EP 3
愛の英才教育と、シェフの魂を蹂躙する離乳食
赤ん坊の1日とは、驚くほど単調だ。
泣く、飲む、出す、寝る。基本的にはこの4つのサイクルの無限ループである。
だが、元・三ツ星フレンチ副料理長であり、現・最強のヒモ志望である俺、リアン・クラインの毎日は、他の赤ん坊とは決定的に異なる「ある日課」が存在していた。
「聖なる光よ、この小さき命の器を満たし、健やかなる成長の糧となれ――『ヒール』」
ベッドの上に横たわる俺の全身を、淡く温かい光が包み込む。
母親であるマリアの美しい手から放たれた『回復魔法』だ。
(あぁ……これこれ。まるで低温調理器で正確に63度をキープされた極上のサーモンのような心地よさ……)
マリアは毎日、欠かさず俺に回復魔法をかけ続けている。
前世の知識とこの世界特有の『魔力』という感覚を擦り合わせた結果、俺はこの儀式のヤバさに気がついていた。
本来、回復魔法とは傷ついた細胞を修復するためのものだ。それを、無傷で細胞分裂が最も活発な赤ん坊に毎日注ぎ込み続けたらどうなるか?
答えは簡単だ。魔力によって細胞の成長が異常促進され、同時に体内を流れる魔力回路が限界突破していく。
料理に例えるなら、最高級のコンソメスープを毎日継ぎ足して極限まで旨味を濃縮させている状態。
簿記の概念で言えば、元本に対して毎日天文学的な『複利』が掛かっているようなものだ。
「ふふっ。リアンは本当に魔力の吸収が良いわね。パパとママの才能をしっかり受け継いでるわ」
優しく微笑むマリア。
どうやら両親は、俺が物心つく前から最強の英才教育を施すつもりのようだ。
正直、チート能力などなくても一生親のすねをかじる気満々の俺にとってはオーバースペックな肉体改造なのだが、気持ちが良いので大人しく受け入れている。
これで健康になれるなら、病気による医療費削減にも繋がる。まさに一石二鳥だ。
順調に黒字経営を続けていた俺に、最大の『経営危機』が訪れたのは、生後半年を過ぎ、そろそろ離乳食が始まるという時期だった。
* * *
「マリア! 今日は騎士団の仕事を休んできたぞ! 我が息子の初めての食事、この俺が腕を振るおう!」
バンッ!と勢いよく扉を開けて飛び込んできたのは、父親のアークスだった。
屈強な全身鎧をガチャガチャと鳴らし、その上からなぜかファンシーなピンク色のエプロンを身に着けている。絶望的に似合っていない。
「あら、アークス。でもあなた、お料理なんてできたかしら?」
「フッ、舐めるな。冒険者時代、野営での料理は俺の担当だっただろう? リアンのために、市場でとびきりの食材を仕入れてきたんだ!」
アークスが誇らしげに掲げた木製のボウルからは、ドス黒い紫色の湯気が立ち上っていた。
ベビーベッドの上でそれを見た瞬間、俺の全身の毛穴がブワッと開いた。
(な、なんだあの匂いは……!?)
三ツ星レストランで鍛え上げられた俺の嗅覚が、激しいアラートを鳴らしている。
強烈な血生臭さ。獣特有の重すぎる獣臭。そして、鼻の奥をツンと突くような、未処理の魔力溜まりの臭い。
「見よ! 『アースドラゴンの特上挽き肉、フレッシュ・ベヒーモスミルク煮込み』だ!!」
ドヤ顔で言い放つアークス。
俺は心の中で、頭を抱えて絶叫した。
(バカかあああぁぁっ!!)
アースドラゴン!? ベヒーモス!?
いくらファンタジー世界とはいえ、それが赤ん坊に食わせる離乳食のチョイスか!?
俺の料理人としての魂が、猛烈な勢いでツッコミを入れ始める。
いいか、ドラゴンの肉なんてのはな、筋繊維がワイヤー並みに太くて硬いんだよ!(食べたことはないが、匂いと見た目で分かる)
それを挽き肉にしたところで、消化器官が未発達な赤ん坊の胃袋に入るわけがない!
しかもなんだその『ベヒーモスミルク』ってのは! 脂肪分と魔力が濃すぎて、大人が飲んでも胃もたれするレベルの代物じゃないのか!?
そもそも、血抜き(処理)が完全に甘い! アク取りもしていないから、見事なまでにスープが分離してボソボソになっているじゃないか!
「さぁ、リアン! いっぱい食べて、父さんのような強い騎士になるんだぞ! ほーら、飛行竜が飛んできたぞ〜」
アークスが、木製のスプーンにたっぷりとその『紫色の泥』をすくい、俺の口元へと運んでくる。
スプーンの上で、謎の気泡がプクッと弾けた。
(死ぬ。これを食ったら、俺の未熟な肝臓と胃腸がストライキを起こして死ぬ……!)
財務諸表で言えば、これは一撃で会社を倒産に追い込む『超特大の特別損失』だ。
俺は全身の筋肉(マリアのドーピングにより、生後半年とは思えないほど発達している)を駆動させ、スプーンから顔を背けた。
「ぷいっ!」
「おや? 照れているのかリアン。大丈夫だ、父さんの愛情がたっぷり入っているぞ。さぁ、あーん!」
「ぶーっ! ぶーっ!」(寄るな! そのバイオハザードを俺の口に近づけるな!)
必死の抵抗を試みるが、相手はルナハン騎士団を束ねる元A級冒険者の大男だ。赤ん坊の力で太刀打ちできるはずもない。
このままでは、俺の料理人としてのプライドと、物理的な胃腸が蹂躙されてしまう。
「もう、アークス。リアンが嫌がってるじゃない。少し味が濃すぎたんじゃないの?」
「そ、そうか……? 冒険者ギルドの連中には大好評の味付けなんだが……」
シュンと肩を落とすアークス。
マリアの助け舟にホッと息を吐いたのも束の間、彼女はにっこりと微笑んでこう言った。
「貸してちょうだい。私が『浄化魔法』で毒素とアクを抜いて、少し薄めてあげるから。これなら食べられるわよね、リアン?」
「あ、あー……」(いや、根本的な解決になってないから! 食材のチョイスが間違ってるから!)
俺は悟った。
この両親、俺に対する愛情は海よりも深いが、『A級冒険者としての常識』が、一般人の常識から完全にズレているのだ。
このままでは、離乳食という名のサバイバル訓練で命を落としかねない。
俺は、スローライフを守るための『次なる一手』を打つことを決断した。
(やるしかない……俺の隠しスキルを、ここで起動させる!)
迫りくるドラゴンの肉片を前に、俺は脳内の『善行型ネット通販』のウィンドウを力強く睨みつけたのだった。
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