EP 10
騎士団長父の剣術レッスン〜令和の将軍爆誕〜
「ガッハッハッハ! マリアから聞いたぞ、リアン! お前、初めての魔法レッスンで上級魔法クラスの火球を無詠唱で作り出したそうだな!」
「あーう……えへへ」
ある晴れた日の午前中。
クライン邸の広大な中庭には、ルナハン騎士団長の豪快な笑い声が響き渡っていた。
父アークスは、上機嫌を通り越して興奮状態にあった。昨日、母マリアを白目で気絶させるという大失態をやらかした俺だが、案の定、親バカな両親の目には「歴史に名を残す大魔導士の再来」として映ってしまったらしい。
「だがな、リアン! 男たる者、後方から魔法を撃っているだけではいかん! 己の肉体と闘気を練り上げ、最前線で剣を振るってこそ真の騎士だ! さぁ、今日から父さんが直々に、お前に剣のイロハを叩き込んでやろう!」
アークスが俺の目の前に差し出したのは、5歳の幼児用に特注された小さな木剣だった。
俺は内心で(また無駄な労働が増えた……)とため息をつきながらも、従順な息子を演じるために笑顔でそれを受け取った。
木剣を握った瞬間、俺の脳内で三ツ星フレンチ副料理長としての本能が稼働した。
(……重心がわずかに刃先に寄っているな。振り下ろしの威力を増すための調整か。だが、これでは手首への負担が大きく、繊細な取り回しが効かない。肉や骨を断ち切る『出刃包丁』ならともかく、万能に使う『牛刀』としては三流のバランスだ)
俺が木剣のグリップを数ミリ単位で握り直し、自分にとって最も効率的で無駄のない重心位置(損益分岐点)を探り当てたその時だった。
不意に、俺の脳裏に前世の忌まわしい記憶がフラッシュバックした。
『優也! 刃筋がブレておるぞ! 将軍たる者、いかなる武器、いかなる戦況においても完璧な理合で敵を制圧せねばならん! もう一度だ!』
俺の祖父、青田武信の怒鳴り声だ。
祖父は重度、いや末期の歴史マニアであり、特に江戸幕府第八代将軍・徳川吉宗を神のごとく崇拝していた。
その狂信的な愛情は、ついに暴走し、あろうことか古武術の各流派を勝手に統合したハイブリッドな架空武術『天極流』を創設するに至ったのだ。
紀州藩伝来の剣術『西脇流』をベースに、一撃必殺の『小野派一刀流』、弓馬術と礼法、そして無駄のない歩法を極めた『小笠原流』、十文字槍の理合を取り入れた『宝蔵院流』、柔術による受けと崩しの『関口流』、さらには馬術の『大坪流』まで……。
祖父はこれらすべての奥義(の解説本)を読み漁り、独自に解釈しては、幼い頃の俺に実戦形式で叩き込み続けたのである。
『じいちゃん、俺は料理人になるんだよ! 料理学校に行くんだ! 将軍になる予定なんてないし、令和の時代に真剣白刃取りや槍の刺突なんて使わないから! 令和だよ? じいちゃん、やりすぎだよ!』
俺が何度そう毒づいても、祖父は『厨房も戦場ぞ! 武の理合を知らぬ者に、包丁の神髄は掴めん!』と無茶苦茶な屁理屈をこねて、俺を道場の床に投げ飛ばし続けた。
まさか、あの令和の日本では一円の利益も生まなかった無駄な特訓の数々が、異世界に転生して5歳の幼児になった今、こんな形で役立つことになろうとは。
「よし、リアン! まずは父さんに向かって、思い切り木剣を振り下ろしてみろ! 父さんがしっかり受け止めてやるからな!」
アークスが、大人用の分厚い木剣を正眼に構えた。
元A級冒険者であり、ルナハン騎士団のトップに君臨する男。いくら手加減しているとはいえ、その全身からは微かに『闘気』が立ち昇り、周囲の空気をピリピリと震わせている。
(……思い切り振り下ろせ、ね。なるほど)
俺は木剣をスッと下段に下ろし、全身の力を完全に抜いた。
アークスは「おや?」という顔をした。子供なら、ワーッと声を上げて力任せに上段から叩きつけてくるのが普通だからだ。
俺の目は、すでにアークスの放つ闘気の流れと、筋肉の収縮を完全に『帳簿』として読み解いていた。
(父さんの構え。防御力(資産)は極めて高いが、ベクトルが完全に『俺の正面からの斬撃』にのみフォーカス(投資)されている。……ならば、そこに付き合うのはただの無駄遣い(赤字)だ)
俺は、スッ……と右足を半歩だけ前に滑らせた。
小笠原流の歩法――『摺り足』。
上半身を一切ブレさせず、まるで氷の上を滑るように、俺はアークスの間合いの内側(懐)へと、音もなく侵入した。
「なっ……!?」
アークスが驚愕に見開いた目の中で、俺の姿がブレたはずだ。
幼児の歩幅と速度ではない。赤ん坊の頃からの『過剰回復魔法ドーピング』によって培われた強靭な足腰と、天極流の極限まで無駄を削ぎ落とした重心移動が、物理法則を無視したような急接近を生み出したのだ。
「し、しまった……!」
アークスは慌てて、防御の構えから迎撃のための『振り下ろし』へと木剣の軌道を変えた。
闘気が乗った、凄まじい風圧を伴う一撃。まともに受ければ、幼児用の木剣ごと俺の体が吹き飛ばされる(大赤字になる)だろう。
(馬鹿正直に受けるコストは高すぎる。ここは……『流す』!)
迫りくる丸太のような木剣に対し、俺は自分の木剣を盾にはしなかった。
関口流柔術の理合――『柔の受け(柳)』。
俺は木剣の平(側面)を、アークスの木剣の側面にほんのわずかに、羽毛が触れるかのような優しさで添えた。
トンッ。
力は一切入れていない。
ただ、アークス自身の凄まじい斬撃のエネルギー(ベクトル)に対して、ほんの数ミリの角度(為替レート)のズレを生じさせただけだ。
「うおおおっ!?」
アークスの木剣は、俺の体に触れることなく、まるで巨大な引力に吸い込まれるように軌道を逸らし、俺のすぐ横の地面へとドスゥゥゥン!!と凄まじい音を立ててめり込んだ。
自らの全力が空を切ったことで、アークスの体勢が完全に崩れ、巨大な背中が無防備に晒される。
(仕上げだ)
俺は、流した木剣をそのまま手首の柔らかなスナップだけで反転させた。
小野派一刀流の切り落としから、宝蔵院流の十文字槍の理合を応用した『刺突』へのトランジション(切り替え)。
足の親指から発生したトルク(回転力)を、膝、腰、肩、肘、手首へと一切のロスなく伝達していく。
それはまさに、三ツ星厨房における完璧な仕込みから提供までのフローチャートのごとく、美しく、冷徹な一撃だった。
ピタッ。
アークスが体勢を立て直すよりも早く。
俺の木剣の切っ先は、アークスの太い首筋の、正確に『頸動脈(急所)』の位置から1ミリの隙間を残して、完璧に静止していた。
「…………え?」
中庭に、死のような静寂が落ちた。
春の穏やかな風が吹き抜け、アークスの額から、一筋の冷や汗がツツーッと流れ落ちていく。
カラン……。
アークスの手から木剣が滑り落ち、乾いた音を立てた。
数秒の完全なフリーズの後、アークスはゆっくりと、信じられないものを見る目で俺を見下ろした。
「ま、マリア……。お前、縁側から今のを見ていたか……?」
「え、ええ……。嘘でしょ……? アークスの一撃を完全に流して、さらに完璧なカウンターを寸止めで……? リアン、あなた、今、闘気すら使っていなかったわよね……?」
縁側で応援していたマリアも、持っていたお茶の入ったコップを取り落としそうになっている。
(……あ、ヤバい。またやらかした)
俺は我に返った。
前世で体に染み付いた武術の癖(そしてブラック厨房で培われた「絶対にミスをしない」という完璧主義)が、またしても俺の平穏な幼児生活をぶち壊してしまったのだ。
相手は一国の騎士団長だ。それを5歳の幼児が、木剣一本で完全に制圧してしまった。
こんなことが憲兵や王宮の耳に入れば、「神童だ!」「将来の騎士団長は確定だ!」「士官学校へ特待生として送れ!」と、俺の労働プランが強制的に赤字路線へと変更されてしまう!
「あ、あーう! パパの剣、おっきくて重たかったから、ぼくの剣、ツルッて滑っちゃった! えへへー!」
俺は即座に木剣を放り投げ、満面の笑みと舌っぺろんで『ただの偶然のラッキーパンチでした』という猛烈なアピール(粉飾決算)を開始した。
頼む! 普段の親バカフィルターで、「まぐれで当たっちゃったのね〜」と解釈してくれ!
しかし、今回は相手が悪かった。
アークスは歴戦の武術家だ。今の俺の動きに、一切の無駄や偶然が存在しなかったことを、その肌と本能で完全に理解してしまっていた。
「い、いや……違う。違うぞマリア……。今の足さばき、重心の移動、そしてあの完全に殺気を消した無の境地からの刺突……。あれは、伝説の『剣神』にしか到達できないと言われる、理の極致……!!」
「ええ……リアンは魔法だけじゃなく、剣術においても、神に愛された存在だったのね……!!」
両親は、震える手で顔を覆い、感極まって大粒の涙を流し始めた。
「俺の息子は……剣と魔法、両方を極めた『魔闘剣士』の頂点に立つ男だぁぁぁっ!!」
「素晴らしいわリアン! 明日からパパの修行をもっと厳しくしてもらいましょうね!」
『ピロリン♪』
【システム:父親に武術の神髄を見せつけ、極上の感動と誇りを与えました。特大ボーナス+100pt】
【現在の善行ポイント:390pt】
脳内に鳴り響く、ポイント獲得の無慈悲なファンファーレ。
俺は天を仰ぎ、心の中で血の涙を流した。
(クソッ……。俺のバカ! じいちゃんのバカ! 令和の将軍なんて異世界で役に立たなくてよかったのに!)
善行ポイントが莫大に稼げたことだけは救いだが、その代償として、俺の『スローライフ計画』は、両親の過剰な期待という名の重い鎖によって、さらに強固に雁字搦めにされてしまったのである。
俺の華麗なる第二の人生は、有能すぎるがゆえに、平和と怠惰からどんどん遠ざかっていくのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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