春介と穂乃果、春海と水湊、ダブルデート
1.穂乃果×春介 志賀島〜海中〜水族館デート
三月下旬。
風はまだ少し冷たいけれど、陽射しは完全に「春」だった。
志賀島行きのバスを降りたところで、春介は少しだけ背筋を伸ばした。
待ち合わせより三分早く着いたはずなのに、もう穂乃果は立っている。
「おー、春介。おはよ」
ジーンズに白いブラウス、薄手のトレンチコート。
大人っぽいけれど、笑うと相変わらず妹の光子そっくりのえくぼが出る。
「おはようございます、穂乃果さん」
「ほら、また“さん”って言いよる」
口を尖らせて、穂乃果は春介の肩を軽く小突いた。
「今日のミッションは“デートを楽しむこと”やけん。
まずは、敬語はあとでまとめて指導するとして……志賀島、一周しますか、相棒くん」
「……了解です。じゃなくて、うん。行こっか」
ふたりは金印街道の海沿いを並んで歩き出す。
右手には春の陽を反射してきらきら光る海。
左手には、まだ色を残した菜の花の畑が続いていた。
「この前の曲、“春の海”の歌詞書きながらさ、
頭の中ずっとここやったとよ」
「俺も。ドラム録りしながら、
『ここでシンバル入れたら、波バーンって来るかな』とか考えてた」
「その“バーン”の説明、ミュージシャンぽいんだかぽくないんだか」
笑いながら、穂乃果が春介の横顔を覗き込む。
「でもさ、レコーディングの春介、
めちゃくちゃカッコよかったよ。
“あ、あたし、この子に惚れたんやった”って撮りながら再確認したもん」
「……今、それさらっと言う?」
春介の耳が、海風より早く赤くなる。
海の中道海浜公園では、
レンタサイクルを借りて、チューリップとポピーのエリアをゆっくり走る。
「はい、春介、そこストップ」
「え、なになに」
「そのまま。はい、笑ってー。
“彼女の自転車についていく彼氏”ってテーマで撮るけん」
ぱしゃり。
スマホの画面には、少し照れた顔でこちらを見る春介と、
その前で振り向く穂乃果の影が長く伸びている。
「これ、ジャケ写で使えるんやない?」
「高校生の卒業アルバムみたいって言われん?」
「それはそれでよくない?」
そんな他愛もない会話が、
風に乗って、花の香りに混じっていく。
午後、ふたりは海の中道の水族館へ移動した。
暗がりの中、巨大な水槽を泳ぐマイワシの群れが、
光を受けてひとつの生き物のように形を変えていく。
「……あ、これ、次のMVのイメージに良くない?」
「穂乃果、今たぶん、ディレクターの顔になってる」
「だってさ、ここの前で春介と春海が演奏して、
水槽の中に“春の海”の世界流したら、
絶対エモいやん」
「それ、水族館さんに許可取るのが一番難しそう」
そんなことを話しながらイルカショーを見て、
売店でソフトクリームを半分こする。
「一口ちょうだい」
「もうそれ、自分のやろ」
「“彼氏のより美味しく見える現象”ってあるやん」
結局、自分のコーンより長く春介のを握っている穂乃果に、
春介は何度目かわからないため息をつく。
(……たぶん、こういうとこが好きなんだよな)
夕方。
志賀島のバス停に戻る頃には、空はオレンジから群青へ変わりかけていた。
バスが来るまでの少しの時間、
ふたりは海を見ながら並んで座る。
「ねぇ、春介」
「ん?」
「今日一日、一応“年上のお姉さん風”に頑張ったつもりなんやけどさ」
「いや、十分お姉さんやったよ。運転も、段取りも」
穂乃果はそこでふっと笑って、
真剣な目で春介を見た。
「でもね。
彼氏から敬語で喋られるのは、やっぱり寂しいっちゃん。」
「……」
「最初はさ、“年上やし、こいつなりに気ぃ遣っとるんやろな”って思ってたけど。
もうバンドも一緒にやって、レコーディングもして、
今日だって、こうやって一日一緒に歩いて。
――そろそろ、“対等”でおりたかと」
夕焼けの光が、穂乃果の横顔を赤く染める。
「だからさ」
彼女は、春介の手の甲を人差し指でつついた。
「敬語、禁止。
“穂乃果さん”も禁止。
あたしの前では、年下の彼氏じゃなくて
“春介”でおり。」
「……でも俺、失礼なこと言ったりしたら」
「そのときはそのとき。
ちゃんと怒るけん。
でもそれってさ、“同じ高さ”で喋れとうってことやろ?」
春介は、少しだけうつむいて、
ぎゅっと拳を握ってから顔を上げた。
「……わかった」
「お、タメ口やん」
「えっと……
今日、めちゃくちゃ楽しかった。
連れてきてくれて、ありがと。穂乃果」
穂乃果の口元が、ふっとほどける。
「うん。
その“穂乃果”が聞きたかったっちゃん」
バスのライトが遠くに見えたとき、
穂乃果はそっと春介の手を握った。
「これからも、一緒に海、見に行こ」
「うん。一緒に、行こ」
春の海風は、もうあまり冷たくなかった。
2.水湊×春海 ドライブ&夜景デート
同じ日の夕方、少し離れた場所。
福岡市内のコインパーキングで、
黒いコンパクトカーの前に立つ春海は、
わずかに緊張していた。
「お待たせ〜」
運転席側から手を振りながら降りてきたのは、水湊。
いつものやんちゃな笑顔に、
今日は少しだけ大人っぽいシャツとジャケット。
「乗りなよ、ハル。
今日は俺が“運転とBGMと、全部担当”やけん」
「……よろしくお願いします、水湊“先輩”」
「その“先輩”いらんっちゃけど。まぁいいや。
行こっか、糸島」
ハンドルを握る水湊の横で、
春海はシートベルトを締めながらそっと窓の外を見る。
「レコーディング、楽しかったね」
「楽しかった。
ハルの書いたドラムパターン、
マジで俺好みやった」
「ふふ。
あたしも、水湊のギターソロ、
“あ、この人ずるいな”って思った」
「褒め言葉として受け取っとくわ」
都市高から西へ。
夕焼けが、だんだんと暮色へ変わっていく。
糸島の海沿いのカフェ。
窓の外では、最後の夕陽が水平線に溶けていくところだった。
「はい、カフェラテ。
ハルは、いつものキャラメルマキアート」
「ありがと」
グラスを受け取った春海は、
少しだけストローをくわえてから、ふっと息を吐いた。
「こうやってさ。
“ピーチシード★”のレコーディング終わったあとに、
ちゃんとデートできるの、なんか変な感じ」
「バンドメンバー兼、彼氏彼女って、
たしかに取り扱い注意案件ではあるよね」
「生々しい言い方やめて」
ふたりで笑う。
水湊は、ふっと真面目な顔になった。
「でもさ。
俺、ハルがドラム叩きよるときの顔、好きなんよ」
「……どの顔?」
「集中して、眉間にちょっとだけしわ寄せてさ。
でも、フィル決まった瞬間に、
ちょっとニヤってするやろ。あれ」
春海は一瞬固まって、
すぐに顔を手で覆った。
「見られとうんや」
「そりゃ見るやろ。
俺、あの表情見るために、
ギター何時間でも弾けるもん」
「そんなこと言うから、
こっちの心拍数が大変なことになるんよ……」
テーブルの下で、
そっと水湊の足先が、春海の足先に触れる。
「心拍数上がったほうが、
ドラム、テンポ走らん?」
「走らせんけん。そこは職人やけん」
「そこがまた好き」
日がすっかり落ちるころ、
ふたりは再び車に乗り込んだ。
「次、どこ行くと?」
「ちょっとだけ遠回りして、
“夜景ポイント”寄って帰ろっか」
郊外の小高い丘。
駐車場に車を停めると、
目の前に、街の灯りが星のように広がっていた。
「おー……」
「な、けっこう良くない?」
「うん。
……なんか、ここでジャケット写真撮ってもいいくらい」
ふたりはボンネットにもたれて、
並んで夜景を眺める。
「ねぇ、水湊」
「ん?」
「あたしたち、
これからどうなるんやろうね」
「急に哲学」
春海は、夜景から視線を外さずに続けた。
「高校卒業して、
音大行って、
バンドも続けて……って、頭では思っとうけど。
現実にはさ、
家のこととか、お金のこととか、
色々あるやん?」
「あるね」
「正直、
ちょっと怖いときもある」
そこでようやく、水湊は春海のほうを見た。
「ハル」
「なに」
「俺さ」
夜風が、ふたりの間をすっと抜ける。
「“どうなるか”は、まだ分からんよ。
でも“一緒にいたい”ってことだけは、
もう決めてる。」
春海は、少しだけ目を見開いた。
「バンドがどう転ぶか、
音楽でどこまで行けるか、
そんなの誰にも分からんやん。
でもさ、
ライブでミスって落ち込んどるハルに
“次、もっと良くしよ”って言えるの、
俺でありたいし。
バンドが大きくなったときに
“うわ、ここまで来たね”って笑い合いたいのも、
ハルなんよ」
言い終えると同時に、
水湊はそっと、春海の手を握った。
指先が、少し震えていたのは、夜風のせいか、それとも。
春海は、自分の指をからめ返した。
「……ずるい」
「どこが」
「そういうこと、
さらっと言うのがずるい」
「じゃあ、もっと不器用に言おうか?」
「それはそれで聞きたい」
ふたりの間に、
小さな笑いがこぼれる。
春海は、夜景に向き直り、ぽつりと言った。
「――あたしもさ。
“どうなるか”は分からんけど、
“隣でドラム叩きたいギタリスト”は、
もう決まっとるけん。」
「それ、誰?」
「……言わせる?」
「言わせて?」
「……水湊」
名前を呼ばれた瞬間、
水湊の表情が、少年みたいに崩れた。
「よし。
今の一言で、
俺、三年は戦える」
「エネルギー効率良すぎん?」
「ロックバンドは燃費悪いくらいがちょうどよかと」
笑いながら、
ふたりはしばらく、何も言わず夜景を眺めた。
遠くで瞬く光が、
これから続く道を、少しだけ優しく照らしているように見えた。




