EP 6
男同士の語らいと缶コーヒー〜裏方の英雄に捧ぐ微糖〜
大衆食堂『ポポロ亭』の裏庭。
夕暮れ時の空が茜色に染まり、村に涼しい夜風が吹き始める頃、一定のリズムで重い音が響き渡っていた。
パカーンッ!! パカーンッ!!
竜人族のイグニスが、上半身裸になり、大粒の汗を流しながら両手斧で薪を割っている。
彼の圧倒的な腕力と体幹から放たれる一撃は、どんなに太く硬い丸太も、まるで豆腐のように真っ二つに両断していく。ポポロ亭の厨房の火力を支えるのは、間違いなく彼が毎日割ってくれるこの莫大な量の薪だ。
「ふぅ……今日の分はこんなもんか」
イグニスは額の汗を拭い、切り株の上にどっしりと腰を下ろした。
そして、自分の荷物から一枚の羊皮紙と羽ペンを取り出し、夕日に照らされながら、真剣な顔で文字を書き始めた。
(……えーと。『母ちゃん、元気か。俺様は今日も、帝都で大暴れしているぜ。この前は魔王軍の幹部を俺様の炎で一人で消し炭にしてやってな、皇帝から直々に褒美をもらったんだ。帝都の広場には、俺様の純金の像が建ってるぜ。今度見せてやるからな……』と)
羊皮紙に書き連ねられた、嘘八百の武勇伝。
イグニスは羽ペンを置き、ふぅ、と深く長いため息をついた。
「純金の像、か……」
彼は自分の分厚い手のひらを見つめた。
故郷の村で、「俺様は人間の街で絶対一番の英雄になる!」と大見栄を切って飛び出してきた。
だが、現実は甘くなかった。力が強すぎて加減ができず、魔獣の素材(ドロップ品)を消し炭にしてしまうため、どの冒険者パーティーからも「お前は利益を減らすだけの厄介者だ」とクビにされた。
日雇いの工事現場で泥水を進り、リアンに拾われてからも、彼がやっているのは「芋掘り」「店舗の建設(DIY)」「薪割り」「ホールの配膳係」といった、純然たる『肉体労働(裏方)』ばかりだ。
「……俺様、本当はただの、体のデカいトカゲなんじゃねぇのかな……」
ポツリと漏れた、弱気な独り言。
魔物をバッサバッサとなぎ倒し、民衆から喝采を浴びる『英雄』。自分が思い描いていた姿と、薪の山に囲まれて汗まみれになっている今の姿のギャップに、イグニスの心は小さく軋んでいた。
「しけたツラしてんな。お前の取り柄は、その暑苦しいまでのバカみたいな自信だろうが」
「……っ!?」
不意に背後から声をかけられ、イグニスは慌てて羊皮紙(嘘の手紙)を背中に隠した。
振り返ると、そこには防刃ジャージ姿のリアンが立っていた。手には、見たこともない『小さな鉄の筒』を二つ持っている。
「リ、リアン……! お、俺様は別にしけたツラなんか……」
「嘘をつけ。丸太と一緒に、自分のメンタルまで真っ二つに割ったような顔をしてたぞ。ほらよ、休憩だ」
リアンは、持っていた鉄の筒の一つを、イグニスに向かって放り投げた。
受け取ると、その筒は冷たい地下水で冷やされたように、ひんやりと心地よい冷気を放っていた。
「なんだこれ? 薬の水薬か?」
「『缶コーヒー』だ。地球……俺の故郷の、労働者のための飲み物だよ。こうやって開ける」
カシュッ。
リアンが鉄の筒の上部を指で弾き開けると、今までに嗅いだことのない、深く焙煎された香ばしい匂いが漂ってきた。
イグニスも見様見真似でプルタブを開け、中の黒い液体を恐る恐る口に運ぶ。
「……にがっ! な、なんだこれ! ポポロ・コーヒーより全然苦ぇぞ!? でも……後からほんのり甘みが……」
「『微糖』だからな。ただ甘いだけじゃない、苦労(苦味)を知ってる大人の男の味だ。疲れた筋肉と脳みそに染み渡るだろ?」
リアンは切り株の隣に腰を下ろし、缶コーヒーを一口飲んで夜空を見上げた。
「……見栄を張るのも、楽じゃないな」
リアンのその一言に、イグニスの肩がピクリと跳ねた。
「読んだわけじゃない。だが、お前が故郷に仕送り(金貨)と一緒に送ってる手紙、大方『俺様は世界一の英雄だ』みたいな嘘八百が書いてあるんだろ?」
「……うるせぇ。笑いたきゃ笑えよ」
イグニスは缶コーヒーを両手で包み込み、うつむいた。
「笑われても仕方ねぇよ。俺様は、炎の魔法のコントロールもできねぇ。悪知恵も回らねぇ。キャルルみたいな素早さも、リーザみたいな客を呼ぶ歌も歌えねぇ。
リアン、お前はすげぇよ。頭が良くて、飯が作れて、誰よりも強い。……お前に比べたら、俺様なんて、ただ薪を割って、皿を運ぶだけの『肉体労働のトカゲ』だ」
イグニスが絞り出すように吐露した、本音のコンプレックス。
それは、彼が虚勢(ガハハという笑い)の下にずっと隠し続けてきた、切実な焦りだった。
しかし。
リアンはイグニスの言葉を鼻で笑うこともなく、ただ静かに、缶コーヒーの冷たい表面を指でなぞりながら口を開いた。
「……お前、俺がいた『ブラック企業』の話、したことあったか?」
「えっ? お前がいた会社? 帝国の軍隊のことか?」
「いや、もっと前の話だ」
リアンは、遠くの茜空を見つめながら語り始めた。
「俺は昔、とんでもなく忙しい厨房(戦場)で働いてた。朝から晩まで仕込みをして、怒鳴り声が飛び交う中で何百皿も料理を作る。そこで俺は、全てを完璧にこなそうとした。味付けも、温度管理も、原価計算も、全部俺一人で背負い込んだんだ。
……結果、どうなったと思う?」
「大成功して、世界一のシェフになったんだろ?」
イグニスの問いに、リアンは自嘲気味に笑って首を振った。
「倒れたんだよ。過労でな。完全にキャパシティ(限界)を超えて、文字通りブッ倒れた。
その時、俺は痛感したんだ。どれだけ優れた技術があっても、どれだけ頭が良くても、『一人でできることには限界がある』ってな」
リアンは顔を向け、イグニスの真っ直ぐな瞳を正面から見据えた。
「イグニス。経営者の視点から言わせてもらうぞ。
お前は『ただの肉体労働』だと言ったな? ふざけるな。お前のその『圧倒的な筋肉』がなきゃ、このポポロ亭はたった一日で崩壊するんだよ」
「……えっ?」
「毎日、誰よりも早く起きて、何百本もの薪を完璧なサイズに割ってくれる。そのおかげで、俺は火力を気にせず最高の料理が作れる。
ホールで暴れる荒くれ者たちを、お前がその巨体と腕力で制圧してくれるから、キャルルもリーザも安心して接客ができる。
……お前のその、馬鹿みたいにまっすぐで頑丈な『力』が、俺たちのクランの【屋台骨】なんだよ」
リアンの言葉は、静かだが、炎よりも熱い熱量を帯びていた。
前世で全てを背負い込んで壊れた男が、今世でようやく見つけた『背中を預けられる強固な柱』に対する、心からの信頼の言葉。
「英雄っていうのはな、何も剣を振るって魔王を倒す奴だけじゃない。
誰も見ていないところで泥にまみれ、汗を流して、仲間の帰る場所(居場所)を支え続ける。俺から言わせれば、そっちの方がよっぽど価値のある『本物の英雄』だ」
「リアン……」
「故郷の純金の像なんて、ただの成金趣味だろ。
お前はもう、このポポロ村の、そして俺たち【ホープ・クローバー】の立派な大英雄だ。もっと自分のやってる仕事(役割)に、胸を張れ」
リアンがそう言って、持っていた缶コーヒーを突き出す。
イグニスの大きな目から、ボロボロと、大粒の涙が溢れ出した。
故郷を飛び出して以来、ずっと抱えていた孤独。誰にも認められず、自分を偽り続けてきた見栄の鎧が、不器用な相棒の温かい言葉によって、完全に溶かされていく。
「う、うおおおぉぉんっ……!! リ、リアン……ッ!! 俺様……俺様は……っ!!」
イグニスは両手で顔を覆い、子供のように声を上げて男泣きした。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながらも、その顔には、かつてないほどの晴れやかな『誇り』が満ちていた。
「ガハハハッ……! そうだな! 俺様が屋台骨なんだ! 俺様の筋肉がなきゃ、お前ら一日も生きていけねぇもんな!」
「調子に乗るな。明日からも今まで通り、馬車馬のように働いてもらうからな。給料の分はきっちり回収するぞ」
「おうよ! 任せとけ! 薪でも岩でも、魔王の首でも、俺様が全部真っ二つに割ってやるぜ!!」
カチンッ。
夕焼け空の下、男同士の小さな祝杯。
微糖の缶コーヒーがぶつかり合う、小気味良い音が裏庭に響いた。
「(……しかし、こんなに単純で扱いやすいアセット(仲間)、他にいないな)」
リアンは心の中で悪態をつきながらも、缶コーヒーのほろ苦い甘さを口いっぱいに広げた。
ヤンデレのウサギに、強欲な人魚、そして見栄っ張りで単純なトカゲ。
どいつもこいつも手がかかるが、だからこそ、俺がプロデュース(指揮)してやる甲斐があるというものだ。
完全に日が沈み、ポポロ亭の厨房から美味そうなシチューの匂いが漂ってくる。
二人の男は並んで立ち上がり、笑い合いながら、騒がしくも温かい『自分たちの居場所』へと戻っていくのだった。
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