EP 9
賢者母の魔法レッスン〜魔力は帳簿、魔法は料理〜
俺がこの世界に転生して、無事に5歳の誕生日を迎えた頃。
クライン邸の広大な中庭で、俺は母マリアと向かい合って立っていた。
「さぁ、リアン。今日からいよいよ魔法のレッスンを始めるわよ!」
マリアは普段のドレスではなく、動きやすい魔導士風のローブを身に纏い、手には美しい装飾が施された樫の木の杖を握っていた。
元A級冒険者であり、『賢者』の二つ名を持つマリア・クライン。彼女から直接魔法を教わるなど、この世界の魔導士志望者からすれば大金を積んででも拝み倒したいシチュエーションだろう。
俺としても、魔法の習得には大いに賛成だった。
なぜなら、魔法が使えれば「わざわざ厨房まで行かなくてもお湯が沸かせる(給湯コストの削減)」し、「夏の暑い日には冷気を出せる(空調コストの削減)」からだ。
自堕落で快適なスローライフにおいて、生活魔法は必須のインフラである。
「はい、ママ! ぼく、魔法のお勉強がんばる!」
俺は5歳児特有の無邪気な笑顔(+10pt)を振りまきながら、コクリと頷いた。
「えらいわ! それじゃあ、まずは基本中の基本、『火』の魔法からやってみましょう。リアン、目を閉じて、自分の中にある『魔力』を感じてみて」
言われるがままに目を閉じる。
魔力。それは俺にとって、すでにひどく馴染み深いものだった。
赤ん坊の頃から、マリアに毎日欠かさず『回復魔法』を注ぎ込まれてきた俺の体内には、同年代の幼児とは比較にならないほど強靭で、かつ莫大な量の魔力がストックされている。
「温かくて、フワフワしたものを感じるかしら? それをゆっくりと指先に集めるイメージよ。そして、精霊に語りかけるように詠唱するの。『――赤き灯火よ、我が指先に集いて踊れ。ファイヤーボール』!」
マリアの杖の先から、ポッ、とソフトボール大の火球が生み出された。
周囲にふわりとした熱気が広がる。
なるほど。これがファンタジー世界における魔法の基本プロセスか。
(……だが、ひどく非効率だな)
俺の脳内で、三ツ星フレンチ副料理長と、簿記1級の思考回路が同時にスパークした。
そもそも『詠唱』とはなんだ?
精霊に語りかける? 違う。あれはただの『自己暗示』であり、曖昧なイメージを固定化するための音声ガイドに過ぎない。
料理に例えるなら、レシピ本をいちいち声に出して読み上げながら調理しているようなものだ。
「ええと、ここで塩をひとつまみ入れて……」と声に出さなければ味が決まらない料理人など、三ツ星の厨房では三日でクビである。レシピは脳内に完璧に叩き込み、無意識下で温度と時間を管理するのがプロだ。
さらに『魔力の流れ(フロー)』についても同様だ。
マリアは「温かいものをフワフワと集める」と言ったが、曖昧すぎる。
俺から言わせれば、体内にある魔力の総量は**『内部留保(自己資本)』だ。
そこから魔法を発動させるために魔力を引き出す行為は、まさに『キャッシュフロー(資金移動)』**そのものである。
「フワフワ集める」のではなく、「手元の流動資産(魔力)から、必要な経費(発動コスト)を正確に計算し、ロスなく指先という口座(出力器官)に送金する」。
これが最も論理的で無駄のない魔力操作の正解だ。
「さぁ、リアン。難しく考えなくていいのよ。最初は誰だって上手くいかないものだから。ほら、ママと一緒に呪文を……」
「やってみるね、ママ」
俺はマリアの言葉を遮り、右手をスッと前に突き出した。
狙うは、マリアが先ほど見せた『ファイヤーボール』だ。
だが、どうせやるなら、より高効率で無駄のない火球を作ってみよう。
(レシピの構築……。炎の発生に必要なのは、熱源、酸素、そして燃料(魔力)。これを指先の前方10センチの空間に設定する。ここまではいい)
次に、温度管理だ。
マリアの火球は赤色だった。あれは不完全燃焼を起こしており、温度はおよそ800度〜1000度。燃費が悪い上に、周囲に無駄な熱を撒き散らしている。
料理においても、炭火の遠赤外線ならともかく、ガス火で不完全燃焼など論外だ。
俺が厨房で愛用していた、完璧に調整されたコンロの青い炎。あれを再現する。
中心温度は1500度。酸素と魔力の結合比率を最適化し、周囲への熱拡散を極限まで抑え込むための『魔力の皮膜』で炎全体をコーティングする。
(魔力(資金)の引き出し。内部留保から0.5%のみを正確にデビット(引き落とし)。指先へ送金……着火!)
俺は、当然のように**『無詠唱』**でそれを実行した。
シュボッ……!!
俺の指先に、ソフトボール大の火球が現れた。
いや、それは『火球』という生易しいものではなかった。
色は、透き通るような美しいサファイアブルー。
周囲に熱気は一切広がらない。俺が『熱拡散を防ぐ皮膜』を完璧に構築しているためだ。
だが、その青い球体の内側では、莫大なエネルギーが一切の無駄なく超高密度で圧縮され、太陽の表面のごとく荒れ狂っている。
仮にこれをそこら辺の岩に投げつければ、爆発するのではなく、岩そのものをドロドロのマグマに変えて蒸発させるだろう。
「……できたよ、ママ! お料理のコンロみたいだね!」
俺が青い炎を指先でクルクルと回しながら笑顔を向けると、マリアは杖を取り落とした。
カランッ……。
「えっ……? あ、青い……炎? それに、今、リアン……詠唱を……しなかった、わよね?」
マリアの顔から、スーッと血の気が引いていくのが分かった。
普段の慈愛に満ちた母親の顔から、『元A級冒険者・賢者』としての顔に切り替わっている。その瞳が、俺の指先で燃える青い炎を、戦慄と驚愕をもって見つめていた。
「そ、そんな……。熱が一切漏れていない。炎を極限まで圧縮し、魔力の皮膜で制御している……? しかも無詠唱で……? あれは中級、いや、上級魔法の『フレア・ランス』の術式を独自に改変して……5歳の子供が、初めてのレッスンで……?」
マリアがブツブツと何事かをつぶやき始めた。
(……しまった)
俺は気づいた。
俺の『論理的で高効率な温度管理』と『ロスゼロのキャッシュフロー』が、このファンタジー世界においては、とんでもなく高度な魔法技術に該当してしまったのだ。
赤ん坊の頃からの回復魔法ドーピングによって、俺の魔力インフラが整備されすぎていたことも原因だ。最新の光回線でテキストデータを送るようなもので、遅延(詠唱)など発生するはずもなかったのである。
「あ、あのー、ママ?」
「あぁ……私の息子は……やっぱり、伝説の魔導士の生まれ変わりなのね……。私、もう教えることないかも……」
マリアはふらふらと数歩後ずさると、「尊い……」と呟きながら、白目を剥いて芝生の上にパタリと倒れ込んだ。
あまりの才能の爆発に、賢者のキャパシティがショートして気絶してしまったらしい。
「きゅきゅっ!」
素早く影から這い出てきた喰丸が、マリアの頭の下に潜り込み、クッション代わりになって衝撃を吸収した。有能な奴め。
『ピロリン♪』
【システム:母親に『圧倒的な才能』を見せつけ、極上の夢と感動を与えました。+50pt】
【現在の善行ポイント:290pt】
脳内に鳴り響く、ポイント獲得のファンファーレ。
俺は指先の青い炎をそっと握りつぶして消滅させると、芝生に倒れるマリアを見下ろして、深々とため息をついた。
(またやってしまった……。どうして俺は、こうも『無能なフリ』が下手くそなんだ……)
前世、厨房で少しでも手を抜けば、即座に料理長からフライパンが飛んできた。
あのブラック環境で培われた『常に最高効率を叩き出す癖』が、俺の平穏なスローライフ計画の足を強烈に引っ張っている。
俺はマリアの頬をペチペチと叩きながら、次からはもっと、意識的に『無駄が多くて燃費の悪い魔法(赤字経営)』を演じるよう、自身に強く言い聞かせたのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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