Ep.1-Ex.2 ある剣士と刀匠(2)
「早く早く」
予想外の返事に剣士が戸惑っていると、急かすように声が飛んできた。
「横の台の、いや逆の、そう、その水差し」
剣士は誘導されるままに水差しを手に取り、慎重に刀匠の元へ戻る。
「くれ」
彼女は口を開けて待っていた。
「早く早く。待ってるんだから」
催促するも彼女の手は止まっていない。
剣士は深皿のような水差しを傾け、なるべく彼女の口の中に流し込んだ。溢れた分が彼女の顎先を伝っていく。
少なくない水が彼女の肩や足元に滴り落ちたものの、気に留める様子はない。
「助かる。今日はまだ爺ちゃんが来ないから困ってたんだ。これを忘れるといつの間にか動けなくなるからな」
その爺ちゃんが来なければ、彼女はその場を離れず、延々と鉄を打ち続けているのだろうか。
話しぶりからすると、きっとそうなのだろう。
「何か希望はある? 昨日来た奴の予約を取り消したばっかだから、すぐ取り掛かれるけど」
「取り消した……? いや、俺は刀に詳しくないんだが、何をどう選んだらいい?」
「それならモノを触った方が早いな。裏に試作が並べてあるから、一つ選んで持ってきてくれ」
剣士は工房の裏手に回った。
山積みの薪の横に、言葉通り何十振りかの刀が積み上げられている。見えている数振りだけでも、反りや渡りが違う。
一つ手に取ってみる。鞘はない。試しに振り下ろしてみた。
悪くない。
まだ馴染まないものの、感触だけならこれまで使ってきた剣よりも良いかもしれない。
片っ端から試して一番しっくりきた一振りを選ぶと、刀匠の元に戻った。
「――選んだ?……ああそれか。よし分かった」
剣士は自分が選んだ刀を渡そうとしたものの、彼女は一瞥をくれただけでどの刀か見分けたようだ。
「じゃあ、それに近い形で刀身を打つ。兄ちゃんに合わせて調整するけど、仕上がりは私に従ってもらう。それでいいか?」
「構わない」
「じゃあそれで――」
と。
工房の入口に大男が現れた。日に焼けた腕は逞しく、丸太のように太い。
彼は入口をくぐるなり、刀匠の名を呼んだ。
「キエン!」
「爺ちゃん! あれ、町に行くんじゃなかった?」
「それは午後だ!」
「……そうだっけ?」
男が言葉を発する度、空気が震える。声を張り上げている様子はないが、単純に声量が大きい。
「食事は摂ったか!」
「朝は食べたよ! ……昼はまだだけど」
「水は!」
「飲んでる!」
男はじろりと水差しを見る。空になってるのを見て、嘘ではないことを確認したようだ。
「よし! 少し早いが町に出てくる! 夕方には戻るぞ!」
「分かった」
キエンの返事を確認すると、男は剣士に向き直った。
「兄ちゃんは客か?」
「ああ」
「そうか。ワシはキエンの祖父だ。引退した身だがな」
男が手を差し出し、剣士はその手を握る。剣士の想像通り、万力のような力で握り返された。
顔色を変えない剣士に、男はニッと笑った。
「いい腕だ。――キエン! こっちに来て説明せんか!」
今日一番の大声に、隣にいた剣士は鼓膜が破れるかと思った。
あまりの迫力にキエンも焦ったのか、鉄を打つリズムが不規則になる。
「分かった、分かったからちょっと待ってお願いだから」
大男に首根っこを掴まれ、刀匠キエンが剣士の前に運ばれてきた。
強制的に椅子に座らされた彼女は未練がましく窯の方を見ていたが、真後ろで大男が腕組みしているのに気づいて説明を始めた。
「じゃあ、この後の流れを説明する……します」
説明を始めたのを見て、大男はそっと工房を出ていった。きっと刀匠は気づいていない。
「私が刀身を打つ……打ちます、ので、その後研ぎに回して、拵えを用意する……します」
「……普段通り話せばいいんじゃないか?」
剣士が出した助け舟に、彼女はすぐに乗っかった。
「助かる。今はどちらかというとみんな手が空いてるから、引き渡しは半月後だな」
キエンは机に積まれていた紙束から一枚を引き抜くと、さらさらと数字を書き込んだ。
日付、そして金額。
「装飾は最低限でいいだろ? 実用重視で、特性が一つ。こんなもんだな」
そこに書かれた金額に、剣士は目の前にいるのが刀爺だと改めて実感させられた。
そこらで買う剣の十倍ほどの金額。高いが、予算の範囲内だ。
「特性ってのは?」
「私のオリジナル。斬ると発火するやつとか刀身が伸びるやつとか作ったかな。効果は私が客に合わせて決めてるから、選べない」
「……分かった、それで頼む」
「決まりだな」
手を打ち合わせた彼女は、祖父がいないことに気付いたらしい。話は終わったとばかりに、火の前に戻っていく。
「前に試したアレを……いや、別のがいいか。本人の魔力がほぼゼロだから、そうだ……」
呟く彼女は、剣士が見えなくなったかのように自分の世界に没頭している。
不安なところもあったものの、良いものを作る姿勢は信用できる。その日を待望しながら、剣士は工房を去った。
そして半月後の約束の日。
剣士が再び工房を訪れると、キエンは地面にうつ伏せになっていた。
「お、おい……大丈夫か?」
駆け寄ってみれば、規則的に肩が動いている。
「むにゃ」
紛らわしいが、眠っているだけだったらしい。
剣士の気配で目を覚ましたのか、キエンは起き上がった。
「ん……ん? あんた誰だ。見たことない顔だけど」
寝ぼけ眼をこすっている。
「……あ、腕に見覚えがある。刀、出来てるよ」
キエンが無造作に机に置いた刀を、剣士が手に取る。
「……すげえ」
黒い刀身が緩やかな曲線を描く。鈍く光る刃先に目を奪われる。これで実用品。美術品として作れば更に美しいというのだから驚きだ。
試作の時のように振ってみる。
長さが試作と違う。剣士自身の体格に合わせてある。やや重く感じるものの、その分だけ切先に力と速度が乗る。
「なかなかいいだろ?」
「……ああ」
なかなかどころではないが、自分の語彙で十分に表現できる気がせず、剣士は言葉にすることを諦めた。
「次は特性の説明。刀身に触れた魔力を侵蝕的に密結合化して散らすようにしてる」
「……?」
「なんて説明したもんかな。要するに……なんだ……? 簡単に言うと、『魔術を斬る剣』ってとこだ」
「そんなことができるのか……!?」
「実体がある魔術なら。ただし、規模や魔力が極端に大きいのは無理だな」
「……すげえ」
剣士が感嘆している間も、刀匠はそわそわしていた。
「じゃあ引き渡しだ。帳簿は、っと」
キエンはそそくさと紙束を拾い上げ、そのうちの一枚を取り出した。それを剣士に渡そうとした姿勢で固まる。
「あっ……」
「ん?」
頓狂な声に、剣士は反射的に疑問を返す。
「……あー……」
「?」
力なく間延びする声が、何かが起きたことを直感させる。
「……これどうしよ、怒られ……いや殺されちゃう」
物騒な話だが、何が起きたのか。
剣士が質そうとした時、キエンが工房の床に頭を押し付け、いきなり土下座を始めた。
「ごめんなさいなんでもするのでこの刀を買ってください!」
剣士には状況が飲み込めない。
「いや、買うつもりで来てるんだが」
「そそそうだよ……ですよねぇ?」
半分引きつった作り笑いと似合わない口調があまりに不審で、剣士は強烈に嫌な予感がしてきた。
「……説明してくれ」
キエンは作り笑いをやめて再び頭を下げた。
「金額間違えてましたすみません!」
「……」
剣士は紙に書かれた金額を見返す。記憶と違いはない。
決して安くはないが、刀爺の作品であればこれぐらいはするだろう、と。そう思った金額のままだ。
顔を上げたキエンと目が合い、彼女は視線を逸らした。
「実はぁ……ゼロがもう一つだけ多くてぇ……私書き間違えたみたいでぇ……」
剣士は呆然とした。
高い。いや、品質や性能を考えれば安いのかもしれないが、予算というものがある。
この刀を購入するための予算を超えるどころではない。恐らく、パーティの資産よりも遥かに高い。
あまりに衝撃を受けたからか、剣士は工房に入ってきた男に気づかなかった。
「ごめんなさいホントなんでもするので買ってください。あと爺ちゃんには内緒にして絶対」
キエンは謝罪なのか要求なのか分からない言葉を連ねていく。
ここでようやく、剣士はキエンの後ろに腕組する大男がいることに気付いた。
剣士の反応を伺うようにキエンが顔を上げたとき、彼女は剣士の瞳越しに、誤魔化しが最早通用しないことを知った。
彼女の祖父によって、剣士は一旦工房の外へ出るよう促された。
ただでさえ声の大きい彼の怒鳴り声は、当然のように村に響き渡っている。
「金額を! 間違えるやつが! あるか!」
「ひゃ、ひゃい」
「信用して! 任せてみれば! またこれだ!」
「ごめんなさい!」
「そもそも! うちは! 先払いだ!」
「ごめん忘れてた……あっ」
しばらくして、男だけが外に出てきた。
「すまねえな兄ちゃん。完全にこっちの手落ちだ」
大男は頭を下げる。
「だが悪いが、約束の値じゃ破産しちまう。半値までは落とせるが、それ以上は無理だ。どうする?」
それでも買ってくれるか、と男は続けた。
半値。
買わなかったらこの刀はどうなるだろう。剣士に合わせて作られているとはいえ、本来の値段でも買い手がついてしまうのだろうか。
いや、逆に、この刀を買おうとした時、本来の金額を払える時は来るのだろうか。
きっと無理ではない。無理ではないが、恐らくずっと先になるだろう。
頭の中で計算をする。
刀の購入予算だけでは到底足りない。剣士個人の手持ちを全て加えても雀の涙だろう。
今、パーティにはそれなりに余剰資金がある。それも足せばぎりぎり足りるはずだ。
一方で、激怒するリーダーの顔が浮かぶ。
……謝り倒すしかないだろう。
剣士は覚悟を決めた。
「分かった、その額で買う」
「助かった。キエンの作品ならそう折れることはないだろうが、何かあればまた来てくれ」
「ついでに感想も教えてくれ」
後日、刀匠とその祖父に見送られる剣士の手には、その刀があった。
刀と引き換えに大金を費やし、リーダーには頭が上がらなくなった。それでも、剣士は後悔していなかった。
せいぜい使い倒してやる。
剣士は太陽に刀身をかざし、心の中で誓った。




