EP 2
人魚姫の黒い算段〜地獄のコラボ打診〜
大衆食堂『ポポロ亭』の裏庭。
普段はイグニスが薪を割り、俺が食材の仕込みを行うための実務的なスペースだが、今日のそこは、この世の終わり(デフォルト)を迎えたかのような重く、ドス黒いオーラに包まれていた。
「きいいいいっ……! 許せませんわ、許せませんわ泥棒天使……!」
壁に向かって体育座りをし、ガタガタと震えているのは、特売の芋ジャージを着た人魚姫・リーザである。
彼女の両手には、八百屋からもらってきた『パンの耳』が握りしめられているが、いつもなら歓喜して貪り食うそれを、今は一口もかじろうとしない。
「わたくしの……わたくしの唯一の太客である石油王様が……!
金貨五万G……金貨五万Gあれば、毎食カツ丼に苺パフェをつけて、さらにお風呂のお湯を毎日張り替えることだってできましたのに……っ!!」
リーザは壁に爪を立て、ギリギリと血の涙を流しながら恨み節を呟き続けている。
昨日、突如としてポポロ亭に降臨した下級天使にして超人気ゴッドチューバー・キュララ。
彼女の配信画面に表示された『石油王』というハンドルネームを見た瞬間から、リーザのアイデンティティ(アイドルとしての自尊心)と経済基盤は完全に粉砕されたのだ。
「このままでは……わたくし、一生パンの耳と雑草サラダ(食べられるタンポポ)で命を繋ぐ底辺生活から抜け出せませんの……。いっそ、あのアマの寝込みを襲って、お賽銭箱型掃除機で身ぐるみ全部吸い尽くして……ブツブツブツ」
「おい、アホ人魚。物騒な事業計画(犯罪)をブツブツ呟く暇があったら、ホールの床拭きを手伝え」
裏口のドアを開け、ゴミ袋を持った俺が冷たく声をかけた。
俺としては、一人の太客に依存するビジネスモデル(狂信者ビジネス)の危うさをリーザが身をもって学んだ良い機会だと思っているのだが、当の本人は完全に闇落ち寸前である。
「リアン様ぁ……冷たいですわ! わたくしの心は今、暴落した株価チャートのように真っ逆さまなんですのよ!」
「投資は自己責任だ。客がどこに金を落とすかは客の自由だろ。他力本願で食うメシより、自分で稼いだ金で食うカツ丼の方が美味いぞ」
「綺麗事ですわ! 労働の汗より、不労所得の甘汁の方が一億倍美味しいに決まってますのーっ!」
相変わらず資本主義のドブ底を煮詰めたようなクズ発言である。
俺が呆れてため息をついた、その時だった。
「リーザ先輩っ☆ こんなところにいたのーっ?」
ふわりと甘い香りを漂わせ、背中の羽をパタパタと揺らしながら、純白の衣装を着たキュララが裏庭に現れた。
いつものようにカメラドローンを数台引き連れているが、今はレンズの光(録画ランプ)は消えているようだ。つまり『オフ(裏の顔)』の状態である。
「キュ、キュララ……! な、何よ泥棒猫! わたくしの太客を奪っておいて、どの面下げて……っ!」
リーザがシャーッと野良猫のように威嚇のポーズを取る。
「えーっ? 泥棒猫だなんて人聞きの悪いこと言わないでよぉ。石油王さんが勝手にキュララの魅力(コンテンツ力)に惹きつけられちゃっただけだもんっ。市場の原理ってやつだよ、ねぇ店長さん?」
「……俺を巻き込むな」
キュララは悪びれる様子もなく、むしろ「数字を持ってる者が正義」と言わんばかりの余裕の笑みを浮かべている。
インフルエンサー特有の、強烈なまでの『承認欲求』と『自己肯定感』。コンプライアンス違反スレスレの炎上すらも「おいしい(PVが稼げる)」と変換する、ある意味でリーザ以上にタチの悪いメンタル構造だ。
「それで? 用事がないなら帰ってちょうだい! わたくしは今、パンの耳に涙で塩味を足している最中ですの!」
リーザがそっぽを向くと、キュララはニヤリと唇の端を吊り上げた。
「ふふっ、困ってるようねリーザ。私だって、かつてルナミス帝国で一緒に家賃を割り勘してたシェアハウス仲間のリーザのことは、嫌いじゃないのよ?」
「……は?」
「だからさ……一緒にPV(再生数)稼げたら良いなって思って。私と『コラボ』、しない?」
「コ、コラボ……?」
リーザのウサギの耳(※人魚だが)が、ピクリと反応した。
「そうっ! 私のゴッドチューブのチャンネル、今の同接(同時接続)アベレージは10万人を超えてるの。
そこでリーザがゲストとして歌えば……私の太客たちが、一斉にリーザのチャンネルにも流れてくる(トラフィックの流入)ってわけ!
もちろん、コラボ配信中のスパチャは……リーザにもしっかり配分してあげるわよ?」
キュララが、悪魔の契約書を提示するように、小首を傾げてウインクをした。
圧倒的な強者のプラットフォームにタダ乗り(寄生)できる権利。
底辺アイドルにとって、これ以上ない劇薬である。
「…………っ!!」
数秒前まで「泥棒猫」と罵っていたリーザの瞳に、バチィィン!!と特大の『¥』マークが点灯した。
彼女は弾かれたように立ち上がり、キュララの手を両手でガシィッと握りしめた。
「キ、キュララ様あああああっ!! なんて、なんて慈悲深い天使ですの!! やはり持つべき物は友達よね!!」
「えへへーっ、でしょでしょ? リーザ先輩なら分かってくれると思ってたっ☆」
プライドという概念が原子レベルで存在しない人魚である。金の匂いを嗅ぎつけた瞬間、秒速で手のひらを返して土下座せんばかりの勢いで媚を売り始めた。
「(……凄まじいな。承認欲求の化け物と、強欲の化け物が手を組んだぞ。これはポポロ亭のコンプライアンス的に、特大の爆弾になりそうだ)」
俺は胃の辺りがキリキリと痛み出すのを感じながら、二人の『闇の業務提携』を腕を組んで見守った。
「それで! わたくしはコラボで何を歌えばよろしいんですの!? 『絶対無敵スパチャアイドル伝説』!? それとも『月曜日の社畜』!?」
リーザが鼻息を荒くして尋ねると、キュララはチッチッと指を振った。
「ダメダメ。そんな古い手垢のついた曲じゃ、私の目の肥えたリスナーは満足しないわ。バズを生むには『鮮烈なインパクト(炎上スレスレのライン)』が必要なの」
「インパクト……?」
「そう! だから、この曲を歌ってね。……昨日の夜、夢の中で『音楽の女神ルチアナ様』から直接いただいた(※という設定の)新曲よっ!」
キュララが、胸の谷間から一枚の羊皮紙(楽譜)を取り出し、リーザに手渡した。
「まぁ! 女神様からの新曲!? それは間違いなくバズ(神の祝福)の予感ですわーっ!! ええっと、タイトルは……」
リーザが楽譜のタイトルを読み上げようとした時。
俺の視界の端で、その楽譜に書かれた『文字』が嫌でも目に入ってしまった。
「おい……キュララ。ちょっと待て」
俺は思わず、二人の会話にカットインしてしまった。
元・ブラック企業の副料理長であり、法律とコンプライアンス(社会のルール)に敏感な俺の脳が、極大のアラートを鳴らしている。
「なんだい店長さん? 配信の邪魔はしないでほしいなぁ☆」
「邪魔じゃない、リスク管理(監査)だ。お前、その楽譜のタイトル……」
俺は、リーザの手にある羊皮紙をビシッと指差した。
「『18禁の夜』って書いてあるが。……おい、年齢制限引っかかるだろ。お前のアカウント、一発でBANされるぞ」
「だ、大丈夫だよっ! ポポロ村は帝国の法律が届かない治外法権だし! 芸術の表現の自由だよっ!」
「プラットフォーム(ゴッドチューブ)の規約違反は、治外法権だろうが関係なく適応されるんだよ! 垢バンされたら収益ゼロだぞ!!」
俺が至極真っ当な正論(ビジネスの基本)を叩きつけるが、炎上上等のインフルエンサーの耳には届かない。
「リアン様! 口出しは無用ですわ!!」
なんと、リーザが俺に向かってビシッと手を突き出した。
その顔は、今までにないほど真剣な『プロのアイドル(金稼ぎ)』の顔になっていた。
「BANされるリスクがあるからこそ、そのスリリングな瞬間にリスナーは熱狂するんですの!
それに、もしアカウントが凍結されても……その前に口座に振り込まれた赤スパ(現金)は、わたくしたちのものですわーっ!! 逃げ切り(計画倒産)上等ですの!!」
「お前……完全に詐欺師の思考に染まってんな」
俺は頭を抱えた。
「よーし、言ったねリーザ先輩! それじゃあ今日の夜、ポポロ亭の特設ステージから、全世界に向けて新曲『18禁の夜』をゲリラライブ配信するよっ! 最高の炎上を見せてやろうねっ☆」
「お任せくださいませ! わたくしの歌声で、画面の向こうの石油王の財布をもう一度こじ開けてやりますわーっ!!」
ガッチリと固い握手を交わす、天使と人魚。
そこにあるのは友情でもなんでもない、互いの数字(PV)と金だけを利用し合う、極めてドライでドス黒い【利害の一致】だった。
「……あー。もう勝手にしろ。ただし、店の看板に傷がついたら、お前ら二人まとめてシュレッダーにかけて、魚粉と鶏ガラとしてスープの出汁にしてやるからな」
俺は極上の殺気を込めて釘を刺したが、バズと金に目が眩んだ二人の耳には全く届いていなかった。
今夜、ポポロ亭を舞台に、コンプライアンスの欠片もない史上最悪の『炎上ライブ』が開催されようとしている。
俺の胃薬のストックが足りるか、それだけが心配だった。
読んでいただきありがとうございます。
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