まさか」




