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第15話 肉食系デートと、英国淑女の和菓子誤爆事件

 雲一つない快晴の、休日の昼下がり。

 田村範朝は、都内にあるペット同伴可能な高級焼肉店のオープンテラス席に座っていた。

 目の前の無煙ロースターの上では、分厚くカットされた特上の牛タンとハラミが、ジュージューと暴力的なまでに食欲をそそる音と匂いを立てて焼かれている。


「ウオオオッ! デカブツ、そのハラミもう焼けてるだろ! アタシの皿に乗せてくれ!!」


 トングを片手に身を乗り出しているのは、バラエティ・元気担当の森田祥子だった。

 今日の彼女は、ダメージジーンズにへそ出しのショート丈のトップスという、極めてスポーティで刺激的な私服姿である。その抜群のプロポーションと長い手足は、テラス席の他の客の視線を否応なしに集めていた。

 対する田村も、黒のタイトなTシャツ一丁というラフな格好だが、分厚い大胸筋と丸太のような腕の筋肉がはち切れんばかりに自己主張しているため、周囲の客はすぐに目を逸らしてしまう。


「落ち着け、森田。ハラミは表面をカリッと焼きつつ、中はミディアムレアに留めるのが一番旨いんだ。焦ってひっくり返すと肉汁が逃げるぞ」


 田村は極めて冷静な手つきで肉を焼き、完璧なタイミングで森田の皿へと滑り込ませた。

 本日の外出の名目は、先日の「激辛カレー生配信」で大活躍した森田へのご褒美である。

 端から見れば、美女と筋肉質な巨漢の休日の焼肉デートにしか見えないが、田村にとっては純粋なタレントのフィジカルケア業務だった。


「んんんっ!! うめェェェッ!! 肉汁が爆発しやがる!!」


 森田は特上ハラミを大盛りの白米にバウンドさせ、豪快に口の中へとかき込んだ。

 その清々しいほどの食べっぷりは、先日ネットでバズった生配信の時と全く同じだ。彼女の規格外の食欲と代謝の高さは、アイドルの枠に収まりきらない強烈な個性として機能している。


「クゥーン」


 テーブルの横に繋がれたリードの先で、柴犬の赤ちゃん『ダイズ』が、おこぼれを貰おうと田村の足首に短い前足をかけておねだりしてきた。

 田村は「お前はこっちだ」と、持参した犬用の無添加ササミジャーキーをダイズの口元に運ぶ。ダイズは嬉しそうに短い尻尾を振り、ササミをフガフガと咀嚼し始めた。


「ぷはーッ! しっかし、休みの日にアンタと二人きりで焼肉なんて、完全にデートだな! アタシ、なんかテンション上がってきちゃったぜ!」


 森田がジョッキの黒烏龍茶を呷りながら、ニカッと笑いかけてくる。

 アイドルのスキャンダル対策として、休日の外出はマネージャーが同行して管理するのが一番安全だ。特に森田のようにエネルギッシュなタイプは、放っておくとどこで問題を起こすか分からない。


「デートというより、ただの栄養補給だ。しっかり食って、来週のダンスレッスンに備えろ」

「ちぇっ。相変わらず堅物だねェ。ま、肉が美味いから許してやるよ」


 森田が特上カルビに手を伸ばした、その時だった。

 田村のズボンのポケットで、スマートフォンが短く震えた。

 画面を見ると、特別顧問の宮崎真琴からのメッセージだった。


『ノリくん、お休みのところ悪いんだけど、ちょっとタマモちゃんの公式SNSを見てみて。プチ炎上してるわよ』


「……炎上?」


 田村は眉をひそめ、すぐにX(旧Twitter)のアプリを立ち上げ、神無月のセンターであるタマモのアカウントを開いた。

 タマモのアカウントは、「イギリス出身の優雅なハーフ美少女」という設定を前面に押し出し、普段は『本日のアフタヌーンティーですわ』といった気取った投稿でファンを集めている。


 だが、たった数分前に投稿された最新のポストは、その世界観を根底から破壊するものだった。


『老舗の栗羊羹、誠に美味なり。アールグレイの紅茶より、やはり濃いめに淹れた静岡産の緑茶が一番合うのう。この上品な甘さ、五臓六腑に染み渡るわい』


 そこには、縁側のような和風の木目テーブルの上に置かれた、分厚く切られた渋い栗羊羹と、湯気の立つ湯呑みの写真が堂々と添付されていた。


「……なんだこれは。裏のアカウントと間違えて誤爆したのか?」


 田村は頭を抱えた。

 案の定、その投稿のコメント欄や引用リポストは、凄まじい勢いで伸び続けていた。


『イギリス人設定どこいったwww』

『言葉遣いがおばあちゃんすぎるだろ』

『エセ外国人確定』

『中の人の趣味が渋すぎて草』

『ヴィヴィアン・フォックス(笑)』


 タマモが必死に作り上げてきた「英国淑女」というキャラクターが、たった一つの和菓子愛によって無惨にも崩壊し、ファンからの総ツッコミを食らっている状態だ。


「どうしたデカブツ? 難しい顔して」


 森田が口の周りに焼肉のタレをつけたまま覗き込んでくる。


「タマモさんが、SNSで致命的な誤爆をした。大至急、寮に戻って対応する。森田、残りの肉は全部パックに詰めて持ち帰るぞ」

「ええっ!? まだタン塩頼んでないのに!」


 田村は素早く会計を済ませると、文句を言う森田を引きずり、ダイズをスリングに突っ込んで、事務所ビルのタレント居住エリアへと急行した。


 事務所ビルの三階、タマモの自室の前。

 ドアの隙間から、バチバチッという激しい火花のような音が漏れ聞こえていた。


(おいおい、なんだこの異音は。古いビルだからコンセントの配線が劣化して、ひどい漏電スパークでも起こしているのか? 火事になったら大変だ)


 田村は電気系統のトラブルを警戒しつつ、マスターキーを使ってタマモの部屋のドアを勢いよく開けた。


「タマモさん、入るぞ!」


 部屋の中は、凄まじい惨状だった。

 高級そうなアンティーク調の家具が並ぶ部屋の空気が、異様に乾燥し、静電気で満ちている。空気中に青白いスパークが走り、タマモの金色の長い髪の毛が、激しい静電気のせいで天井に向かって逆立っていた。さらに、その逆立った髪の毛の塊が、頭の上で二つの巨大な獣の耳のような形に、そして腰のあたりで九つのふさふさした尻尾のような形に丸まってしまっている。


「うぅ……っ、ひぐっ……」


 部屋の中央のベッドの上で、タマモはスマートフォンを握りしめたまま、布団に顔を押し付けて号泣していた。

 極度のストレスとパニックによって、彼女が無理をして作っていた『イギリス人設定』が完全に吹き飛び、本来の和風のメンタルと、それに伴う異常な静電気が暴走してしまっているようだ。


「タムラぁ……! 妾、もう終わりよ……! 完璧なブリティッシュ・レディとしてのブランドが、たった一つの栗羊羹で灰燼に帰してしまったわ……!」


 タマモが顔を上げると、その美しい顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。

 彼女が泣き叫ぶたびに、部屋の壁紙からバチバチと漏電スパークが弾け、照明がチカチカと明滅する。


(なるほど。エゴサをしてアンチや冷やかしのコメントを真に受け、極度のパニック障害を起こしているんだな。それに伴って部屋の湿度が急激に下がり、この凄まじい静電気と漏電を引き起こしている。まずは彼女を落ち着かせ、電気系統のショートを防ぐのが先決だ)


 田村は冷静に状況を判断し、後ろをついてきた森田に指示を出した。


「森田、窓を開けて換気しろ。部屋の湿度を上げて静電気を逃がすんだ。俺はブレーカーを確認してくる」

「お、おう。分かったぜ。タマモのやつ、髪の毛が爆発してんじゃねーか」


 田村は部屋の隅にある小さなキッチンに向かい、やかんでお湯を沸かし始めた。

 ただお湯を沸かすだけではない。加湿器代わりに大量の湯気を部屋に充満させ、静電気の帯電を防ぐのが目的だ。


「タマモさん、落ち着け。SNSの炎上なんて、今の時代は三日もすれば誰も覚えていない。それに、まだ完全に詰んだわけじゃない」


 田村はマグカップに熱いお湯を注ぎ、そこに持参していた特製のハチミツと、すりおろした生姜をたっぷりと溶かし込んだ。

 強力な甘みと生姜の香りが、パニックで過呼吸気味になっているタマモの自律神経を強制的に落ち着かせるための、田村特製のホットジンジャー・ハニーだ。


「ほら、これを飲んで深呼吸しろ」


 田村がマグカップを差し出すと、タマモは震える両手でそれを受け取り、ズズッと一口すすった。


「……っ。あまい……あったかい……」


 ハチミツの濃厚な甘さと生姜の刺激が、タマモの強張った喉と胃袋に染み渡る。

 彼女の激しい嗚咽が少しずつ収まり、同時に部屋の中を飛び交っていた青白い漏電スパークも、窓からの換気と湯気のおかげで完全に消え去った。獣の耳や尻尾のように丸まっていた髪の毛も、湿気を吸って元の美しいストレートヘアに戻っていく。


「ふう。これで漏電の危険は去ったな。配線の修理は後で業者を呼んでおくとして……問題はSNSの対応だ」


 田村は自分のスマートフォンを取り出し、タマモの炎上しているポストを表示した。


「いいか、タマモさん。こういう時は、下手にツイートを削除して逃亡するのが一番ダサい。ネット民は削除されたものほど執拗に拡散したがるからな。ここは逆に、この『和菓子好きで渋い趣味をしている』という設定を、新しい武器として公式に認めてしまうんだ」

「武器に……? でも、それじゃあ私のイギリス人設定が……」

「イギリス出身だからといって、日本の伝統文化を愛してはいけないというルールはないだろう。『日本文化に魅了され、見た目は金髪の美少女なのに、中身は日本茶と和菓子を愛する古風なオタク』。……どうだ、ギャップ萌えというやつで、オタク層にはむしろ深く刺さるんじゃないか?」


 田村がビジネスマンとしての論理的なマーケティング戦略を語ると、タマモはハッとして目を見開いた。


「なるほど……! つまり、わざと『設定のガバさ』を露呈させることで、親しみやすさとギャップを演出する高度なプロモーション戦略に切り替えるということね!」

「そういうことだ。さあ、今すぐ追加のポストを打て。謝罪ではなく、堂々とした宣誓だ」


 タマモは泣き腫らした目をこすり、スマートフォンを構え直した。

 田村の指示を受けながら、彼女は力強いフリック入力で文章を打ち込んでいく。


『……というわけで、投稿を送信したわ!』


 数秒後、タマモの公式アカウントに新たなポストが投下された。


『ふふん、驚いたかしら愚民ども! 妾は英国生まれの淑女にして、ジャパニーズ・トラディショナル・スイーツの真髄を極めし者! 羊羹の深い味わいが分からぬとは、貴様らまだまだお子様ね! 今後も妾の洗練された和風ティータイムを見せつけてあげるから、ありがたく拝見しなさい!』


 開き直りとも取れる、堂々たる『キャラ変』の宣言だった。

 すると、コメント欄の反応が劇的に変わり始めた。


『開き直りやがったww』

『金髪ハーフ美少女が「愚民ども」とか言いながら羊羹食ってるの、控えめに言って最高』

『設定ガバガバなポンコツ可愛い』

『推せる。次から差し入れは虎屋の羊羹にするわ』


 批判的なツッコミは消え去り、むしろ「ポンコツなギャップ萌え」として好意的に受け入れられ、リポストの勢いはさらに加速していった。


「……すごいわ、タムラ! アンチのコメントが一瞬で消えて、フォロワーの数がさっきより千人も増えてる!」


 タマモがパッと顔を輝かせ、ベッドの上でピョンと跳ねた。


「当然だ。どんな逆境も、やり方次第で強みに変えられる。それがプロのマネジメントだからな」


 田村が胸を張ると、タマモは感極まったようにベッドから飛び降り、田村の分厚い胸板にポスンと抱きついてきた。


「ありがとう、タムラ! あなたがいなかったら、妾、プレッシャーでどうにかなっちゃうところだったわ……!」

「おいおい、鼻水がスーツにつくぞ」


 田村は苦笑いしながら、タマモの頭を大きな手でポンポンと撫でた。


「あのさァ。アタシのご褒美の焼肉デートを途中で切り上げさせたんだから、夕飯はデカブツの手作りで、最高に美味い肉料理を作ってくれよな!」


 窓際で換気をしていた森田が、呆れたように、しかし楽しそうに笑いながら要求してきた。


「クゥーン!」


 スリングの中のダイズも、それに同意するように鳴き声を上げる。


「分かった分かった。今日の夕飯は、特製のローストビーフ丼にしてやる」


 漏電スパークの危機を、圧倒的な論理と甘いホットジンジャーで乗り切った田村。

 どんなトラブルが起きようとも、霊感ゼロの最強マネージャーの歩みは止まらないのだった。

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