四年生の冬 ― 夕方の路地で
◆ 四年生の冬 ― 夕方の路地で
冬の夕方。
日が落ちるのが早くなって、
空はもう薄い紫色をしていた。
アキラは、
ランドセルを背負ったまま、人通りの少ない裏道を歩いていた。
(きょうも、まっすぐ帰ろ)
大通りを通ると、
同じクラスの顔に会いやすい。
からかわれたり、「お〜い、じいちゃんの孫〜」と声をかけられたりするのは、
もうたくさんだった。
だから、
わざと遠回りの細い路地を選んでいた。
角を曲がったところで、
不意に背中をぐっと引っ張られた。
「お〜、いたいた、“じいちゃんちの子”」
同じクラスの男子が二人。
その後ろに、笑って見ている子が何人か。
「なに……」
言い終わる前に、
ランドセルの肩ひもをギュッとつかまれる。
「ちょっとさ〜、この前の話の続きしようや。
“お父さんとお母さん、おらん”ってホントなん?」
「……ホントやけど」
「うわ、マジか。
“お父さん参観日”とかどうすると? “じいちゃん参観日”?
“お母さんの似顔絵”は“ばあちゃんの似顔絵”?」
「やめろって」
低い声で言っても、
相手は面白がっているだけだ。
「なんやと〜?
別にええやん、“じいちゃんとばあちゃん育ち”って笑いのネタになるし!」
笑い声が、じわっと広がる。
アキラの胸の奥で、
何度も何度も刺され続けた場所が、
またズキッと痛んだ。
(笑いのネタやなか。
オレにとっては、大事な家族やのに)
でも、その言葉は喉でつかえて出てこない。
ランドセルを後ろから引っ張られ、
身体がぐらりと揺れた、そのとき――
◆ 「ちょっと、あんたたち。何しよると?」
きっぱりとした女の人の声が、
路地に響いた。
アキラたちの少し先。
スーパーの袋を片手に提げた女性が立っていた。
コートの袖を少しまくり、
片手で買い物袋を支えながら、
まっすぐこちらに歩いてくる。
(誰……?)
近づいてきたその人は、
アキラたちを見るなり、眉をきゅっと寄せた。
「はいストップ。
何しよるんね、あんたたち」
「え、べつに〜」
「遊んどっただけやし〜」
慌てて笑ってごまかそうとする子どもたち。
「“遊び”ね?」
女性――美鈴は、
一人ひとりの顔をじっと見た。
「じゃあさ、あんたたち、自分のお父さんとお母さんの前で、
今言いよったこと、そのまんま言えるね?」
静かな声やけど、
逃げ場のない言い方だった。
「……」
「“お前んち、お父さんもお母さんもおらんと?”って、
自分のお母さんの前で、クラスメイトに言えるね?」
誰も、答えない。
「言えんやろ?」
少し間を置いて、美鈴は言葉を続けた。
「言えんことは、ここでも言っちゃいかんとよ。
それ、“遊び”やなくて“いじめ”って言うと」
「……」
「はい、もう帰り。
あとは先生にも話しとくけんね」
「や、やべ……」
「帰ろうぜ」
子どもたちは、
わざとらしく笑いながら、散るように走り去っていった。
路地には、アキラと美鈴だけが残された。
◆ 「博多南幼稚園の先生なんよ」
「大丈夫やった?」
美鈴は、
ランドセルの肩ひもを直してやりながら、
アキラの顔を覗き込んだ。
「……はい」
アキラの声は、まだ少し震えていた。
「えっと、赤嶺くんよね?」
「あ……はい。赤嶺アキラです」
「やっぱり。
この近くの小学校の名簿で見たことあるけん。
うちね、“博多南幼稚園”で先生しよると」
「ようちえんの、せんせい……?」
(先生……)
アキラは少しだけ身構える。
今まで“先生”に相談しても、
うまくいかなかった記憶があるから。
美鈴は、その警戒を感じたのか、
ふっと表情をやわらげた。
「さっきの子らに言われよったこと、
“冗談”では済まんやったろ?」
アキラは、黙ってうなずく。
「“じいちゃんとばあちゃんだけ”って、
笑いのネタやなかもんね」
その一言に、
アキラの喉の奥で、何かがぐっと詰まった。
(この人、分かっとる……)
「ねぇ、赤嶺くん」
「……はい」
「もし、またあんなふうにされたら、
“やめてください”って、今日みたいにちゃんと言ってよか。
それで止まらん時は――
“信じてよか大人”のとこまで持ってきんしゃい」
「信じて……よか、大人?」
「そう。
たとえば担任の先生でも、校長先生でも、
博多南幼稚園の、美鈴先生でも」
そこで、にっと笑ってウインクする。
「うちは今日、たまたま通りかかっただけやけどね。
見てしまったからには、もう“見んかったふり”はせんけん」
◆ 家族の話を、否定しない人
「赤嶺くんのおうちは、誰と一緒に暮らしようと?」
「……じいちゃんと、ばあちゃんです」
「そっか。
畑、しよる?」
「はい。大きな畑。
きゅうりとか、トマトとか、いっぱい作りようとです」
美鈴の顔が、一気に明るくなる。
「いいね〜!
新鮮な野菜食べて育っとるんやね。
絶対、体強か子になるよ」
「……」
バカにされるどころか、
むしろ誇らしそうに「いいね」と言ってくれる。
それだけのことなのに、
胸の奥がじんわり温かくなった。
(“じいちゃんとばあちゃん”って言って、
笑われんかった)
それが、ただ嬉しかった。
◆ 「ここら辺にも、“味方”おるけんね」
「今日のこと、
じいちゃんとばあちゃんには、話せそう?」
「……うーん」
アキラは、少し考えてから、正直に言った。
「心配、かけたくないです」
「そっか」
美鈴は、否定しなかった。
すぐに「言わなきゃダメ」とも言わない。
「じゃあさ。
今日のところは、“買い物帰りの幼稚園の先生が助けてくれた”ってことだけ、
教えてあげて。
細かいことは、赤嶺くんが話したくなった時で、よかけん」
「……それで、いいとですか」
「いいよ。
あんたの心のペースは、あんたが決めてよかけん」
最後に、
スーパーの袋を持ち直しながら言う。
「とにかくね。
“ここら辺にも、ちゃんと味方おる”ってことだけ、
今日は覚えといて」
「みかた……」
「そう。
困ったら、博多南幼稚園に電話して、
“美鈴先生おる?”って言ってみ?
“はいはい、なんかあったね?”って、
全力で話聞くけん」
それは、
“いつでも家においで”という言葉じゃない。
でも――
アキラにとっては、
それと同じくらい心強い「逃げ道」の宣言だった。
「……ありがとうございます」
アキラが頭を下げると、
美鈴はにっこり笑って、ひらひらと手を振った。
「気ぃつけて帰りんしゃい。
じいちゃんとばあちゃん、待っとんしゃるけんね」




