光子と優子が熱演した、映画の放送
佐伯のビジネスホテル。
海沿いの町の夜は早く、外はもう真っ暗だった。
「よし、明日は四時半起きやけん、そろそろ寝る準備せないかんよー」
優子が子どもたちを順番に風呂に入れ、
光子はフロントに頼んでいたコインランドリーから洗濯物を回収して戻ってきたところだった。
テレビから、聞き慣れた二人の名前がふと流れる。
「今夜の映画は、
十年前に公開され大きな反響を呼んだ作品――
『上記の街の約束』。
主演は、M&Yの青柳光子、柳川優子のお二人です」
翼
「お、これ……」
拓実
「原爆の映画のやつやん」
画面には、当時20代前半の光子と優子が並んでいる宣伝映像。
まだ今より少しだけ幼く、それでいて目だけは鋭く、覚悟を帯びていた。
光子
「……再放送、もうそんな時期か」
優子
「あとちょっとで、原爆から百十年ね……」
◆ 「観たい」と「観せたい」のあいだで
陽翔
「ママ、これ、ママとゆのんママが出とる映画?
見てみたーい!」
結音
「わたしも! ママが主役のやつやろ?」
燈真
「ぼくもー! ママ出とるなら見るー!」
灯乃
「ひーちゃんもー!」
悠翔と彩羽もよくわかっていないながら、
「まま〜」「おねえしゃん〜」とくっついてくる。
翼
「……どうする? 光子」
拓実
「小三と一年と年長には重たい内容っちゃ重たいけど……
ここまで来たら、一緒に見せるチャンスかもしれんしな」
光子は少し考え、テレビのリモコンを握り直す。
光子
「……最初から最後まで、
ちゃんと“映画”として観せるのは、まだ早いかもしれん。
でも、うちらが何を思ってこの作品に出たか、
“その入口”くらいは、今日いっしょに触れてほしい気もする」
優子
「やけん、こうしよ。
途中でつらくなったら、目つぶしてもいい、部屋移ってもいい。
でも、“わからん”って思ったことは、そのままにせんで、
あとでなんでも聞いてよし。 それでどう?」
陽翔と結音は、真剣な顔でこくりとうなずいた。
燈真と灯乃は、少し不安げに、けれど母親のそばにぴったり寄り添う。
祥子
「……もし、きつかったら、
おばちゃんのところも逃げてきていいけんね」
マラソン金メダリストの肥後祥子は、
そう言って子どもたちを安心させるように微笑んだ。
◆ あの日を演じた、あの日を知らない世代として
映画が始まる。
タイトルバックには、淡く揺れる八月の空と、黒い煙。
画面の中には、
長崎の港町で笑いながら歩く二人の若い女――
**大村 幸**と、双子の妹・恵。
幸を演じるのは光子、
恵を演じるのは優子だ。
陽翔
「ママ……若っ!」
翼
「そこやないやろ(笑)」
画面の中の二人は、
まだ何も知らない顔で、空を見上げ、未来の話をしている。
「ねえ恵、戦争が終わったらさ、
うちら、家族で日本中の海、全部回ろうよ」
「よかねぇ、それ。
じゃあ最初は、長崎の海と、広島の海ね」
テレビの光に照らされて、
今、実際に日本じゅうの海の近くを鉄道で旅してまわっている
“現在進行形の光子と優子”が、静かにそのセリフを見つめていた。
拓実
「……あの撮影のとき、
帰ってきてから一週間くらい、優子ずっと無口やったもんな」
優子
「……スイッチ切れるまで時間かかったんよ」
光子
「“役”って頭ではわかっとってもね。
あの時代に、本当にその場所におった人が確かにおるって。
その重さが、どうしても体に残るっちゃん」
◆ 子どもたちの目線
物語が進み、
広島への転勤が決まる夫の勝男。一緒について行く幸
長崎に残る恵。
やがて、八月六日と九日が近づいていく。
爆心地の描写は、
直接的な映像を避けながら、
被爆直後の街の音、燃える匂い、遠くで泣き叫ぶ声――
“想像するための余白”として描かれていた。
結音
「……こわいね……」
陽翔
「でも、目閉じんどく。
ママががんばった映画やけん」
燈真は、光子の手をぎゅっと握る。
灯乃は優子の腕に顔を埋めながらも、
時々そっと目を開けて画面を見た。
やがて物語は、
広島で消息を絶つ勝男と幸、長崎で被爆する姉妹へと進む。
爆心地そばで働いていた幸は、
一瞬の閃光と共に、その場で命を落とす。
恵は、全身に大火傷を負いながらも、
施設に運ばれ、一週間後に息を引き取る――。
画面の中で、
真っ黒に焼け焦げた街の中、妻とともに命を絶たれた勝男。そして、長崎で被爆し、佐世保に造船の職人として派遣されていた龍也の腕に抱かれながら、終戦一週間後に息を引き取る恵
そのシーンで、
陽翔の目からぽろりと涙が落ちた。
陽翔
「……なんで、こんなこと……
なんで……戦争なんか、したと……?」
誰にともなくこぼれた問いに、
光子はすぐには答えられなかった。
少しだけ時間を置いてから、
静かに言葉を選ぶ。
光子
「……“勝ちたい”とか、“守りたい”とか、
“負けたくない”とか……
最初は、
ちょっとした我慢の足りなさとか、
話し合いのめんどくささとか、
そんな小さなところから、
少しずつ少しずつ、
道を間違えていったんやと思う。
でね、誰も“間違えとるよ”って
声を上げられんくなったとき、
“戦争”って形になって爆発するとよ」
優子
「うちらがこの映画に出たのはね、
**やられた側・やった側って話やなくて、
“同じ間違いを、二度と繰り返さんごと”**って願いを
今の時代に伝えたかったけん。
誰かを殴ることも、
誰かを傷つけることも、
全部、その根っこはいっしょやけんね」
祥子は、その言葉を聞きながら、
自分が暴力から逃げてきた夜のことを思い出していた。
祥子
「……そう。
暴力はいつも、
“自分は正しい”って思い込んでるところから始まる。
だから、
“本当にそうかな?”って立ち止まれる人が
増えれば増えるほど、
戦争も、差別も、弱い人いじめも、
きっと少しずつ減っていくんやと思う」
◆ 十年前と、今と
映画がクライマックスに向かう頃、
子どもたちの中には眠そうな子も出てきたので、
翼と拓実が入れ替わりで抱き上げ、ベッドへ運んでいく。
エンディングロール。
「大村幸(平戸幸)役:青柳光子」
「大村恵(篠田恵)役:柳川優子」
――十年前、
二人が全身全霊で演じきった名前が流れていく。
テレビを見ながら、翼がぽつりと言った。
翼
「……あの作品があったから、
今日のオリンピックの反戦アルバムも、
アリョーナスたちの話も、
全部、繋がっていっとる気がするな」
拓実
「うん。
“笑い”と“音楽”と“スポーツ”で、
うちらは遠くの国のことも、
こうやって繋げてしまえる。
あの映画は、
その最初のデカい一歩やったんかもね」
光子
「……あの時は、
自分たちにそんな力があるなんて、
全然思っとらんやったけどね」
優子
「でも、
あの時本気で泣いて、本気で苦しんで演じた記憶が、
今、こうしてうちらの“芯”になっとるのは、
確かやね」
そう言って、
二人はそっと拳を合わせた。
◆ 110年目に向けて
テレビ局のスタジオから、
最後のコメントが流れる。
「来年、
原爆投下と終戦から百十年を迎えます。
“風化”という言葉で片付けるには、
あまりにも多くの命と物語がありました。
今、この時代を生きる私たち一人ひとりが、
何を感じ、何を選んでいくのか――
それが問われています」
リモコンを押して、画面が暗くなる。
部屋には、
佐伯の夜の静けさと、
海の方からかすかに聞こえる波の音だけが残った。
光子
「……さ、明日は四時半起きやけん。
泣いた顔のまま寝たら、朝パンパンよ?」
優子
「うちら、明日また“爆笑発電所”やらないかんしね。
泣いたあともちゃんと笑うってのが、うちらの仕事やけん」
翼
「泣いて、考えて、笑って。
忙しい夫婦やね、ほんと」
拓実
「ま、そこに巻き込まれとるオレらもやけどな」
そんな軽口を交わしながら、
それぞれが布団に潜り込んでいく。
泣いたあとにくる、
少しだけあたたかい疲労感。
その向こうにある、
明日の朝四時半の“バカみたいにハードな乗り鉄旅”を思うと、
自然と口元に笑いが戻ってくるのだった。
――
過去を忘れないこと。
今を笑って生きること。
未来にちゃんとバトンを渡すこと。
門司港から始まった“日本の海をめぐる鉄道旅”は、
そんな三つの願いをそっと乗せて、
まだ一日目の夜を終えたばかりだった。




