第14話 甘口カレーの錬成と、子犬と暴食の生配信
数日前の「激辛グルメ完食チャレンジ」ロケで、森田祥子が見せた「キレてアクリル製の円卓にヒビを入れる」という衝撃的なリアクションは、バラエティ番組の放送後、SNS上で爆発的なバズを生み出していた。
『顔がいいのにキレ方が暴走族みたいなアイドル』
『机割りニキならぬ、机割りネキ』
そんなネットミームとして拡散され、高天原プロダクションには森田宛の仕事のオファーが殺到していた。
その結果、急遽組まれたのが、人気動画クリエイターとのコラボによる「超大盛り激辛カレー完食チャレンジ」の生配信企画だった。
現在、都内の配信スタジオの控室。
出番を待つ森田は、パイプ椅子に深く腰掛け、貧乏ゆすりをしながらイライラと唸り声を上げていた。
「……腹減った。しかもまた激辛かよ。前のロケのせいで、胃袋がカプサイシンを警戒してやがる」
森田の全身から、ピリピリとした静電気のような不快な空気が発せられている。
田村範朝の胸元に抱えられた専用スリングの中で、柴犬の赤ちゃんの『ダイズ』が、「クゥ〜ン……」と情けない声を出しながら、田村のスーツのジャケットの内側にモゾモゾと潜り込んでいった。
最終的に、ダイズは田村の分厚い大胸筋とワイシャツの隙間にすっぽりと顔を隠し、丸いお尻と短い尻尾だけを外に出してブルブルと震え始めた。
(おや、ダイズの奴、スタジオの冷房の風が冷たくてジャケットの中に避難したか。あるいは、極度の空腹で機嫌が悪い森田の大きな唸り声にびっくりしただけだな。子犬は音に敏感だからな)
田村は、愛犬の愛らしい仕草に口元を緩め、スーツの胸元がポッコリと膨らんでいるのを優しくポンポンと叩いた。
「森田、本番五分前だ。胃の調子はどうだ?」
「最悪だぜデカブツ。腹の虫が鳴りすぎて、目の前にあるもん全部ぶっ壊して食っちまいそうだ」
森田の瞳の奥には、猛獣のような血走った光が宿っている。
前回のアドレナリン暴走の記憶が、空腹のストレスと相まって彼女の交感神経を極限まで逆撫でしているらしい。
生配信がスタートした。
カメラの前のテーブルにドンッと置かれたのは、総重量三キロの『地獄のデスマッチ・カレー』。真っ赤なルーからは、目と鼻を刺すような強烈なスパイスの刺激臭が立ち昇っている。
「さあ、机割りアイドルの森田さん! 今日も豪快な食べっぷりを見せてください!」
コラボ相手のクリエイターがテンション高く煽る。
しかし、森田の表情は険しかった。
前回の激辛麻婆麺の痛みの記憶がフラッシュバックし、本能が強烈な拒絶反応を示しているのだ。彼女の白い肌に玉の汗が浮かび、ギリッと歯を食いしばる。
「……オラァッ!! なめんなァッ!!」
森田が吠えた。手にした巨大な金属製のスプーンを握りしめる力が強すぎて、柄の部分がグニャリと曲がり始める。
(マズイ。極度の空腹と、強烈なスパイスの匂いによる自律神経の乱れで、完全にアドレナリンが暴走している。このままではスプーンをへし折り、またセットの机を殴り壊すぞ)
カメラの死角で様子を見守っていた田村は、即座に行動を開始した。
激辛料理による胃粘膜へのダメージを防ぎ、暴走する交感神経を副交感神経優位へと強制的に引き戻すには、圧倒的な「甘味」と「コク」が必要だ。
田村は配信開始と同時に、控室の簡易キッチンで準備を進めていた。
ベースとなるのは、あらかじめ自宅で煮込んで保温ポットで持参していた、田村特製の「フルーティー・ポークカレー」。
大量のタマネギを飴色になるまで炒め、すりおろしたリンゴとバナナ、さらにたっぷりのハチミツを加えて自然な甘みを極限まで引き出している。スパイスは極力控えめにし、代わりにココナッツミルクと生クリームを大量に投入。角切りにしてホロホロになるまで煮込んだ豚バラ肉の濃厚な脂の旨味と完璧に融合させている。
森田がスプーンをへし折りそうになった瞬間。
「ちょっと失礼します。マネージャーからの、味変用のトッピングです」
田村の巨体が、カメラの端にスッと見切れた。
彼は持参した大きな銀色のソースポットを傾け、森田の目の前にある真っ赤な激辛カレーの上に、黄金色に輝く田村特製の「激甘・濃厚まろやかカレーソース」を滝のようにぶっかけたのだ。
さらに、その上から温泉卵を三個、そしてバーナーでこんがりと炙ったとろけるチーズを大量に乗せる。
「な、なんだこれは!?」
想定外の乱入に、コラボ相手のクリエイターが驚愕する。
「激辛に怯えるタレントの胃袋を保護するための、特製の『甘口まろやかコーティング』です。さあ、森田。一気に食え」
森田は一瞬ポカンとしたが、目の前のカレーから立ち昇る、強烈なスパイスの匂いを中和するような、甘く芳醇で暴力的なまでに濃厚な豚の脂とハチミツの香りに、瞳孔をカッと開いた。
「……いただき、ますッ!!」
森田は曲がりかけたスプーンで、チーズと温泉卵、甘口カレーソースがたっぷり絡んだ激辛カレーを一気に掬い上げ、大きな口に放り込んだ。
「……んんんッ!! ウメェェェェェッ!!」
森田の顔から、先ほどまでの般若のような険しさが一瞬で消え去り、極上の笑顔が咲き乱れた。
激辛の刺すような痛みを、ココナッツミルクとハチミツの圧倒的な甘さが優しく包み込み、豚バラ肉の強烈な旨味が脳天を殴りつける。辛味と甘味、そして濃厚なコクが口の中で完璧なシンフォニーを奏でていた。
「ガツガツガツッ! ズルルルッ!!」
森田はもはや咀嚼しているのかどうかも分からないスピードで、三キロのカレーをまるで飲み物のように胃袋に流し込んでいく。
その豪快で、見ていて清々しいほどの美しすぎる食べっぷりに、コラボ相手はドン引きして言葉を失っていた。
配信のコメント欄は、爆発的な勢いで滝のように流れていた。
『なんだこの食いっぷり!? 見てて気持ちよすぎるww』
『机割りネキ、実はただの腹ペコ美少女だった件』
『美味そうすぎる。俺もカレー食いたくなってきた』
『ていうか、さっき一瞬映ったマネージャーデカすぎん? 腕の太さ丸太やんけ』
『有能マネの特製まろやかソースのおかげで完全にバフかかってるw』
田村のスーツの胸元に隠れていたダイズも、森田から発せられていたイライラしたプレッシャーが「幸福感」へと変わったのを感じ取ったのか、ひょっこりと顔を出した。
そして、カメラの枠外から「ワン!」と元気よく鳴き声を上げた。
愛らしい子犬の鳴き声がマイクに乗り、コメント欄はさらに『犬の声した!?』『可愛すぎる』と凄まじい盛り上がりを見せる。
ものの十分足らずで、三キロの特盛りカレーは一粒の米も残さず完食された。
「ぷはーッ!! 食った食った! アタシ、大満足だぜ!!」
森田はパンパンに膨れたお腹をさすりながら、カメラに向かって満面の笑みでピースサインを決めた。
その表情には、アイドルとしての輝かしいオーラが満ち溢れている。
(よし。空腹による低血糖のイライラと、激辛トラウマによる自律神経の乱れは、完全な糖質と脂質の摂取によって見事にリセットされたな。それに、これだけ美味しそうに食べてくれれば、飲食系のCMのオファーも来るかもしれない)
田村は胸元のダイズの頭を撫でながら、大成功に終わった生配信の様子に深く頷いた。
こうして、田村の「特製甘口カレー」という物理的かつカロリーの暴力的なアシストにより、森田の暴走は未然に防がれ、彼女の『豪快な大食いキャラ』はネット上で確固たる人気を獲得していくのだった。




