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第23話 宣戦布告と、弾ける静電気のジェラシー

 月曜日の朝。

 田村範朝は、いつも通り六時に目を覚ました。

 ベッドから身を起こすと、部屋の隅に設置されたサークルの中から「クゥン」と愛らしい鳴き声が聞こえてきた。柴犬の赤ちゃんの『ダイズ』が、短い尻尾をパタパタと振って田村を呼んでいる。


「おはよう、ダイズ。よく眠れたか」


 田村がサークルの扉を開けると、ダイズは短い足でトコトコと駆け寄ってきた。そして、田村の足元でピタッと動きを止め、見事な「おすわり」の姿勢をとった。

 ピンと伸びた丸っこい背筋。行儀よく揃えられた小さな前足。キャラメル色の柔らかな耳を少し後ろに寝かせながら、キラキラと期待に満ちた潤んだ瞳で田村を見上げてくる。その完璧なフォルムと健気な仕草は、まさに愛らしさの結晶だった。


(賢い子だ。今日も朝ご飯をしっかり食べろ)


 田村は大きく鋼のように硬い手のひらで、ダイズの柔らかな頭を優しく撫でた。ダイズは嬉しそうに目を細め、田村の指先をペロペロと舐める。

 この純粋な命との触れ合いが、田村にとって何よりの癒やしであった。

 ダイズに特製の栄養満点ドッグフードを与え、自身の朝食も済ませた田村は、パツパツのスーツに身を包み、高天原プロダクションの事務所へと向かった。


★★★★★★★★★★★


 事務所のミーティングルームでは、既に神無月のメンバー四人と、特別顧問の宮崎真琴が集まっていた。

 彼女たちの話題は、もっぱら昨日来日した最強のライバル、ジュリア・ロッシのことだった。


「ねえ、見たかしら? あの金髪の小娘、昨日お忍びで都内のスイーツ店に現れたらしいわよ。SNSで大騒ぎになってたわ」


 タマモが腕を組み、不満そうに鼻を鳴らした。


「挨拶にも来ねェとは、いい度胸してんじゃねーか。いつでもぶっ飛ばしてやるぜ」


 森田はパイプ椅子にふんぞり返り、拳をボキボキと鳴らしている。


「……顔、小さすぎ。脚、長すぎ。チートだ」


 和田はジャージのフードを被ったまま、テーブルに突っ伏して恨めしそうに呟く。


「あらあら。でも、私たちのマネージャー君がいる限り、あんな子には負けないわよね?」


 イ・サラはニコニコと微笑みながら、出社してきた田村に熱い視線を送った。


「おはようございます。朝から随分と血の気が多いですね」


 田村が挨拶をしながら自分のデスクにカバンを置いた、その時だった。

 事務所の玄関のインターホンが、軽快なメロディを鳴らした。


「こんな朝早くから来客か? 宅配便の予定はなかったはずだが」


 田村が不審に思いながら玄関のドアを開けると、そこには、大きなサングラスとツバの広い帽子を被った、モデルのように長身の女性が立っていた。


「チャオ! グラディエーターさん、会いに来ましたわ!」


 女性はサングラスを外し、サファイアのように澄んだ瞳と、黄金色に煌めく長い髪を揺らして、満面の笑みを浮かべた。

 昨日、田村が裏路地で不良から救い出し、パスタを振る舞った相手。帝国芸能のスーパーアイドル、ジュリア・ロッシその人であった。


「ジュリアさん? どうして……」

「チャオ、アモーレ! 昨日は本当にごちそうさまでした! あのカルボナーラの味が忘れられなくて、また来ちゃいましたわ!」


 言うが早いか、ジュリアは田村の分厚い大胸筋に迷いなく飛び込み、両腕でギュッと力強く抱きついてきた。


「……おっと」


(マズイ。こんな外から丸見えの玄関先で、超大手事務所のトップアイドルに抱きつかれているところをパパラッチに撮られでもしたら、双方の事務所を巻き込む大スキャンダルになる)


 田村は即座に彼女の細い腕を掴み、強引に事務所の内側へと引きずり込んで、重い鉄扉をバタンと閉めた。


(相変わらず距離感の近い女性だ。だが、危機管理が全くなっていないな)


 田村はため息をつきながら、自分に抱きついているジュリアの肩を軽く叩いて引き離した。


 しかし、その一連の光景をミーティングルームから顔を出して目撃してしまった四人のアイドルたちは、完全に硬直していた。


「……は? な、なによ、あんた」


 タマモの声が、限界まで張り詰めた糸のように震えていた。


 ジュリアは田村から少しだけ体を離すと、ミーティングルームの四人に向かって、悪びれる様子もなく堂々とお辞儀をした。


「あら、あなたたちは……動画で見た『神無月』の皆さんですね! 初めまして、帝国芸能のジュリア・ロッシですわ!」

「なんで、帝国芸能のトップアイドルが、アタシたちの事務所にいるんだよ……」


 森田が怪訝そうな顔で田村を睨む。


「マネージャー君……。この、随分と馴れ馴れしい金髪の女の人は、誰かしら?」


 サラの瞳から一切の光が消え失せ、声のトーンが絶対零度まで下がった。


「昨日、買い出しの帰りに彼女が不良に絡まれているところを偶然助けたんだ。極度の空腹で倒れそうだったから、休日の事務所に入れてパスタを振る舞っただけで」


 田村が淡々と事実を説明すると、ジュリアは嬉しそうに田村の太い腕に自分の細い腕を絡ませた。


「ただのパスタじゃありませんわ! あんなに完璧な火入れのカルボナーラ、一流のシェフでもそうそう作れません! タムラ、あなた、私の専属マネージャー兼シェフになってくださいな! 帝国芸能なら、このボロボロの事務所の何倍ものお給料を出せますわよ!」


 それは、神無月のメンバーに対する、明確な宣戦布告にして、最悪の挑発だった。


 その瞬間。

 事務所内の空気が、物理的な質量を持って爆発した。


 バチバチバチッ!!


 タマモの足元から青白い静電気の火花が激しく弾け飛び、彼女の金糸の髪が天井に向かって逆立った。その頭頂部には、怒りで隠しきれなくなった二つの狐の耳がピンと立ち上がっている。


「……泥棒猫。妾たちのタムラに、気安く触らないでちょうだい!!」


 ゴゴゴォォォ……ッ。


 サラの背後に落ちた影が、異常なまでに黒く濃く広がり、八つの首を持つ巨大な蛇のような形となって蠢き始めた。同時に、事務所内の気圧が急激に低下し、耳鳴りがするほどの重苦しいプレッシャーが空間を支配する。


「マネージャー君は、私だけのものよ。誰にも、絶対に、渡さないわ……!」


 さらに、森田が「上等だコラ! ぶっ飛ばしてやる!」と壁を殴りつけてコンクリートにヒビを入れ、和田の周囲の温度が急降下して床に真っ白な霜が張り始めた。

 四人の『祟り神』としての規格外の殺気とオーラが、一斉にジュリアへと向けられたのだ。

 常人であれば、その凄まじい瘴気とプレッシャーを浴びただけで、泡を吹いて気絶するか、精神に異常をきたすレベルの極限状態である。


(また空調の故障か。それにしても酷い静電気だ)


 田村は、部屋を包み込む異常な超常現象を、設備の不具合と乾燥によるものだと完全に即物的に処理していた。


(血の気が多いな。熱中症になる前に冷たいお茶を出そう)


 田村が給湯室へ向かおうとした、まさにその時。


 四人の殺気を正面から浴びたジュリアは、逃げ出すどころか、パッとサファイアのような青い瞳を輝かせた。


「す、素晴らしいですわ……! なんですの、この圧倒的な闘争心とオーラは!」


 ジュリアは両手を胸の前で組み、感動したように感嘆の声を上げた。

 彼女もまた、田村と同じく「霊感ゼロ」の純粋な人間であった。そのため、タマモたちの放つ致死量の瘴気や妖怪としての恐ろしいプレッシャーを、すべて「トップアイドルとしての並々ならぬ熱意とプロ意識」だと都合よく勘違いしてしまったのだ。


「私がライバルだからって、初対面からここまで本気でぶつかってきてくれるなんて! 皆さんのエンターテイナーとしての魂の叫び、しかと受け止めましたわ! さすがは、私のアモーレが担当するアイドルたちです!」


 ジュリアの背後から、純粋な人間の才能と、血の滲むような努力によって培われた、眩いばかりのカリスマ性が後光のように放たれた。それは、どんな超常の力にも屈しない、絶対的な「陽」のオーラだった。


「なっ……妾の威圧を受けて、一歩も引かないなんて……!」


 タマモが驚愕に目を見開く。


「ただの人間のはずなのに、なんて眩しいのかしら……。私の影が、焼き払われそう……」


 サラが眩しそうに目を細め、背後で蠢いていた蛇の影がシュルシュルと縮んでいった。


「お待たせしました。よく冷えた麦茶です。全員、少し落ち着いて水分補給をしてください」


 そこへ、田村がお盆にグラスを乗せて戻ってきた。

 田村の圧倒的な巨躯と、キンキンに冷えた麦茶の香ばしい匂いが間に入ったことで、一触即発だった事務所の空気は急速にクールダウンしていく。


「あーあ。朝からとんでもない修羅場ね」


 ソファで優雅にコーヒーを飲んでいた宮崎真琴が、面白そうに手を叩いた。


「ねえジュリアちゃん。あなた、本当にノリくんのことが気に入ったみたいね。だったら、うちの子たちと『合同フェス』で勝負してみない? どっちがノリくんに相応しいアイドルか、ステージの上で白黒つけましょうよ」


 天才プロデューサーのその唐突な提案が、神無月と帝国芸能の全面対決という、次なる巨大なうねりを引き起こすことになるとは、この時の田村は知る由もなかった。

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