EP 10
月下の祝杯と、歩くコンプライアンス違反の襲来
最悪のトラウマを振り撒いた【絶望樹・オイノリ・レギオン】が、リアンの放った『カクテル・エンド:クロス・シュレッダー』によって文字通り紙屑のように裁断されてから数時間後。
「さぁさぁ皆様! 絶望の後は、最高の希望と暴飲暴食の時間ですわーっ!! 飲んで歌って、わたくしのお賽銭箱にジャンジャン御縁を投げ込んでくだされーっ!!」
ポポロ村の広場は、先ほどの地獄絵図が嘘だったかのような、かつてない熱狂と歓声に包まれていた。
広場の中央に設けられた特設ステージ(みかん箱の巨大版)の上では、完全復活を遂げたリーザが、満面のアイドルスマイルを振り撒きながら熱唱している。
絶望から救われた村人たちや、国境警備隊の兵士たちは、涙を流しながら「リーザちゃぁぁん!」「俺の給料、全部持ってってくれぇぇ!」と、狂ったようにお賽銭箱(掃除機)へ硬貨を投げ入れていた。
「ガハハハ! ほら、肉が焼き上がったぜ! 英雄イグニス様が直々に運んでやるから、腹ん中がはち切れるまで食いな!!」
イグニスは、絶望樹のツルを一刀両断した自慢の『イグニス・フレア・ストーム』の余熱を利用し(※リアンに「ガスの節約になるからお前の炎で焼け」と命令された)、巨大な鉄板の上で何十枚ものロックバイソンのステーキを豪快に焼き上げていた。
「リアン君っ! はい、あーんっ♡」
そして俺の隣では、キャルルが太陽芋の極上ポタージュをスプーンで掬い、俺の口元へと運んできていた。
先ほどの戦闘で完全に『正妻の余裕』を取り戻したのか、今の彼女の瞳にはヤンデレの濁りはなく、ただひたすらに純度100%の愛情だけがキラキラと輝いている。
「自分で食える。お前も客の対応(ホール業務)に戻れ」
「えへへ、いいの! 今は私の休憩時間だもん。リアン君の隣は、誰にも譲らないんだからっ」
キャルルが俺の腕にギュッと抱き着いてくる。
遠くのステージから、リーザの「ちょっとキャルルお姉様!? わたくしのプロデューサーに何引っ付いてますの!? 抜け駆けはギルティですわーっ!」というマイク越しの抗議が飛んでくるが、キャルルはアカンベーをして取り合わない。
(……やれやれ。どいつもこいつも、本当に騒がしい連中だ)
俺は、押し付けられる柔らかい感触と、賑やかな喧騒に苦笑いしながら、少しだけ周囲を見渡した。
村人たちの笑顔。美味しそうに料理を頬張る兵士たち。そして、自分の役割を完全に理解し、生き生きと働く俺の従業員たち。
絶望の魔樹の襲撃という超特大のイレギュラー(赤字リスク)を乗り越え、俺たちはまた一つ、強固なチームへと成長した。
「キャルル、ちょっと外の空気を吸ってくる。厨房の火の番、イグニスに任せといてくれ」
「うんっ、いってらっしゃい! 浮気したらダメだからね!」
俺はエプロンを外し、喧騒に包まれる広場から、少しだけ離れた村の裏手――ポポロ亭の裏庭へと続く静かな小道へと抜け出した。
* * *
夜空には、真珠のように白く輝く満月が浮かんでいた。
ひんやりとした夜風が、火照った体を心地よく冷ましてくれる。
俺は裏庭の丸太に腰を下ろし、四次元魔法ポーチから『微糖の缶コーヒー』を取り出した。プルタブを開け、一口飲む。
深く焙煎された苦味と、ほんのりとした甘みが、社畜の脳髄に染み渡る。
「……おっと、先客がいたか」
背後から、ザクッ、ザクッと草を踏む重い足音が聞こえた。
振り返ると、両手に巨大な木樽のジョッキを持ったイグニスが立っていた。
「おう、リーダー。抜け駆けして一人で休憩とは、いいご身分だな」
「お前こそ、肉の番はどうした」
「キャルルに任せてきた。俺様も、少しだけ静かに飲みてぇ気分だったからな」
イグニスは俺の隣の丸太にどっしりと座り、木樽のジョッキの一つを俺に向かって差し出した。
中には、ポポロ村特産の強い蒸留酒がなみなみと注がれている。
「缶コーヒーもいいが、今日みたいな勝利の夜は、やっぱ酒だろ。……飲むか?」
「……俺は明日も早朝から仕込みがある。二日酔いになったら、お前をシュレッダーにかけるぞ」
「ガハハハ! そん時は俺様が全部仕込みをやってやるよ!」
俺は缶コーヒーを横に置き、イグニスからジョッキを受け取った。
「……リアン」
イグニスが、夜空の満月を見上げながら、ポツリと口を開いた。
「今日、あの絶望のバケモノに心を折られかけた時……俺様、本当に自分が情けなかった。力だけ無駄にデカくて、中身は空っぽで。やっぱり俺様は、英雄になんてなれねぇんじゃないかって」
「……」
「でもよ。お前が俺の背中を蹴っ飛ばして、『お前は俺たちの屋台骨だ』って言ってくれた時。腹の底から、今までで一番熱い炎が湧き上がってきたんだ」
イグニスは、手元のジョッキを見つめ、不器用に、しかし心からの笑顔を浮かべた。
「俺様は、お前たちと一緒にいるこの『居場所』を守るためなら、本物の英雄にだってなれる。……今日、ハッキリとそう思えたぜ。リアン、俺様をこのクランに入れてくれて、本当にありがとな」
それは、見栄っ張りな竜人が初めて見せた、一切の虚飾のない『本音』だった。
「……バカか、お前は」
俺は、木樽のジョッキを軽く持ち上げた。
「俺が一人で戦えば、今日みたいなイレギュラーには対応しきれず、間違いなく過労死してた。
お前の筋肉が、キャルルの素早さが、リーザの図太いメンタルがあったから、俺たちは勝てたんだ。感謝するのは、俺の方だ」
カチンッ。
夜の静寂の中、男同士のジョッキが重なり合う、小気味良い音が響いた。
「俺たちの最強のブラック企業に」
「ガハハハ! 最高にホワイトな俺たちの居場所に、乾杯だ!!」
俺たちは一気に酒を煽り、そして顔を見合わせて笑い合った。
……悪くない。
前世で求めても絶対に手に入らなかった『信頼できる仲間』との、静かで、満ち足りた時間。
俺の追い求めた怠惰なスローライフとは違うが、この騒がしくて温かい日々が、ずっと続いていけばいい。
本気でそう思っていた、まさにその時だった。
* * *
――ぽわぁぁぁぁんっ。
突如として。
俺たちがいま座っている裏庭の地面(ただの土と雑草)から、見たこともないほど色鮮やかな、発光する謎の『花』が、一斉に咲き乱れ始めたのだ。
「……ん? なんだこの花。すげぇ良い匂いがするぞ?」
「……異常事態だ。こんな季節外れに、しかも数秒で花が咲くわけない」
俺が警戒して身を構えた瞬間。
周囲の空間がぐにゃりと歪み、そこからポンッ!という間抜けな音と共に、一人の少女が飛び出してきた。
「あーっ! やっと見つけましたわ! キャルルちゃんたちの魔力反応(GPS)、こんな田舎の村にあったんですね!」
現れたのは、絵に描いたような深窓の令嬢。
絹のように滑らかな金糸の髪。透き通るような白い肌。そして、村の土の上には絶対に似合わない、超高級なフリフリのお嬢様ドレス。
その背中からは、精霊のような光の粒子がキラキラとこぼれ落ちていた。
「あ? 誰だ?」
俺が眉をひそめて問いかけた瞬間。
騒ぎを聞きつけて裏庭に駆けつけてきたキャルルとリーザが、その少女の姿を見た途端――。
「ひいいいッ!! ル、ルナだあああ!?」
キャルルが、あの死蟲将軍機を前にしても全く怯まなかったキャルルが、顔面を蒼白にしてリーザの背後に隠れた。
「な、なんで!? なんでこの村の場所が分かったの!? やだやだ、また家を燃やされるううっ!! お願い、私の腎臓は美味しくないから! 腎臓取るなら、この人魚でお願いっ!!」
「ちょっ、キャルルお姉様!? 何をわたくしを盾にしていますの!?」
リーザが抗議の声を上げた直後、彼女の瞳に『¥』マークがバチィィンと点灯した。
「あぁ〜っ、ルナ様♡ お久しぶりですわーっ!! 毎月純金100kgが送られてくる、歩く身代金ですわ〜♡ ルナ様、腎臓売るなら、この兎でよろしくてよ!!」
お互いをノータイムで生贄に差し出し合うヒロインたち。
俺は、完全に状況が理解できず、ジョッキを持ったままフリーズしていた。
「あははっ、二人とも相変わらず仲良しさんですね!」
ルナと呼ばれた少女は、極上の天然スマイルを浮かべながら、俺たちの前にふわりと降り立った。
「ルナミス帝国でバイバイしたあと、私もやっぱり皆さんと一緒に『シェアハウス』っていうのをしたくて、後を追いかけてきちゃいました! 道に迷って、気づいたら魔王領の奥まで行っちゃってましたけど、植物さんたちに道案内してもらって、やっと着きました!」
「魔王領の奥まで迷子になってた!? お前、一人でどうやって無事に……」
「あ、道中の魔物さんたちは、なんだかお腹が空いてて可哀想だったので、世界樹の根っこで『養分』に還元して、大地のお友達にしてあげました!」
笑顔で語られる、生態系を根本から破壊するナチュラルな大虐殺。
俺の経営者としての直感が、けたたましく警鐘を鳴らした。
こいつはヤバい。
魔王軍の幹部とか、絶望の魔物とか、そういう『敵』じゃない。
圧倒的な【善意100%のテロリスト】だ。
「……キャルル、リーザ。俺に分かるように、三行で説明しろ」
俺がこめかみを押さえながら指示を出すと、キャルルがガタガタと震えながら答えた。
「絶対中立国家『世界樹の森』の、次期女王候補のルナ・シンフォニアちゃん!
善意で市場を破壊するし、善意でお金を偽造するし、善意で臓器売買を提案してくるの!
一言で言うと、歩く『コンプライアンス違反』だよぉぉっ!!」
「……コンプライアンス違反」
俺は、前世のブラック企業で最も恐れられていたその単語を聞き、戦慄した。
「あ、あなたがリアンさんですね! キャルルちゃんたちから、お噂はかねがね聞いております!」
ルナが、トコトコと俺の前に歩み寄り、優雅にカーテシー(淑女の礼)をして微笑んだ。
「私、ルナ・シンフォニアと申します! 皆さんと一緒に住まわせてもらうお礼に、さっき、この村の井戸水に少しだけ『善意』の魔法をかけておきました!」
「……は? 井戸水に魔法?」
「はいっ! お祭りでみんな疲れているみたいだったので、村の井戸水を全部、超高純度の『エリクサー(完全回復薬)』に変えておきました! あと、道端の石コロも、3日間だけ純金になるようにしておきましたので、お買い物に使ってくださいね!」
ピシリ、と。
俺の脳内で、何かが完全にショートする音がした。
「井戸水が全部エリクサー……!? 供給過多によるポーション市場の価格暴落!!」
「石が純金に……!? 3日後に消滅する偽造通貨(経済テロ)による、極地的なハイパーインフレと信用の失墜!!」
俺は頭を抱え、絶叫した。
物理的な破壊なら、俺の魔法やイグニスの力でいくらでも対処できる。
精神的な攻撃なら、俺の社畜メンタルで跳ね返せる。
だが!!
この『純粋な善意から生み出される、マクロ経済学的な市場破壊』は、俺の三ツ星の料理の腕でも、どう足掻いても対処不可能だ!!
「えへへ、皆さん喜んでくれて嬉しいです! これからよろしくお願いしますね、リアンプロデューサーさん!」
「誰か! 誰かこいつを摘み出せ! ポポロ村の経済が死ぬゥゥッ!!」
美しい満月の夜。
熱い男の友情で幕を閉じるはずだった第三章は、最強最悪の【歩くコンプライアンス違反(エルフ姫)】の乱入により、阿鼻叫喚の地獄絵図へと変貌した。
俺の平穏なスローライフは、もはや完全に、そして不可逆的に――粉々に打ち砕かれたのだった。




