第24話 決戦の合同フェスと、黄金のシーフードパエリア
月曜日の朝。
高天原プロダクションのミーティングルームは、特別顧問である宮崎真琴の唐突な提案により、一気に熱を帯びた。
「ねえジュリアちゃん。うちの子たちと『合同フェス』で勝負してみない? どっちがノリくんに相応しいアイドルか、ステージの上で白黒つけましょうよ」
その言葉に、最も早く反応したのは帝国芸能のスーパーアイドル、ジュリア・ロッシだった。
「素晴らしいアイデアですわ! 最高のステージを用意して、観客を一番熱狂させた方が勝ち。もし私が勝ったら、タムラには私の専属マネージャー兼シェフになっていただきます!」
「ふざけないで。マネージャー君は私たちのものよ」
イ・サラが、テーブルの下でギリッと拳を握りしめながら低い声で牽制する。
(強引な引き抜き交渉だな。だが俺は今の職場に満足している)
田村範朝は、タレント同士の感情的な火花を即物的にスルーし、極めて冷静なビジネス目線で口を開いた。
「俺の個人的な処遇はさておき、帝国芸能のトップアイドルとの合同フェスは、うちのような弱小事務所にとって破格のプロモーションになります。話題性も抜群で、ビジネスとしてはこれ以上ない好機です」
「ええ、その通りよ」
真琴が満足げに頷き、スマートフォンの画面をタップした。
「帝国芸能の上の連中には、私からうまく話を通しておくわ。彼女たちにとっても、来日直後のジュリアの圧倒的な実力を見せつけるには絶好の舞台になるはずだからね。……ジュリアちゃん、受けて立つわよね?」
「もちろんですわ! タムラ、最高のカルボナーラのお礼は、最高のステージでお返しします! アリーヴェデルチ!」
ジュリアはウインクと投げキッスを残し、嵐のように事務所を去っていった。
パタン、と玄関の重いドアが閉まった後。
事務所の中には、先ほどまでの激しい怒りや殺気とは違う、ひどく張り詰めた重たい空気が落ちていた。
「……悔しいけれど、あの金髪の小娘、ただの人間のはずなのに、底知れない器の大きさを持っていたわ」
タマモが静電気で逆立っていた金糸の髪を指で梳きながら、ぽつりと呟いた。
「ああ。アタシらの全力のメンチ切られても、最後までニコニコしてたからな。マジで腹立つけど、肝が据わってやがるぜ」
森田も、舌打ちをしながらパイプ椅子に深く腰掛けた。
「……眩しかった。氷が全部、溶かされちゃいそうなくらい」
和田はジャージのフードを深く被り直し、膝を抱えた。
「人間の分際で、神である私たちに勝負を挑むなんて。でも、油断できない相手ね」
サラも、先ほどまで背後に蠢かせていた巨大な蛇の影をすっかり潜め、真剣な表情でテーブルを見つめていた。
彼女たち四人は、本質的には封印を解かれた「祟り神」や「あやかし」である。その根本には、陰鬱な未練や恐ろしい呪いのオーラが存在している。
しかし、先ほどのジュリアから放たれていたのは、純粋な人間の努力と並外れた才能によって極限まで磨き上げられた、太陽のように圧倒的で絶対的な「陽」のオーラだった。
自分たちとは対極にある、人間という脆い生き物が放つ眩いばかりの輝き。それに正面から挑み、勝たなければならないという重圧が、彼女たちの心を深く支配していたのだ。
(格上のトップアイドルを前にして、重圧を感じているな。胃が縮こまる前に、景気づけの美味い飯を作ろう)
田村は、彼女たちの神話的な葛藤を「大舞台へのプレッシャー」と完全に即物的に解釈した。
「大舞台の前に必要なのは、炭水化物と良質なタンパク質だ。今日の昼のまかない用に作ろうと思っていた、特製パエリアを前倒しで振る舞うぞ」
田村が給湯室から持ち出してきたのは、本格的な鉄製のパエリアパンと、巨大なクーラーボックスだった。
「週末の買い出しで安くて新鮮な魚介が手に入ったからな。昨晩からアパートで砂抜きと下処理を済ませて、今朝の出勤時に持参しておいたんだ。パエリアパンもこのために持ってきた」
食材は、有頭エビ、ヤリイカ、アサリ、ムール貝。そして、パエリアの命とも言える高級スパイスのサフランだ。
まずは魚介の旨味のベースを作る。
パエリアパンにたっぷりのオリーブオイルとみじん切りのニンニクを熱し、香りが立ったところで有頭エビを殻ごと炒める。エビの殻から赤い色素と強烈な香ばしさが油に溶け出したところで、エビを一旦取り出す。
続いて、下処理済みのアサリとムール貝を入れ、白ワインを注いでフタをする。貝の口が開いたら、そこから出た極上の海鮮出汁をボウルに移し、サフランをひとつまみ加えておく。透明なスープが、みるみるうちに鮮やかな黄金色に染まっていく。
空になったパエリアパンに、細かく刻んだ玉ねぎ、パプリカ、トマトを投入する。田村の分厚い手がヘラを動かし、野菜の水分が完全に飛び、ペースト状のジャムのようになるまで根気よく炒め続ける。スペイン語で『ソフリット』と呼ばれるこの工程が、料理全体の奥深いコクを生み出すのだ。
ソフリットが完成したら、洗っていない生米をそのまま投入し、野菜の旨味とオリーブオイルを米の一粒一粒にしっかりとコーティングしていく。
米が透き通ってきたところで、先ほどのサフランで色付けした黄金色の海鮮スープを一気に注ぎ込んだ。
ジュワァァァァッ!
熱い鉄板の上でスープが沸き立ち、磯の香りとサフランの優雅でエキゾチックな香りが、事務所の空間いっぱいに広がった。
田村は手際よく、取り出しておいたエビ、輪切りにしたイカ、そして貝類を米の上に美しく並べていく。
「あとはフタをせずに、水分が飛ぶまで炊き上げるだけだ」
パエリアはフタをしない。水分を飛ばしながら米にスープを吸わせることで、パラパラとした絶妙な食感を生み出すのだ。
数十分後。水気がなくなり、パエリアパンの底から「チリチリチリ……」という、米が焼ける小気味よい音が聞こえ始めた。
「最後は一気に強火にして、意図的にお焦げを作る」
田村は火力を最大にし、香ばしい焦げた匂いがフワッと立ち昇った絶妙なタイミングで火を止めた。
「完成だ。特製・黄金のシーフードパエリアだ」
田村がテーブルの中央に巨大なパエリアパンをドンと置くと、四人のアイドルたちと真琴は、その色鮮やかなビジュアルと鼻腔をくすぐる圧倒的な香りに、思わず喉を鳴らした。
田村は続けて、グラスに漆黒の液体『ギネスビール』を注ぐ。
缶の中に入っている特殊なカプセルの働きにより、グラスの中で細かな泡が滝のように沈み込む『サージング』という現象が起きる。やがて泡が上部に落ち着くと、まるでベルベットのように滑らかで分厚い、純白の泡の層が完成した。
「宮崎さんは、こちらの黒ビールをどうぞ。ギネス特有の麦芽のロースト香が、パエリアのお焦げの香ばしさと完璧にリンクするはずです」
田村が丁寧にグラスを差し出すと、真琴は嬉しそうにそれを受け取った。
「タマモたち四人は、午後からも一段と厳しいレッスンが控えているからな。アルコールは厳禁だ。代わりに、黒ビールに見た目を似せたノンアルコールの特製炭酸飲料を用意しておいた」
田村が麦茶と炭酸水をブレンドして泡立てたモックテールを配ると、アイドルたちもグラスを掲げた。
タマモと森田がスプーンを握りしめ、黄金色に染まった米を掬い上げて口に運んだ。
「んんんっ……!!」
タマモの狐の耳が、パタパタと歓喜に揺れた。
「すごく美味しいわ! お米の芯が絶妙に残っていて、噛むたびに海鮮の旨味がジュワッと溢れてくるのね!」
「マジでヤベェ! 野菜の甘みと魚介のダシがベースにガツンと効いてて、味がめちゃくちゃ深いぜ!」
「……あったかい。カリカリのお焦げ、最高……」
「はぁん……マネージャー君の情熱が、この熱々のフライパンに全部詰まっているのね……」
プレッシャーで胃が縮んでいたはずの四人は、夢中になってパエリアを頬張った。
真琴もグラスを傾け、滑らかな泡と漆黒のビールを味わう。
「……っ! このビール、パエリアとすごく合うわね。ギネスのほろ苦さが魚介の旨味を優しく包み込んでくれて、本当に贅沢なコントラストだわ」
天才プロデューサーの真琴も、田村の計算し尽くされたマリアージュにすっかり感心して目を細めた。
美味しい食事と、完璧なコンディション管理。
気がつけば、タマモたち四人を包んでいた張り詰めたプレッシャーは嘘のように消え去り、彼女たちの瞳には、強大なライバルに立ち向かうための前向きな闘志の炎が宿っていた。
「……ふう。ごちそうさま。なんだか、お腹いっぱい食べたら迷いが吹っ飛んだわ」
タマモがスプーンを置き、凛とした表情で田村を見上げた。
「あの金髪の小娘がどれだけ凄い才能を持っていようと、関係ないわ。妾たちは、タムラのプロデュースする最高のアイドルなんだから。合同フェス、絶対に勝ってみせるわよ!」
「ああ、その意気だ。午後からのレッスンは、ステージの広さを想定して一段と厳しくいくぞ」
田村は空になった巨大なパエリアパンを片付けながら、満足げに頷いた。
『神の力』と『人間の才能』が激突する、運命の合同フェス。
霊感ゼロの筋肉マネージャーが作る絶品のパエリアによって、神無月の四人は最強の敵に立ち向かうための無尽蔵のエネルギーと結束力を手に入れたのだった。




