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第16話 和と洋の抹茶ティラミスと、素顔の完璧なアイドル

 休日の午前中。

 田村範朝は、大型ショッピングモールの食料品・生活雑貨フロアでショッピングカートを押していた。

 隣には、アイドルグループ『神無月』のリーダーであるイ・サラが、ぴったりと寄り添うようにして歩いている。本日の名目は、寮の日用品と、育ち盛りのアイドルたちを養うための大量の食材の買い出し業務だ。


「マネージャー君。私、今日の夕食は腕によりをかけて、特大のハンバーグを作ってあげたいのだけれど。合挽き肉、五キロくらいで足りるかしら?」

「五キロは多すぎる。相撲部屋の合宿じゃないんだ。栄養バランスを考えて、一人二百グラムで十分だぞ」

「ふふっ。マネージャー君のそういう真面目なところ、本当に好きよ」


 サラは田村の丸太のように太い腕に両腕を絡ませ、スリリと胸の渓谷を押し付けてくる。

 端から見れば、いかつい巨漢と美女の仲睦まじい新婚カップルにしか見えない。周囲の客が、二人のアンバランスな様子にちらちらと視線を送っていた。

 特に、すれ違った若い女性客が、田村のパツパツのポロシャツの下で躍動する大胸筋にチラリと色目を使った、その瞬間だった。


 サラの瞳からハイライトがスッと消え、彼女の足元に落ちた影が、まるで複数の巨大な大蛇のように不気味に波打ち、蠢き始めた。

 同時に、モールの通路の空気がドスンと重くなり、息苦しいほどの急激な気圧低下が空間を支配した。


「……ん? 今日は外の天気が不安定なのか? やけにモールの気圧が低いな」


 田村は太い首をゴキゴキと鳴らし、気圧の変化による軽い肩こりをほぐした。


「イ・サラ。ここの空調は風が少し冷たいし、換気も悪いようだ。買い出しを手早く済ませて事務所に戻るぞ。お前も体調を崩すと困るからな」

「ええ、そうね。他の虫……じゃなかった、他のお客さんの邪魔になっても悪いし」


 田村の言葉にサラがニコリと微笑むと、気圧の低下と息苦しさはスッと元に戻った。田村は「やはり換気システムの不具合だったか」と納得し、会計へと向かった。


 事務所ビルに帰り、大量の食材を冷蔵庫にしまっていると、地下の防音スタジオから異音が聞こえてきた。

 バチバチッ! という乾いた破裂音と、ドンッという鈍い物音だ。


「……スタジオの配線がショートしたか?」


 田村は警戒しながら地下へ降りる。

 スタジオの防音扉を開けると、部屋の中は異常なほど乾燥しており、青白い静電気がバチバチと空気中を飛んでいた。


「タマモさん! 大丈夫か!」


 部屋の中央で、センターのタマモが床にへたり込み、肩を震わせて泣いていた。

 彼女の美しい金髪は、部屋の凄まじい静電気のせいか、頭の上に二つの獣の耳のように、そして腰のあたりに九つの巨大な尻尾のようにフワリと逆立ってしまっている。


「……タムラぁ……っ」


 タマモは田村の顔を見ると、さらに大粒の涙をポロポロとこぼした。


 原因は明白だった。数日前のSNSでの「和菓子誤爆事件」と、その後の開き直りによるキャラ変だ。

 田村の機転により、彼女のSNSは「和文化を愛するポンコツな英国淑女」として大バズりし、フォロワーは数万人規模で激増した。ビジネスの観点からは大成功である。

 しかし、タマモの強すぎる承認欲求と、エベレストよりも高いプライドは、思わぬ方向で深刻なダメージを受けていたのだ。


「愚民どもが……妾の投稿を見るたびに『またポンコツムーブしてるww』とか『エセ外国人のお茶会助かる』とか……っ! 妾はポンコツなんかじゃないわ! 誰よりも気高く、完璧な美貌と実力で世界を平伏させる存在なのに……!」


 タマモは悔しそうに床を叩いた。

 バチィッ! と床から青白い火花が飛ぶ。


「これじゃあ、妾はただのピエロじゃない……! 私がやりたかったアイドルは、こんなお笑い芸人みたいなイジられキャラじゃないのに……!」


(なるほど。理想のアイドル像と、実際のパブリックイメージの乖離に苦しんでいるんだな。完璧主義者ゆえの、自己評価と他者評価のズレによる強烈なアイデンティティ・クライシスだ。それに、この地下スタジオの異常な乾燥と、彼女が泣き叫んで暴れた際の服の摩擦が重なって、この危険なレベルの静電気を引き起こしているらしい)


 田村は冷静にタマモの症状と室内の物理現象を分析した。


「タマモさん、立てるか」

「触らないでよ! 妾の美しさが嘘っぱちで、設定もガバガバだって言うなら、もう誰も妾のことなんか……」


「お前の歌声は、設定で誤魔化せるようなチャチなものだったのか?」


 田村の低く、よく通る声がスタジオに響いた。

 タマモはピタリと動きを止め、涙ぐんだ目で田村を見上げた。


「お前が毎日誰よりも早くスタジオに来て、床のテーピングが擦り切れるまでステップの練習をして、喉のケアを欠かさずに発声練習をしているのを、俺は知っている」

「……っ」

「ネットの連中が面白がっているのは、お前という『親しみやすい隙』であって、お前の努力やパフォーマンスをバカにしているわけじゃない。ライブの時、お前の歌声で観客全員が熱狂していたのを忘れたのか? お前がステージで見せる歌声は、紛れもなく本物だ」


 田村は屈み込み、タマモの小さな肩を両手でしっかりと掴んだ。


「イギリス出身だとか、和菓子が好きだとか、そんな設定はどうだっていい。お前はお前のままで、すでに最高のアイドルなんだよ」


 田村の言葉には、一切の迷いもブレもなかった。

 純粋な事実だけを物理的な質量に乗せて叩きつけられたタマモは、ポカンと口を開け、やがて顔を真っ赤にして俯いた。


「……ばかタムラ……。そんなこと言われたら、妾、何も言い返せなくなるじゃない……」


 タマモの嗚咽が小さくなり、同時に部屋を覆っていた異常な静電気も、スゥッと空気中に溶けて消えていった。


(よし。泣き止んで動きが落ち着いたことで摩擦がなくなり、静電気の帯電が収まったな)


「少し休んでいろ。泣いて疲れた脳には、良質な糖分が必要だ。お前の抱える『和と洋の矛盾』なんて、すぐに解決できるってことを証明してやる」


 田村は給湯室のキッチンへ向かった。


 作るものは決まっていた。『特製・濃厚宇治抹茶ティラミス』だ。

 イギリスのティータイムと、和菓子の深い味わい。相反するように見える二つの要素を、料理という物理的なプロセスで完璧に融合させる。


 まず、イタリア産の新鮮なマスカルポーネチーズをボウルにあけ、卵黄と少量のハチミツを加えて滑らかになるまで空気を含ませながら混ぜ合わせる。生クリームを八分立てにして加え、濃厚かつフワフワの極上チーズクリームを練成する。

 次に、市販のスポンジケーキを器の底に敷き詰め、そこに濃く点てた高級な宇治抹茶のシロップをたっぷりと染み込ませる。本来のティラミスで使うエスプレッソの代わりに、抹茶の強烈な苦味と深い香りを土台にするのだ。


 その上にチーズクリームをたっぷりと重ね、冷蔵庫で急速に冷やし固める。

 仕上げに、表面が深い緑色の絨毯のようになるまで、これでもかと宇治抹茶パウダーを振りかけた。


「お待たせした。特製の和洋折衷スイーツだ」


 田村がスタジオにティラミスを運び込むと、タマモは目を丸くした。


「……抹茶、なの? でも、見た目は西洋のお菓子ね」

「食ってみろ」


 タマモはスプーンで深い緑色の表面をすくい、口に運んだ。


「……っ!!」


 タマモの瞳がカッと開いた。

 口に入れた瞬間、マスカルポーネチーズの濃厚なコクと優しい甘みが広がり、すぐ後から宇治抹茶の深く上品な苦味と鮮烈な香りが鼻腔を突き抜けていく。

 洋菓子のクリーミーさと、和の研ぎ澄まされた渋み。それが互いに喧嘩することなく、むしろ互いの長所を爆発的に引き立て合い、口の中で完璧なオーケストラを奏でていた。


「美味しい……。すごく、美味しいわ……!」


 タマモは夢中でスプーンを動かした。

 泣き腫らして青白かった頬が、みるみるうちに健康的な桜色に染まっていく。抹茶のカフェインと良質な脂質、そして糖分が、彼女の疲労しきった脳細胞に凄まじいスピードでエネルギーを補給している証拠だ。


「どうだ。和と洋は、組み合わせ次第で最高のシナジーを生む。お前のキャラクターも同じだ。和風好きのポンコツな一面と、ステージで見せる完璧なパフォーマンス。そのギャップがあるからこそ、お前は無敵のアイドルになれるんだ」


 田村が腕を組んで力強く頷くと、タマモは最後の一口を飲み込み、スプーンを置いた。


「……タムラ」


 タマモは少しだけ上目遣いで、もじもじとしながら田村を見つめてきた。


「妾、これからも……あなたにプロデュースを任せても、いい……?」

「当然だ。俺はお前たちのマネージャーだからな」


 田村が大きな手でタマモの頭をポンと撫でると、タマモの顔は一瞬で耳の先まで真っ赤に茹で上がった。

 そして、彼女の金髪にわずかに残っていた静電気が、頭の上と腰の後ろで、まるで九つの尻尾が嬉しそうにパタパタと揺れ動いているかのように激しく反応した。


(おっと、まだ少し空気が乾燥しているみたいだな。後で業務用の加湿器を設置しておこう)


 田村は静電気の残滓を冷静に物理現象として処理しながら、完全に自信を取り戻したセンターの顔を見て、満足げに頷くのだった。

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