EP 6
リアンの特別講義〜原価ゼロのメシは不味い〜
大衆食堂『ポポロ亭』の厨房は、今日も早朝から戦場と化していた。
朝の冷たい空気が張り詰める中、俺は一定のリズムで包丁を振るい、大量の野菜をミリ単位の狂いもなく均等に切り刻んでいく。隣の魔導コンロでは、ロックバイソンのスジ肉と香味野菜を煮込んだ琥珀色のスープ(ブイヨン)が、コトコトと心地よい音を立てていた。
「よし。これでランチの仕込みの第一段階はクリアだ」
俺は額に浮かんだ汗を腕で拭い、ふぅと息を吐いた。
前世のブラック企業時代に比べれば、自分の裁量で全てを決められる今の環境は天国だ。とはいえ、毎日何百人もの客を捌く飲食店の経営は、肉体的にも精神的にも決して楽なものではない。
「リアン社長……いつも朝早くから、本当にお疲れ様ですわ」
ふと、背後から柔らかい声がした。
振り返ると、純白のドレス姿のルナ・シンフォニアが、厨房の入り口で申し訳なさそうに俺を見つめていた。彼女は、俺が一人で汗だくになって働いている姿を見て、心を痛めているらしい。
「あ? なんだルナ。腹でも減ったか?」
「いえ……その、リアン社長が毎日お休みもなく、一人で大変そうに料理を作っているのを見ていたら、私、どうしてもお手伝いがしたくなりまして」
ルナが、胸の前で両手をギュッと握りしめ、決意を秘めた瞳で俺を見た。
「リアン社長、もう無理して包丁を握らなくても大丈夫です! 私が『世界樹の森』から、最高の食材を無限に出してさしあげますから!」
「……は?」
ルナが両手を天に掲げた瞬間。
ポンッ! ポンッ! ポポポンッ!! という間抜けな音と共に、厨房の調理台の上に、眩い光を放つ食材が次々と現れた。
「これは、一口食べるだけで寿命が10年延びる『幻の黄金牛』の極上ヒレ肉です! それから、こっちは『世界樹のプラチナ・トリュフ』と、『神竜のキャビア』ですわ!
これなら、リアン社長がわざわざ調理(お料理)なんかしなくても、ただお皿に乗せて出すだけで、お客さんはみんな大喜び間違いなしです!」
ルナは「私、いいこと思いつきました!」と言わんばかりの、極上の天然スマイルを浮かべて胸を張った。
材料費(原価)ゼロ。調理の手間(人件費)ゼロ。それでいて、提供すれば莫大な利益を生む究極のチート食材。
俺は、光り輝く黄金の肉塊とトリュフを見つめ――深いため息をついて、包丁をまな板に置いた。
「……ルナ。お前、井戸水のエリクサー騒動から何も学んでねぇな」
「へっ? そ、そんなことありません! 今回は市場にお金をばらまいていませんし、ポポロ亭の利益になる素晴らしい提案だと……」
「却下だ。今すぐその光る生ゴミをしまえ」
俺の冷徹な声に、ルナの笑顔がピシリと凍りつき、ウサギのように肩を跳ねさせた。
「ルナ。いいか、お前の出してきたその食材は、確かに世界一美味いのかもしれない。だがな、俺がそれをただ皿に乗せて客に提供したとして……そこに『俺の料理』としての価値はどこにある?」
「価値、ですか……? でも、美味しいならお客さんは……」
「それは『食材が凄い』だけであって、『俺が凄い』わけじゃない。そんなものを出していれば、俺はただの『配膳係』に成り下がる。料理人としてのプライドの完全な放棄だ」
俺は、調理台の下から木箱を引っ張り出した。
中に入っているのは、八百屋の親父から「傷んでるからタダ同然で持っていってくれ」と譲られた、形が不揃いで少し黒ずんだ『太陽芋』の山だ。
「ルナ。お前が世界樹の力に頼ってショートカットしようとした『プロセス』の価値。……俺が今から、特別講義で教えてやる」
俺は袖をまくり上げ、太陽芋を手に取った。
まずは傷んだ部分を包丁で素早く削り落とし、皮を剥いて適当な大きさにカットする。それを、先ほどから煮込んでいた極上のブイヨンで茹で上げる。ただの水ではなく、旨味の塊で芋を茹でることで、芯まで圧倒的なコクを染み込ませるのだ。
「……リアン社長?」
ルナが、不思議そうに俺の手元を覗き込んでいる。
芋がホクホクに茹で上がったら、水気を飛ばしてボウルに移し、マッシャーでなめらかになるまで潰す。
そこへ、別のフライパンで飴色になるまでじっくりと炒めたタマネギの微塵切りと、昨日の営業で余った『ロックバイソンのスジ肉』を細かく刻んで甘辛く味付けしたものを投入する。
「高級食材なんていらない。料理ってのは、素材のポテンシャルをどう引き出すか(バリューアップ)だ」
塩胡椒で味を調え、黄金比で混ぜ合わせたタネを小判型に成形する。
小麦粉、溶き卵、そして特製の粗挽きパン粉をたっぷりと纏わせる。
最後に、180度に熱した極上のラード(動物性油脂)の油鍋へと、それを静かに滑り込ませた。
ジュワァァァァァァッ……!!
厨房いっぱいに、ラードの香ばしい匂いと、パン粉がキツネ色に揚がっていく食欲を狂わせる音が響き渡る。
「わぁ……すっごく、すっごくいい匂いがします……!」
ルナが、さっきまでの黄金牛のことなど完全に忘れ、油鍋の前でゴクリと喉を鳴らした。
「よし、揚がったぞ」
俺は油を切り、サクサクに揚がった『特製・太陽芋の極上コロッケ』を皿に乗せ、ルナの前に差し出した。
「ソースはかけない。そのまま食え」
「は、はいっ!」
ルナは火傷しないように、両手でコロッケを半分に割った。
サクッ! という小気味良い音と共に、中からホクホクと湯気を立てる太陽芋と、飴色タマネギの甘い香りが溢れ出す。
彼女はそれをフーフーと冷まし、小さな口でパクリと齧り付いた。
「~~~~~ッ!!??」
ルナの瞳孔が、限界まで見開かれた。
「お、おいひぃぃぃ……っ!! 衣がサクサクで、中のお芋がとろけるように甘くて……! お肉の旨味と、スープの味がしっかり染み込んでて……!
こんなに素朴な見た目なのに、私の出した『黄金牛』より、ずっとずっと深くて、温かい味がしますぅ……っ!!」
ルナはポロポロと涙を流しながら、あっという間にコロッケを平らげてしまった。
「……美味かったか?」
「はいっ! 世界で一番、美味しかったです!」
「そうか」
俺は腕を組み、空になった皿を見つめた。
「ルナ。お前が食ったそのコロッケの原価は、ほとんどタダ同然のクズ野菜と端材の肉だ。だが、俺が手間暇をかけて『付加価値』をつけたことで、お前を感動させるほどの料理に化けた」
俺の言葉に、ルナはハッとして顔を上げた。
「俺たちプロが客からお金をいただくのは、食材の魔法(奇跡)に対してじゃない。俺が包丁を握り、火を見つめ、汗を流して作った『時間と技術』に対してだ。
何でもかんでも魔法で解決して、ゼロから結果(正解)だけを出そうとするのは、働くことの価値を全否定する行為だ。……楽をして出したメシで、客の心は動かせねぇよ」
厳しいが、それが元社畜であり、三ツ星シェフである俺の、絶対に譲れないプロフェッショナルの美学だった。
「……プロセス、技術……働くことの、価値……」
ルナは、俺の言葉を一つ一つ噛み締めるように反芻し。
やがて、その瞳に、尊敬と憧憬の光を宿して、俺を真っ直ぐに見つめた。
「リアン社長。私……大きな勘違いをしていました。魔法で結果だけを出せば、みんなが幸せになれるって、ずっと思ってました。
でも、違うんですね。リアン社長が汗を流して、心を込めて作ってくれたこのコロッケだから……こんなにも、心が温かくなったんですね」
ルナは深く頭を下げた。
「ごめんなさい、社長。私、もっともっとお勉強します。魔法に頼るんじゃなくて……私もリアン社長みたいに、自分の手で誰かを笑顔にできる、立派な社会人になります!」
その真っ直ぐで純粋な決意に、俺は思わず毒気を抜かれ、短く息を吐いた。
「分かればいい。……まぁ、お前のその規格外の魔力は、いつか別の形で役に立つ日が来るだろうさ。それまでは、ウチでしっかり社会のルールを学んでいけ」
「はいっ! ありがとうございます、リアン社長!」
ルナが、今日一番の極上の笑顔(ただしコンプライアンスは守る)を咲かせた、その時だった。
「ちょっとルナ!! ずるいずるいずるいっ!! 私もリアン君のコロッケ食べたいぃぃっ!!」
「わたくしにもですわーっ!! 原価ゼロでこんなにいい匂いがするなんて、錬金術の極みですの! お賽銭箱で吸い尽くしますわよ!!」
ドタバタドタバタッ!
厨房の奥から、匂いに釣られたキャルルとリーザが、飢えた猛獣のように猛スピードで突っ込んできた。
「リアン君っ! 抜け駆けしてルナにだけ特別扱いなんて許さないんだから! 私にはハート型のコロッケ作って!!」
「わたくしには特大サイズを三つお願いしますわ! パンの耳生活の胃袋が限界ですの!!」
「あー……お前ら、仕込みの邪魔だ! 散れ!!」
ヤンデレのウサギと、強欲な人魚が、俺のエプロンを引っ張って大騒ぎを始める。
さっきまでのプロフェッショナルな良い雰囲気は一瞬で吹き飛び、厨房は再び阿鼻叫喚のカオスと化した。
「えへへ……。リアン社長、みんな元気ですね!」
「笑い事じゃねぇよ。お前もだルナ、そこに突っ立ってないで皿洗いを手伝え。社会人になる第一歩だ!」
「はいっ! 喜んでお皿洗います!」
怒号と笑い声と、揚げ物の香ばしい匂いが交差する朝のポポロ亭。
原価ゼロの食材では絶対に作れない、この騒がしくて温かい【ホープ・クローバー】の日常。
俺は、押し寄せるオーダー(ヒロインたちの要求)を完璧に捌きながら、呆れ半分、喜び半分で、再び包丁を握り直すのだった。




