第七章 人生クラッシャー『メロロン』と、ポポロ村キャバクラ農園編
クソゲーの虚無感と、ルナの善意(人生クラッシャー)
天界の借金女神・ルチアナが持ち込んだパクリVRゲーム『サタンクエスト』の世界が、物理的かつ経済的に完全崩壊してから数日が経過した。
大衆食堂『ポポロ亭』の店内には、かつてないほどの重く、そして淀んだ空気が漂っていた。
昼のピークタイムを終えたアイドルタイムだというのに、ウチの従業員たちは誰一人としてまともに稼働していなかった。
「あへぇ……」
ホール担当のヤンデレウサギ・キャルルは、テーブルを拭くダスターを握りしめたまま、完全に焦点の合わない目で虚空を見つめ、だらしない声を出している。
「マネー……わたくしのマネー……。無限増殖でカンストした99999999G……不労所得……働きたくないですの……」
特売の芋ジャージを着た人魚のリーザは、床に突っ伏したまま、手足をピクピクと痙攣させてうわ言を繰り返している。仮想空間で手にした莫大な資産が、ログアウトと共に電子の塵と消えたショックから未だに立ち直れていないのだ。
「勇者とは……なんだ……? 大魔王との死闘とは……。俺様は、クマさんパジャマの寝込みを襲って、掃除機で吸い込むために斧を振るってきたのか……?」
竜人の戦士・イグニスに至っては、店の隅で体育座りをし、愛用の両手斧を抱きしめながらブツブツと哲学的な自問自答を続けている。熱血戦士のアイデンティティは、あのたった3秒の虚無バトルで完全に粉砕されていた。
「はぁ〜あ。みんなテンション低すぎ。これじゃあ今日の配信、全然撮れ高がないよぉ」
インフルエンサー天使のキュララだけは元気だったが、彼女もまたカメラドローンを力なく浮遊させながら、不満げに頬を膨らませていた。
「ゲームの炎上配信は最高にバズったけど、その後の『ポポロ亭の日常配信』がこれじゃ、リスナーに飽きられちゃうよ。何かこう、ドカン! と燃えるような特大のネタ、転がってないかなぁ?」
「……たるんでるぞ、お前ら」
俺は、厨房のカウンターで微糖の缶コーヒーをコンッと置き、タローマン製の防刃ジャージの襟を正して、冷徹な経営者の声を響かせた。
「あのクソゲーでの非合法なバグ技(RTA)で脳が焼かれたのか知らないが、現実の業務に支障を来すようなら減給だ。
俺たちは【ホープ・クローバー】という立派なクランであり、この『ポポロ亭』を運営する役員だ。お前らがポンコツ化して店の回転率(利益)が落ちれば、それは即座に俺の労働時間の増加(負債)に直結する。さっさとモップを持って床を磨け」
「えぇ〜っ。店長さんは相変わらず労働基準法の鬼だねぇ。でもぉ、本当にネタがないんだもん」
キュララが羽をパタパタとさせて抗議してくる。
俺がため息をつき、強制的に業務命令を下そうとした、その時だった。
カランコロン。
ポポロ亭の木製のドアが、軽やかな音を立てて開いた。
「あらあら? 皆様、どうなさったんですの? お店の中が、どんよりとしたお葬式みたいな空気になっていますわよ?」
入ってきたのは、純白のドレスに身を包んだエルフの王女――ルナ・シンフォニアだった。
彼女はいつも通りの、裏表の一切ない、100%の善意に満ちた(そして同時に100%の確率で厄災を引き起こす)天使のような微笑みを浮かべていた。
「ルナちゃん……。みんな、この前のゲームの世界に行ってから、ちょっと燃え尽き症候群になっちゃってて……」
キャルルが、ウサギの耳をぺたんと垂らしながら力なく答える。
「まぁ、そうでしたの。仮想世界の刺激が強すぎたのですね。……でも、安心してくださいな!」
ルナは、ふんわりと微笑みながら、手に持っていた大きなバスケットをテーブルの上にコトリと置いた。
「疲れた時や、心が沈んでいる時は、美味しい『甘い物』を食べるのが一番ですわ!
実は今日、世界樹の森の奥深くで、とっても珍しくて甘〜い果実を収穫してきたんですの。皆様に元気を出していただこうと思って、差し入れにお持ちしましたわ!」
ルナがバスケットにかかっていた布をファサッと取り払う。
その瞬間。
ポポロ亭の店内に、脳の奥髄まで直接とろけさせるような、極上の『甘い香り』がフワリと広がった。
ただの果物の匂いではない。高級な香水と、熟れた果実と、そして何故か『人に甘やかされている時の安心感』を煮詰めたような、抗いがたい魔性の香りだった。
「おおっ……? なんだこの匂い……? 嗅いでるだけで、なんかこう、心がポカポカしてくるような……」
イグニスが、体育座りをやめて鼻をヒクヒクさせている。
「カロリーの……極上の糖分の匂いがしますわ……!」
リーザも床からムクリと起き上がり、ヨダレを垂らした。
バスケットの中に入っていたのは、見事な網目模様が入った、美しいエメラルドグリーンの【特大メロン】だった。
だが、ただのメロンではない。表面が微かに脈打つように淡く発光しており、まるで生きているかのような不思議なオーラを放っているのだ。
「(……ほう。見たこともない品種だな。これだけ香りが強いなら、くり抜いてブランデーを垂らせば、最高級のデザート(高単価メニュー)として出せるぞ)」
俺は料理人としての原価計算を脳内で弾き出し、一歩近づいた。
しかし。
ポポロ亭のメンバーの中で、ただ一人。
獣人族特有の鋭敏な嗅覚と直感を持つキャルルのウサギ耳が、ピンッ!! と限界まで直立し、全身の毛を逆立てていた。
「嘘……でしょ……?」
キャルルは、ガタガタと震える指で、バスケットの中のメロンを指差した。
その瞳孔は極限まで収縮し、顔面は血の気が引いて真っ青になっている。
「え? どうしたのキャルルちゃん? そんなに怖い顔して」
キュララが首を傾げる。
「ル、ルナちゃん……。それ……どこで採ってきたの……?」
「え? 世界樹の森の、ずっと奥の、結界が何重にも張られた隔離エリアですわ。可愛らしいお花畑の真ん中に、ぽつんと実っていたので、お友達に頼んで取ってきてもらいましたの!」
ルナがニコニコと、一切の悪気なく答える。
「隔離エリアって……! それ、絶対に外に出しちゃいけないやつだよぉぉぉっ!!」
キャルルが、悲鳴のような声で絶叫した。
「おい、キャルル。ただのメロンだろ。何をそんなに怯えてるんだ」
俺が呆れて尋ねると、キャルルは俺の腕にすがりつき、涙目で訴えかけてきた。
「違うのよリアン君! それはただのメロンじゃないの!
獣人族の古い言い伝えにも残ってる、絶対に人間が関わっちゃいけない魔性の植物……。
その名も、禁断の【メロロン】!! またの名を、『人生クラッシャー』!!」
「人生……クラッシャー?」
俺は眉を顰めた。
「そうだよ! メロロンは、甘い香りで周囲の思考力をふわふわにして、人間を『メロメロ』にチャーム(魅了)しちゃうの!
ただの果物じゃないの、自力で動くし、喋るし……人間の『承認欲求』や『庇護欲』を刺激して、最後には身も心も、家庭も仕事も全部奪い尽くして破滅させる、悪魔の兵器なんだよぉぉっ!!」
「ハッ。馬鹿馬鹿しい。たかが果物一つで、人間の人生が破滅してたまるか」
俺は鼻で笑った。
前世で三ツ星レストランの過酷な労働環境(地獄)を生き抜き、この異世界でも数々のコンプライアンス違反と炎上を処理してきた俺だ。
承認欲求だの魅了だの、そんなフワフワした精神攻撃が、この俺の鋼鉄の社畜メンタルに通じるはずがない。
「いいか、キャルル。どんな魔性の植物だろうが、俺の包丁で八等分に切り分けて、種を取り除いてお客様に提供すれば、ただの美味しい『商品』だ。怯える必要なんて……」
俺がそう言って、バスケットのメロロンに手を伸ばそうとした、その瞬間だった。
『……んぎゃ……?』
「……あ?」
メロロンの網目模様の一部が、スライムのようにムニュッと変形した。
そして、果実の表面に、つぶらでウルウルとした、信じられないほど愛くるしい『二つの瞳』が浮かび上がったのだ。
『まぁま……? ぱぁぱ……?』
メロロンから、まるで生まれたての小動物のような、庇護欲を致死量レベルで刺激する【片言の赤ちゃんの声】が発せられた。
「…………っ!?」
俺の伸ばしかけた手が、ピタリと空中で硬直した。
『おみず……すき……。さみしかった……。ありがとう……ぱぁぱ……』
コロン。
メロロンは、甘く切ない匂いを放ちながら、俺の手のひらに向かって、すりすりと身を寄せてきた。
「ほらっ! 喋った! 喋ったよリアン君! これが『ベビーメロロン』の段階だよぉぉっ!
ここからどんどん成長して、人間の男を狂わせる『キャバ嬢』みたいになっていくんだよぉぉぉっ!!」
キャルルが頭を抱えて絶叫する。
「あははっ! なぁにこれ、すっごく可愛い〜っ♡ 配信のネタにぴったりじゃん!」
キュララが、危険性を全く理解せずにドローンカメラを回し始める。
「まぁ♡ 私がパパとママの元に連れてきてあげたようなものですわね!」
ルナが、自分のもたらした生態系破壊兵器を前に、満足げに微笑んでいる。
「(……チッ。ルナの奴、またとんでもない特級呪物(コンプラ違反)を仕入れてきやがったな……!)」
俺は、手のひらに擦り寄ってくるベビーメロロンの放つ、抗いがたい『甘い香り』に微かなめまいを覚えながら、舌打ちをした。
クソゲーのRTA地獄から生還したばかりのブラック企業【ホープ・クローバー】に、息をつく暇もなく、今度は『究極の疑似恋愛(ぼったくり水商売)』という名の新たな厄災が降りかかろうとしていた。




