EP 4
消えた五円玉と、ヤキモチ兎〜最強のプロデューサーと地獄の土下座〜
「うわあああぁぁぁぁんっ!! わたくしの、わたくしの『御縁』があぁぁっ!!」
大衆食堂『ポポロ亭』の仕込み時間。
オープン前の静かな店内に、看板娘であるリーザ(芋ジャージ着用)の鼓膜を破るような号泣が響き渡った。
「朝からうるせぇな。なんだ、帝国から税務調査でも入ったか?」
俺はカウンターでタマネギの微塵切り(影丸にやらせているが、最終チェックは俺だ)から顔を上げ、眉をひそめた。
リーザは店の隅に置かれたみかん箱に突っ伏し、床をバンバンと叩きながら滝のような涙を流している。
「ち、違いますわ……! わたくしの宝物が……一番大切なお守りが、盗まれてしまったんですのぉぉっ!」
「宝物? ああ、もしかして……」
俺はピンときた。
彼女はいつも、胸元に紐を通して『一枚の五円玉』をぶら下げていた。彼女がこの村で初めてお立ち台(みかん箱)に立ち、歌を歌った時に、一番最初のお客(農夫のお爺さん)からお賽銭として貰った、記念すべきファースト・スパチャ(初任給)である。
「朝、店の裏でラジオ体操をしていましたら、空から『泥棒烏』が急降下してきまして! わたくしの首元から、キラキラに磨いた五円玉を奪って、森の奥へ飛んでいってしまったんですわーっ!」
「なるほどな。光り物を集める習性を持つ魔獣か」
「ううっ……あれがないと、わたくし、もうステージで歌えませんわ……。あれは、わたくしのアイドルとしての原点……『初期投資』の証なんですの……」
リーザが膝を抱え、完全にしおれた葉っぱのように小さくなってしまった。
普段は「金貨! 銀貨!」と強欲に喚いている彼女だが、あの五円玉だけは決して使わず、毎晩寝る前にピカピカに磨き上げていたのを俺は知っている。
「ガハハハ! なんだリーザ、たかが銅貨一枚(五円)だろ? 俺様が銀貨を一枚恵んでやるから、それで新しいお守りを買え!」
薪割りを終えて厨房に入ってきたイグニスが、豪快に笑いながら銀貨を放り投げた。
だが、リーザはその銀貨を見向きもせず、さらに大声で泣き出した。
「馬鹿トカゲ! 価値の問題じゃありませんわ! あの五円玉には、ファンの方の愛と、わたくしの情熱が詰まってるんですの! 代わりなんてないんですわぁぁっ!」
「おいおい、なんで俺様が怒られてるんだ……?」と困惑するイグニスを放置し、俺はエプロンの紐を解いた。
(……たかが五円。経済的価値で言えば、探しに行く人件費の方が圧倒的に高くつく完全な大赤字だ)
だが、経営において『従業員のモチベーション管理』は、目先の利益よりも遥かに重要なファクターである。
看板娘のメンタルがブレイクしたままでは、今日のホールの回転率はガタ落ちになり、結果として莫大な機会損失を生む。
何より――自分の『原点』を失って本気で泣いている仲間を放置するほど、俺はブラックな経営者ではない。
「イグニス。キャルルと一緒に、ランチの仕込みを進めておけ。俺は少し『野暮用』で有給(半休)を取る」
「おう? 分かったぜリアン。任せとけ!」
俺は四次元魔法ポーチを腰に下げ、泣きじゃくるリーザの頭をポンと叩いた。
そして、ポポロ村の裏手に広がる深い森へと足を踏み入れた。
* * *
泥棒烏は、非常に警戒心が強く、視力に優れた飛行型の魔獣だ。
下手に攻撃魔法を撃ち込めば、驚いて口にくわえた獲物(五円玉)を深い谷底に落としてしまうリスクがある。力任せのゴリ押しは、今回のような『回収ミッション』において最も愚かな選択だ。
「戦闘は、いかにローコストで確実に成果を上げるかだ」
俺は森の木の上に作られた巨大な泥棒烏の巣を、影丸の索敵によって早々に特定した。
巣の中では、巨大な黒いカラスが、リーザの五円玉をくちばしで突いて遊んでいる。
俺は風下に立ち、気配(闘気)を完全に殺した。
四次元魔法ポーチから『ショートボウ』と、矢尻に特殊な薬液を塗布した『睡眠矢』を取り出す。
薬液は、ネット通販で購入した『地球の強力な睡眠薬』と、この世界の『麻痺草』を調合した、極めて安全かつ即効性の高い非致死性兵器だ。
「……風速2メートル。距離、約50。対象の意識外からの、完全なステルス・キルだ」
音もなく弦を引き絞り、俺は無詠唱で矢に『風魔法』によるサイレンサー(消音)効果を付与した。
指を離す。
ヒュッ、という風切り音すらも消し去られた矢は、美しい放物線を描き、巣の中で寛いでいた泥棒烏の首筋にピタリと突き刺さった。
「カァ……?」
泥棒烏は悲鳴を上げる間もなく、一瞬で白目を剥き、コテンと巣の中にひっくり返って深い眠りに落ちた。
自然破壊ゼロ。無駄な戦闘(カロリー消費)ゼロ。完璧なオペレーションだ。
俺は木に登り、巣の中からキラキラと光る五円玉を回収した。
丁寧に磨かれたその硬貨の穴の向こうから、木漏れ日が差し込んでいる。
「……やれやれ。こんなもんのために、三ツ星シェフが森でサバイバルする羽目になるとはな」
俺は五円玉をジャージのポケットに突っ込み、ため息をつきながらポポロ亭へと帰路についた。
* * *
「……ぐすっ、ひっく……」
ポポロ亭に戻ると、リーザはまだみかん箱の上で体育座りをし、抜け殻のように虚空を見つめていた。
俺は無言で彼女に近づき、ポケットから取り出した五円玉を、親指でピンッと弾いた。
チャリン。
放物線を描いた五円玉が、リーザの頭の上にコツンと落ち、彼女の手のひらへと転がり込んだ。
「あ……」
「お前の『お賽銭箱』には、それがなきゃ始まらねぇだろ。看板娘」
俺がニヤリと笑って言うと、リーザは手のひらの五円玉と俺の顔を交互に見比べ、その瞳孔を限界まで見開いた。
「リアン様……リアン様ぁっ!! わたくしの五円!!」
「おいバカ、鼻水垂らしながら飛びついて――」
ドスッ!!
リーザが弾かれたように立ち上がり、俺の胸に猛スピードで飛び込んできた。
人魚族特有の柔らかさと、女の子の甘い香りが、ジャージ越しに俺の全身を包み込む。
「うわああああんっ! ありがとうございます、ありがとうございますわ!! リアン様は神様ですの!? わたくしの最高のプロデューサーですわぁぁっ!!」
「わかった、わかったから離れろ。ジャージが鼻水で汚れるだろうが」
「離れませんわ! ずっとくっついていますの! リアン様、大好きですわーっ!! チュッてしますわ、チュッて!!」
「やめろアホ、お前の強欲アイドル路線がブレるだろうが!」
泣きながら顔を擦り付けてくるリーザを、俺が苦笑いしながら引き剥がそうとしていた、その時だった。
……ゾワァッ。
厨房の奥から、ポポロ亭の室温が急激に低下したような、強烈な冷気と殺意の波動が流れ込んできた。
コツン、コツン。
タローマン製の特注安全靴(雷竜石入り・一億ボルトの破壊力)が床を叩く、ひどく冷たく、等間隔の足音。
「……リアン君?」
振り返ると、お盆を持ったキャルルが立っていた。
だが、その瞳の奥には、いつもの温かい光が完全に存在していない。深海のように暗く、濁った、絶対零度の虚無だけがそこにあった。
「仕込みをイグニスに任せて、有休を取って『野暮用』に行ってたはずのリアン君が……どうして、リーザちゃんと抱き合ってるのかな……?」
「き、キャルル。違う、これは誤解だ。リーザが落とし物をしたから拾ってきてやって――」
「誤解……? ふふっ。そっか。リアン君は、私には内緒で、リーザちゃんと二人でそういう関係に……。ああ、ダメだよ。リアン君は、私だけのリーダーなんだから……。誰にも、渡さない……」
バチバチバチッ!!
キャルルの安全靴から、危険な紫電(雷光)が漏れ出し始めた。
月影流の殺戮術と、彼女のヤンデレ気質が最悪の形で融合しようとしている。
「あのね、リアン君。私、気づいちゃったの。リアン君のその優しい足を、両方ともこの靴で粉々に砕いちゃえば……もう、どこにも行けないし、他の女の子のところにも行けないよね……? ふふふふっ……」
「待て待て待てェェッ!! キャルル、落ち着け! 俺の足を粉砕したら、誰がポポロ亭のメインディッシュ(ハンバーグ)を焼くんだ!? 売上が落ちるぞ!!」
俺はリーザを突き飛ばし、時速300キロに匹敵する速度で、床に両膝と額を擦り付ける【完璧な土下座】を敢行した。
「これは純然たる『福利厚生』の一環だ! 俺の心は常に経営と共にある! だからお前も、安全靴のチャージ(一億ボルト)を解除してくれぇぇっ!!」
「……リアン様の土下座、姿勢が美しすぎますわ」
「お前のせいだぞリーザァァッ!!」
俺の命乞い(釈明)と、雷光を纏ってジリジリと距離を詰めてくるヤンデレウサギ。
そして、五円玉を大事そうに抱きしめながら、その光景をニコニコと見守る強欲アイドル人魚。
……やはり、俺が求めていた平穏なスローライフなど、この異世界のどこを探しても存在しないらしい。
ポポロ亭の開店直前、冷や汗と紫電の交じる地獄の修羅場が、今日も元気よく幕を開けたのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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