表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/48

第28話 フェス結果発表と、水槽越しの青い光

 数万人の観客による地鳴りのような歓声が、巨大なアリーナの天井を揺らしていた。

 帝国芸能が主催する『合同フェス』のエンディング。ステージ上には、深紅の華やかなドレスに身を包んだスーパーアイドル、ジュリア・ロッシと、漆黒と金糸を基調とした和装モチーフの衣装を纏った『神無月』の四人が並び立っていた。


 会場の熱気が臨界点に達する中、中央の巨大なLEDモニターに、本日のパフォーマンスに対する観客のリアルタイム投票の結果が集計されていく。

 赤と青の二つのゲージが、凄まじい勢いで上昇していく。それは、世界トップクラスの『人間の才能』と、封印を解かれた『神の力』の激突の行方を示すものだった。


 やがて、二つのゲージは完全に同じ高さでピタリと停止した。

 50対50。

 数万人の観客の心が、文字通り真っ二つに分かれた瞬間だった。


『――なんと! 信じられない結果です! 両者一歩も譲らず、前代未聞の完全ドローです!!』


 司会者の絶叫がアリーナに響き渡ると、観客席からはどよめきと、やがて両者の健闘を讃える万雷の拍手が沸き起こった。


「……引き分け、ですのね」


 ジュリアは少しだけ悔しそうに青い瞳を瞬かせた後、パッと晴れやかな笑顔を浮かべてタマモの方へと向き直った。


「素晴らしいステージでしたわ、タマモ! あなたたちのあの圧倒的な世界観、私でも少し背筋がゾクッとしたくらいですもの。日本にこんな凄いグループがいたなんて、本当に驚きましたわ!」


 ジュリアは悪びれる様子もなく、タマモに向かってスッと右手を差し出した。


「……当然よ。妾たちは最高のアイドルなんだから」


 タマモは額の汗を拭いながら、不敵に笑ってその手を強く握り返した。


「でも、あんたのあの化け物みたいな声量とスタミナ、正直焦ったわ。ただの人間があそこまでやれるなんてね。……今日は引き分けにしておいてあげるけど、次は完全に妾たちが勝つわよ」

「ええ、受けて立ちますわ! 私もさらに腕を磨いておきますから。……それに、今回は引き分けですから、タムラを私の専属マネージャーにする約束は、ひとまずお預けですわね」


 ジュリアがイタズラっぽくウインクをすると、タマモの背後で森田、和田、サラの三人が、安堵と達成感の入り混じった笑みを浮かべた。


「アタシらのマネージャーは、誰にも渡さねェよ。あいつがいねェと、美味い飯が食えなくなるからな」


 森田がニカッと笑って胸を張る。


「……うん。田村は、私たちの」


 和田も深く頷き、サラも「ええ、マネージャー君は神無月の心臓ですもの」と誇らしげに微笑んだ。


 舞台袖の暗がりからその光景を見守っていた田村範朝は、腕を組みながら静かに息を吐いた。


(観客の熱狂が頂点に達した最高のエンディングだ。これ以上ないプロモーションになり、神無月の知名度はこれで爆発的に跳ね上がるだろう。両者にとって完璧なビジネスの着地点だ)


 田村は、ステージ上で眩い光を浴びながら互いを認め合う五人の少女たちを見つめ、マネージャーとしての確固たる手応えを感じていた。

 そして同時に、あの大舞台の恐ろしい重圧を跳ね除け、限界以上のパフォーマンスを叩き出した自分のタレントたちを、心から誇りに思っていた。


★★★★★★★★★★★


 合同フェスの激闘から、数日が経過した平日の午後。

 フェスの大成功による振替休日を利用して、田村は都内にある大規模な水族館へと足を運んでいた。


「……待たせたか、和田」


 エントランスの巨大な柱の陰で、周囲の視線を避けるように縮こまっていた少女が、ビクッと肩を震わせて顔を上げた。

 引きこもり気質で人混みが極端に苦手な和田佐千絵である。


「……ううん。今、来たところ」


 和田は首を横に振り、少しだけ安堵したように田村の分厚い身体の隣に歩み寄った。


 今日の和田は、いつものオーバーサイズのジャージ姿ではなかった。薄手の白いサマーニットのカーディガンに、足首まで隠れる淡い水色のプリーツスカート。真夏の外出において極力肌の露出を抑えつつも、彼女の透き通るような白い肌と、色素の薄い銀髪にとてもよく似合う、清楚で可愛らしい私服だった。


(フェスという極限のプレッシャーを乗り越えたタレントには、適切なリフレッシュが必要だ。特に和田は外界への恐怖心が強いため、静かで薄暗い環境でのメンタルケアが最適だと判断した)


 田村は事前にチケットを手配し、平日の昼下がりという最も人が少ない時間帯を狙って、彼女をこの水族館へ連れ出したのだ。


(もちろん外出前、アパートで留守番をしているダイズの自動給餌器とエアコンの温度設定は完璧に確認してきた。夕方には戻って散歩に連れて行こう)


「中に入ろう。平日のこの時間なら、団体客も少ないはずだ」

「……うん」


 二人は薄暗い館内へと足を踏み入れた。

 深く青い照明に照らされた通路の左右には、大小様々な水槽が並び、色とりどりの魚たちが静かに泳いでいる。水の流れる微かな音と、静寂に包まれた空間。

 和田は最初こそ田村の広い背中に隠れるようにして歩いていたが、水槽が放つ心地よい青い光を浴びるうちに、少しずつその強張った肩の力が抜けていくのが分かった。


「……綺麗。静かで、冷たくて、落ち着く」


 和田が足を止めたのは、巨大な円柱形の水槽の前だった。

 そこでは、無数のミズクラゲが、ゆっくりと、ふんわりと、青い光に透けながら漂っていた。重力から解放されたようなその動きは、見ているだけで心が洗われるようだった。


「深海の生物は、限られた光と厳しい水圧の中で、独自の進化を遂げている。極限の環境だからこそ生み出せる美しさだ」


 田村が水槽を眺めながら静かに解説すると、和田はクラゲの動きを目で追いながら、ぽつりと口を開いた。


「……フェスの時、ステージから見た客席が、少しだけこの景色に似てた」


 和田の視線は水槽の向こう側、あのアリーナの熱狂を見つめているようだった。


「真っ暗な中に、赤と青のペンライトの光が数え切れないくらい揺れてて。……最初は、深海の底に落とされたみたいで、すごく怖くて、逃げ出したかった」

「だが、お前は逃げなかった」


 田村は低い声で、彼女の言葉をすくい上げた。


「……うん。田村が、背中を押してくれたから。田村の言葉を思い出したら、不思議と足が動いたの。……自分の冷気が、観客の熱気を切り裂いていくのが分かって……すごく、気持ちよかった」


 和田は両手を胸の前で軽く握りしめた。

 彼女がフェスで発揮した、会場の空気を一変させるほどの極寒の吹雪と幻想的なダンス。それは、彼女の中に長年降り積もっていた恐怖や引きこもりの感情が、最高の自己表現へと反転した瞬間だった。


「お前のダンスは、数万人の観客の目を完全に釘付けにしていた。堂々たるパフォーマンスだったぞ。俺の担当するアイドルとして、誇らしく思う」


 田村は、サマーニット越しに伝わる和田の華奢な肩に、大きな手をそっと乗せた。


「……っ」


 和田の肩がビクッと跳ね、彼女は驚いたように田村を見上げた。

 いつもなら、和田の感情が揺れ動くと周囲の空気が急激に冷え込み、床に霜が張るほどの異常現象が起きる。しかし今、田村の手に伝わってくるのは、刺すような冷気ではなく、ニットの内側に籠もった、一人の女の子としての温かな体温だけだった。


「……ありがとう、田村」


 和田は少しだけ頬を朱に染め、照れ隠しのようにカーディガンの襟元に顔を半分沈めた。


「私、もっと上手く踊れるようになる。もっとたくさんの人の前で、私のダンスを見せたい。……だから、これからも、ずっと私の隣で見ててね」

「ああ、任せておけ。お前たちが望む限り、最高のステージを用意してやる」


 田村が力強く頷くと、和田は今まで見せたことのないような、柔らかく、はにかむような笑顔を見せた。

 深海のように暗く冷たかった彼女の心に、一筋の光が差し込んでいた。


★★★★★★★★★★★


 水族館を出ると、空はすでに夕暮れの茜色に染まり始めていた。

 駅へと向かう帰り道。二人の間に落ちる影が、オレンジ色の西日に長く伸びている。


 和田は、行きのように田村の背中に隠れることはしなかった。

 彼女は田村の少し横を並んで歩きながら、時折、その分厚いスーツの袖口を、指先でそっと摘んでいた。

 それは、周囲への恐怖から来るものではなく、彼女なりの精一杯の親愛と信頼の表現だった。


「……田村」

「ん?」

「……今度は、もっと違う場所も見てみたい。水族館じゃなくて、もっと明るいところとか……田村と一緒なら、きっと怖くないから」


 消え入りそうなほど小さな声だったが、その言葉には、新しい世界へ踏み出そうとする力強い前向きさがこもっていた。


「分かった。次の大きな仕事が一段落したら、また予定を空けておこう」

「……うんっ」


 和田が袖口を摘む指の力が、少しだけ強くなる。


 強大なライバルとの激闘を経て、アイドルたちは一回りも二回りも大きく成長を遂げていた。

 霊感ゼロの最強マネージャーの歩む道の先には、さらなる高みと、新たな波乱が待ち受けている。しかし、田村の分厚い背中と、彼を取り巻く少女たちの絆がある限り、どんな困難も必ず打ち砕いていける。夕暮れの街を歩く二人の姿は、そんな明るい未来を予感させていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ