うちに遊びにおいで
安三郎と静子の仕事は、土の匂いのする仕事だった。
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◆ 農家の家の、ちょっと贅沢な毎日
まだ外が青いような早朝。
アキラが布団の中で「うーん」と寝返りを打っているころ、
安三郎と静子は、もう畑に出ていた。
「今日のキュウリはよう太っとるばい」
「トマトも、ほら見んしゃい。真っ赤に“食べて〜”って言いよるよ」
広い畑には、
季節ごとに色とりどりの野菜が並ぶ。
春はスナップエンドウや新じゃが。
夏はトマト、キュウリ、ナスにピーマン。
秋はさつまいもに里芋。
冬は白菜、大根、ほうれん草。
朝どりの野菜が、そのまま食卓に上がる。
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「アキラ〜、朝ごはんよ〜!」
静子の声に起こされて、
眠そうな目をこすりながら居間へ行くと、
ちゃぶ台いっぱいの朝ごはんが並んでいる。
・炊きたての白ごはん
・味噌汁(その日によって具が変わる)
・焼きたての卵焼き
・キュウリとトマトのサラダ
・浅漬けのキュウリとナス
「わぁ……」
アキラの目が、自然と丸くなる。
「今日のトマト、甘いばい〜。じいちゃんが丹精込めた“愛情トマト”やけんね」
「そのネーミング、ちょっとキモい」
「おいおい、じいちゃん傷つくやろ〜」
そう言い合いながら、
アキラはトマトを一口かじる。
「……あまっ!」
本当に甘かった。
まるで果物みたいに。
「うちね、こういうごはん、当たり前になっとるけど」
いつかアキラは思うようになる。
「もしかして、ちょっと贅沢なんかもしれん」
外食はそう多くない。
でも、毎日並ぶ新鮮な野菜のおかずは、
どんなレストランにも負けないごちそうだった。
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◆ 幼稚園でのアキラ ― “ちゃんと馴染めた”時間
そんなごはんを食べて育ったおかげか、
アキラは幼稚園では元気で、よく走る子だった。
・鬼ごっこでは足が速くて、よく“おに”をかわす
・お絵かきの時間は、なぜか畑とトマトばっかり描く
・お弁当の時間は、ばあちゃんお手製の卵焼きが大人気で、
「ひとつちょうだい!」とよく囲まれる
先生たちも、アキラをよく気にかけてくれた。
お父さんやお母さんについて聞かれたとき、
胸がちくりと痛む瞬間は確かにあったけれど――
それでも、
友達と笑って遊べる時間のほうが、
その痛みより少しだけ長かった。
だから、
アキラにとって“幼稚園時代”は、
「寂しさはあったけど、ちゃんと笑えてた時期」
として、心の中に刻まれていく。
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◆ 卒園式 ― 小さなスーツと、二人の涙
三月。
ホールには、卒園式の飾り付け。
折り紙の花と「そつえん おめでとう」の文字。
小さなスーツを着せられたアキラは、
ちょっとくすぐったそうにネクタイを触っている。
「似合っとる、似合っとる」
「ね、立派になったねぇ」
安三郎も静子も、
式の間じゅう、ずっと目を細めっぱなしだった。
卒園証書授与。
名前を呼ばれる。
「赤嶺アキラくん」
「はい!」
少し大きな声で返事をして、
小さな壇上に上がる。
先生から卒園証書を受け取るアキラの姿を、
二人は息を呑んで見つめた。
(この子が、ここまで大きくなってくれた)
(よくここまで……)
胸の奥で、
何度も何度も同じ言葉が巡る。
歌の時間。
みんなで「さよなら ぼくたちのようちえん」を歌う。
♪ さよなら ぼくたちのようちえん
ぼくたちの あそんだ にわ〜
アキラも、一生懸命歌う。
途中で、なんだか目が熱くなって、
声が少し震える。
(ここ、楽しかったな)
(友達もできたし、先生もやさしかった)
(でも……)
「お母さん」の膝の上で泣いている子。
「お父さん」が肩を抱いている子。
その光景はやっぱり、
最後の最後まで、胸をちくりとさせた。
だけど今度は――
両隣に、ちゃんと安三郎と静子がいる。
卒園式が終わって、園庭に出たとき。
クラスメイトのひとりが駆け寄ってきた。
「アキラくん、小学校いってもあそぼうね!」
「うん! あそぶ!」
無邪気なその一言が、
少し先の未来を明るく照らしてくれる。
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◆ 小学校への一歩
帰り道。
幼稚園の門を振り返りながら、
アキラはぽつりと言った。
「……ようちえん、おわっちゃったね」
「終わったねぇ」
「でも、“おわり”やなかよ。ここから“はじまり”やけん」
静子が、
桜のつぼみを見上げながら言う。
「今度は小学生やろ?
ランドセルしょって、もっと遠くまで歩けるごとなるよ」
安三郎も、にっと笑う。
「友達も増えるばい。
先生も増える。世界も広うなる。
なんかあったら、
畑で“世界一の孫会議”したるけん、心配すんな」
「なんそれ」
笑いながら、
アキラは手をぎゅっと握る。
(ぼく、ちゃんとやれるかな)
(でも――
じいちゃんとばあちゃんがおるけん、大丈夫か)
そんなふうに思いながら、
新しい春を迎える準備をする。
このあと――
小学校に入って、
しばらくは順調にいく。
低学年のあいだは、
幼稚園と同じように友達と笑って過ごし、
畑の話をしては「すげー!」と言われることも多い。
けれど、
学年が上がるにつれて、
“家庭の事情”に敏感な子、
それを茶化す子どもも増えてくる。
四年生のとき。
その空気が少しずつ変わり始め――
いじめへと繋がっていく。
そこで、
美鈴がアキラを見つけて声をかける。
「うちに遊びにおいで」
そして、
まだ幼稚園にも行っていない光子と優子、
のちに養女となる美香との出会いへ。
幼稚園〜小学校入学までの
“ちゃんと笑えていた時間”があったからこそ、
その後の苦しさと救いが、
よりくっきりと浮かび上がってくる。




