Ep.2-8 帰還(1)
大型の眷属の投石は続く。二投目以降は狙いを大きく外しているものの、警戒に注意を割かれてどうしても歩みが鈍る。
尚も悪い状況が重なる。
それに気付いたハナが立ち止まり、崖に向けて弓を構えた。
「エコ、崖からも、走狗型が」
ハナが言葉を区切りながら連続で射る。
最初の一本は通常の矢で、斜面を跳んでいた走狗型を足止めした。後続との距離が縮まったところで次の矢が二体を凍結させ、バランスを崩した二体は崖を落下していった。
エコを振り返ったハナの顔は晴れない。
「エコ、ごめんなさい……その……」
まだ走狗型が来ている。エコは悟った。
「魔術でしょ。……大丈夫だから」
先ほどの目眩からは回復している。エコは笑ってみせた。
「……『示凍源』」
矢を受け取り、魔術をかけて、返す。ハナが崖に向き直るまで、エコは表情を崩さなかった。
「――っ」
エコはふらつきそうになるのを堪える。岩陰に隠れていた時のように全身から汗が吹き出してきた。先ほどと違って、今は身体が冷たい。寒気と倦怠感で崩れ落ちそうになる。
(とにかく進まないと……)
自分の名前を呼ぶ声が聞こえる。気付けば両膝が地面につき、ベルに支えられていた。
何歩か進んだところで、エコは一瞬意識を失ったらしい。
ハナが振り返った。ハナはベルと目配せをすると、迷いを断つように走狗型に向けて矢を放った。
「無茶したら駄目だよ」
「あ、……ごめん」
「ちょっと待ってて。よいしょ、っと」
掛け声と共に、ベルはエコを右腕で抱き上げた。抵抗する間もなく、エコが後ろを向く形でベルの肩に担がれた。
「荷物みたいな運び方になっちゃうけど」
「いや、それは構わないけど。でも、あたし、歩くから……」
「大丈夫。エコは投石が来そうになったらタイミングを教えて」
「……分かった」
ベル自身も疲労が溜まっている。加えて、普段のベルは大盾と鎧の重量で走るだけで精一杯になる。にも関わらず、息を乱しながらも坂を勢いよく登っていく。
エコは揺られながら、また投石の準備をしている大型を睨んだ。
今はこちらに背を向け、地面を叩いている。次に投げる岩を探しているか、掘り出しているかしているようだ。
「ベル、そろそろ次が来そう」
「分かった。でも、もう段差だよ」
リッカは既に縄梯子をかけ終え、段差の上で待っていた。
ベルがエコを下ろすと、ハナも追いついてきた。その手に魔術を付与した矢はもうない。
「エコの魔術で、崖の方は全部足止め出来たわ」
「ありがと」
「それは私の言葉ね。さあ、エコ、先に登って」
促されてエコは縄梯子に手をかける。幸い、僅かな時間で身体に力が戻ってきていた。上下から支えられ、エコは縄梯子を登りきった。
軽やかな動きでハナも続く。
最後のベルが恐る恐る縄に足を掛けた。体重をかけるにつれ、縄は心配になるほどの音で軋む。一歩一歩慎重に登るベルを引っ張り上げようと、リッカとハナが待ち構えている。
エコは斜面を駆け上がってくる走狗型を見下ろした。今の位置なら、段差に到達するまでまだ一分はある。
これで、投石はともかく、走狗型や半人型からは逃げ切れる――
エコの目に映る大型の姿が、やけにゆっくりと動いた。
大型は左手で岩を拾い上げ、右手に持ち替える。体全体を傾け、勢いをつけている。岩が放り出された。
嫌な予感がした。
まるで真上に投げ上げたかのように、放物線を描くはずの軌道が、一切左右にぶれない。真っ直ぐこちらに向かっていう。
ただでさえ距離がある。角度と飛距離のいずれかがほんの少しでもずれれば当たることはない。
それでも、なぜか直感した。
このままでは、縄梯子を登るベルに直撃する。
リッカもハナも気づいていない。引き上げるのに精一杯になっている。背を向けているベルからは当然見えない。
岩の高さが頂点に達する。落ちてくる。
「だめ――」
エコの脳が極限まで集中する。瞬くより速く、飛来する岩を迎撃するための魔術が導き出される。
詠唱をしていては到底間に合わない。魔力不足も関係ない。
エコは強引に魔術を完成させた。
「『寵』」
ベルの背後で魔力が収束し、特有の印が浮かび上がる。魔力を結集し強力な力場を作る魔術。『寵』はその効果で以て、岩を弾き飛ばした。
「う……あっ」
ベルの無事を確認するより早く、魔術の反動がエコを襲う。寒気を感じていたのが嘘のように、今度は身体が熱い。
「ぁ……」
周りの景色と自分が一緒になって混ざり合い、溶けていく。耐えきれなくなってエコは意識を失った。
「エコ!」
縄梯子を登りきったベルが最初に気付き、駆け寄った。遅れてハナも続いた。
エコを介抱しようとしたところで、リッカが制した。
「……今は後回しだ」
リッカは縄梯子の端のロープを切って落とした。回収している暇はない。
「盾以外は仕舞っていい。ハナが先導、ベルは投石に注意してくれ」
「……うん」「わ、分かった」
自らも剣を鞘に収め、リッカはエコを背負う。
「魔術が効いてるうちに射程の外に出るぞ」
段差から少し登ればすぐに尾根が始まり、ずっと先まで行けば第一層側に降りられるようになる。尾根の逆側はどこまで続いているか分からないため、そちらに行くわけにはいかない。
とにかく今のうちに進むしかない。
そんなリッカの願いと裏腹に、ろくに進まないうちに衝撃音が何回も聞こえた。『寵』が限界を迎え消失する。
何度か至近距離まで投石が届き、その度になんとかやり過ごした。
大型の狙いは少しずつ正確になってきている。
「――あそこまで進めば死角になるわ」
ハナが道の先を指さす。指さした場所と大型の間には、火呈園特有の突き出た岩場がある。残りの何十歩かを歩き切れば、大型の視線から身を隠せる。もう投石は届かないだろう。
「次、来るよ!」
ベルの知らせの直後、リッカがいる場所の下、山の内側の崖に岩が激突した。
盛大に飛び散った破片が届くか届かないかの距離。投石の精度は低いとはいえ、このままでは格好の的だ。
「――ハナ!」
「はい! なに?」
ハナが振り返らず答える。
「先に行っていてくれ! 追いかけて走る!」
「うん、分かった!」
リッカから防護灯を受け取り、ハナは一足先に走り出した。
これで前が空いた。ハナの速度に合わせるよりも、自由に走ることができる。
リッカはエコを背負い直し、深呼吸する。気力の充実。それはリッカが修める武術の基礎であり奥義だ。
「ベルも遅れるなよ」
「も、もちろん!」
リッカは駆け出した。小石ばかりの不安定な足元は、二人分の体重で簡単に崩れる。その度に足を取られそうになりながら、体勢が崩れる前に次の足を踏み出す。
尾根を駆け抜けるリッカに負けない速度でベルも後を追い、二人はハナが立ち止まる場所まで辿り着いた。
リッカは慎重にエコを下ろし、ハナとベルに任せる。
予想通り、岩場で大型の姿は遮られている。それらしい音が聞こえなくなったことから、投石は止んだと考えていいだろう。
また少し進めば、岩場の陰を出てしまうかもしれない。ただ、さすがに投石が届くような距離ではなくなってきている。
エコの意識が戻るまでここで待ち、タイミングを見計らって第一層に戻る。第一層の魔物ならどうとでもあしらえるので、リッカとベルの二人が交代でエコを背負い、残り二人で魔物に対応して山を降りる。
見落としはないか。リッカは考える。
ないはずだ。
「……あ、みんな………」
エコが意識を取り戻した。声には力がない。
「エコ!」「無茶しないでって言ったのに」
「……ごめん。咄嗟だったから」
「謝るのは私の方だよ。投石に気づいていたらエコに魔術を使わせることもなかった」
「私も。もっと上手く弓を使えたらエコの負担を減らせたのに」
「……そんなことないよ」
エコはかなり衰弱している。ここまで弱っている姿を見るのは、エコと一番付き合いが長いリッカでも初めてだった。普段なら強がってみせるのに、そんな様子はない。
――エコの姿に動揺していたからだろうか。
後ろから近づいてきた気配にリッカが気付いたのは、その魔獣が飛びかかってくる寸前だった。
「――ッ」
リッカの背当てに鋭い爪が食い込む。首筋を狙った牙をすんでのところで躱す。背中に張り付く魔獣を、激しく身を捻って振り払った。
その魔獣は、狭い尾根の上でバランスを崩すこともなく着地した。
「なんでここに……!」
野犬のような顔つきに、鋭い牙と爪。
段差で振り切ったはずの走狗型の姿が、そこにはあった。




