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第13話 雪女との休日デートと、激辛ロケのセット崩壊

 日曜日。

 田村範朝は、休日の原宿・竹下通りの雑踏を歩いていた。


 身長185センチ、体重90キロ。休日とはいえ、田村の服装は体にフィットした黒のポロシャツとチノパンという出立ちであり、分厚い大胸筋と丸太のような腕の筋肉が隠しきれずに主張している。

 そんな威圧感の塊のような田村の背中に、ぴったりと隠れるようにして歩く人影があった。


「……ひとが、多い。空気が薄い。ムリ、帰りたい……」


 ダボダボのグレーのパーカーのフードを深く被り、黒いマスクで顔の半分を隠した和田佐千絵である。

 彼女は田村のポロシャツの裾を両手でギュッと掴み、周囲の視線から逃れるように田村の巨大な背中の影に収まっていた。ダボついた服を着ていても、彼女の歩く動作の端々から、その雪のように透き通る白い肌と、極めて豊満で美しいプロポーションが否応なしに目を引く。すれ違う若者たちが何度も振り返るが、前を歩く田村の凄まじい物理的プレッシャーに気圧され、すぐに目を逸らしていた。


「我慢しろ、和田。引きこもってゲーム配信ばかりしていては、ビタミンDが不足して骨が脆くなる。アイドルは体が資本だ。休日の適度な日光浴とウォーキングは、メンタルヘルスにも直結する重要なフィジカルケアだからな」


 田村は極めて事務的なトーンで歩みを進めた。

 今日の外出の名目は、和田の個人配信用マイクのグレードアップと、彼女のインドア生活を改善するためのリハビリである。端から見れば完全に「美女と野獣の休日のデート」なのだが、田村の脳内では純粋な「タレントの健康管理業務」として処理されていた。


「それに、ちゃんと約束通り、お前の目当ての店に連れてきてやっただろう」


 田村が足を止めたのは、裏路地にある隠れ家的なパンケーキ専門店の前だった。

 その店構えを見た瞬間、和田の怯えていた瞳にパッと光が宿った。


「……うん。ここの、期間限定のマカダミアナッツ・パンケーキ。ずっと食べたかった」

「よし、入るぞ」


 店内は若い女性客で賑わっていたが、田村の巨体が入店すると一瞬だけ静まり返った。田村は周囲の反応など一切気にせず、奥のボックス席に和田をエスコートした。


 数分後。

 和田の目の前に、分厚いスフレ生地が三枚重なり、その上に雪山のような生クリームと、濃厚なマカダミアナッツソースがたっぷりとかかった巨大なパンケーキが運ばれてきた。


「……いただきます」


 和田はマスクを外し、フォークとナイフを手に取った。

 パンケーキを大きめに切り分け、たっぷりのクリームと一緒に口に運ぶ。


「……んっ……」


 和田の頬が、蕩けるように緩んだ。

 ふわふわの生地の卵の甘みと、濃厚でコクのあるナッツソースが口の中で完璧に混ざり合う。和田の顔から先ほどまでの緊張と不機嫌さは完全に消え去り、ふにゃりとだらしない、幸福感に満ちた笑顔がこぼれていた。


(よしよし。良質な糖質と脂質の摂取は、ストレスで強張った脳神経を急速に緩和させる。歩き疲れた体に、このカロリーの暴力は最高のカンフル剤だ)


 田村は自分の前に置かれたブラックコーヒーを啜りながら、和田の様子を満足げに観察した。

 和田は夢中でパンケーキを頬張りながら、時折上目遣いで田村を見つめてくる。


「……田村は、食べないの?」

「俺は朝食で鶏胸肉とブロッコリーを十分に摂取してきたからな。お前が全部食っていいぞ」

「……うん。田村と一緒に食べるおやつ、最高に美味しい」


 和田はテーブルの下で、田村の太い膝に自分の足をそっと擦り寄せてきた。

 先日、アンチコメントによる極度のストレスで過呼吸を起こした際、田村の特製フレンチトーストとピニャコラーダによって救われて以来、和田の田村への懐き方は尋常ではない。完全に安心しきり、依存している様子だ。


「マイクも新しいのを買ったし、これでまた配信頑張れる。……田村が、ずっと私のそばで見ててくれるなら」

「ああ、マネージャーだからな。お前の配信のモデレーター権限は俺が握っている。変なノイズは全部俺が物理的にブロックしてやるから、お前は安心してパフォーマンスに集中しろ」


 田村が大きな手で和田の頭をポンと撫でると、和田は嬉しそうに目を細め、最後の一口のパンケーキを大切そうに飲み込んだ。

 完璧な栄養補給とメンタルケアの完了である。田村は伝票を手に取り、レジへと向かった。


 和田との健康的な休日デートから数日後。

 水曜日の午後、田村は都内のテレビ局のスタジオにいた。


 今日は、バラエティ・元気担当である森田祥子の、地上波バラエティ番組への初出演ロケである。

 特別顧問の宮崎真琴が独自のコネクションを使ってねじ込んでくれた仕事で、番組の企画は『激辛グルメ完食チャレンジ』。豪快で体力のある森田のキャラクターを見込んでの抜擢だ。


「森田、調子はどうだ。朝食は消化の良いものを指定したが、胃のコンディションは悪くないか?」


 スタジオの隅のパイプ椅子で待機していた森田に、田村が声をかける。

 森田は動きやすいショートパンツとタンクトップに、番組のロゴが入ったエプロンをつけていた。長い手足と引き締まった腹筋が眩しい、極めて健康的なスタイルだ。


「おう、バッチリだぜデカブツ! アタシの胃袋はブラックホールだからな。どんな辛いもんが出てきても、ペロリと平らげてやるよ。ギャラが入ったら、美味い酒とツマミを奢ってくれよな!」


 森田は拳をバキバキと鳴らしながら、自信満々に笑った。

 田村は手元のバインダーを確認する。激辛料理は胃粘膜に強いダメージを与えるため、ロケの前に胃を保護するための牛乳を森田に飲ませてある。事前のフィジカルケアは完璧だ。


「本番行きます! 3、2、1、キュー!」


 フロアディレクターの合図とともに、カメラが回り始めた。

 スタジオの中央に組まれた中華風のセット。円卓の上に、ドーム型の銀色のフタが被せられた巨大な丼が運ばれてくる。


『さあ、大型新人アイドルの森田祥子さんが挑戦するのは、当店激辛ランキング第1位! その名も、地獄の血の池麻婆麺です!!』


 MCの芸人がフタを開けた瞬間、スタジオ中に強烈な刺激臭が充満した。

 真っ赤に染まったスープの上に、山盛りの唐辛子と、世界一辛いとされるジョロキアの粉末がこれでもかと降りかかっている。見た目だけで目が痛くなるような、完全なオーバースペックの激辛料理だ。


「うおっ……! なんだこれ、匂いだけで鼻がもげそうだぜ……!」


 森田が少しだけ顔を引きつらせた。


「森田さん、いけますか!? 制限時間は十分! スタートです!!」


 森田は意を決して箸を手に取り、真っ赤な麺を豪快に啜り上げた。


「ズルズルッ……!!」


 その瞬間。

 森田の動きが、ピタリと止まった。

 彼女の瞳孔がカッと開き、全身の毛穴から一気に玉の汗が吹き出す。


「……あ? なんだこれ……」


 森田は箸を持ったまま、ワナワナと肩を震わせ始めた。

 彼女の白い肌が、首の根元からみるみるうちに真っ赤に染まっていく。


(凄まじいカプサイシンの量だな。痛覚が極限まで刺激されたことで、脳内で大量のアドレナリンが分泌され、交感神経が急激に興奮状態に陥っている)


 カメラの横で様子を見守っていた田村は、森田の身体に起きている生理現象を冷静に分析した。


「おい、森田さん? 大丈夫ですか?」


 MCの芸人が覗き込む。


 しかし、森田の様子は明らかにおかしかった。

 彼女の呼吸は荒くなり、目にはバキバキの血走った光が宿っている。


「……辛ェ」

「えっ?」


「辛ェんだよオラァァァァァッ!! なめとんのかこの野郎!!」


 突然、森田が獣のような咆哮を上げた。

 アドレナリンの過剰分泌により、彼女の闘争本能が完全にリミッターを外したのだ。

 森田は立ち上がり、右腕を大きく振りかぶった。彼女の狙いは、目の前にある分厚いアクリル製の円卓セットだった。


(マズイ。極度の興奮状態で、痛覚が麻痺している。あの勢いで硬いアクリルを殴れば、拳の骨が砕けるぞ)


 田村は瞬時に動いた。

 彼にとって、アイドルの身体を傷つける要素はすべて物理的に排除しなければならない。

 森田の拳が円卓に振り下ろされる直前。

 田村の巨体が、カメラの死角から凄まじいスピードで滑り込んだ。


 ドゴォォォォンッ!!


 スタジオ中に、爆発音のようなすさまじい打撃音が響き渡った。

 森田の拳は円卓の表面を捉え、分厚いアクリル板にピキピキッと巨大な亀裂が走る。


 しかし、円卓は崩壊しなかった。

 円卓の下で、田村が左手のひらを上に向けて下から天板を支え、森田の異常な筋力による衝撃を完璧に吸収していたのだ。田村のワイシャツの袖が弾け飛び、上腕二頭筋と前腕の筋肉が限界までパンプアップして軋み声を上げている。


「なっ……!?」


 自分の全力の一撃がピタリと止められ、森田が驚愕の声を上げた。


「おいおい。いくらテレビ局の使い回しのセットだからって、建て付けが悪すぎるぞ。少し叩いただけでヒビが入るじゃないか」


 田村は、円卓を下から片手で支えながら、極めて冷静な声で森田をたしなめた。


「森田。激辛のリアクションとしては満点だが、手を痛めるから机を全力で叩くのはやめろ。明日もダンスのレッスンがあるんだぞ」


「た、田村……お前、アタシの拳を……片手で……!?」


 森田は、アクリル板越しに下から自分の拳の衝撃を完全に受け止めている田村の太い腕を見て、完全に毒気を抜かれたように目を見開いた。

 彼女の中に沸き起こっていたアドレナリンの暴走が、田村の圧倒的で揺るぎない物理的防御力によって、急速に冷却されていく。


「す、すげえええええっ!! なんだ今のリアクション!! アイドルがキレて机にヒビを入れるなんて、前代未聞の撮れ高ですよ!!」


 フロアディレクターが、カメラの横で興奮のあまりガッツポーズをした。

 どうやら、田村が下から支えていたことはカメラの死角になっており、画面上は「激辛にキレた森田のパンチで机にヒビが入った」という衝撃的なバラエティのワンシーンとして収録されたようだ。


「……はぁっ、はぁっ……」


 森田は肩で息をしながら、少し照れくさそうに頭を掻いた。


「わ、悪ィ。ちょっとカプサイシンが効きすぎたみたいだ」

「激辛料理には、脳の痛覚を麻痺させて異常な興奮を引き起こす作用があるからな。よく頑張った。残りは無理しなくていい。胃薬と、俺の特製の冷たい甘口ミルクセーキを用意してあるから、楽屋で飲め」

「お、おう……サンキュー」


 田村が円卓から手を離すと、ピキピキとヒビの入ったアクリル板がパリンと音を立てて割れ落ちた。田村は「本当に脆いセットだな」と首を振りながら、破損した破片を素早く回収する。


 こうして、森田の初のバラエティ番組出演は、田村の完璧な物理的サポートにより、大成功という形で幕を閉じた。

 休日の徹底したメンタルケアから、暴走する筋肉の物理的な防御まで。田村の規格外のマネジメント能力は、神無月のメンバーたちを確実にトップアイドルへの道へと押し上げているのだった。

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