EP 8
散りゆく豚の騎士〜プレミアム豚丼の誕生〜
魔導タッチパネルのタイマーが、無情にも赤い文字で【05:00】を告げた。
ルナミス帝国最大の焼肉バイキング『タロキン』での90分に及ぶ死闘は、ついに正真正銘の最終局面に突入していた。
「ふぅ……。俺としたことが、少々ペースを上げすぎたか。腹八分目ってところだな」
リアンは、額に滲んだ汗を手の甲で拭いながら、魔導トングをカチャリと鳴らした。
テーブルの上には、数百人前という常軌を逸した量の『空になった皿』が高層ビルのように積み上げられている。
ルチアナ、キャルル、キュララの3名は、デザート部隊の放った「血糖値スパイク」によって完全に夢の世界へと旅立ち、テーブルに突っ伏して幸せそうな寝息を立てていた。
「リアン様! わたくしの胃袋はまだ満たされていませんわ! 早く! 早く次のお肉を!」
しかし、特売の芋ジャージを着た悪魔・リーザだけは、デザートを「口直し」として活用し、未だにらんらんと血走った目で網の上を睨みつけていた。
「分かってる。……おっ、来たな。あれが本当に【最後の皿】だ」
リアンの視線の先。
青ざめた顔をした店員が、震える手で一つの皿と、大きなお椀をテーブルに置いた。
* * *
「……ここが、灼熱の祭壇。数多の同胞たちが散っていった、最前線か……っ」
皿の上に降り立ったのは、厚切り豚バラ肉の鎧を纏った焼肉王国の騎士・【トンデモナイト】であった。
彼の背後には、恐怖に身を震わせる【ハラミ姫】。
そして隣のお椀の中には、まだ炊き立てで湯気を立てている、純白の炭水化物の少年――【ご飯(大盛り)】がいた。
「ト、トンデモナイトさん……っ。僕、怖いよぉ……っ。あの黒服の悪魔が、僕たちを睨んでる……っ!」
ご飯が、ふっくらとした米粒をガタガタと震わせながら、トンデモナイトの背中に隠れる。
「心配するな、ご飯。そしてハラミ姫。泣いても笑っても、残り時間はあと5分! この5分間さえ、俺があの網の上で持ち堪えれば、我々の勝利(生存)なのだ!」
トンデモナイトは、決死の覚悟を固め、自ら分厚い豚バラ肉の身体を【灼熱の網】のド真ん中へと横たえた。
ジュゥゥゥゥゥゥッ!!!
「ぐおおおおおおっ……!! な、なんという火力……っ! だが、豚肉の分厚い脂身ならば、5分間ギリギリまで耐え切ってみせる……っ!!」
トンデモナイトの身体から、極上の脂が溶け出し、炎がごうごうと燃え上がる。
己の身を焦がしてでも、仲間を守り抜く。それはまさに、誇り高き騎士の最後の雄姿であった。
「……ほう。見事な厚切りの豚バラ肉だ」
リアンが、トングを持ったまま、感心したように目を細めた。
「だが、ただ焼いて食うだけでは、このバイキングの『シメ』としては少々パンチが弱いな。……おい、店員! 無料トッピングの【特製・甘辛ニンニクだれ】を持ってこい!」
「ひぃっ! かしこまりましたぁ!」
数秒後、リアンの手元に、ドロリとした漆黒のタレが入った壺が届けられた。
ニンニクの強烈な香りと、砂糖と醤油が焦げたような暴力的な匂いが、テーブルを包み込む。
「(……な、なんだあの禍々しいオーラを放つ黒い液体は……!?)」
網の上で焼かれながら、トンデモナイトは戦慄した。
「よし、仕上げだ。……まずは、この純白の白米に、この特製だれをたっぷりと染み込ませてやる」
リアンが、スプーンでたっぷりと『甘辛ニンニクだれ』をすくい上げ、無慈悲にもそれを【ご飯(大盛り)】の頭上へと狙いを定めたのだ。
「ひぃぃぃぃっ!! いやだぁぁぁっ!! 僕の真っ白な身体が、真っ黒に汚れちゃうぅぅっ!!」
ご飯が、絶望の悲鳴を上げる。
あんな濃いタレを直接浴びれば、白米としてのアイデンティティは完全に崩壊し、ただの「塩っぱい茶色い塊」にされてしまう。
「やめろぉぉぉっ!! あの子はまだ、炊き立ての子供なんだぞぉぉぉっ!!」
トンデモナイトが叫ぶが、リアンの手は止まらない。
「食らえ。特製だれ・スプラッシュ」
ドバァァァァッ!!
漆黒のタレが、容赦なくご飯の頭上へと降り注ぐ。
ご飯は恐怖に目を閉じ、己の運命を呪った。
――しかし。
いつまで経っても、タレの塩辛い衝撃は、ご飯の身体には届かなかった。
「……え?」
ご飯が、恐る恐る目を開ける。
そこには、信じられない光景があった。
灼熱の網の上で、こんがりと黄金色に焼き上がっていたはずの【トンデモナイト】が。
自らの身体を投げ出し、ご飯の入ったお椀の上に覆い被さるようにして、その【極厚の豚バラ肉を盾にして】タレの直撃を防いでいたのだ。
「ト、トンデモナイトさあああああんっ!!」
ご飯が、涙(湯気)をボロボロとこぼしながら絶叫した。
トンデモナイトの背中は、リアンがぶちまけた『甘辛ニンニクだれ』によって真っ黒に染まり、テカテカと残酷なまでの照りを放っていた。
もはや、誇り高き豚の騎士としての美しい姿はない。
「ぐふっ……」
トンデモナイトが、苦しげに口の端から肉汁をこぼす。
「どうして……どうして僕なんかを庇って……っ! 残り時間はあと少しだったのにぃっ!」
ご飯の叫びに、トンデモナイトはゆっくりと振り返り、脂に塗れた顔で、優しく、本当に優しく微笑んだ。
「ヘヘッ……。泣くなよ、ご飯……。俺は、騎士だからな……」
「トンデモナイトさぁぁぁぁんっ!!」
「お前といた時間……。悪くなかったぜ……」
ガクッ。
トンデモナイトの力が抜け、その分厚い身体が、ご飯の上に完全に覆い被さった。
誰もが涙する、あまりにも尊く、そして悲劇的な自己犠牲のドラマ(オマージュ)。
――だが。
このテーブルに座っているのは、感動の涙など一滴も持ち合わせていない、最強のブラック企業経営者である。
「……ほう。見事だ」
リアンは、トングではなく『箸』を手に取り、ニヤリと冷酷な笑みを浮かべた。
「タレを浴びた厚切り豚バラ肉が、ご飯の熱(湯気)で蒸され、肉の脂と甘辛いタレが、下の白米へと絶妙なバランスで染み込んでいく。
肉でフタをしたことによって、タレの香りが一切逃げない……。貴様ら、自らの身体を使って【究極のプレミアム豚丼】を完成させるとはな」
「…………え?」
息絶える寸前だったトンデモナイトが、信じられないものを見る目でリアンを見上げた。
「豚バラと白米。これぞまさに、バイキングのシメに相応しい『最高の組み合わせ』だ。……ありがたくいただこう」
ズボッ。
リアンの箸が、ご飯を庇って倒れ伏しているトンデモナイトの身体ごと、下にある白米を無慈悲にガバッとすくい上げた。
「や、やめ……っ!」
「トンデモナイトさあああああんっ!!」
「あむっ」
モグモグモグモグ。
一瞬だった。
焼肉王国の誇り高き騎士の感動的な自己犠牲は、リアンの口の中で「タレと肉汁と米が絡み合う極上のハーモニー」へと変換され、ただの【めちゃくちゃ美味い豚丼】として胃袋へと消え去ってしまったのである。
「ごっくん。……うん、完璧な味だ。ニンニクのパンチと豚の脂の甘みが、白米のクッションで見事に調和している。原価以上の価値を引き出したな」
リアンが、満足げにお茶をすする。
「ああっ……! ああああああっ!! トンデモナイトォォォォォッ!!」
残された皿の上。
ただ一人取り残された【ハラミ姫】が、愛する騎士とご飯が、何の一抹の情緒もなく「美味しい豚丼」として捕食された光景を目の当たりにし、絶望のあまりその場に崩れ落ちた。
焼肉王国の戦士たちは、ここに全滅した。
カレーライス、飲茶、餃子、そして豚の騎士とご飯。彼らが紡いだ数々の熱きドラマは、すべてブラック企業の圧倒的な食欲とビジネスロジックの前に、単なる『カロリー』として消費され尽くしたのだ。
「……おい! 網が空いたぞ!!」
そんな感動と絶望の余韻を、空気を読まない大声がぶち壊した。
テーブルの端で、90分間ずっと貧乏ゆすりをしていた男――イグニスである。
「見ろリアン! 今度こそ網の上に何一つ乗ってねぇ! ついに俺様のキャロット(人参)を、このド真ん中でローストする時が来たんだな!! うおおおおっ!!」
イグニスは歓喜の涙を流し、90分間ずっと握りしめていた『生の人参』を、ついに、ついに灼熱の祭壇の中央へと叩きつけた。
ぽとっ。
「…………あれ?」
ジュゥゥゥ、という心地よい音は鳴らなかった。
網の上に転がった人参は、何の反応も示さず、ただ静かにそこにあるだけだった。
「……おい、イグニス。お前、アホか」
リアンが、冷たい目でお茶の入った湯呑みを置く。
「もう制限時間まで残り1分切ってるんだぞ。とっくに魔導ロースターの火元は自動で消火されてるよ。……お前のその人参、一生焼けないぞ」
「なっ…………!?」
イグニスが、完全に火の消えた冷たい網の上で転がる『生の人参』を見つめ、石像のように固まった。
制限時間、残り00:30。
90分の死闘は、いよいよ終焉の時を迎えようとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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